名古屋城検定を終えた日曜日、快晴の中、桶狭間古戦場をめぐりました。
行程は、JR名古屋駅→JR大高駅→大高城→城下の寺社→鷲津砦→丸根砦→桶狭間神明社→戦評の松→長福寺→桶狭間古戦場公園→おけはざま山→高徳院→名鉄中京競馬場前駅→名鉄鳴海駅→中島砦→城下の寺社→鳴海城→善照寺砦→丹下砦→星崎城→JR笠寺駅まで、総時間8時間の徒歩の旅です。
各城館レポートは別記事として書きましたので、ここでは桶狭間古戦場の話題を。
名古屋市緑区有松町にある「桶狭間古戦場公園」です。
ここには「今川義元の供養碑」があります。
以前は他に何もない公園だったようですが、今は桶狭間の戦いを再現するため、主要な城館などを石に見立てて配置したジオラマが今年3月に作られました。
義元軍と信長の行軍路をわかりやすく理解できるようになっています。
ジオラマの手前にある2つの大きな石も・・・
と思いきや、これは義元と信長の銅像の台座だそうです。
そうです。自分が訪れたのは「桶狭間古戦場まつり」のちょうど一週間前だったので、まだ銅像が運び込まれていませんでした。2、3日後に設置されるということで、ある意味では貴重な写真です。
この辺りは「義元公首洗いの泉」があった場所とされ、近年でも区画整理の際に湧き水がでたそうですが、今は何も痕跡がないので、公園内に泉を模したモニュメントが作られました。
ここを訪れたとき、ちょうど地元ボランティアガイドの方と会い、しばし歓談していましたが、一週間後のまつりに「泉にも何か欲しい!」という意見があったらしく、桶を持ってきていました。
「桶」狭間だけに手「桶」を水に浮かべて、と少し駄洒落風ではありますが、これが桶を浮かべた記念すべき初ショット写真でありますよ!
その後、ボランティアガイドの方と別れて、おけはざま山の方角へ。
と、公園は山の中腹にあるのでさらに高い場所へ上りましたが、ガイド本にある「おけはざま山」の石碑が見つからずウロウロしているうちに、頂上あたりを行ったり来たりしたので、その場所からの眺めを収めました。今は住宅が立ち並んでいて、パッとは開けていませんが、当時はこのあたりは田畑だったわけで、見晴らしは良かったことでしょう。
と、さらに住宅街をウロウロしていると、山頂と公園の中間ぐらいのアパートの前に石碑を発見!
ガイド本にはこのアパートの名板が写っておらず苦労しました。
古戦場の各城館は数時間で移動できるような近距離に位置するため、奇襲するには時間との勝負だったはずだなあ、と当時を振り返ることができました。
日: 2010年5月9日
星崎城 愛知県の城館
電車の写真・・・
ではありますが、奥に見える一段高い台地上に「星崎城」があったと伝えられています。
現在、城跡は「笠寺小学校」の敷地となっています。
校庭などもあり、かなり広い平坦地がもともとあったと推定されます。
が、遺構らしきものは地形以外は何もないですね。
丹下砦 愛知県の城館
鳴海城の北側に位置した砦が丹下砦です。
しかしながら、丹下砦は実際にどこにあったかわかりません。開発が進んだため発掘調査がままならない状況もありますが、遺跡分布図の推定値がこの辺りです。
駐車場から西側をのぞむと平野が広がっています。
下から同じ場所を見上げると、こんなに落差があります。
奥に見える台地のどこかに丹下砦があったのでしょうね。
善照寺砦 愛知県の城館
鳴海城を東に、台地を上っていき、ひときわ高くなっている場所まで来ると、ここが「善照寺砦」跡です。
現在は「砦公園」となっていますが、周辺道路からの高低差もかなりあります。
山頂の公園はそう広くはないですが、
ここからは大高や桶狭間の方角がよく見えたことでしょう。
鳴海城 愛知県の城館
名鉄鳴海駅を北側にしばらく行くと、鳴海城跡があります。
成海神社の境内に「史跡 鳴海城址」の石碑がありますが、
境内は城跡の西端あたりになります。
境内から駅方向に向けてなだらかに傾斜しています。
道路を渡って、東方向に歩くと、
「鳴海城跡公園」がありますが、公園整備のため、遺構らしきものはありません。
が、公園から眼下をのぞむと、ここが山上にあることがよくわかります。鳴海城跡は数回にわたり発掘調査がされており、ちょうどこの公園のまわりの道路などで行われているのですが、道路の下に堀跡などが見つかっています。
中島砦 愛知県の城館
名鉄鳴海駅の北側に流れる川沿いに東に歩いていくと、2本の川が合流する中洲地帯が見えてきます。
ここに中島砦がありました。観光用地図の中島砦は遺跡分布図とは違う場所が示されていますが、後で調べると、私有地に石碑を立てた方がおられるようで、この石碑を見逃してしまいました。
遺跡地図上は中洲の北側となっています。
ちょうどこの住宅街の辺りとなるのですが、開発が進んだ今となっては何も痕跡らしいものはありません。
住宅街を用水が流れていますが、これが砦跡を利用したものなのか?近代に掘削されたものなのか?どうもわかりません。
丸根砦 愛知県の城館
鷲巣砦から丸根砦に向いましたが、間に大高台地が横たわっていて迷ってしまいました。
ようやく辿り着いた入り口も、観光道としてはどうも裏口だったようです。
入るとすぐに案内板があります。本丸となった山の山頂部とまわりを囲む外掘が残っているようです。
案内板の近くの外掘跡は外側に土塁が残りますが、
少し進むと、外側の土塁はなくなります。今は通路のようになっていますが、ここが外堀だと・・・思います。
急な斜面を階段を上ると、山頂はそれほど広くはありません。桶狭間の戦いの慰霊碑が地元町内会によって立てられていました。
一段下りた森の中に「史跡 丸根砦址」の石碑が立てられています。
反対側の階段を下りていくと、入り口に看板が立っています。といってもこちらもわかりにくい場所ですね。ここまで大通りからどうやって到達するのでしょう?
しかしながら、荒れているわけではないので地元の方に大事に守られている砦跡だと思いました。
奥に見える森が丸根砦です。
鷲津砦 愛知県の城館
JR大高駅から程ないところに鷲津砦跡があります。
砦跡は現在「鷲津砦公園」となっていますが、土曜日にもかかわらず人はまったくいません。といっても、小さな公園です。
大半は森となっているようですが、一帯の山腹は住宅街になっているところもあります。
砦跡を通る通路は一本ですので、迷うことはありません。
少し上って平坦部に出ると、忠魂碑とその横に「史跡 鷲津砦址」の石碑が立てられています。
石碑を過ぎてすぐに住宅街に隣接した公園に出てきます。
遊具のある公園の一角に「鷲津砦跡」案内板が立てられています。
これを見ると、実際の史跡範囲は意外に狭いものですね。
この鷲津砦跡からは木々が遮って大高城のほうを見渡すことはできません。残念。
大高城 愛知県の城館
大高城下には今も寺院が多く残り、風情が感じられます。
と・・・肝心の大高城への入り口を過ぎて奥に行ってしまいました。
家の間を抜けると、小高い丘が眼前に広がります。
入り口に石碑と、反対側に
案内板が立てられています。
地図でみると、大高城のまわりはぐるりと住宅街が取り囲んでいます。
本丸からは鷲巣砦の方角に森がなんとか見えます。
本丸は広いです。親子がキャッチボールを楽しんでいました。
そんな本丸の柵の外は急な斜面となっています。
本丸と二の丸の間には内堀がよく残っているため、土橋も良好に残ります。
土橋を抜けると、二の丸です。
本丸と二の丸の間の内堀は広く、深いものでした。
斜面も急で、ここを上るのは大変です。
遠く、鷲巣砦や丸根砦も望めますし、内堀はぜひ下から眺めて欲しいですね。
少し離れたところを大高川が流れます。水量はそれほど多くありません。この川を挟んで、大高城と鷲巣砦、丸根砦が向かい合っています。さあ、鷲巣砦へ!