寒波がやってきて時折激しく雪が降る天候ですが、昼休みには良い天気になりましたので、近くの能美古墳群へ行ってきました。冬になって下草が枯れて、地形がよく見えるようになっていると予想してのことです。
能美古墳群は石川県内最大の古墳群で、手取川左岸に点在する寺井山、和田山、末寺山、秋常山、石山にわかれて、50基以上の古墳が尾根に築かれている。
とは言っても、開発により山は削られ、住宅地や公園になった場所も多く、地図では濃い緑色の部分が現存の丘陵地、灰色の部分が失われた丘陵地ということになる。左に位置する寺井山は9割以上が失われてしまった。
和田山の麓の駐車場に車を停め、散策開始!
もっと大きな和田山古墳群南尾根は次回にして、最初に和田山古墳群北尾根に向います。
城山と呼ばれている北尾根の登り口。低い丘陵地ですから、あっという間に頂上です。
頂上には和田山5号墳。比較的大きな前方後円墳ですね。草も枯れて形状もよく見えます。
上に上ると広い空間があり、一時的な陣地としては申し分ないです。
ここ和田山は加賀に攻めいった織田軍が陣をはったと言われています。総大将は柴田勝家ですが、位置関係からして、もっとも後方の和田山に柴田が陣取り、残りは寺井山や末寺山などに陣をはったのでしょうね。
さて次は、和田山の北に位置する末寺山古墳群に行きます。
この尾根にはたくさんの古墳が残っているようです。冬とはいえ、この辺りは笹が多く自生していて、古墳がわかりにくかったです。特に、末寺山は南と北の尾根沿いに古墳が並ぶのですが、南尾根の円墳はどこなのか全くわかりませんでした。
雪はあまりなかったのですが、それでも日陰部分はまだうっすら残っている箇所もあり、こんな寒い中誰も来ないですから足跡も当然ついていませんよ。
さすがに最北に位置する末寺山北尾根からの眺めはいいですね!
ここは最前線の見張り台として古墳が利用されたことでしょう。
末寺山7号墳の円墳。盗掘か?発掘か?真ん中にぽっかりと穴のあいた円墳でした。
最後に9割を失った寺井山古墳群へ。
唯一残された円墳は、住宅街にひっそりと整備されて残っていました。
ここからは和田山も
末寺山もよく見えます。ここは古墳のまわりの木がまったくありませんから、他の古墳群ももう少し見晴らしを良くしてくれると嬉しいですね。とここでまた雪が激しくなってきました。
次回は和田山南尾根へ。
月: 2012年1月
大津城 滋賀県の城館
大津市の京阪浜大津前の大津港駐車場の一角に「大津城跡」の石碑が立っています。
大津城は琵琶湖に面した平地に築造された水城で、関ヶ原合戦の前哨戦、大津城籠城戦でも有名な城です。その時の城主が浅井三姉妹の二女初の嫁いだ京極高次でした。
NHK大河「江 姫たちの戦国」でも描かれていたので、一般の方にも有名になったことでしょう。
浜大津駅までの歩道橋に上ると、琵琶湖を一望できます。海の港とは少し違いますね。
比叡山も見えますよ。もう少し晴れていれば・・・
この歩道橋の下、国道を含めて浜大津駅周辺が大津城の本丸があった場所です。
交差点を電車が行き交います。ちょうど「源氏物語」のラッピング電車が行きました。
後で知ったけど、ここを「けいおん!」のラッピング電車も走っているようです。
10分ほど歩いて大津市のアーケード街へ
日曜午前中にしては人がまばらな商店街です。今はどこの商店街も苦しいのだろうけど、あまりにも・・・
それとも日曜だから人が少なかったのか?
「大津百町館」、奥が明治の商人屋敷となっているところで、今日は時間がなかったので次回に。
入口の大津町の模型はしばらく眺めてきましたよ。
中に「大津百町おもしろ発見地図」(200円)という、現在の道路に、大津城の縄張りと城下町であった大津百町の町名が書かれた地図が売っていました。今はほとんど破壊されて面影の残っていない大津城を感じながら散策することができますよ。
アーケード街にある大津祭曳山展示館
その横(右が大津祭曳山展示館)の空地の奥に、大津城を唯一偲ぶことができる外堀の石垣が残っています。元々は建物があって、ここもやはり見えなかったのかもしれません。
堀の石垣なので、城内の石垣よりは積み方が少し雑かな?
左側は5メートルほど行って右に曲がっています。
右側はずっと続いているように見えますが、2メートル先からは積み方が変わっています。
この石垣の場所は先程のおもしろ発見地図によると、外堀の南東隅近くの内側の石垣ということになりますね。
他に大津城を偲ぶ場所もないですから、もっと見学しやすくしてもらいたいです。それと、この場所どこになるか最初わからなかったんですよ。案内看板もないですし、せめて大津城跡の石碑近くに立ててくれないでしょうか。
今日の目的は、コラボしが21で開催された「講座 近江の姫たち」に参加することでした。
定員200名のところ、130名ほど集まりました。昨年はNHK大河「江 姫たちの戦国」で大変盛り上がった湖北地区ですが、その時流に乗って地元の滋賀県教育委員会もこの歴史遺産を地元に深く浸透させようと、数多く探訪会を行って来ました。今日はその総まとめというところでした。
先着100名にお土産がもらえるとあって、開場30分前に入りましたがその甲斐ありました。各探訪会で配布された資料の数々です。遠方からは足繁く通えませんからね。観音寺城探訪会だけは参加しましたので、これは2冊目になりました。
帰りにはSAで東海道大津宿の名物「走り井餅」を買って来ました。
企画展「金沢城の今昔」 金沢大学資料館
現在、金沢大学資料館(図書館内)では企画展「金沢城の今昔」を開催中です。入館無料ですが、平日のみ(10:00~16:00)の開館ですので、年末年始休みの最終日に行ってきました。
比較的穏やかだった三が日を過ぎ、今日は大雪の一日でした。今日から授業が始まった学生たちも寒そうです。
展示室に入ります。
前回の特別展は一室すべてを展示替えしていたので見ることができなかった通常展を壁側に戻し、中央部を企画展に使用していました。
井上鋭夫氏を中心にした金沢城学術調査委員会が行った発掘調査で見つかった遺物などは、現在の金沢大学がその多くを収蔵しています。
数年ぶりに本丸で見つけた阿弥陀仏を彫った石造遺物が展示され、
発掘日誌なども展示されていました。
「金沢城と前田氏領内の諸城」(名著出版)などを著した喜内敏氏。
本企画展は、喜内氏の遺品が石川県立歴史博物館に寄贈されたことが契機だったようです。
(そのうち、歴史博物館でも金沢城展やるのかな?)
その遺品のほんの一部が展示されていました。
企画展を見た後、初めて通常展のほうも見ました。金沢大学には発掘調査の遺物や、学校で使用されていた品のほかにも、江戸時代の加賀藩のものも収蔵しています。
その中から二点、
幕末の加賀藩の文学校、「明倫堂」の扁額です。新井白蛾の筆によるものです。
ここでは儒学を中心に算学、和学、天文学、礼法、易学、医学などを教えていました。
そして加賀藩の武学校、「経武館」の扁額です。加賀八家のひとつ土佐守家の直方の筆によるものです。
弓、槍、剣、馬術、居合、組打、長刀などを教えていました。
金沢城玉泉院丸庭園の復元 泉水、中島の造成に着手
加賀藩の築庭様式の中で、ひときわ異彩を放ったとされる名園が現代によみがえる。石川県は新年度、金沢城玉泉院丸庭園の復元に乗り出す。江戸末期の絵図や埋蔵文化財調査で確認された遺構を基に、泉水や中島などの造成に着手。パノラマ上に広がる石垣景観との一体的な整備を進め、2014年度の北陸新幹線金沢開業までに往時の姿を再現する。
新年度は、文化庁や玉泉院丸跡調査検討委員会の専門家らと協議し、庭園の復元に向けた具体的な設計に入る。江戸末期の絵図や埋文調査の結果を基に、池の形や位置を忠実に再現するほか、庭園に植える樹木についても兼六園など他の大名庭園を参考に、当時の植生を再現する方針だ。
県は、北陸新幹線の金沢開業までに庭園中心部を先行して整備するとともに、外周部の埋蔵文化財調査を続け、遺構などが確認できたところから順次復元していく。
県は、玉泉院丸跡の外周石垣の復元工事にも着手する。旧県立体育館の出入り口を造る際に取り壊された合同庁舎前交差点前の石垣が対象で、スロープで分断された部分に戸室石を積み足し、城郭外周の景観を整える。(北國新聞2012年1月3日付記事より)