「その手は桑名の焼き蛤」という洒落で有名な桑名。
東海道は名古屋の熱田の湊からここ桑名の湊まで舟でした。
その距離から「七里の渡し」と呼ばれていますが、
「七里の渡し」の鳥居の前で、桑名城沿いに進みます。
この湊を見渡すところに、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が復元されています。現代で言う灯台の役割でした。見張り台の役割もありましたけど。
徳川譜代の城として、「立ち葵」の家紋瓦に水の神として龍が乗っています。
蟠龍櫓はライトアップのされています。それを見たくて、前日夕方見に行った写真がこれです。
漆黒の闇に浮かぶ櫓。湊側から見ると、海に姿が写ってきれいです。風がない日はもっときれいでしょうね。
七里の渡しの鳥居もライトアップされています。
さて、この蟠龍櫓の近くから散策します。
桑名城と城下町の間、北大手橋の架かる堀には多くの舟が泊まっていましたが、その上がり部分は石造りで立派です。ここは藩政期そのままでしょうか?改修されているのでしょうか?揃わない石積みからは古いようにも見えますが。
蟠龍櫓のある曲輪は三の丸です。早朝からご年配がゲートボールを楽しんでいました。
三の丸は一部駐車場として無料開放されていますが、9時から開場される(ちょっと遅い)ので、自分は少し離れた場所に停めました。
駐車場横には藩政期城主だった本多忠勝の銅像が立っています。あの兜カッコいいですね。
今の桑名城跡は幕末の譜代藩としての面影が残っているのでしょうが、桑名松平家よりも本多家のほうが地元の方には誇りなのでしょうか?
本丸・二の丸は九華公園となっています。
水堀が残る憩いの場ですね。公園の案内図でも城の形がよくわかります。
管理事務所近くの扇橋口に、
桑名城絵図を描いた案内板が立っています。
管理事務所口には石が積まれていますが、この石は石垣の石の残りでしょうか?けっこう大振りですよ。
野外ステージのある曲輪は「奥平屋敷」と呼ばれているようですが、
この曲輪のまわりは藩政期そのままの石垣が残っています。堀沿いに残る石積みは見逃さないでくださいね。
それにしても、堀が広いからか、ここは鳥たちの楽園ですね。二之丸橋のあたりが最も集まっていましたが、欄干に並んでとまる姿はどこか落ち着きます。
堀に架かる橋の真ん中に東屋があり、その奥のグラウンドが朝日丸跡となります。
本丸に入ります。辰巳櫓跡は小山として残っています。
大砲のレプリカがある櫓台からの眺めはいいですね。
もうひとつ櫓跡が残っています。こちらは神戸櫓跡です。
本丸跡の一角に「桑名城跡」の石碑が立っています。
本丸の半分ほどは現在神社になっています。
鎮国守国神社。主祭神は藩祖松平越中守定信公です。ということは桑名藩の始まりは、松平家ということになっているのか?ここに本多家が入る余地はないようです。
本殿の脇の紅葉は真っ盛りでしたが、この奥に天守台が残っています。実は一度見逃して帰ろうとして引き帰しました。
天守台はひっそりと神社境内の残っており、
見ると、大きい石がかなり使用されています。立派な天守台です。
鎮国守国神社の隣は、九華招魂社。御祭神は戊辰戦争から太平洋戦争までの桑名出身戦没者のようです。
その隣は鎮国稲荷神社となっています。かなり広いので、全部まわると2時間以上かかります。