袋井市の田園地帯の小さな集落の中に馬伏塚城がありました。
ほとんどが開発で破壊されていますが、本丸の一角に神社が建てられたために一部が保存されてきました。
本丸口には解説の案内板が立てられています。
元土塁を断ち切って道路としたため、両側の土盛りの高さから土塁の高かったことを想像できます。
神社入口に城址の石碑が立てられています。
境内が本丸の郭の高さであり、土塁の上に
社が建っています。
周辺は平野であるため、社の土塁上からはかなり見通しがききます。
南側の農道から神社を見ると、隣家の茶畑が見えますが、茶畑のあたりも元土塁であり、そこにそって内堀があったと考えられています。
この写真を撮っている位置も元は神社境内と同じ高さの郭があったと考えられており、周辺は「羽城」と呼ばれ、つまり破城された場所です。
西側から本丸を撮った写真ですが、見て分かるように、田地より一段高かった城地は宅地として開発されてしまいました。
ただ、中世平城としては地元の方の努力により、わずかに往時を偲ぶ部分が残っているだけでも幸せなことかもしれませんね。
日: 2010年8月31日
横須賀城 静岡県の城館
国史跡になっている横須賀城に来ました。公園内の無料駐車場に停めて散策スタートです。
駐車場のすぐ北側には米倉がありました。今は果樹園となっています。
駐車場の西側には二の丸が広がっていました。標識は二の丸入口にあった池の南端を示すものです。
その先に二の丸が広がっていました。
平城の宿命というか、横須賀城も開発により二の丸、三の丸は消滅し、本丸を中心とした部分が公園として保存されています。
本丸に隣接する西の丸です。
西の丸から本丸と南下御門を俯瞰できます。
本丸は近世城郭にふさわしく広大なものでした。
天守台が一段高く残っており、
その隣に城址の石碑が立っています。
本丸には横須賀城の復元模型が飾られていますが、
無残に所々壊されていました。国史跡になったことで、城跡に理解のない方の観光も増えたのでしょうか?地元ふるさと教育には欠かせない資産ではあるのですが、残念なことです。
天守台に上って、ここから昔は海が見渡せたと思いますが、今は埋め立てが進んで、海はのぞめませんね。
天守台から北側をのぞむと、北の丸とその先に砦の役割もしたと思われる松尾山が見えます。
下に降りてくると、本丸への正門となる南下御門の石垣が復元されています。小ぶりの丸い川原石が大量に積み上げられた珍しい石垣ですね。
その東に唯一池として残る三日月池が今も水を湛えています。
さあ、帰ろうと思って国道に出ると、道路沿いに看板が立っており、
この場所が南の外堀跡のようです。その奥に、西大手口にあたる土塁が見えます。ということは、この国道は南外堀と海との間の中土居道の遺構なのですね。
高天神城 静岡県の城館
遠江の楔として「この城を制する者が遠江を制する」と云われた高天神城へ行ってきました。
最初、搦手口を通り過ぎ、大手口へ向かったはずが、どこで間違えたのか?結局搦手口より入りました。結果的に少し日影のある搦手口に車を停められたので良かったですが・・・
さて、ここからは総ルート3時間歩き通した探訪の記録です。
なんせ国史跡として郭も多い城ですので、写真点数も半端ない数となりました。
搦手口から入ると、すぐに「史跡 高天神城跡」の石碑が立っています。少し先の松の木のあたりが搦手門跡となります。
階段を上っていくと途中に三日月井戸があります。山城では井戸は生命線です。この井戸は壁から伏流水がしみ出ているようです。
搦手と大手の合流地点まで来て、まずは本丸方向から攻めることにしました。
本丸の一段下の的場曲輪です。
本丸には土塁が周囲に回っていたようですが、現在も北側、西側を中心に所々残っています。
本丸からの景色はあまり開けていなかったので、御前曲輪に移動しました。
ここからは東側の景色がよく見えます。
整備当時はここから三の丸へ下りる道があったようですが(三の丸側に看板が無造作に倒されていました)、現在は整備された階段ルートを遠回りしていきます。
御前曲輪の北側の土塁上に元天神社が建っています。案内板上は「元宮」となっている場所です。
三の丸に下りてきました。
ここは御前曲輪より数メートル下がりますが、眺望は開けています。
さらに下って大手門をめざします。途中、着到櫓跡がありました。
さらに下りて大手口駐車場まで行きましたが、こちらの入口は石碑がなく、旗が立てられていました。
大手口と搦手口を比べると、大手道は狭く山城の雰囲気を感じることができますが、搦手道は広く歩きやすかったですね。
戻ってまた上ります。着到櫓跡の数メートル下あたりが追手門(大手門)となります。
合流地点まで戻ってきて、井戸曲輪へ向かう前に南西方向へ下る道が
先にはトイレがありますが、
その先に広い曲輪がひとつありました。
戻って階段を上ると、そこが鐘曲輪です。
井戸曲輪は名のごとく城内最大の井戸があります。
高天神社へ上る前に、二の丸を見てきます。途中通路から搦手方向(北)がよく見えます。
二の丸です。
二の丸の一段下に袖曲輪が附属します。
袖曲輪下には本間八郎・丸尾修理の供養塔が立っています。
二の丸の袖曲輪と堂尾曲輪の間は大きな堀切となっています。
堂尾曲輪は北方向に突き出た尾根を利用した長い曲輪です。
その堂尾曲輪に沿って西側に長い横堀が掘られています。
ここから井戸曲輪まで戻って高天神社の階段を上ります。
途中の曲輪が西の丸です。社務所が建てられています。
高天神社と元天神社のどちらがこの山の高所なのでしょうか?
本堂の裏や側面には削られていますが、土塁が残されています。
ここからの眺望もよいですね。左手前の屋根は社務所ですよ。
本堂の裏には馬場平へ至る道が続いています。その間は深い切割となっています。
馬場平は高天神城最西の曲輪です。馬場とは言われていますが、この場所に馬で乗りつけるのは難しいでしょうね。
現在は眺望台として整備されています。それにしても暑い日でした。
馬場平ですべての曲輪をまわりましたので、引き返してもよかったのですが、甚五郎の抜け道なる細道がまだ先に続いています。地図上は麓に出るようですし・・・
この判断が間違いでした。入る時点では登城から2時間を過ぎるほどでしたが、さらに1時間を消費することになろうとは・・・・
昼ならともかく、雨の日や夜は到底歩けそうもない細道をクモの巣を払いながら進みました。
20分ほど進むと分かれ道となり、下り道となりました。ここまでは比較的平坦でしたが、下りが落ち葉で滑るところもあり、杖なしでは進めない状況でした。
ここ数年誰も歩いていないのでは??そんな疑問もよぎりながら
進むしかない道を歩いていると、ようやく林の谷池にでました。
ひと安心かと思いきや、道があるのはわかるものの、膝丈以上の草むらを進むことに・・・・
どこか攻城というよりも、敗走の気分になりながら、ようやく茶畑と整備された道路に到着!
堂尾曲輪の突き出た尾根が遠くに見えます。
本来はこの碑のもっと近くに出るはずだったのですが、池からの道を間違えたようです。
草むらに埋れているのは、岡部・板倉の碑です。
最後は散々でしたが、無事に帰れたので苦労した分、後で良い思い出になるのです。
帰り道、行くときは分からなかったのですが、横須賀七人衆のひとり「渥美源五郎屋敷跡」の案内柱を見つけました。
さて、問題の大手口ですが、こちらです。でも上るときのおすすめは搦手口です。
能ヶ坂砦 静岡県の城館
掛川から高天神城へ向かう国道38号線を走っている途中で、ひとつの看板が目に入りました。
「高天神城 六砦の中の一つ 能ヶ坂砦」
六砦といっても、高天神を守るための前線の砦というわけではなく、武田方がこもる高天神城を攻めるために、徳川方が高天神城を包囲するように築いたものらしい。つまり陣城ということか。
その6つとは、小笠砦、中村砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、三井砦。
近くの城東中学校の入口に気になる物を発見!
天守風の「立志の城」
目の前に見える能ヶ坂砦、地元の宝、高天神城を愛する気持ちが伝わってきますね。
掛川古城 静岡県の城館
掛川城と言えば、山内一豊の築城した龍頭山の近世城郭を思い浮かべる方が多いと思いますが、最初の掛川城はここ子角山に築城されました。
築城したのは今川家の重臣であった朝比奈泰煕です。城といっても中世城郭ですから天守があったわけではありません。
本郭の跡は現在龍華院となっています。
龍華院は徳川家光の御霊屋です。
坂を上ると結構な広さのある郭です。
外見もそうですが、内装もきらびやかな建造物です。
郭のまわりを土塁がめぐっています。
現在は東側と西側を中心に残っています。
掛川古城の見どころは何と言っても本郭と二の郭の間を遮断する、この大堀切でしょう!
5メートルはあろうかという大変に深い堀切です。
本郭の先の階段を上ると、
そこは公園として整備されています。
すぐ南側に学校があるからでしょうか。この学校の校庭や
北側の町並みをのぞむと、この場所が高所であることがよくわかりますね。
掛川城 静岡県の城館
今日も暑い日となりました。朝から汗だくです。折角の城日和なので一番乗りを目指してお出かけです。
大手町駐車場に車を停め、大手門から散策スタートです。
まだ朝早いので店なども閉まっていますが、掃除のおばちゃんたちが観光客をお迎えしてくれます。
大手門の中に復元されたのは番屋です。
大手門近くの大手橋から逆川沿いに見る掛川城です。
観光案内処の「こだわりっぱ」から見る掛川城です。いかにも土産屋らしいでしょ
昼の掛川城です。復元された四足門と天守ですが、復元されたのは平成6年なので外観も古くなってきていますが、それ以上に太鼓櫓前や天守前の木が大きくなりすぎです。
四足門横に復元された三日月堀。
そして、四足門
二の丸内の十露盤堀。全国に先駆けて本格的復元整備された城らしいですね。
まだ開館前だったのですが、一人女性の方がいらっしゃいましたよ。
本丸広場はお花畑となっています。
市指定文化財の太鼓櫓です。
入場券は一番乗りでしたが、シャッターチャンスを狙っていると、係りの人が門を掃除し始めたので、終わるまで待っていたら抜かれてしまいました。
それでは入城です!!
門の横に、伝説が残る霧吹井戸があります。
天守へ入る前に天守のまわりを散策です。西側にもうひとつの門があり、その先は掃除道具がおいてありましたが・・・(ここは現実的)
天守の下壁には石垣からよじ登る人を止めるための剣先が並んでいます。これは剣壁とでも言うのでしょうか?
石垣の横列は一直線とはいえず、これは中世の積み方ですね。
中はさすがに木造復元ですね。青森ヒバを使った木組みは最近木造復元が増えてきたとはいえ、やはり新鮮です。
最上階からの眺めも最高です。
石落としや狭間も復元されています。ここは近代的安全措置がされていて若干興冷めします。
観光客もボチボチ来るようになりましたので、天守を出て二の丸へ向かいます。
天守と二の丸の間にある帯曲輪です。当時はもう少し広い部分があったようですが、明治に下の十露盤堀を埋めるために崩されたそうです。
二の丸茶室の庭から見る天守です。ちょっと風流でしょ
二の丸美術館の前にあるのは勝手台所の井戸跡です。
二の丸御殿の東側に残る「黒土塁」。二の丸御殿を隠す目的で作られたからそう言われるそうな。
二の丸御殿から天守を見上げながら政務を行っていたのでしょうか。
二の丸御殿は重要文化財です。二の丸御殿として残るのは、二条城と掛川城の2城のみです。
そんな重要な建造物であるのは間違いないのですが、管理は二条城ほどは厳重ではありませんね。ゆっくり、たっぷりと楽しみたい身としてはありがたいです。管理は民間へ委託されているようですが、受付で係りの方をしばし談笑していました。
市立図書館前のはす池
その横にひっそりと井戸跡が残っています。
掛川城公園の北側に位置する竹の丸、掛川城の曲輪のひとつですが、明治に城下の葛布問屋の松本家に払い下げられ、現在はその住宅を市文化財として指定し見学することができます。
日本100名城スタンプラリー 掛川城
今回の静岡の城めぐりで2個目、42個目のスタンプは掛川城です。
図柄は戦後初の木造復元天守です。青森ヒバを惜しげもなく使用して復元されました。
同じアングルはこんな感じでしょうか?
場所は本丸から天守へ上がる階段の途中、腰櫓台跡から見上げるように撮りました。
天守の最上階には賞状が展示されています。雲がなければ富士山も見えるようですが、今日は見えませんでした。
スタンプは入場券売場や天守ではなく、二の丸御殿の受付にあります。スタンプは2種類あり、写真の大きさと、もうひと回り小さいサイズがあります。なぜでしょうね?