名古屋に来たならここに行かないと!
名古屋城本丸の本丸御殿復元工事現場です。なんとか間に合った・・・
中に入ると、
おーかなり形ができてきていますねー!
ここまで形が見えてくると、本当にすばらしいですよ。来年には玄関と表書院部分が公開となりますが、素屋根がかかったまま公開となるのか、接続部分はかかって外されるのか?素屋根がかかっていれば、できた玄関を上から眺められるのだろうけど、隣からでも見られるのか?
表書院は屋根のこけら葺きの真っ最中、板がたくさん積んであります。
少しずつ葺いているようですが、実際の作業が見れないのが残念。
玄関はこけら葺きが終わって、上から見ていても大きい!!
下から見ると迫力あるでしょうね。早く前から見てみたい。
玄関北側の中之口部屋は屋根の板組みの途中です。
北側は屋根の横板も中央から張られています。
よく見ると、横に3枚ずつ縦の板2枚分ずつずらして張られています。これも丈夫に造るためですかね。
下の方に何か見えると思ったら、釘箱ですね。
このアングル、「週刊安土城をつくる」を思い出しますね。大きさが全く違いますけど。
表書院の北側、溜之間もできてきています。それにしてもこの規模で約3分の1なんで、本当に大きいですよ。
この空間はちょうど第2期工事の対面所と下御膳所が建つ場所。
遠く見ると奥で作業している方がいます。木材の最終的な調整をやっているようですが、前回の訪問までは木材加工場でしか見られなかった光景です。でも少し遠いなー
いつからか御深井丸展示館で本丸御殿にかかわる催しが開かれていました。
1室を使って、これまでの本丸御殿の復元の写真が飾られています。
これは途中経過などもわかっていいですね。ここも順次変えられるのでしょうか。
天守閣では、「本丸御殿障壁画復元模写展」が開催中でした。今日は春まつり期間中ということで、6時過ぎでも見学できました。ライトアップまでゆっくり楽しめました。
これらの復元画はちょうど来年公開の玄関や表書院に飾られるものです。
実際に建物内に設置されると感じがまた変わるのでしょうね。楽しみだ。
本丸御殿はまだ外から見ていても作業が進んでいるのがわかって、何度見に来ても面白いですよ。これがまだ6年続くので、あと何回来られるか?
月: 2012年3月
姫路城天空の白鷺 2回目の訪問
姫路城に行ってきました。昨年春に天守の本格的な修復工事が始まってから、昨年8月に1回行きましたが、半年を経てその様子を見てきました。
平成では今回限りの大修復ですから最低年1回は行きたいところです。
朝ホテルを出て、近くにある中堀の鵰門(くまたかもん)跡
枡形の先に姫路城天守が見えます。この時期は木々の葉が落ちているので見やすいですね。
昨夜、ホテルに着いた後、ライトアップを撮影に出かけました。同じく鵰門跡です。
外灯に照らされた枡形の石垣の向こうにライトアップされた天空の白鷺が見えます。
もう少し昨日の様子を・・・
三の丸に入って、備前丸の天守を右に、西の丸のワの櫓とカの櫓を左に見た景色です。もう9時を過ぎているので人っ子一人いません。
ライトアップされて一際大きさが目立つ天守ですが、隣りの小天守、手前のリの一渡櫓もライトアップしてほしいなー
内堀西南隅の石垣群。今日は寒いですが風がないので、きれいに堀に石垣が映り込んでいます。
ライトアップは夜10時まで。順次ライトが消えていったので、こちらもホテルに帰りました。
さて、駐車場に到着したので、まずは工事中の美術館越しに天守を撮影
東側の三の丸入口は橋を修理中。内堀に映る天空の白鷺が美しいです。
今回の天守工事は、昭和の大修理と同じく鹿島建設が担当。今回はJVですが、鹿島のホームページでは姫路城天守に足場を組むCG動画を見ることができます。
近づいて見ると、工事用足場の大きさもさることながら、帯の櫓下や太鼓櫓下の石垣の高さに圧倒されますね。
昨夜と同じ三の丸の場所に来ました。明るいと多数の建物が見えます。
この景色すべての建物がライトアップされていれば壮観でしょうね。
天空の白鷺は前回同様予約してあったのでスムーズに入場できました。
途中、漆喰の修復工事現場に遭遇。休みに遭遇するのは珍しいことで、年度末だからでしょうか?
さあ、中に入りますよ。
並んだ一般観光客に先んじて、エレベータで最上階へ
ビデオは前回訪問した夏あたりの作業風景。しばらくは半年ごとの更新になりそうです。
最上階の屋根はすべて瓦が葺き終わってしまって少し残念ですが、目地の漆喰塗りは今後の作業
平瓦、丸瓦は葺き終わっているものの、真ん中の鬼瓦はぽつりと独り立ち。
屋根の両側には足場用の板が置かれています。
7階に下ります。今日は前回より人が多いですね。まだ春休みというのに、少し観光客が戻ってきているようで安心します。
こちらの破風の屋根瓦はまだまだ。あまり以前と変わっていないような・・・
先日世間を賑わした「幻の窓」の報道記事が展示されていました。
今日は天候が悪く、遠くが霞んでいます。
次はいつ来ようか?工事の進捗状況を見て決めましょう!
兵庫城 兵庫県の城館
新川運河沿いのきれいに整備された河川敷
その一画に兵庫城跡の石碑と案内板が立っています。
天正8年(1580)、池田信輝と輝政父子が花熊城を攻め落とした功によって兵庫の地を与えられて、この地に兵庫城を築城しました。
兵庫城は江戸時代に尼崎藩領となって陣屋が置かれ、その後、大坂町奉行所の勤番所や兵庫鎮台、兵庫裁判所と変わり、廃藩置県により「兵庫県」となったときの最初の県庁所在地だそうです。
明治7年(1874)に新川運河の開削が行われ、城跡の中心地はほとんど川敷になってしまったということで、まさにここが中心地ですね。
金沢城調査研究10周年記念シンポジウム 「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」
金沢城調査研究10周年記念シンポジウム「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」の2日目です。今日は朝から丸1日ですよ。
研究報告1
「慶長11年の江戸城普請における加藤清正の石材調達指図について」
別府大学 白峰旬氏
白峰報告では新しい知見を得ました。名古屋城の天守石垣に人名の書かれた角石が数石あります。その理由が石材の大きさの目安とする目的だったということです。
江戸城の調達指示の書状に中に、「『勝兵へ』くらいの石を送ってこい」と家臣に指示しているそうです。
研究報告2
「万治元年の江戸城普請と加賀藩」
金沢城調査研究所 石野友康氏
研究報告3
「軍学と後藤家石垣秘伝書」
愛知県立大学 長屋隆幸氏
軍学の流派は
・越後流
・長沼流
・甲州流
の3大流派に、甲州流から派生した
・北条流
・山鹿流
の2つを加えて5流派となるようです。加賀では有沢家が甲州流、北条流、山鹿流の混在した流派を教えていたようです。
研究報告4
「九州における近世城郭石垣の変遷」
佐賀県立名護屋城博物館 市川浩文氏
研究報告5
「加藤嘉明と藤堂高虎にみる石垣構築技術」
松山市教育委員会 楠寛輝氏
研究報告6
「近世大学池田家の石垣普請」
鳥取市教育委員会 細田隆博氏
研究報告7
「東国における野面積石垣構築技術と画期」
山梨県教育庁埋蔵文化財センター 宮里学氏
パネルディスカッション
「城郭石垣の技術と組織からみた金沢城」
パネルディスカッションでは、野面積み→打込はぎ→切込はぎと年代によって自然石から切石から進む石垣構築過程をこれまで進化だとする風潮が、実はある面では退化だという主張がなされました。
石加工技術としては自然石から割石、切石と高度化しているが、石積み技術としては最も難しいのは自然石、切石は簡単になっている。要は石垣のバリエーションが増えたということだと。
丸1日はさすがに疲れましたが、比較研究の大切さを実感した充実した報告会でした。来年から金沢城調査研究所では、金沢城の兼六園、その周囲の武家屋敷に点在する庭園の調査から金沢の石積み技術を解き明かし、玉泉院丸庭園の特異な石垣の解明と、名勝指定に向けた調査がおこなわれるようです。
金沢城 いもり堀年1回清掃へ
昨日の夕方、清掃のため水抜きをしているといういもり堀へ寄ってみました。
かなり水位が下げられていましたが、水面を覆った藻がそのまま下がっていってどうしようも・・・・
そんな中、水中の藻が食べやすくなったのか、2羽の鴨がさかんに水中をついばんでいました。
水深が浅くなったことで、珍しいお客さんも来ていましたよ!
アオサギでしょうか?頭の後ろのとさか?の毛が象徴的ではありますが、こちらもさかんに水中をついばんています。こちらは小魚狙いでしょうね。
水深の下がった堀はまさに鳥たちの狩り場となっていました。
水堀復元から早2年。しかし、たったの2年でここまで藻が生えるとは予想外ですね。
これからは年1回清掃をするということですが、見栄えも悪いのでもっと抜本的に解決策を探る必要がありそうですね。大手堀はそんなに汚れた記憶はないのですが、木陰にもなる北側の大手堀と直接日光が当たる南側のいもり堀では違うのでしょうか。
一夜明けて今朝の風景。
2年前のきれいな風景は望むべくもなし・・・
水位が下がって鯉喉櫓台の低い位置にある石樋が久々に顔を出しました。
昨日いもり堀内の鯉を助け出して兼六園に戻したと新聞報道されていたけど、今朝も背中に藻を絡ませながら泳ぐ数匹の鯉がいました。
昨日の夕方は見かけなかったので、昨晩のうちにまた兼六園から下ってきたのか?
きれいになったいもり堀が楽しみです。
金沢城調査研究10周年記念シンポジウム 「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」
石川県文教会館へやってきました。
今日と明日の2日間、金沢城調査研究10周年記念シンポジウム「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」が開催されます。
県に金沢城研究調査室が設置されたのは、金沢城跡から金沢大学が移転して県所有となった後です。10年の間に研究室は金沢城調査研究所として格上げされ、昨年度の国史跡指定にも多大な貢献がありました。
今回は10周年の記念年としてだけではなく、研究所になったことを契機に全国の石垣研究者を外部嘱託研究員とした5年間の研究成果の集大成でもあります。
北垣聡一郞所長の開催の辞
「石垣研究の歩みと現在」
基調講演
「金沢城石垣の変遷と特徴」
金沢城調査研究所 滝川重徳氏
総括報告1
「遺構からみた徳川期大坂城普請の組織と技術」
東北芸術工科大学 北野博司氏
総括報告2
「石垣普請の組織と穴太の役割」
金沢城調査研究所 木越隆三氏
1日目半日ではありましたが、最先端の城郭石垣の研究成果が聞けて充実しました。