ディアゴスティーニさんには「週刊 安土城をつくる」「週刊 野鳥の世界」と2セットの購読を継続させられていますが・・・
今日また1つ購読が増えてしまいました。
「週刊 戦国武将データファイル」 創刊号はバインダー付きです。
2冊で580円、なぜかバインダー2冊セットより安いですな。
立体的な戦場マップ
立体的な城郭マップ
期待したより絵が少しちゃっちいな。とりあえず100号まで続くようですので、もう少しマニアを唸らせる内容の充実、というより本格的なイラストやCGが欲しいところですね。。
月: 2010年5月
堺南砲台場 大阪府の城館
南海堺駅の西にある大浜公園にきました。
ここには、幕末に砲台が多数設置され、沿岸の防衛にあたっていました。
公園の一角には当時の石積みの一部が残されています。
菖蒲園が整備され、景色の一部となっている石積みですが、
台場跡の東側にあたる部分であり、他は開発を受けて残っていないようです。
堺「南」砲台場というくらいなので、堺「北」砲台場もあったのですが、
現在は、工場が立ち並ぶ地域として開発を受けており、全く痕跡が残っていないようですが、観光客は近くの旧堺灯台は見に行っても、堺南砲台場跡は見に来る人がほとんどいないようなのが残念です。
国見城 大阪府の城館
あいにくの雨でしたが、大阪府堺市の国見城跡へやってきました。
って、ここは「仁徳天皇陵」じゃないか?と思われたかもしれませんが、ここは戦国時代、讃岐・摂津を拠点とした三好氏により城跡として使用されたことがある、れっきとした城なのです。
30代以上の方は学校で「仁徳天皇陵」と習ったと思いますが、今は「大仙陵古墳」というのが正式名のようですね。
5世紀中期の築造と考えられている仁徳天皇陵は、全長約486メートルの日本一巨大な古墳です。
天然の城郭となった訳は・・・
この古墳のまわりを囲んでいる大きな水掘です。
現在は宮内庁の管轄で、一番外側の掘より中には入ることはできませんが、
三重にめぐらされた堀はそれぞれに幅が広く、
鉄壁の平山城の備えですね。本当に大きい、平地の堺市内からは山のように見えます。
金沢城 玉泉院丸発掘2010始まる
今年度の玉泉院丸跡の発掘調査がゴールデンウィーク明けから始まりました。
今年は昨年の第四地点。玉泉院石垣コースからみると手前の部分です。
この地点は玉泉院丸の色紙短冊石垣のちょうど真下にあたる部分ですが、
玉泉院丸の大池の一番奥まった部分でもあります。
藩政期の絵図にはこの場所に石組と導水路を描いたものがあり、古文献に11代藩主治脩の改修した滝の遺構が見つからないかどうかに期待がかかっています。
金沢城 晴天の中のいもり堀はいいねえ
ゴールデンウィークを過ぎて、金沢は人出も一息ということころでしょうか?
ここ、いもり掘の鯉喉櫓台もようやく無人の状態で撮影できるようになりました。
広い櫓台から見る水堀はいいですね。金沢城のもうひとつの水堀、大手掘は高台から望むというような立地ではありませんから。
本丸の石垣といもり堀がいい風景です。金沢へいらした際はぜひ鑑賞してくださいね。
桶狭間古戦場を巡る旅(・・・かなり強行軍)
名古屋城検定を終えた日曜日、快晴の中、桶狭間古戦場をめぐりました。
行程は、JR名古屋駅→JR大高駅→大高城→城下の寺社→鷲津砦→丸根砦→桶狭間神明社→戦評の松→長福寺→桶狭間古戦場公園→おけはざま山→高徳院→名鉄中京競馬場前駅→名鉄鳴海駅→中島砦→城下の寺社→鳴海城→善照寺砦→丹下砦→星崎城→JR笠寺駅まで、総時間8時間の徒歩の旅です。
各城館レポートは別記事として書きましたので、ここでは桶狭間古戦場の話題を。
名古屋市緑区有松町にある「桶狭間古戦場公園」です。
ここには「今川義元の供養碑」があります。
以前は他に何もない公園だったようですが、今は桶狭間の戦いを再現するため、主要な城館などを石に見立てて配置したジオラマが今年3月に作られました。
義元軍と信長の行軍路をわかりやすく理解できるようになっています。
ジオラマの手前にある2つの大きな石も・・・
と思いきや、これは義元と信長の銅像の台座だそうです。
そうです。自分が訪れたのは「桶狭間古戦場まつり」のちょうど一週間前だったので、まだ銅像が運び込まれていませんでした。2、3日後に設置されるということで、ある意味では貴重な写真です。
この辺りは「義元公首洗いの泉」があった場所とされ、近年でも区画整理の際に湧き水がでたそうですが、今は何も痕跡がないので、公園内に泉を模したモニュメントが作られました。
ここを訪れたとき、ちょうど地元ボランティアガイドの方と会い、しばし歓談していましたが、一週間後のまつりに「泉にも何か欲しい!」という意見があったらしく、桶を持ってきていました。
「桶」狭間だけに手「桶」を水に浮かべて、と少し駄洒落風ではありますが、これが桶を浮かべた記念すべき初ショット写真でありますよ!
その後、ボランティアガイドの方と別れて、おけはざま山の方角へ。
と、公園は山の中腹にあるのでさらに高い場所へ上りましたが、ガイド本にある「おけはざま山」の石碑が見つからずウロウロしているうちに、頂上あたりを行ったり来たりしたので、その場所からの眺めを収めました。今は住宅が立ち並んでいて、パッとは開けていませんが、当時はこのあたりは田畑だったわけで、見晴らしは良かったことでしょう。
と、さらに住宅街をウロウロしていると、山頂と公園の中間ぐらいのアパートの前に石碑を発見!
ガイド本にはこのアパートの名板が写っておらず苦労しました。
古戦場の各城館は数時間で移動できるような近距離に位置するため、奇襲するには時間との勝負だったはずだなあ、と当時を振り返ることができました。
星崎城 愛知県の城館
電車の写真・・・
ではありますが、奥に見える一段高い台地上に「星崎城」があったと伝えられています。
現在、城跡は「笠寺小学校」の敷地となっています。
校庭などもあり、かなり広い平坦地がもともとあったと推定されます。
が、遺構らしきものは地形以外は何もないですね。
丹下砦 愛知県の城館
鳴海城の北側に位置した砦が丹下砦です。
しかしながら、丹下砦は実際にどこにあったかわかりません。開発が進んだため発掘調査がままならない状況もありますが、遺跡分布図の推定値がこの辺りです。
駐車場から西側をのぞむと平野が広がっています。
下から同じ場所を見上げると、こんなに落差があります。
奥に見える台地のどこかに丹下砦があったのでしょうね。
善照寺砦 愛知県の城館
鳴海城を東に、台地を上っていき、ひときわ高くなっている場所まで来ると、ここが「善照寺砦」跡です。
現在は「砦公園」となっていますが、周辺道路からの高低差もかなりあります。
山頂の公園はそう広くはないですが、
ここからは大高や桶狭間の方角がよく見えたことでしょう。
鳴海城 愛知県の城館
名鉄鳴海駅を北側にしばらく行くと、鳴海城跡があります。
成海神社の境内に「史跡 鳴海城址」の石碑がありますが、
境内は城跡の西端あたりになります。
境内から駅方向に向けてなだらかに傾斜しています。
道路を渡って、東方向に歩くと、
「鳴海城跡公園」がありますが、公園整備のため、遺構らしきものはありません。
が、公園から眼下をのぞむと、ここが山上にあることがよくわかります。鳴海城跡は数回にわたり発掘調査がされており、ちょうどこの公園のまわりの道路などで行われているのですが、道路の下に堀跡などが見つかっています。
中島砦 愛知県の城館
名鉄鳴海駅の北側に流れる川沿いに東に歩いていくと、2本の川が合流する中洲地帯が見えてきます。
ここに中島砦がありました。観光用地図の中島砦は遺跡分布図とは違う場所が示されていますが、後で調べると、私有地に石碑を立てた方がおられるようで、この石碑を見逃してしまいました。
遺跡地図上は中洲の北側となっています。
ちょうどこの住宅街の辺りとなるのですが、開発が進んだ今となっては何も痕跡らしいものはありません。
住宅街を用水が流れていますが、これが砦跡を利用したものなのか?近代に掘削されたものなのか?どうもわかりません。
丸根砦 愛知県の城館
鷲巣砦から丸根砦に向いましたが、間に大高台地が横たわっていて迷ってしまいました。
ようやく辿り着いた入り口も、観光道としてはどうも裏口だったようです。
入るとすぐに案内板があります。本丸となった山の山頂部とまわりを囲む外掘が残っているようです。
案内板の近くの外掘跡は外側に土塁が残りますが、
少し進むと、外側の土塁はなくなります。今は通路のようになっていますが、ここが外堀だと・・・思います。
急な斜面を階段を上ると、山頂はそれほど広くはありません。桶狭間の戦いの慰霊碑が地元町内会によって立てられていました。
一段下りた森の中に「史跡 丸根砦址」の石碑が立てられています。
反対側の階段を下りていくと、入り口に看板が立っています。といってもこちらもわかりにくい場所ですね。ここまで大通りからどうやって到達するのでしょう?
しかしながら、荒れているわけではないので地元の方に大事に守られている砦跡だと思いました。
奥に見える森が丸根砦です。
鷲津砦 愛知県の城館
JR大高駅から程ないところに鷲津砦跡があります。
砦跡は現在「鷲津砦公園」となっていますが、土曜日にもかかわらず人はまったくいません。といっても、小さな公園です。
大半は森となっているようですが、一帯の山腹は住宅街になっているところもあります。
砦跡を通る通路は一本ですので、迷うことはありません。
少し上って平坦部に出ると、忠魂碑とその横に「史跡 鷲津砦址」の石碑が立てられています。
石碑を過ぎてすぐに住宅街に隣接した公園に出てきます。
遊具のある公園の一角に「鷲津砦跡」案内板が立てられています。
これを見ると、実際の史跡範囲は意外に狭いものですね。
この鷲津砦跡からは木々が遮って大高城のほうを見渡すことはできません。残念。
大高城 愛知県の城館
大高城下には今も寺院が多く残り、風情が感じられます。
と・・・肝心の大高城への入り口を過ぎて奥に行ってしまいました。
家の間を抜けると、小高い丘が眼前に広がります。
入り口に石碑と、反対側に
案内板が立てられています。
地図でみると、大高城のまわりはぐるりと住宅街が取り囲んでいます。
本丸からは鷲巣砦の方角に森がなんとか見えます。
本丸は広いです。親子がキャッチボールを楽しんでいました。
そんな本丸の柵の外は急な斜面となっています。
本丸と二の丸の間には内堀がよく残っているため、土橋も良好に残ります。
土橋を抜けると、二の丸です。
本丸と二の丸の間の内堀は広く、深いものでした。
斜面も急で、ここを上るのは大変です。
遠く、鷲巣砦や丸根砦も望めますし、内堀はぜひ下から眺めて欲しいですね。
少し離れたところを大高川が流れます。水量はそれほど多くありません。この川を挟んで、大高城と鷲巣砦、丸根砦が向かい合っています。さあ、鷲巣砦へ!
名古屋城検定 当日に何が起きた?
5月8日快晴の空の下、名古屋城検定が開かれました。
って、運動会じゃないので天候は関係ないですね。
今年は場所が変わって名古屋市公会堂です。試験は午後からだったので、朝から歩いてホテルから鶴舞公園まで行きました。
午前に初級試験、午後に中級試験と上級試験がある。
ともに4階までエレベータで上って、中級は右へ、上級は左へ進んだ。
上級試験申込者は120人、昨年の中級合格者の4割であったので、さすがに会場は小さい。
しかし、さすがに上級試験を受ける精鋭たちはほぼ欠席者なしだった。まわりを見るとさすがにご年配が多い。若者が少ないのは残念だ。とはいえ、昨年の中級試験もそこそこ難しかったから仕方ないか・・・
試験問題と解答用紙が配られる。なんだこの記述式しかない問題用紙は!
40問と書かれた解答用紙に、「35問正解はどう数えるのか?」という質問が・・・
ここは太線で囲まれた問題を1問と数えて50問。ということは複数解答正解問題が多いってことか。数日しか試験勉強できなかったこともあるが、ここまで記述式が多いことは想定外だった。
ここで訂正が・・・、注意事項用紙の結果発表が「平成21年6月」に、解答用紙が「第2回上級試験」になっていることが判明した。まあ大した問題ではない。
中級試験に比べると解答に時間がかかったが、それでも終了の20分ほど前に会場を後にした。終了直後の手ごたえは半分、上級試験は問題用紙を持ち帰ってよかったので、ホテルに戻って答え合わせしたところは3割だった。あいまいな記憶の部分のケアレスミスが非常に多かった。勉強もできなかったし、これで合格しては合格した人に申し訳ないか。
第1回上級試験での合格はやはり難しかった(トリプル第1回を狙っていたのになあ)。今回で傾向は分かったので、これは気合を入れて勉強し直さないといけない。今年は合格率も2、3割というところかな?
合格発表を待つまでもなく、自分は来年も名古屋来ることに決定です。2年目は今年の中級合格者を合わせても、この難易度だと敬遠する人が多いでしょうし、今年受けた人でも来年から受験しない人は大勢いそうですね。自分と同じく難易度の差を感じた人が大勢いるでしょうが、地元の人はまだ試験対策講座を受けることができてうらやましいです。
さて、鶴舞まで歩いて今日発見したことがある。名古屋には歴史関係を扱う古書店が多く、自分もよくお世話になっているが、これまではほとんど見かけなかった。どこにあるのかと思っていたら、地下鉄鶴舞線の「上前津」から「鶴丸」の通り沿いが名古屋の古本街のようです。「山星書店」「大学堂書店」「飯島書店」など、自分もよく購入する古本店がありましたが、店頭に必ずしも自分の興味ある本があるとは限らないんですよ。特殊な分野は倉庫に置いていたり、積まれた本の山に埋もれて発見できなかったり、と。それでも、ネットに載せていないような価格帯の本を店頭で並べている古本店もあるので、ネット購入とは違う楽しみがあるのですよ。今日は山星書店さんで3冊お手頃な本を見つけて購入しました。名古屋城検定はダメだったけど、これが今日の収穫です。
名古屋城 素屋根内部公開 墨出し作業
本丸御殿復元現場の最後に、この高層の建物内に入ります。
素屋根内部は、月、水、金、土日に公開されています。入り口でヘルメットを受け取り、階段で上階へ上ります。ちなみに、エレベータもありますが、障害者、高齢者用ですのであしからず・・・
階段を上ると、入り口が見えました。なんだかワクワクしますね。
入ると、建物の壁沿いに東側から西側を見下ろすようにスロープが設けられています。
こんなに広い復元現場は初めてです。
現在は「墨出し」の作業中と書かれています。
作業員の方が礎石?になるであろう石を並べて何か測っています。
作業は玄関から始まっているようです。秋には玄関の一部が公開される予定で楽しみですね。
なかなか何度も来ることは厳しいですので、どなかた地元の方レポートしてくれませんか?
名古屋城 本丸御殿復元 工事見学コーナー
ちょうど1年前のオープン時に入った天守閣前の工事見学コーナーに入ります。
内容はあまり替わり映えしないですね。
と思ったら、本丸御殿復元工事現場のライブ映像を映すモニターが増えていました。
壁に復元工事が始まる前の上空撮影写真がかかっていました。
ここに8年後本丸御殿が復元されます。楽しみですね。
名古屋城 本丸御殿復元 木材加工場を見学
雨の名古屋城です。明日の名古屋城に向けて、前日の名古屋入りです。
早速、御深井丸に行ってみると、かなりのスペースを使って木材加工場ができていました。
こちらの公開は月曜日から土曜日。日曜日はやっていませんが、土曜日もやっていない時もありそうです。
中に入ると見学通路があり、窓越しに中の見学ができるようです。平日の雨とあっては人もまばらです。
見学通路は、木材加工場、大工道具研ぎ場、原寸場と続いているようです。
今日は作業やっています。わざわざ平日に来た甲斐がありました。
じっくりと作業を見学させていただきました。ワイヤー入りの窓のため、撮影が難しかったですが、間からなんとか作業風景を撮影しました。
もちろん作業の邪魔にならないようにフラッシュは厳禁です!!
現在は木材から角材を切り出して、
ほぞ穴を開ける作業の真っ最中でした。
城郭建築ほど大きな木造建築物を作る機会は少ないですから、ここが若い人の修行の場となって、後世に技が伝えられていくのですね。
この加工場の隣りに進むと、大工道具の研ぎ場があります。
ここでは鑿の研ぎ作業をちょうどしていました。
最後の部屋は原寸場です。図面ではわからないところを実寸大で作図する場所のようです。
名古屋城 東馬出石垣修復工事
雨模様ですが、なかなか来ることはできませんので、内堀のまわりを歩きました。
すると、東馬出の石垣がいよいよ積み直されていました。
裏込めの石がたくさん見えます。
ここは石垣がはらんで崩れる可能性があるため、随分前より立入禁止になっています。
修復を終えて入れるのが楽しみですね。
雨でずぶ濡れになりましたが、雨の日でも良いことがあります。
それが、この石垣の刻印などが見やすいことです。光がなく、石がぬれて文字や模様が浮き出てくるのです。
今年は名古屋城築城400年の記念すべき年。
「はち丸」くんも出動して盛り上がっていますよ。
日宮城 富山県の城館
日宮社の鳥居をくぐり、長い参道を歩いていくと、
小高い丘が目の前に
この丘の一帯が神保氏の居城であった「日宮城跡」です。
丘を囲むように麓に用水が流れています。
上り階段のわきに看板が立てられています。
階段は急で、下から見上げるとかなりの高さがあります。
本堂の立つ頂上の境内地はそれほどの広さはありませんが、急峻な崖に囲まれ、攻めるのは大変です。
本堂横の小さな祠の先に一段低い平坦地がありますが、
まわりは大木に囲まれ、石を抱く巨木や
枝分かれする巨木など、これだけ大木が残る境内地は珍しいですね。
本堂入口の鳥居の両脇にも大きな木が立っています。見上げて撮っても天辺まで写りません。
北陸道を望むこの地に神保氏は拠点を作ったということですが、大木に囲まれた本堂のまわりからは、周囲を眺めることができません。
残念と思いながら、階段を半分ほど下りるとようやく眼下が開けます。と言っても、かなり下りてしまったので、それほど景色はよくないですね。