仕事で島根に出張するついでに1日前乗りして来たものの雨模様です。とはいえ、折角来たので久しぶりに広瀬にやってきました。広瀬に来るときはいつも天候がよくないように思いますが、楽しみにしてきました。
飯梨川を天然の堀として、奥に高くそびえるのが日本五大山城のひとつ、富田城の本丸です。
麓の道の駅に安来市立歴史資料館があります。平成の合併でここ広瀬町は安来市となりました。先に見学してから登ろうかと思いましたが、着いたのは9時前、開館は9時半ということで先に登ることにしました。
駐車場からすぐのところに「尼子興久の墓」があります。今日は雨模様なので露出が厳しいです。
一番下の郭は「千畳平」です。
郭内には尼子神社があります。
千畳平の1つ上の郭は、「太鼓壇」となります。奥の小山の上に
「尼子氏之碑」が立てられています。
さらに太鼓壇には有名な山中鹿介像が立っています。
その見つめる先は三笠山です。三笠山の上にかかる三日月を排して、「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈ったといわれています。
太鼓壇の上の郭は「奥書院」となります。
さらにすすむと「花ノ壇」に出ます。
奥のほうに復元された屋敷跡の写真ばかりが出ていますが、手前に広い郭です。
花の壇と山中御殿平の間にあるこの郭はなんていう?郭でしょうか。
御殿平の入口には多聞櫓が建っていました。
多聞櫓から御殿平をみると、奥に本丸の山が見えます。まだ随分奥ですね。
御殿平の菅谷口に井戸跡(雑用井戸)が残っています。
菅谷口は石垣に囲まれ、直角に曲がっています。ここは攻めるのが難しいですね。
菅谷口は新宮谷方面にあり、入口に広瀬藩松平氏の菩提寺である城安寺があります。
城のような構えの石垣は近世のものでしょうが、谷の迫った尾根には防御用の郭があったことでしょう。
御殿平に戻りましょう。御殿平の中央には山中御殿がありました。堀に囲まれた跡が復元されています。
千畳平と厳倉寺の谷筋を通るのが大手道で、御殿平に入ります。
御殿平の大手道沿いに大井戸があります。
案内板があっても道が埋もれてどこか探しましたが、竹藪の中でしたね。見つけるのが大変でした。
この軍用大井戸は今でもかなりの深さを持っていますね。落ちたら簡単には登ってこれそうにありません。見学者も少ないし、大変です!
大井戸の近くに池があります。この辺りには大量の湧水があるようです。
御殿平に戻り、菅谷口と反対側の塩谷口にやってきました。
このあたりの郭や土塁は特に掘り返された跡がありました。資料館の方にお聞きすると、猪が根のあたりにいるミミズを食べるために掘り返しているんだとか!麓の資料館付近にも現れることがあるそうで、今日は会わなくて良かった。
「塩谷」という自分と同じ名前を持つ地域から入ります。谷筋も短いため、入口を特に堅固に作ったようですね。
本丸へ登る七曲りから見渡す御殿平は壮観です。
本丸までは20分、さあ登りましょう!
石畳の跡が見えます。
しばらく登ると、山吹井戸があります。ここは浅いです。
七曲りをひたすら登ると、三の丸に出ます。高い石垣ですが、段が多いところが技術が未発達ですね。未発達なだけなのか、鬼門除けをしているのか、角をとっている部分も見えます。
階段を上って二の丸へ進みます。
雨が強くなってきて、霧が深くなってきました。奥に本丸も見えてきました。先を急ぎます。
二の丸から麓を見渡すと、やはり霧が深いですね。晴れていれば遠くまで見えるところなのですが・・・
二の丸と本丸の間には深い堀切が掘られています。
本丸は奥に勝日高守神社が建てられています。また天気の良いときに登りたいですね。
下りてきて対岸の三日月公園に尼子経久像が立てられています。奥に富田城が見えます。
経久の指し示す先は、鹿介と同じ三笠山です。陶隆房との戦いにいざ出陣!っていうところでしょうか。
安来市立歴史資料館で受付の方といろいろと先の話などをさせていただきました。ご厚意ですでに配布終了しているという「山陰の城館跡」という小冊子をいただきました。縄張り図などもあり、ちょっと持ち歩くにはいい本ですね。再配布してほしいところですが、予算がないかな?