仕事前に散策です。今日も昨日と同じく、祥伝社新書の「江戸城を歩く」を参考に歩きます。コース4の「日本橋川」を途中まで攻略します!
歩いていると常盤橋公園に着きました。予定していたのとは逆方向に歩いたようですが、今更戻れないのでそのまま進みます。
橋は当時のものではないようですが、枡形に向かって川を渡り、公園内には枡形の両側の石垣が残っています。枡形になるために囲むもう一方が壊されていますが、都心にこれだけのものが残ったのは川がカーブしていて、道を作るのに邪魔にならなかったからでしょう。
現在の常盤橋は少し東側に架かっています。そこから日本橋に向かいます。
日本橋はこの「梅ぼ志飴」に描かれているように、浮世絵として多く描かれています。ちなみに「梅ぼ志飴」はべっこう飴です。
さて、見学を・・・・・と思ったら、なんと工事中でした。
北詰めの道路基準道標は見学できます。
橋梁はブルーシートで大きく包まれています。
普段は道路の真ん中にあって見学できないこの道路元標も見学できる!
と思ったら、外されていました。ここが日本の道路の基準点ですよ。
もう一方の北詰めには魚市場発祥の地の石碑が立っています。鮮魚や塩干魚を荷揚げした魚河岸がこの辺りにあったそうですが、築地市場の前身はこの地にあったということですね。
川沿いに西に戻り、一石橋にきました。
この橋の歴史は古いようです。
橋柱は現在1本だけ残っています。その横の金網に囲まれたところに
迷子しらせ石標が立っています。
壊されないように厳重に囲まれていますね。
そこから1つ南に行った交差点あたりに呉服橋門があったようなのですが、
今は交差点名として残るのみです。
説明板もないのか、と歩いていると少し離れた日本ビル前に見つけましたよ。
さらに西へ歩くと、新大手町ビルの脇にひっそりと道三橋の案内板が立っています。この通路が道三堀だったのかな?
交差点を北に進み、外堀まで戻ったところが鎌倉橋です。南岸に大部分が蔦におおわれた石垣が残っています。
そこから川沿いに西へ進むと、物揚場跡の案内板があります。
そこは神田橋です。建築資材の陸揚げ場所だったところですが、対岸に神田橋門があったようです。
西の北詰めには神田橋の案内板が立っています。
橋のたもとにある首都高への入口の向こう側に石垣が残っているようですが、首都高で隠れ、蔦で隠れ、よく見えませんね。
もうひとつ西側の錦橋から西側の南岸は石垣が続いて残っていますね。
次の橋は一ツ橋です。
交差点も一ツ橋です。想像の通り、徳川一橋家の屋敷前にあった門跡であるのですが、長くなったので後半は別記事に書くことにします。