金沢歴史探訪月間のイベントして「加越国境城郭群と古道探訪会」が開催されました。現在発掘調査中の切山城と金沢市指定史跡の松根城、それをつなぐ小原越古道をめぐる旅です。
参加者18名と市職員を乗せたバスは大雨の中、一路切山城へ向います。
険しい山道を登って切山城へ。ちなみにこの道は現代の道です。
しばらく登ると小原越と重なる箇所に竪堀があります。現代の道より一段高い位置にあるので不思議な感じですが、両側から見ると低くなっています。
切山城の脇を小原越が通っており、上から道を監視できるわけですが、一部は非常に急峻な切岸となっています。
現在の道の脇に旧小原越古道が残っていて、もとは非常に狭い道だったことがわかります。まるでけもの道!しかし、この脇街道は本道である北陸道よりも交通量があった時代もあるのだそうだ。
富山側からの最初の障害は先の竪堀だが、金沢側からの最初の障害はこの堀切。
1枚目が主郭のトレンチだが、その中からは柱穴が見つかっています。
石が集められた場所も・・・柱の根固めか?
主郭には櫓台とまわりをぐるりと土塁が巡っています。
もう少し天候が良ければ眺めは最高なのだろうけど、今日は大雨。まったく視界がありませんでした。
その後、大雨で小原越を歩く予定は中止となり、バスで松根城へ移動。数年前、日光で薄くて読めなくなっていた看板が新しくなっていました。
砺波平野や河北潟が一望できる主郭からは、こちらも霧でまったく視界なし。殘念です。
切山城と松根城は、羽柴VS織田・徳川の小牧・長久手合戦の北陸地方での代理戦争の舞台です。桐山城が前田利家方、松根城が佐々成政方、他の二俣越、田近越、北陸道でも同様のにらみ合いが行われていたけど、比高でいうとこの時点では佐々方が優勢だったのかな。
金沢市は3年計画で発掘調査や文献調査を行い、2城と古道一括で史跡申請を行う予定だそうです。
日: 2011年11月19日
玉泉院丸跡ガイドツアー 城と庭のもてなし事業
日本で唯一の石垣で築かれた庭の滝の全貌が現れました!
生憎の大雨でしたが、ささやかに今年の「城と庭のもてなし事業 ~紅葉を愛でる~」が開催されました。
目玉の「玉泉院丸跡ガイドツアー」は定員40名でしたが、大きく定員超えの60名近くの参加がありました。大雨だったので、まずは中で金沢城調査研究所の冨田さんにより今回の発掘結果について報告がありました。
そして、大雨の外に出て下から説明を受けました。
雨だといろいろと大変ですが、石垣を見る時はそんなことばかりではありません。しっとりと濡れた石は写真に移してもその色合いがよくわかります。
滝下には大石が並べられ、特に手前(西)側には青戸室が並びます。
また滝の東側には飛び石の並ぶ園路が発見されました。玉泉院丸庭園は池泉廻遊式庭園ですが、これまで歩く園路が見つかっておらず、貴重な発見となりました。
上の色紙短冊積み石垣も現在の地表面から2メートル50掘り下げられ、この高さは近くから見ても迫力ありますね。
下からは水を受ける石や玉石敷きが見つかり、今まで涸滝か?水滝か?で議論のあった課題に答えが出ました。
特に、大きな石の板の中央には滝の水により削られたと考えられる凹みがみられ、勢い良く流れていたときはここに、弱いときは後ろの水受石に水が落ちていたようです。
玉石敷きの保存状態もよいですね。
滝下は滝壺のようになっていたようで、石垣が囲み、庭園側には暗渠もみつかりました。この暗渠が実際につながっているかどうかまでは今回わかっていません。
それにしても、50名以上で雨の中説明を聞くのは大変でしたが、午後の現場説明会には参加できなかったので良い機会でした。
「玉泉院丸跡ガイドツアー」は城と庭のもてなし事業のイベントのひとつでしたが、雨で残念でした。
三の丸北園地では、テントひとつで「紅葉しおり作り教室」が開催されました。
ガイドツアーに参加する前に一足先に行ったら1番目でした。材料をもらって早速制作です。
紅葉と銀杏で2枚のしおりを作成しました。