加納城から徒歩5分ほどのところに、済美女子高校があります。
その場所が斉藤道三に美濃守護職から追われた土岐氏の居城であった川手城跡となります。
校内のほぼ中央、小さな公園のようになっている一角に石碑と案内板が立てられています。
石碑は「史蹟川手城跡」となっていますが、案内板は「革手城」となっていて、統一感ないですね。
校庭はかなり広いですが、川手城の発掘調査は今まで行なわれていないようです。すでに廃城となっていた川手城は、加納城築城のときの部材として土砂までとられたようで、徹底的に破壊されたようですが、掘れば何か出てきそうなものですが・・・
石碑の場所が北隅になると推定されているようです。