最後の夏休み。昨日800キロを超える長時間の運転で帰ってきたにもかかわらず、あまり疲れておらず、折角の晴れの日だったので、また先日の発掘現場を見に来ました。
(疲れていないのは幻想で寝不足でハイだっただけだったようです・・・)
もうこの場所も秘密にしていなくてもいいでしょう。10月の北國総研ふるさと講座ではこの辺りが特集される(アクタスに掲載された)ので、この最高の眺めを御覧いただきましょう。
事故が起きると、フェンス取り付けや立ち入り禁止になりそうなので落ちないように注意してください。
松坂門の西側にあたる二の丸の一部となりますが、この色紙短冊石垣の上に謎の石組みが残されています。
問題はこの溝のついた排水口のような石。これをしてアクタスでは貯水施設だと予想していますが、この溝があるのは北側の石列のみで、二の丸側になります。
南側の石垣部分には塀を支えたくぼみが残されているものの、北側と同様の排水口は見当たりません。
私は今は囲まれるように置かれた石組みですが、明治に陸軍か、もしくは後の金沢大学が石を置き直して何か施設を作っていたのではないかと思っています。この謎はいつか調べてみたいと思います。
さて、下に下りてきました。
斜面のほうはこれ以上は掘れないそうです。土嚢が崩れてくる恐れがあるからで、今後は一段下を掘るために土嚢を積み直す作業が行われるようです。
色紙短冊石垣下の発掘現場です。
掘る作業は大詰めのようで、作業員は今日は少なかったですね。
手前のほうが掘られていて、裏込めのような割石も見られますが、平たい大きめの石がいくつか見えるので、もしかして石垣沿いにあった階段のようなものかもしれません。
前回見えた大きな石
よりくっきりと彫り出されていました。
どうでしょうか、ちょうど樋から落ちる滝を受けるような位置になりませんか?ますます興味深い玉泉院丸の発掘の様子でした。
月: 2011年9月
金沢城 橋爪門は計測作業が進む
今日は晴れ!週末は雨予報なので晴れ間に発掘作業が進められていました。
先日立っていたパラソルは撤去されていましたが、今日もまだまだ暑いです。
石垣を計測している人達がいました。
こちらでも計測が進みます。
遠くから見ていると、やはり何をやっているかはよくわかりません。建物工事(普請)が始まれば、河北門のときのように見学台ができるようなので楽しみです。その前に現場見学会はいつだろうか?
金沢城 石川櫓門修復
春の桜、夏休みを過ぎ、観光客が空いてきた時期に石川門の二の門櫓がシートに覆われました。
南側の塀のほうはシートに囲まれたままの状態が長いですが、音はすれども何をしているのかわかりません。
倉庫のほうで何か部品を積んでいました。何かな?
八戸城 青森県の城館
八戸城にやってきました。
城の北部に八戸駅ができ、城下町との間にあった城内の大部分は開発されましたが、
その一部が三八城公園と市役所や市公会堂となりました。
今日は市役所前で催事が行われており、たくさんの人が来ました。
三八城公園に入ってすぐ右側に、
本丸跡の碑が立っています。
公園内には八戸藩初代の直房公の銅像が立てられています。
公園脇に行って駅の方角見ると、この場所が小高い段丘の上にあることが実にわかりやすく体験できます。市役所駐車場も車と人の出入口に非常に高低差があります。
市公会堂と公園の間に、三八城神社が建っていてここも城内です。
地震の影響でしょうか?本堂横の稲荷神社の鳥居が崩壊していました。
新田城 青森県の城館
八戸市街から少し郊外の新田八幡神社にやってきました。
標高38メートルの低い山ですが、かなり急勾配で中腹にある鳥居の横に、新田城の案内版と庚申の石碑が据えられています。
頂上一帯に2つの郭があったと考えられ、そのひとつが新井田小学校、
もうひとつは八幡社となっています。中に宅地や畑もあります。
その八幡社の本殿前に城址の石碑があります。
境内からは八戸市街が一望できます。
町会ではこの新田城を大事にしているようで、秋には「新田城まつり」が開かれています。今日は開催前だったようで。
八戸南部氏墓所
長者山にある臨済宗南宗寺に来ました。南部氏墓所を探していたのですが、Googleナビでは大慈寺に案内されて場所を探すのに苦労しました。
南宗寺の山門は県重要文化財で江戸時代の創建。
正面の棟にはこの地を治めた南部家の家紋。
背面の棟には武田菱?と思いましたが、南部氏は甲斐の出身で南北朝時代に八戸にやってきたらしく、武田氏に関係するのでしょうね。
本堂裏の墓地の中に、県史跡の八戸南部氏墓所がありました。ようやく辿り着きました(・・;
藩の石高は大きくなかったので、大名墓地としては小さなものですが、
整然と五輪塔が並び、そこはやはり格の違いが感じられます。
八戸の隠れた名所でお詣りを
根城 青森県の城館
天候が良くて良かった!!はるばる八戸の根城にやって来ました。
見逃しそうな根城の石碑。遺跡内の園路とは外れた国道寄りに立っています。
駐車場は八戸市博物館前にあります。
八戸市の歴史を学べる博物館前には
八戸南部氏の祖、師行公の銅像が馬にまたがる凛々しい姿で建てられています。
史跡根城の広場の入口の門は、八戸城の東門、八戸城の貴重な建造物遺構です。
復元イラストによると、この根城はいくつもの郭が連なる構造です。手前が本丸なので、園路は奥のほうから手前のほうに進みます。
門をくぐるとすぐに深い空堀が見えます。こういうのが中世城館の醍醐味ですね!
福井の一乗谷朝倉氏遺跡と並ぶ、中世城館の復元事業の先駆けですから、見応えありますよ。
東善寺跡
中舘跡
中舘には四阿(あずまや)が建てられ、中は休憩施設となっています。
この郭を隔てる空堀がいいんですよ。
こうして見ると、当時北側を流れていた川のほうが急に低くなっており、根城が段丘沿いに作られたことがよく分かります。
最後は本丸です。この中に入るのは有料となります。
本丸への唯一の通路だった木橋を渡って、中に入ると復元された主殿や
掘立作りの納屋
馬屋
鍛冶場など中世の暮らしがどういったものだったのか、立体的にわかるように復元されたものがたくさんあります。
根城の広場自体見所が多く、じっくり見てまわると2時間では到底見ることができません。興味ない方にはあっという間でしょうが、ぜひ詳しい方とまわってください。
そういう人はいないという方は、入口にボランティアの方がいるので案内してもらうと良いでしょう。植栽ばかり説明される場合もあるのですが・・・
博物館ではこの本丸を復元した模型も展示されています。ぜひ余裕を持って根城を訪ねてください。
日本100名城スタンプラリー 根城
53城目、八戸市にある根城にやってきました。
スタンプは復元された根城の広場の受付で押しました。
スタンプの図柄も広場内、手前に常御殿跡、奥に復元された主殿、左手に工房が見えます。
主殿の中には部屋やそこで行われた行事が再現されています。中世に興味ある人にはとても面白い場所です。
さらに主殿内には認定証も飾られています。100名城に選ばれたことが地元にとって非常な誇りなんでしょうね。
スタンプは隣接する八戸市博物館の受付でも押すことができます。
博物館前では南部家初代の光行公がお出迎えしてくれますよ。
日本100名城スタンプラリー 弘前城
52城目は今年築城400年祭が行われている弘前城です。そして今日が本祭2日目となります。
弘前城の天守、三重櫓です。手前の朱塗りの橋、掘といい絵が撮れる題材が揃っていますね。桜の時期にまた来たいですね。
スタンプの絵柄はこの天守です。角度もこの場所から
本丸からは蓮掘を眼下に、岩木山が綺麗に見えます。今日は晴れて良かった。
今日はお出かけの予定がなかった「たか丸くん」にも会えてラッキーでした。
いやーかわいい。ひこにゃんに負けてないですね。ぜひとも盛り上げて弘前に人を呼んでほしいです。
スタンプは天守1階の受付で押せますが、そばの壁に認定証が飾られています。
日本100名城スタンプラリー 盛岡城
昨日は近くのホテルに宿泊して、早朝から城めぐりです。盛岡城、51城目になりました。
盛岡城のスタンプは本丸と二の丸をつなぐ御廊下橋です。
左が本丸、右が二の丸となります。
盛岡城の建物は彦御蔵(左側)が残るのみですが、石垣がよく残っています。時間をかけてぐるりと一回りするとよいでしょう。
一回りしたら城内に今年開館したばかりのもりおか歴史文化館で、もりおかの歴史を学べます。盛岡城の復元模型もあって楽しめます。
櫻山神社の裏の三の丸に奇岩が残されています。烏帽子岩と呼ばれ、二の丸と同じ高さだったこの地を掘り下げた際に、掘るほどに裾広がりの三角岩が出現し、宝石となりました。
スタンプはプラザおでっての二階で押せますが、城内のもりおか歴史文化館でも押せます。でもいずれも薄いのが難点です。
盛岡城の夜景 岩手県の城館
8時過ぎにようやく宿泊先の盛岡に到着しました。小雨も上がったようなので、折角なので夜の盛岡城を散策します。
この時期ライトアップと呼べるものはなく、防犯用の緑色の外灯があるのみでした。かなり光量が少ないですが、外灯に映える石垣を撮ってきました。
真っ暗な足元を気にしながら本丸に行き、そこから盛岡の街を・・・やはり少し明かりが少ないかな?
外周部も外灯のみでしたが、とにかく一周してきました。肉眼で見るより写真は暗くなってしまいました。
明日はこの石垣群を昼間に見れるのが楽しみです。
日本100名城スタンプラリー 会津若松城
ついに50城目!ようやく折り返しまで来ました。今日は会津若松城に来ました。
スタンプは天守売店にありました。天守を最上階まで登って、さあ帰ろうというところに売店おいて、さあみやげ買ってよーって商売上手ですね。
入口のある東面。スタンプは当然この面と思いましたが、2つの破風のある東面はスタンプにはありません。
スタンプは北出丸から入った北西面のスタイルです。ちょっと見上げた構図になりましたが、来た頃に比べると天候が悪くなってきました。
今年春、天守と鉄門までの長屋の屋根がすべて赤瓦に葺き替えられ、2000年に復元された干飯櫓と南走長屋とともに戊辰戦争時の姿に蘇りました。
金沢城 橋爪門発掘は進む
今日は天気も良かったので、橋爪門でも発掘調査が進められていました。
今は一の門を入ったすぐのところを中心に掘っているようです。
作業員が休憩中に撮った写真です。この暑さの中、パラソルがないと辛いですよね。
今、進んでいるのは
手前は記録作業に入っているようです。
遠くでどうなっているのか、よく見えません。いつになったら現場説明会が開催されるのか。
玉泉院丸跡の発掘調査はだんだん上へ
今日は夏休み。晴れたのでつらつらと金沢城へ
昨日中秋の名月でライトアップの中、演奏会が行われたためか、除草されてきれいになっています。
滝の跡を発掘していた場所は、西側の斜面に移動し、通路から見える場所に。
石列が出ていますが、どうつながっているのか?
玉泉院丸コースとして最初に開通した目玉「色紙短冊石垣」の前を掘り下げていました。
1メートル以上掘り下げていましたが、まだ石垣は続いているようです。
大きな板状の石が見えます。水が落ちる場所の重要な石なのか?興味津々です。
上から見ると、整備された池の輪郭がよくわかります。北陸新幹線金沢開通へ向け、急ピッチで発掘と整備が続く玉泉院丸です。