今日は日曜日なので、木材加工場はお休みです。残念・・・・
昼休みが終わって公開が再開した素屋根内部を見学します。
数ヶ月のうちに進むのは早い。特に木組みはあっという間です。近くであればもっと見に来たいのですが。
おー進みましたね。でも、日曜日工事はしていません。
玄関の木組みはほとんどできたようですね。
全体的には細い部材が多いです。
木組みの各部分の説明が書かれていました。こういうのはわかりやすいですね。
中之口部屋側からみると、足場が二階で組まれています。
土を練っているので、よく観察していると、足場の向こう=壁に土を塗っているようです。もう少し見やすくしてほしいなあ。
こういう複雑な木組みが木造建築の見どころですね。
ずっと眺めていると、木材に書かれた墨書きが目に付きました。「ち」とか「り」とか見えますね。いろは歌による位置の覚書ですね。
それじゃ連結部分に同じ文字が見えるのでは?
と思って探していたら・・・・「ほノ二」が3ヵ所見える場所がありましたよ!見学通路から確認できたのはここだけです。ちょっとした宝探しのようで楽しかったです。
日: 2010年11月28日
秋の名古屋城散策と天守台刻印 愛知県の城館
紅葉真っ盛りの名古屋城に来ました。この時期に来るのは初めてですね。
今回は時間がありますので、久しぶりに二之丸庭園から巡ります。
南蛮たたきです。
埋御門をじっくりと見るのも久しぶりです。
二之丸庭園の場所によっては、とてもきれいに紅葉しています。絶好の撮影場所ですね。
手水鉢に浮かぶ紅葉の葉が風情ですね。
二之丸庭園入口も紅葉が入るといつもと違います。
内堀には鹿たちが・・・・おー復活していますよ。元気でね!!
では、まだまだ時間がありますので天守台の刻印を探します。家紋など記号の刻印は沢山ありますが、文字の刻印もあるんですよ。こちらは有名な不明門近くの天守台北東隅の「加藤肥後守 内小代下総」(拡大あり)の刻印です。
問題はこちら天守台南西隅の刻印です。肉眼では全くどこにあるかわかりません。
デジカメを最大望遠(X18)で石ひとつひとつをじっくり探すこと10分・・・
ようやく見つけました!「○肥後守内 ○○○○○」、よく読み取れません。
(資料が見当たらないので後日更新します)
人気者のはち丸には撮影待ちの列がついていましたよ。
あーそれと、名古屋城売店で「名古屋城本丸御殿基金WAON」が売られていたので買いました。もちろん使いません。カードを記念に買ったようなものですよ。首里城にもあるみたいだけど、あちらはずっと行けないなー。
長島城 三重県の城館
桑名から名古屋へ行く途中、念願の長島城を見に行きました。長島は長島一向一揆の地、木曽川、揖斐川、長良川の河口付近の輪中(中学で習いましたよね、でも地元でないと実地を見ないとイメージ沸かないんですよ)地帯を拠点に織田信長と激戦を交えました。とはいえ、今知られる長島城は近世江戸時代に整備された城(陣屋?)です。
本丸跡は長島中部小学校となっています。校門から右に校舎、正面から左に運動場が広がっています。正面に大きな松の木が見えますか?この松は後ほど
校門から隣の長島中学校へ歩いていくと、小学校の歩道脇に「長島城跡」の案内板が立っています。絵図がプリントされていますが、かなり薄くなっていますね。
長島中学校の校門は陣屋風です。
戻って小学校の校舎前まで来ました。
大きな老木が伊勢湾台風にも耐えて残っています。ここが本丸の南西隅となるそうです。長島城時代から残っている数少ない生き証人です。
小中学校前を流れる川に架かる「大手橋」の名が、ここが大手であったことを偲ばせてくれます。
橋を渡ると、道標が残っています。
それでは、下町方面を散策します。
長島城跡の川の対岸には寺が多数点在しています。ここは「正敬寺」、真宗大谷派です。
少し歩いて「花林院」は曹洞宗?かな
散策の目的は、この「蓮生寺」です。真宗高田派となります。
山門は長島城の「大手門」であったと伝えられています。
小さな高覧門形式ですが、大手門ということは先ほどの大手橋を渡ったところにあったんでしょうね。大手門というにはやはり小さくないですか?
瓦には増山氏の家紋である「雁金」を見ることができます。午前中だと内側から見るのがいいですね。正面は逆光で見にくい・・・
長島城の建造物唯一の遺構です。そんなに距離は離れていないので見逃さないように。
桑名城 三重県の城館
「その手は桑名の焼き蛤」という洒落で有名な桑名。
東海道は名古屋の熱田の湊からここ桑名の湊まで舟でした。
その距離から「七里の渡し」と呼ばれていますが、
「七里の渡し」の鳥居の前で、桑名城沿いに進みます。
この湊を見渡すところに、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が復元されています。現代で言う灯台の役割でした。見張り台の役割もありましたけど。
徳川譜代の城として、「立ち葵」の家紋瓦に水の神として龍が乗っています。
蟠龍櫓はライトアップのされています。それを見たくて、前日夕方見に行った写真がこれです。
漆黒の闇に浮かぶ櫓。湊側から見ると、海に姿が写ってきれいです。風がない日はもっときれいでしょうね。
七里の渡しの鳥居もライトアップされています。
さて、この蟠龍櫓の近くから散策します。
桑名城と城下町の間、北大手橋の架かる堀には多くの舟が泊まっていましたが、その上がり部分は石造りで立派です。ここは藩政期そのままでしょうか?改修されているのでしょうか?揃わない石積みからは古いようにも見えますが。
蟠龍櫓のある曲輪は三の丸です。早朝からご年配がゲートボールを楽しんでいました。
三の丸は一部駐車場として無料開放されていますが、9時から開場される(ちょっと遅い)ので、自分は少し離れた場所に停めました。
駐車場横には藩政期城主だった本多忠勝の銅像が立っています。あの兜カッコいいですね。
今の桑名城跡は幕末の譜代藩としての面影が残っているのでしょうが、桑名松平家よりも本多家のほうが地元の方には誇りなのでしょうか?
本丸・二の丸は九華公園となっています。
水堀が残る憩いの場ですね。公園の案内図でも城の形がよくわかります。
管理事務所近くの扇橋口に、
桑名城絵図を描いた案内板が立っています。
管理事務所口には石が積まれていますが、この石は石垣の石の残りでしょうか?けっこう大振りですよ。
野外ステージのある曲輪は「奥平屋敷」と呼ばれているようですが、
この曲輪のまわりは藩政期そのままの石垣が残っています。堀沿いに残る石積みは見逃さないでくださいね。
それにしても、堀が広いからか、ここは鳥たちの楽園ですね。二之丸橋のあたりが最も集まっていましたが、欄干に並んでとまる姿はどこか落ち着きます。
堀に架かる橋の真ん中に東屋があり、その奥のグラウンドが朝日丸跡となります。
本丸に入ります。辰巳櫓跡は小山として残っています。
大砲のレプリカがある櫓台からの眺めはいいですね。
もうひとつ櫓跡が残っています。こちらは神戸櫓跡です。
本丸跡の一角に「桑名城跡」の石碑が立っています。
本丸の半分ほどは現在神社になっています。
鎮国守国神社。主祭神は藩祖松平越中守定信公です。ということは桑名藩の始まりは、松平家ということになっているのか?ここに本多家が入る余地はないようです。
本殿の脇の紅葉は真っ盛りでしたが、この奥に天守台が残っています。実は一度見逃して帰ろうとして引き帰しました。
天守台はひっそりと神社境内の残っており、
見ると、大きい石がかなり使用されています。立派な天守台です。
鎮国守国神社の隣は、九華招魂社。御祭神は戊辰戦争から太平洋戦争までの桑名出身戦没者のようです。
その隣は鎮国稲荷神社となっています。かなり広いので、全部まわると2時間以上かかります。