新川運河沿いのきれいに整備された河川敷
その一画に兵庫城跡の石碑と案内板が立っています。
天正8年(1580)、池田信輝と輝政父子が花熊城を攻め落とした功によって兵庫の地を与えられて、この地に兵庫城を築城しました。
兵庫城は江戸時代に尼崎藩領となって陣屋が置かれ、その後、大坂町奉行所の勤番所や兵庫鎮台、兵庫裁判所と変わり、廃藩置県により「兵庫県」となったときの最初の県庁所在地だそうです。
明治7年(1874)に新川運河の開削が行われ、城跡の中心地はほとんど川敷になってしまったということで、まさにここが中心地ですね。