東京出張に合わせ、早めの電車で東京に乗り入れました。今日は快晴で散策日和になりました。
なかなか機会が少ない江戸城の本丸を見学することにします。今は皇居東御苑と呼ばれている場所です。
大手門から入り、北桔橋門へ抜けるルートとします。
大手門の一の門(櫓門)を見ると、漆喰が崩れ落ちている箇所が数カ所見られました。東日本大震災では江戸城の建造物も影響を受けたことは聞いていましたが、まだ修復されず放置されたままですね。
大奥あたりから見た天守台です。さすがに江戸城だけはスケールが違います。今日は地元の学校が遠足に来ていましたよ。
天守台に上ります。
天守台から見た本丸は広いですよ。地下部分でこの高さですから、天守が建っていたら絶景が広がっていることでしょうね。
江戸城天守台は天下普請で加賀藩が担当しました。三代利常の時代です。石材は大きく迫力ありますが、隅が空襲で欠けているが痛々しいです。
本丸と二ノ丸をほぼ一周し、秋の江戸城を楽しみました。
北の丸を抜け、靖国神社にやってきました。初めてですが、目的は参詣ではありません。
境内に移築された能楽堂。
雨ざらし?なのは少し驚きでしたが、中がよく見えて有難い。
目的は・・・・
この「能楽」と書かれた扁額です。書いたのは加賀藩13代前田斉泰公。明治に入り、廃藩置県が行われ、それまで藩の庇護にあった能が急速に廃れていくことを危惧した斉泰公が、東京で盛大に能を行ないました。「能楽」という言葉が初めて使われた事例でもあります。
月: 2011年11月
高岡城速報展 発掘調査報告&講演会
高岡城は前田利長が築城した近世城郭ですが、長く公園として保存されてきて本格的な調査が行われてきませんでした。高岡市では平成22年度から価値向上の取り組みの一環として発掘調査など多角的な調査に着手しました。
今年夏には本丸広場の初めての発掘調査を大規模に行い、御殿の礎石が多数発見され、今回その成果を踏まえて速報展が城内の高岡市立博物館で行われています。
新館2階の第3展示室で行われた展示ですが、あまり広くない展示室内ではありましたが、関連する展示物と本丸発掘調査の結果について展示されていました。
現在の城内の数カ所で発掘調査が行われていて、
梅苑
明丸土塁
本丸入口付近
本丸北東部土塁
本丸児童遊園
朝陽橋付近、と6カ所で進行中、または予定の調査が行われていました。今日はブルーシートが被されていて、その実態は不明でした。
午後は市役所で特別講演会が開催されました。予約が必要でしたが、始まるまでには会場はいっぱいになっていました。
はじめに本丸発掘調査の成果が報告され、
続けて、高岡徹氏による「前田利長の高岡築城」、千田嘉博氏による「高岡城の歴史的価値」の講演が行われ、高岡城が価値ある城跡であるという認識が高まりました。
往時は本丸の周囲は石垣が巡っていたということで、土塁と堀のイメージのある高岡城が非常に近代的な印象に変わりました。
観音寺城を探検する2011
滋賀県文化財保護課主催の「観音寺城を探検する2011」に参加してきました。
今日はこの観音寺城に上ります。早めに安土入りし、なかなか行けていなかった考古博物館で図録を購入してから集合場所に向います。
集合場所は五個荘の「ぷらざ三方よし」です。ちょっと迷いましたが何とか辿り着きました。
やはり年配の方が多いですね。小さな子供連れの親子もいます。
これまで桑実寺口、石寺口、近江風土記の丘口は通ったことがありましたが、今回の川並口は初めてです。これで観音寺城の4つの登城口を制覇できます。
川並の町並みを通り、結神社の境内から登山道を上ります。
最終列でゆっくりと登り始めたけど、途中子供たちはやはり疲れたようでペースが落ちてきた。
八分ほど上ったところで休憩所があって、そこからの景色が絶景だった。今日はいい天気に恵まれて良かった!
まずは伝布施淡路丸から探検スタートです。
そこから大土塁に向かって、大見付、伝伊庭丸、伝馬場丸と通り、もうひとつの伝伊庭丸まで行きました。
この伝伊庭丸と隣りの伝三井丸は大土塁側に二重になった石垣が残っています。上を歩くだけでは気が付きませんね。
伝三井丸を出て、さらに伝馬淵丸(上から)、伝沢田丸を通り、
本丸に到着です。
さらに伝平井丸を通り、伝池田丸まで行ってここで昼食でした。ここが観音寺城で○○丸と付いた中では一番広い郭でしょうね。
そこから下に下り、巨石が並ぶ女郎岩
ここからは向かいの箕作山が眼下によく見えます。
さらに下りて、伝木村丸へ。ここから池田丸まで戻らなくてはいけなかったのが辛かった。
そして観音正寺で休憩です。
最後に伝目賀田丸に行きました。ここには井戸跡が残っています。石積みのある井戸でよく残ったなーという感じです。
帰り道は下りなので楽でしたが、雨が降って濡れていたら大変な行程でしたよ。そうでなくとも四時間以上の行程、足はガクガクです。
加越国境城郭群と古道探訪会
金沢歴史探訪月間のイベントして「加越国境城郭群と古道探訪会」が開催されました。現在発掘調査中の切山城と金沢市指定史跡の松根城、それをつなぐ小原越古道をめぐる旅です。
参加者18名と市職員を乗せたバスは大雨の中、一路切山城へ向います。
険しい山道を登って切山城へ。ちなみにこの道は現代の道です。
しばらく登ると小原越と重なる箇所に竪堀があります。現代の道より一段高い位置にあるので不思議な感じですが、両側から見ると低くなっています。
切山城の脇を小原越が通っており、上から道を監視できるわけですが、一部は非常に急峻な切岸となっています。
現在の道の脇に旧小原越古道が残っていて、もとは非常に狭い道だったことがわかります。まるでけもの道!しかし、この脇街道は本道である北陸道よりも交通量があった時代もあるのだそうだ。
富山側からの最初の障害は先の竪堀だが、金沢側からの最初の障害はこの堀切。
1枚目が主郭のトレンチだが、その中からは柱穴が見つかっています。
石が集められた場所も・・・柱の根固めか?
主郭には櫓台とまわりをぐるりと土塁が巡っています。
もう少し天候が良ければ眺めは最高なのだろうけど、今日は大雨。まったく視界がありませんでした。
その後、大雨で小原越を歩く予定は中止となり、バスで松根城へ移動。数年前、日光で薄くて読めなくなっていた看板が新しくなっていました。
砺波平野や河北潟が一望できる主郭からは、こちらも霧でまったく視界なし。殘念です。
切山城と松根城は、羽柴VS織田・徳川の小牧・長久手合戦の北陸地方での代理戦争の舞台です。桐山城が前田利家方、松根城が佐々成政方、他の二俣越、田近越、北陸道でも同様のにらみ合いが行われていたけど、比高でいうとこの時点では佐々方が優勢だったのかな。
金沢市は3年計画で発掘調査や文献調査を行い、2城と古道一括で史跡申請を行う予定だそうです。
玉泉院丸跡ガイドツアー 城と庭のもてなし事業
日本で唯一の石垣で築かれた庭の滝の全貌が現れました!
生憎の大雨でしたが、ささやかに今年の「城と庭のもてなし事業 ~紅葉を愛でる~」が開催されました。
目玉の「玉泉院丸跡ガイドツアー」は定員40名でしたが、大きく定員超えの60名近くの参加がありました。大雨だったので、まずは中で金沢城調査研究所の冨田さんにより今回の発掘結果について報告がありました。
そして、大雨の外に出て下から説明を受けました。
雨だといろいろと大変ですが、石垣を見る時はそんなことばかりではありません。しっとりと濡れた石は写真に移してもその色合いがよくわかります。
滝下には大石が並べられ、特に手前(西)側には青戸室が並びます。
また滝の東側には飛び石の並ぶ園路が発見されました。玉泉院丸庭園は池泉廻遊式庭園ですが、これまで歩く園路が見つかっておらず、貴重な発見となりました。
上の色紙短冊積み石垣も現在の地表面から2メートル50掘り下げられ、この高さは近くから見ても迫力ありますね。
下からは水を受ける石や玉石敷きが見つかり、今まで涸滝か?水滝か?で議論のあった課題に答えが出ました。
特に、大きな石の板の中央には滝の水により削られたと考えられる凹みがみられ、勢い良く流れていたときはここに、弱いときは後ろの水受石に水が落ちていたようです。
玉石敷きの保存状態もよいですね。
滝下は滝壺のようになっていたようで、石垣が囲み、庭園側には暗渠もみつかりました。この暗渠が実際につながっているかどうかまでは今回わかっていません。
それにしても、50名以上で雨の中説明を聞くのは大変でしたが、午後の現場説明会には参加できなかったので良い機会でした。
「玉泉院丸跡ガイドツアー」は城と庭のもてなし事業のイベントのひとつでしたが、雨で残念でした。
三の丸北園地では、テントひとつで「紅葉しおり作り教室」が開催されました。
ガイドツアーに参加する前に一足先に行ったら1番目でした。材料をもらって早速制作です。
紅葉と銀杏で2枚のしおりを作成しました。
ドラマ館 江と三英傑 絆のやかた IN 清洲城
清洲城にやって来ました。
天守風建造物が建っている場所にもともと天守はなく、観光用に建てられた模擬天守と呼ばれるものですが、この赤い橋から見える城門と天守はいつもワクワクさせてくれますね。
天守前の庭園にはこれまた絵になる風景が広がります。
横の御殿風建造物は入った記憶がないですが、今回は中に入れるようです。
今日はここが主目的です。
NHK大河ドラマ「江」に合わせて開催中の「ドラマ館 江と三英傑 絆のやかた」です。長浜のほうは宣伝も多かったですが、ここ清洲のほうは直前に知りました。
そうそう「清洲町」は平成の合併で「清須市」になったそうです。城名は「清洲城」のままですが
入場券。ちょうどもぎ取られる部分に織田家家紋が印刷されているので、さきに撮影してみました。
展示内容は清洲会議を中心とした愛知県が輩出した三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の展示でした。随分前に放映された部分でもあるので、もう展示終了間際の今となっては古い。
では、周辺を散策します。まずは広場にあった濃姫像です。信長は・・・
と対岸の公園に向かう途中、河原沿いに織田家家紋を見つけた。
おみやげ店には家紋をかたどった最中が販売されていました。美味しかった!
公園には若き日の信長像が立っていました。
天守の対岸のみやげ店横に「清洲古城址」碑が立っています。もとはこちらが城のあった場所です。
公園内には信長公を祀る社が建っています。
発掘調査で見つかった石垣が野外展示されています。
天守内展示の最上階には往時の屋根を復元展示されています。金箔瓦ってこういう感じなんですね。
最上階から見える風景はどこも近代的になってしまいましたが、名古屋市街方向を眺めると・・・
名古屋城が見えますよ。1610年、ここ清洲から名古屋へ、城下が移動しました(清洲越し)。
尾張大野城 江を訪ねる旅 愛知県の城館
江が最初に嫁いだ先として、今年注目を集めた尾張大野へやって来ました。ドラマではほぼ1話程度で別れてしまいましたが・・・・地元は盛り上げようと頑張っていますね。
平野部が続く中、ひときわ小高い丘の上に展望台が見えます。
大野城一帯は城山公園として整備されていました。
ぐるりと空堀がめぐる中心部に上がると、石碑と展望台がありました。
実際には天守はなかったのですが、展望台として建てられた建物は天守風ですね。
ここから見える伊勢湾を江も眺めたのでしょうか?
現在一番高い部分には佐治神社が祀られています。思ったより小さい社です。
主郭はかなりの比高差があり、天然の要害となっています。
町へ向かって、旧郵便局を改装したという尾張大野歴史資料館にも行ってきました。今年空きスペースを利用して開催されている資料館ですが、ドラマが終わった後も続くのかは不明です。期間限定かも?
中にはあいち戦国姫隊が来た時の様子や
ドラマで佐治一成を演じた俳優、平岳大さんが来た時の様子が展示されていました。
もちろん、佐治氏とドラマ登場人物の関係図などもあり、地元の歴史を紹介することも忘れていませんよ。ドラマ終了まであと少し、ぜひご覧アレ!
桶狭間古戦場 再び!
名古屋市緑区にある桶狭間古戦場公園に来ました。
前回は昨年春、名古屋城検定に合わせて歩いてここまで来ました。今回も名古屋城検定に合わせてですが、車で来ました。Googleナビで来たら、どうしても神明社境内にナビされてしまい、途方にくれているところで記憶に残る風景に会って、なんとか辿り着きました。
昨年は銅像建立の一週間前の訪問で、残念ながら対面できなかった信長像と義元像でしたが、若き日の信長にようやく会えました。
義元も従来の小太りの貴族風ではなく、凛々しい姿で、地元ならではの敬意が感じられます。
公園は桶狭間合戦の地理がモニュメントとして配置されています。
今は閑静な住宅街で、世間を驚かす一大事件が起こりました。
ちょうど設置しているところに遭遇した「桶狭間の桶」(地元ボランティアの方の洒落ですよ)は今も健在でした!
西南隅櫓、旧二之丸東二之門 修復工事
1年ぶりに名古屋城に来てみたら、西南隅櫓に素屋根が懸けられて、名古屋城一の撮影スポットが変わっていました。
西南隅櫓は濃尾地震で崩れて、城内唯一の菊の御紋が瓦に描かれた旧離宮の面影が残る建造物です。
次に西南隅櫓が見られるのは平成26年秋ということで、随分先ですね。工事中で掘部分にも部材が置かれていますので、あれ!?鹿たちは・・・
と思っていたら、表二之門近くの堀で仲良く休んでいました。
工事現場の看板には「旧二之丸東二之門」の文字もあり、
ずっと立入禁止になっていた現場に行ってみると、
こちらは完全に解体されて、礎石のみの状態に
こちらは一足先に平成24年冬に終了予定ということです。
名古屋城 西北隅櫓、乃木倉庫の特別公開
秋に名古屋城検定が日程変更になり、ちょうど特別公開中の西北隅櫓に入ることができました。県外者にはタイミングよく訪れるのは難しいことなので、自分も初めて入りました。
北西隅櫓は別名、清洲櫓とも呼ばれ清洲城天守を移築したものと言われた時代もありましたが、修復調査により現在は否定されています。層塔型という形式で、階が上がるごとに徐々に面積が狭くなる形式ですが、この建物は通し柱がなく、代わりに下階の廊下に貫を通すことで上階の柱を支えているそうです。写真は二階。
最上階でも広く、大勢の武士が待機できるようになっています。
眺めはよく、堀越しに名城公園方向を撮ってみました。
もうひとつ、同じく御深井丸に建つ乃木倉庫も中を公開していました。
太平洋戦争の名古屋空襲で本丸御殿の障壁画を守った土蔵の戸は、分厚く重量感があります。
中は単純な構造で広く空間が取られていました。
一角には古材や古瓦が集められて置かれていました。貴重な体験でした。
名古屋城本丸御殿 表御殿が・・・いつの間にか
名古屋城本丸御殿復元工事現場に久しぶりにやってきました。開府400年祭が行われていた昨年から1年ぶりになります。
ヘルメットを受け取って上に上がります。
1年前は玄関がようやく形が現れてきたところでしたが、
1年ぶりの工事現場は、あっという間に表書院の形ができていました。
玄関北の中之口部屋はようやく柱が立てられ、これから形が出てくるようです。まだ3分の1のスペースを作業しているだけですが、やはり大きいですね。上から見てきてこれだけの大きさですから、下から見上げると相当の大きさですね。入るのが楽しみです!
今日は土曜日なので木材加工場のほうにも入れました。
入口には切断で出た切れ端を持って帰れるコーナーもできていて、いい香りのするひのきの端をもらってきました。
今日は土曜日でしたが、作業している方が一人いました。
前回見た時は柱や貫など大きな部材を中心に削り出していましたが、今回は垂木など小さな部材も多く見られました。次来れるのはいつの日か?
名古屋城検定 第2回上級試験
あいち戦国姫隊も名古屋城検定初級を受験です!
今年は5月から11月に受験日が変更になって、第2回上級、第3回中級、第5回初級が開催されました。朝早くに出発して名古屋へ出向きました。
場所は昨年と同様に、鶴舞公園の名古屋市公会堂です。
受付10分前に着きましたが、前で何かやってるなーと思っていたのです。今年は新しく結成された「あいち戦国姫隊」が参加することはホームページで見て知っていましたが、ちょうど記念撮影していて、一緒に撮っている人もいましたが、自分は姫のみで1枚撮らせてもらいました。最初のがその1枚です。
会場に入ると上級を受験する皆さんは気合が入っています。座席表は100名。昨年よりは随分と減りましたが、皆さん熱心です。自分は勉強不足で出来は半分ほどでしょうか?合格証もリニューアルしたので、来年は初級からやり直そうかな。
今年はスポンサーから参加賞がありました。本丸御殿ラベルのお茶が2本、飴3個にボールペン1本です。ワオンカードとストラップは募金を兼ねて購入したものです。
<2011/12/20追記>
上級・第2回検定結果
受験者数:95名
合格者数:13名
最高点:39点/50点
平均点:21.2点