北ノ庄城の天守があったと推定されている柴田神社境内に、天守が建ちました!
NHK大河ドラマ「江」で観光地として一年脚光を浴びましたが、遅ればせながら天守が復興されました。FRP(繊維強化プラスチック)製ですが・・・
柴田勝家公も喜んでいることでしょう。
絵図の残っていない天守は小早川隆景宛書状に「九重」とありますが、当時五層を越える天守はなかったため、復元も五層です。
復元は数年前の復元予想図どおりのようです。
この天守模型は永久のものはなく二年限定となっていますので、勝家公と天守をともに撮る人はお早めに!!
日: 2011年10月30日
福井城跡展 福井県の城館
福井市文化財保護センターで「発掘が語るまちなかの歴史」というテーマで「福井城跡展」が開催されていました。
場所は足羽川を渡って、足羽山の麓、旧福井城下ではない場所になりますが、県外者にはちょっとわかりにくい。
福井市内でも開発のたびに発掘調査が行われ、数多くの福井城の遺構が発見されていますが、常時展示されているものは少なく、目に触れることがない遺物も多いのですが、
今回はそれらを一堂に集めて紹介しています。
城内だった場所、城下町だった場所、門跡、武家屋敷など状況は様々だったので、遺物もいろいろとあり、とても興味深い展示でした。
三国湊城 福井県の城館
中世に勢力を誇った三国湊白山千手寺は、南北朝期には城郭として利用され、太平記にも登場する。
平城だから当時は塀と堀に囲まれていたのだろう。この場所は海岸からわずかに上がっているが、とても高台とまでは言えない場所である。
解説板も設置されているが、非常にわかりにくい場所にある。
近くには特徴的な山門の妙海寺がある。
現在城地はその妙海寺の西墓地として利用されている。
千手寺城とも呼ばれた地には、現在石像の千手観音像が立っている。
丸岡藩砲台(丸岡藩台場) 福井県の城館
三国東尋坊近くの越前松原と呼ばれる景勝地に丸岡藩砲台があります。砲台というのは近世末に外国船の侵攻に備えて海岸を中心に造られた「台場」と言われている施設です。
整備から長い時間が経つのでしょう。史跡内に立てられた石碑は海風に煽られて傾いています。
入口には駐車場も完備されていますが、雨降る日曜日の朝にここを訪れる者はいません。
松原というだけあって松が多いようですが、砲台は海岸沿いの低い平地に作られていました。
東尋坊に近いこともあるのでしょう。岩がむき出しの崖地も所々にあり、
台場の材となる石材には事欠かないようです。ふと、海を眺めると・・・
最も遠くの石の上に、今も海を見守るように一匹の鵜が止まっています。
大砲は撤去されていますが、その台の保存状態は良いようです。台場一帯がこれほど良好に残り、当時を想像できる場所も少ないのではないでしょうか。
海側から見るとこういう感じですが、すべて石積みではなく、大砲を置いた場所の両側が石垣で、後は土塁となっています。
内側から海を狙うとこんな感じです。先程の鵜を狙い撃ちするとこうなります。内側のほうが石垣が重厚に積まれています。
よく見ると、積まれた石には「嘉永」の文字が刻まれたものもありますよ。ぜひ現地で確かめてください。
吉崎御坊 福井県の城館
芦原にある吉崎御坊に行ってきました。
ここは本願寺八世蓮如が北陸布教の足がかりとして拠点を置いた場所です。
本堂のあった場所は「吉崎御山」と呼ばれ、史跡として保存されています。
高台に築かれた御坊からの眺めはよく、海が近く、物資輸送にも適した土地だったことがわかります。
本光坊了顕の墓。文明六年(1474)の吉崎御坊炎上のとき殉教した方だそうです。
祐念坊霊空の墓。北大手口参道を守護した吉崎惣道場、吉崎御坊願慶寺の開祖の墓。
蓮如お手植えの松の木ですが、今は根本がわずかに残るのみです。
蓮如上人銅像。高村光雲の作だそうです。
御本堂跡。南に面し柱間五間の大きさだったそうだが、三度の火災で焼失した。
御腰掛石。御坊があった頃からあったもので、蓮如も腰掛けだろうと「吉崎山絵図」に書かれているそうです。
見玉尼公墓。蓮如の第四子(次女)でこの地で亡くなりました。
今日は時間がなく山上のみの見学だったので、次回は麓も散策してみたい。