金沢城鼠多門の復元に向けた発掘調査の真っ最中です。
昨年秋に一度、発掘調査報告会が開かれたが、冬の後は長い間中断していました。
今は昨年掘り下げて表面に出てきた石垣の回りを丁寧に調査しているようです。
金沢城鼠多門の復元に向けた発掘調査の真っ最中です。
昨年秋に一度、発掘調査報告会が開かれたが、冬の後は長い間中断していました。
今は昨年掘り下げて表面に出てきた石垣の回りを丁寧に調査しているようです。
旧国宝だった大垣城は東西交通の要衝として、関ヶ原の戦いでは、一時西軍を率いた石田三成の本拠地となっていた。
関ヶ原の戦い後は、戸田氏鉄が入り、戸田十万石の居城となった。大垣藩は氏鉄を二代と数え、初代は一西としている。
空襲で焼失した後、昭和34年に鉄筋コンクリートで外観復元された。前の銅像は氏鉄公。
天守とともに門も再現されている。
外堀にあった7つの重要な門、大垣城七口之門のひとつ清水口門のあった場所
堀は狭められているようで、橋桁の両側に飛び出た石積みが見えるが、これも近代のものかもしれない。