八戸城にやってきました。
城の北部に八戸駅ができ、城下町との間にあった城内の大部分は開発されましたが、
その一部が三八城公園と市役所や市公会堂となりました。
今日は市役所前で催事が行われており、たくさんの人が来ました。
三八城公園に入ってすぐ右側に、
本丸跡の碑が立っています。
公園内には八戸藩初代の直房公の銅像が立てられています。
公園脇に行って駅の方角見ると、この場所が小高い段丘の上にあることが実にわかりやすく体験できます。市役所駐車場も車と人の出入口に非常に高低差があります。
市公会堂と公園の間に、三八城神社が建っていてここも城内です。
地震の影響でしょうか?本堂横の稲荷神社の鳥居が崩壊していました。
日: 2011年9月25日
新田城 青森県の城館
八戸市街から少し郊外の新田八幡神社にやってきました。
標高38メートルの低い山ですが、かなり急勾配で中腹にある鳥居の横に、新田城の案内版と庚申の石碑が据えられています。
頂上一帯に2つの郭があったと考えられ、そのひとつが新井田小学校、
もうひとつは八幡社となっています。中に宅地や畑もあります。
その八幡社の本殿前に城址の石碑があります。
境内からは八戸市街が一望できます。
町会ではこの新田城を大事にしているようで、秋には「新田城まつり」が開かれています。今日は開催前だったようで。
八戸南部氏墓所
長者山にある臨済宗南宗寺に来ました。南部氏墓所を探していたのですが、Googleナビでは大慈寺に案内されて場所を探すのに苦労しました。
南宗寺の山門は県重要文化財で江戸時代の創建。
正面の棟にはこの地を治めた南部家の家紋。
背面の棟には武田菱?と思いましたが、南部氏は甲斐の出身で南北朝時代に八戸にやってきたらしく、武田氏に関係するのでしょうね。
本堂裏の墓地の中に、県史跡の八戸南部氏墓所がありました。ようやく辿り着きました(・・;
藩の石高は大きくなかったので、大名墓地としては小さなものですが、
整然と五輪塔が並び、そこはやはり格の違いが感じられます。
八戸の隠れた名所でお詣りを
根城 青森県の城館
天候が良くて良かった!!はるばる八戸の根城にやって来ました。
見逃しそうな根城の石碑。遺跡内の園路とは外れた国道寄りに立っています。
駐車場は八戸市博物館前にあります。
八戸市の歴史を学べる博物館前には
八戸南部氏の祖、師行公の銅像が馬にまたがる凛々しい姿で建てられています。
史跡根城の広場の入口の門は、八戸城の東門、八戸城の貴重な建造物遺構です。
復元イラストによると、この根城はいくつもの郭が連なる構造です。手前が本丸なので、園路は奥のほうから手前のほうに進みます。
門をくぐるとすぐに深い空堀が見えます。こういうのが中世城館の醍醐味ですね!
福井の一乗谷朝倉氏遺跡と並ぶ、中世城館の復元事業の先駆けですから、見応えありますよ。
東善寺跡
中舘跡
中舘には四阿(あずまや)が建てられ、中は休憩施設となっています。
この郭を隔てる空堀がいいんですよ。
こうして見ると、当時北側を流れていた川のほうが急に低くなっており、根城が段丘沿いに作られたことがよく分かります。
最後は本丸です。この中に入るのは有料となります。
本丸への唯一の通路だった木橋を渡って、中に入ると復元された主殿や
掘立作りの納屋
馬屋
鍛冶場など中世の暮らしがどういったものだったのか、立体的にわかるように復元されたものがたくさんあります。
根城の広場自体見所が多く、じっくり見てまわると2時間では到底見ることができません。興味ない方にはあっという間でしょうが、ぜひ詳しい方とまわってください。
そういう人はいないという方は、入口にボランティアの方がいるので案内してもらうと良いでしょう。植栽ばかり説明される場合もあるのですが・・・
博物館ではこの本丸を復元した模型も展示されています。ぜひ余裕を持って根城を訪ねてください。
日本100名城スタンプラリー 根城
53城目、八戸市にある根城にやってきました。
スタンプは復元された根城の広場の受付で押しました。
スタンプの図柄も広場内、手前に常御殿跡、奥に復元された主殿、左手に工房が見えます。
主殿の中には部屋やそこで行われた行事が再現されています。中世に興味ある人にはとても面白い場所です。
さらに主殿内には認定証も飾られています。100名城に選ばれたことが地元にとって非常な誇りなんでしょうね。
スタンプは隣接する八戸市博物館の受付でも押すことができます。
博物館前では南部家初代の光行公がお出迎えしてくれますよ。