高岡市にある古国府城。今は浄土真宗勝興寺の境内となっている。
古国府という名が示すとおりかつて越中国府庁が置かれた場所で、勝興寺が城郭寺院を構えたときに土塁や堀が造られたと考えられている。
周辺は市街地化しているので破壊された部分も多く、よく残るのは勝興寺境内南西隅の「椿の道」という看板の立つ場所。
土塁と空堀がよく残っている。
堀沿いに北に少し歩いて行くと内側に堀が屈曲し、この部分はより広く深く残っている。
つまり南西隅は少し曲輪が出っ張っていることになる。
南西隅から堀沿いに東に行くと、空堀が土橋状になり、土塁が少し凹んでいる。虎口かと思われるが、勝興寺は有料施設なので通行止めになっている。
勝興寺の正面参道に「勝興寺寺内町」の石碑が建っている。そこには
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古国府は古代越中国府の跡地。天正十二年(一五八四)以後、城構えの勝興寺の川縁まで広がるその寺内に古国府の町が生まれた。加越能三国で明治直前まで寺内町の形を保った唯一の町。
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と書かれている。
砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。