JR用宗駅を下りると、ホームから見える裏山が持舟城です。
JR用宗駅は南口しかないため、北側にある持舟城へはぐるりと回っていかないといけません。
駅前の看板を見ると、海に非常に近いことがわかります。
現在城山の東側に小坂川が流れていますが、江戸時代の古絵図では東側まで海が入り込み、北側は沼地が広がっていたそうです。
麓の浅間神社
その裏に城跡までの農道が整備されています。
少し上ると眼下に突き出た山の先端部が見えます。そこが浅間山砦となります。
さらに上ると、本曲輪への入口があります。
しばらく上ると、広く開けた平坦地へ出ます。
ここが本曲輪となります。昭和まではここに城山神社があったそうですが、今はありません。
曲輪のほぼ中央に「持舟城址」の石碑が立てられています。
本曲輪にある案内板には持舟城の縄張りと城下の関連施設が書かれています。
本曲輪と二の曲輪の間には深い堀切が切られています。
その堀切の奥に、小さな祠と深い井戸跡が残っています。
二の曲輪に上ってみましたが、一面のみかん畑となっており、私有地のようでしたので入るのをやめました。
下りてきて、城下の大雲寺まで来ました。ここに搦手がありました。寺前の駐車場も広い敷地が広がっていますが、ここは「館跡」と伝わっています。
その西側へ進んだこの辺りが「船溜り、蔵屋敷」と伝わる場所です。江戸時代は現在のJRの線路まで海岸線が迫っていたのかもしれません。
持舟城が今川軍の水軍の拠点と言われる所以ですね。