この夏休み期間は盆であった先週を除き、土曜日の午前に普段は公開されていない発掘調査の現場を公開しています。
晴れた金沢を出発して、北陸道から名神に入る頃には雨模様で、まわりの山々には雲海ができるような天候です。
岐阜城に到着すると、雨はあがっているものの曇り空です。天気予報を信じて昼からに期待しましょう。
今日は出発が遅れた分、まずは発掘現場に急ぎます。
発掘現場はC地区の平坦地から山側の奥まったB地区です。
作業用の階段を上って一段に上がります。
中央に見える石段はここが登山道として整備されたときももので、その登山道建設のために遺構もかなり破壊を受けているようなのが残念です。
現地は2段ありましたが、下段では平坦地を囲むように石垣が出土していました。その石垣の一部はかなり焼けた跡があります。
この辺りの石は黄色いのが特徴ですが、発掘された石垣の石には表面が赤く変色しているものがいくつもありました。この厚さに焦げ跡が残るには相当な火災がないとここまでは焼けないようです。
上段に上がると、すぐ礎石と排水溝の跡が出土していました。この排水溝は平坦地を横切っているそうで、礎石のある下段側は2メートル足らず。どのような建物だったのか気になりますね。
現在、この最上段に3階建て以上の建物が建っていたと推定されています。今は木々で城下を見渡すことはできませんが、当時はかなり見通せたことが予想されます。
写真左側に石垣が見えますが、
ここは石垣の下に川原石が敷き詰められており、さらに石垣裏にも川原石が敷き詰められています。
実際に掘り下げていないので裏込石なのかどうかはわからないようですが、階段のように見えなくもないので、石垣脇を通ってさらに上へ向かう通路だったのではないか?とも考えられているようですが、決定打はなく、すべては謎です。
奥の傾斜地からは焼土も見つかっており、何か建物があったようです。さらに奥に石積みが見えますが、それも登山道整備のときに作られたものです。
上段奥からも石垣の列が出土しています。
上段の平坦地は下段よりも幾分広いです。
岐阜公園の楽しみは他にもあります。公園内には発掘調査の成果を展示するスペースが設けられていました。
中では、岐阜城と城下町の復元イラストや、
居館跡の構造を示すペーパークラフトが飾られていたりします。
もちろん、これまでも発掘調査の成果を解説するパネルや遺物の展示もありますので、お見逃しなく!!