日宮社の鳥居をくぐり、長い参道を歩いていくと、
小高い丘が目の前に
この丘の一帯が神保氏の居城であった「日宮城跡」です。
丘を囲むように麓に用水が流れています。
上り階段のわきに看板が立てられています。
階段は急で、下から見上げるとかなりの高さがあります。
本堂の立つ頂上の境内地はそれほどの広さはありませんが、急峻な崖に囲まれ、攻めるのは大変です。
本堂横の小さな祠の先に一段低い平坦地がありますが、
まわりは大木に囲まれ、石を抱く巨木や
枝分かれする巨木など、これだけ大木が残る境内地は珍しいですね。
本堂入口の鳥居の両脇にも大きな木が立っています。見上げて撮っても天辺まで写りません。
北陸道を望むこの地に神保氏は拠点を作ったということですが、大木に囲まれた本堂のまわりからは、周囲を眺めることができません。
残念と思いながら、階段を半分ほど下りるとようやく眼下が開けます。と言っても、かなり下りてしまったので、それほど景色はよくないですね。
日: 2010年5月2日
安田城 富山県の城館
安田城は豊臣秀吉の越中攻めのときに、白鳥城の支城として築かれました。攻められたのは佐々成政です。
この城跡は、ほ場整備をかろうじて逃れ、ほぼ完全な形で復元された平城です。見どころはなんといっても、まわりをぐるりと囲むこの大きな水掘です。
本丸跡も大きな土塁で囲まれ、土塁上に柵を立ててれば立派な砦であることが実感できます。
本丸跡の土塁の一角には展示室があり、
土塁の断面がそのまま残されています。
城跡に隣接する資料館の二階からは、城跡を少しだけ俯瞰することができます。
一階の展示室には安田城跡の発掘に関する経緯や遺物が展示されています。
発掘速報展2009
発掘速報展2009を見に、富山市安田の安田城跡資料館にやってきました。
今回、実際の現場を見ることはできませんでしたが、今年3月に富山城跡の発掘調査現場で見つかった井戸の枠が展示されていると聞き、これは見ておこうと思いました。
さて、こちらが枠板の1枚です。腐食を防ぐために水袋に保存されたままの展示です。大きな枠板ですね。他にも富山城跡で見つかった遺物がたくさん展示されていました。