月山富田城を見たあと、歩いて新宮谷を見て回りました。
入口に地図があります。館跡が墓が点在しています。小山が多くある深い谷筋です。
新宮谷は尼子経久の次男国久の一族が住んだところであり、新宮党と呼ばれました。
この山が「尼子氏奥津城」と呼ばれていますが、
「城」とついてはいますが、「き」と呼び、新宮党一族の墓所と伝えられています。
新宮党は尼子氏の先兵として領土拡大に多大な貢献をしましたが、甥の晴久により攻め滅ぼされました。
新宮谷の左の谷筋を進むと、一段高い平地が見えてきます。
今は太夫神社境内となっています。
平成20年に島根県指定史跡となりました。
太夫神社は新宮党一族を祀っています。
神社横には国久やその子らの墓と伝わる墓石があります。
ここには確かに戦があったのでしょうが、今はのどかな風景ですね。
右の谷筋には山中鹿介生誕地と伝わる「山中鹿介幸盛屋敷跡」があります。今は高台にある墓地の奥になります。
石碑が立っています。
「山中鹿介幸盛屋敷趾」と書かれています。
敷地の奥に井戸らしい窪地を発見しました。
石碑裏には敷石らしき石もあり、奥は一段高くなっています。このあたりも猪に掘り起こされて荒れていました。