金沢城調査研究10周年記念シンポジウム「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」の2日目です。今日は朝から丸1日ですよ。
研究報告1
「慶長11年の江戸城普請における加藤清正の石材調達指図について」
別府大学 白峰旬氏
白峰報告では新しい知見を得ました。名古屋城の天守石垣に人名の書かれた角石が数石あります。その理由が石材の大きさの目安とする目的だったということです。
江戸城の調達指示の書状に中に、「『勝兵へ』くらいの石を送ってこい」と家臣に指示しているそうです。
研究報告2
「万治元年の江戸城普請と加賀藩」
金沢城調査研究所 石野友康氏
研究報告3
「軍学と後藤家石垣秘伝書」
愛知県立大学 長屋隆幸氏
軍学の流派は
・越後流
・長沼流
・甲州流
の3大流派に、甲州流から派生した
・北条流
・山鹿流
の2つを加えて5流派となるようです。加賀では有沢家が甲州流、北条流、山鹿流の混在した流派を教えていたようです。
研究報告4
「九州における近世城郭石垣の変遷」
佐賀県立名護屋城博物館 市川浩文氏
研究報告5
「加藤嘉明と藤堂高虎にみる石垣構築技術」
松山市教育委員会 楠寛輝氏
研究報告6
「近世大学池田家の石垣普請」
鳥取市教育委員会 細田隆博氏
研究報告7
「東国における野面積石垣構築技術と画期」
山梨県教育庁埋蔵文化財センター 宮里学氏
パネルディスカッション
「城郭石垣の技術と組織からみた金沢城」
パネルディスカッションでは、野面積み→打込はぎ→切込はぎと年代によって自然石から切石から進む石垣構築過程をこれまで進化だとする風潮が、実はある面では退化だという主張がなされました。
石加工技術としては自然石から割石、切石と高度化しているが、石積み技術としては最も難しいのは自然石、切石は簡単になっている。要は石垣のバリエーションが増えたということだと。
丸1日はさすがに疲れましたが、比較研究の大切さを実感した充実した報告会でした。来年から金沢城調査研究所では、金沢城の兼六園、その周囲の武家屋敷に点在する庭園の調査から金沢の石積み技術を解き明かし、玉泉院丸庭園の特異な石垣の解明と、名勝指定に向けた調査がおこなわれるようです。
日: 2012年3月4日
金沢城 いもり堀年1回清掃へ
昨日の夕方、清掃のため水抜きをしているといういもり堀へ寄ってみました。
かなり水位が下げられていましたが、水面を覆った藻がそのまま下がっていってどうしようも・・・・
そんな中、水中の藻が食べやすくなったのか、2羽の鴨がさかんに水中をついばんでいました。
水深が浅くなったことで、珍しいお客さんも来ていましたよ!
アオサギでしょうか?頭の後ろのとさか?の毛が象徴的ではありますが、こちらもさかんに水中をついばんています。こちらは小魚狙いでしょうね。
水深の下がった堀はまさに鳥たちの狩り場となっていました。
水堀復元から早2年。しかし、たったの2年でここまで藻が生えるとは予想外ですね。
これからは年1回清掃をするということですが、見栄えも悪いのでもっと抜本的に解決策を探る必要がありそうですね。大手堀はそんなに汚れた記憶はないのですが、木陰にもなる北側の大手堀と直接日光が当たる南側のいもり堀では違うのでしょうか。
一夜明けて今朝の風景。
2年前のきれいな風景は望むべくもなし・・・
水位が下がって鯉喉櫓台の低い位置にある石樋が久々に顔を出しました。
昨日いもり堀内の鯉を助け出して兼六園に戻したと新聞報道されていたけど、今朝も背中に藻を絡ませながら泳ぐ数匹の鯉がいました。
昨日の夕方は見かけなかったので、昨晩のうちにまた兼六園から下ってきたのか?
きれいになったいもり堀が楽しみです。