平成20年度から高岡城跡である高岡城址公園で初の本格的な発掘調査が実施されています。昨年は本丸広場内で建物の敷石遺構が発見されましたが、現地説明会は都合がつかず行けませんでした。今日は「貫土橋地区」「児童公園地区」「本丸虎口地区」「射水神社地区」の本丸4カ所の現地説明会が行われました。
特に射水神社地区で発見された築城期の遺構は新聞報道されました。
朝陽橋口の受付で説明会資料を受け取り、貫土橋地区に向かいます。
開始から時間が少し経っていたので人も少なく最前列で説明を聞くことができました。
貫土橋は緊急時に移動できる車輪がついた橋が架けられていたと考えられていますが、両岸で栗石層の上に人為的な盛土が確認されました。
さらに、この斜面では上部に整地された通路が発見され、本丸であった射水神社裏から下りる通路があったとわかりました。現在はないものの、よく見ると通路だった部分がくぼんでいる様子が今も確認できます。
栗石層はかなり深いです。
先の斜面の反対側のトレンチです。
次に児童公園地区。天守台があったかもと考えられている場所です。
説明はありませんでしたが、現在は平坦な公園面ですが、トレンチで土塁の立ち上がりを確認しています。
次に本丸虎口地区です。現在の本丸広場へ通じる通路になっていますが、元は通路入口が土塁で塞がれていたことがわかっており、虎口がどのようにあったのは正確にはわかりません。
広場入口部分で人為的に版築された整地層が発見されました。
最後に射水神社地区です。神聖な社叢ですので立ち入り禁止地区ですが、本日限り公開されました。
射水神社は高岡城の本丸に建ち、本丸の半分を占めています。その社叢は本丸北限にあたり、貫土橋にまっすぐに続く場所になります。
裏込め石を伴う二段の石積み遺構が確認され、石の配置から方形の隅部分だと思われます。
注目は矢穴もあるこの石の「卍」の刻印です。
様々な産地の石が使われているのも特徴です。右側に裏込が見えます。
月: 2012年7月
金沢城 石川門一の門修理が始まる
石川門の一の門、元は搦手門ですが、現在は兼六園側から金沢城内へ入る観光のメインルートになります。
30日からこの一の門の修復工事が入ります。柱の修理時に油圧ジャッキで門全体を浮かせ、傷んだ柱の根元部材を取り換える工法で行われ、県内では珍しい工事になる。
門全体が50センチ持ち上げられ、腐食の激しい柱の根元約30センチを新材に交換する。
今日は殿様井戸のある水の手門前も工事をしていた。
井戸の修復かと思いきや、どうも水の手門前の崩れた石垣を積み直していたようです。
金沢城 玉泉院丸庭園整備は進んでる?
いもり口の整備は進んでいます。
隣接する玉泉院丸はいもり口の横のみが入口となり、香林坊側の坂は石垣に戻されることになります。
入口以外は工事が進んでいないようですね。
と、紅葉橋から続く高台は草が生えてきて、縁の盛土があることがわかるようになりました。
真夏は土を寝かすために工事進まないのかな?
平日に見に来ないとやはり進行具合が全くわからないなー
金沢城 橋爪門工事は始まらないのか
起工式から2週間・・・
2階建ての工事用プレハブが建っていました。
いつものアングルからはプレハブが遮って現場が見えなくなりました。ここから左前方に見学用足場が組まれるはずですが、まだその準備は整っていないですね。
ということでまだ工事は始まりそうにありません。
七尾城跡 全山に精巧な防御構造
七尾市教育委員会の七尾城跡石垣調査委員会は4日までに、石垣など石の構造物が城内に約380カ所あることを確認した。分布が広範なことから、日本最大級の山城である七尾城は全域にわたって精巧な防御構造を備えていたことが明らかになった。同市教委は今後も調査を続け、2015(平成27)年度以降に石垣などの整備を図る。
約380カ所のうち約100カ所は石垣と見られ、野面積みの石垣は、防御や土留め、装飾などそれぞれ異なる機能を持つことも分かった。
この調査で、現在の大手道以外に、西側の麓から山上に向かう新たな道筋が確認された。道中には巨石「九尺石」を使ったものなど、数カ所の枡形があった。
(北國新聞2012年7月5日付け記事より)