大野市にある朝倉義景公募を参ってきました。
朝倉義景は5代続いた一乗谷城下町を、織田信長に敗れたことにより追われ、一族の朝倉景鏡に誘われて大野郡に逃れましたが、逃れたところで景鏡の反逆に合い六坊賢松寺で切腹しました。
義景の五輪塔は家来や家族に守られるように墓所の中央に立っています。
右横には殉死した高橋景倍と鳥居景近の墓が立てられています。
墓所は右に休息所が整備され、その間に用水を流して堀状になっています。用水はこの西側と南側を流れていますが、もともと東側もあったのかどうか、もしあったとすれば、死して尚、堀に囲まれた強固な守りの中で安らかに眠っていることになりますね。