今年の名古屋城検定は・・・・!

本日、検定実行委員会事務局からハガキが来ました。
内容は・・・
「平成23年度の名古屋城検定は、実施時期や受験資格をリニューアルし実施することになりました。実施時期は、従来の5月から11月12日(土)に、また、受験資格として、これまでの初級、中級、上級へのステップアップ方式から、単年度でも対応可能とするため、どのコースからでも受験できる方式に変更して行うことにいたしました。詳細な募集要項の発表は、本年4~5月を予定しています。」
ということで、初級飛ばして、中級でも上級でも受験できるようですが、いきなり上級受ける人はさすがにいないでしょうね。合格特典もなくなってしまうのか??
それにしても5月から11月って、日程的には、金沢検定の前日になってしまうような気がする・・・どうしようかなー

弘前城築城400年祭

弘前城は、藩祖為信公により計画され、二代藩主信枚公により慶長16年(1611年)に完成しました。
以来、弘前市は、先人達のたゆまぬ努力により津軽地域の政治・経済・文化の中心都市として発展してまいりましたが、平成23年(2011年)に築城400年の節目の年を迎えました。
弘前城の築城は、現在の弘前のまちなみ形成の礎であり、築城から400年を迎えることは、歴史的にも、まちづくりの観点からも非常に大きな意義があります。
また、この機会を、先人の歩みを振り返りながら新たな未来へ踏み出す第一歩と位置づけ、平成23年に、市民と共に全市を挙げて「弘前城築城400年祭」を実施することといたします。


弘前城築城400年祭ホームページ
弘前城築城400年祭
マスコットキャラの「たか丸くん」かわいいですね。実物を見てみたいなー
関ヶ原合戦の前後数年は築城ラッシュで、藩の基礎ができた時代ですから2000年ぐらいから築城400年祭が各地で開催されてきました。もう終盤という感じがしますが、現地へ出かけてみようかという良い機会になります。

増山城跡整備 安室屋敷跡一帯に着手

砺波市の国指定史跡・増山城跡の雑木林整備などに取り組む砺波市教育委員会は新年度、阿室(あじち)屋敷跡一帯での作業に着手する。伐採を終えた一の丸跡付近からは高岡市福岡町の木舟城跡など戦国時代の主要な城跡が見渡せる。増山城は越中三大山城の一つで、2009年7月に国史跡に指定を受けた。
増山城には一の丸、二の丸、三の丸のほか、隠居所とされる安室屋敷などがあった。城跡一帯は放置されていた時代が長く、地元の増山杉がうっそうと茂る。砺波市教育委員会では来年3月まで3年計画で整備に取り組み、既に一の丸跡などで不要な雑木を伐採した。
新年度は安室屋敷跡の増山杉を伐採する。切り出された増山杉はチップにし、城跡の遊歩道などに敷き詰めて再利用している。増山城跡の保存に関しては、保存管理計画策定委員会が新年度末までに計画を策定する予定となっている。(北國新聞2011年1月4日付け記事より)

地中に眠る秀吉時代の石垣 大阪城、市が本格調査へ

豊臣秀吉(1537~1598)の呼び名にちなみ、「太閤(たいこう)さんの城」として親しまれる大阪城。しかし、現在の石垣は徳川時代のもので、秀吉の遺構は約400年間、地中に眠ったままだ。天守閣復興から80年となる来年度、大阪市はその謎に迫ろうと、本格的な発掘調査に乗り出す。
財団法人「大阪市博物館協会」などによると、1583年に秀吉が築城を始めた大阪城は、徳川家康の攻略により、1615年の大坂夏の陣で落城。天守閣は焼け落ちた。現在の石垣(高さ最大32メートル、総延長11.2キロ)は、徳川2代将軍の秀忠が再築した。豊臣の石垣は地中に埋められ、その上に徳川の石垣や新たな天守閣が造られたという。
豊臣の石垣の一部が初めて確認されたのは1959年。堀の水が干上がった際に市が地盤調査をしたところ、本丸の地下約7メートルから見つかった。翌60年に幕府の大工頭の子孫宅で発見された豊臣時代の本丸の図面とも一致。天守閣前の広場に見学用の穴(直径約3メートル、深さ約10メートル、普段は非公開)が設けられたが、それ以外は埋め戻された。
市は、来年度予算案に調査費数百万円を計上する。豊臣時代の石垣は、加工した石を積み上げた徳川期のものとは違い、自然石を多用した3段構造。まずは、85年に現天守閣の南東約100メートルで発見された旧本丸の最上段「詰(つめ)の丸」の石垣の調査を始める。(asahi.com2011年1月2日付け記事より)
大阪城