桑名から名古屋へ行く途中、念願の長島城を見に行きました。長島は長島一向一揆の地、木曽川、揖斐川、長良川の河口付近の輪中(中学で習いましたよね、でも地元でないと実地を見ないとイメージ沸かないんですよ)地帯を拠点に織田信長と激戦を交えました。とはいえ、今知られる長島城は近世江戸時代に整備された城(陣屋?)です。
本丸跡は長島中部小学校となっています。校門から右に校舎、正面から左に運動場が広がっています。正面に大きな松の木が見えますか?この松は後ほど
校門から隣の長島中学校へ歩いていくと、小学校の歩道脇に「長島城跡」の案内板が立っています。絵図がプリントされていますが、かなり薄くなっていますね。
長島中学校の校門は陣屋風です。
戻って小学校の校舎前まで来ました。
大きな老木が伊勢湾台風にも耐えて残っています。ここが本丸の南西隅となるそうです。長島城時代から残っている数少ない生き証人です。
小中学校前を流れる川に架かる「大手橋」の名が、ここが大手であったことを偲ばせてくれます。
橋を渡ると、道標が残っています。
それでは、下町方面を散策します。
長島城跡の川の対岸には寺が多数点在しています。ここは「正敬寺」、真宗大谷派です。
少し歩いて「花林院」は曹洞宗?かな
散策の目的は、この「蓮生寺」です。真宗高田派となります。
山門は長島城の「大手門」であったと伝えられています。
小さな高覧門形式ですが、大手門ということは先ほどの大手橋を渡ったところにあったんでしょうね。大手門というにはやはり小さくないですか?
瓦には増山氏の家紋である「雁金」を見ることができます。午前中だと内側から見るのがいいですね。正面は逆光で見にくい・・・
長島城の建造物唯一の遺構です。そんなに距離は離れていないので見逃さないように。