ここは金沢城下、東外惣構堀の標柱前です。
この辺りの堀跡は非常に細くなっており、溝と見間違うばかりなのですが、今日は少し雰囲気が違いました。
その原因は堀に覆うこの鉄製のフタです。こんなの前はなかったはず?ですが・・・・
冬の間だけ雪で水路が詰まらないように被せられたものなのか?恒久的なものなのか?
日: 2009年11月14日
金沢城 玉泉院丸現地説明会
県体育館が撤去されて発掘調査が進められていた玉泉院丸跡ですが、今週から見学コースが設置されました。といっても発掘現場は遠くから眺めるだけですが・・・
まだ30分前でしたが、早くも人が集まってきていました。朝から雨が降っていたので、設置されたテント内には見つかった遺物が展示されていましたが、城内として厳重管理されていた池だったのであまり数は多くないようです。
金沢調査研究所の木越副所長の挨拶で始まった頃には150名近い人が集まっていました。研究所による発掘調査の始まった90年代末に比べれば市民の関心も非常に高まっていますね。
続けて富田氏による調査の概要説明です。
さて、2班に分かれて最初に紅葉橋奥の発掘調査地点に行きました。上から見ると非常に深い場所です。
下に降りて説明を聞きます。
この辺りは宝暦の大火の後に石垣のほとんどが積み直されていて、その時代の土層があります。
石垣も表面の削り方が全く違うので、積み直し部分がよくわかりますね。
次に中島にかかる地点に入りました。杭は打たれているものの不安定でなかなか足場が恐い場所でした。上から眺めるとその底までの高さに驚きます。中島の高さの現在の地表面からすると随分低い位置にあります。
中島の対岸は裏込石と州浜が見つかりましたが、石垣の石自体は抜き取られていました。しかし、最下段の石垣の下の胴木として使われた木材がそのまま残っており、保存状態も思ったよりいいようです。
中島の上の土層からは明治期に軍隊が畑地として使用したときの畝も見つかっており、近代遺産としても貴重な場所のようです。
最後に出島にかかる地点に行きました。
ここは出島の対岸から一段のみながら石垣も見つかり、ちょうど石垣が切れる北端部を検出していました。州浜もきれいに残っていますね。
前日の新聞報道にもあった出島の先端で見つかった「景石」です。玉泉院丸庭園は回遊式庭園なので、歩いているときの景観ポイントとしてこの石も利用されたことでしょう。
この石には穿孔貝の痕が残り、海岸からここまで運ばれた証拠ということで、県内では富来辺りで取れるそうです。
予想以上の成果が出ている玉泉院丸ですが、新幹線には間に合わないけどぜひとも庭園を復元してほしいですね。
金沢城いもり堀 鯉喉櫓台
鯉喉櫓台は今週まわりにあった足場が外されました。
こうなると写真映りもいいですね。正面から見ると、埋れていた旧石垣部分と積み直した新石垣部分が、今はくっきりとわかる状態です。
藩政期は青戸室のほうが硬かったそうですが、今取れるのは赤戸室のほうが硬いため、昔のものは黒く、今のものは赤いものが目立ちます。数年経てば今よりは目立たなくなるでしょうが。
今朝の土砂降りで堀復元部分には水が溜まり、完成を先取りして水堀のようにも見えます。
堀の南側は土塁となっていますが、そのままかと思ったら木材を運んでいる?
ちょうど作業中であった作業員の方に尋ねると、柵を作るようです。やはり落ちる人が心配ですか?
金沢城河北門の外工事は完了間近!
金沢城河北門復元現場です。工事用仮屋が建てられてから長くなりましたのでこの風景も見慣れました。
合間から見える二の門の壁はすっかり真っ白の漆喰が塗られています。
見学台から見える壁も真っ白になりました。
今日は見学台も人は少なかったですが、帰ってきてから明日でこの見学台がなくなることを知りました。タイミング的にもちょうど最後に入れたので幸運でした。
見学台からみる工事用仮屋もこれが見納めです。仮屋自身が今月末の現場説明会を最後に、来月から解体が始まります。いよいよ平成の築城第二期も大詰めです。菱櫓前に建つ大手門が見られるのも間近ですから楽しみですね。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会 金沢歴史遺産探訪月間
金沢歴史遺産探訪月間の最終週のイベントである加賀藩土清水塩硝蔵跡の現地説明会に参加してきました。
今日は朝から時折土砂降りとなるような荒天でしたが、地元の方中心に50人ほどの人が集まりました。
今は果樹園となっている一帯に塩硝蔵の中心的建物であった「御土蔵」「干場」、そして今回発掘調査の行なわれた「搗蔵」がありました。
一段高くなっている場所には辰巳用水が流れ、脇の遊歩道から「搗蔵」、その向こうに昨年度まで発掘調査が行われた「御土蔵」が見えます。
2棟並んで建っていた御土蔵の1棟にはロープが張られ、その大きさがよくわかるようになっていました。
敷地内に立てられた現場事務所でまずは解説を聞きました。
事務所内には昨年度までの発掘調査で見つかった瓦が展示されていました。
前田家の梅鉢紋の付いた平瓦は市内では金沢城とここ塩硝蔵のみ見つかっています。それだけ重要な施設であった証でしょう。
大雨の中3本のトレンチのうちの1本で新聞報道もされた搗蔵の説明を受けます。
2列の石列の間が水路の跡です。
すぐ脇を流れる辰巳用水は、搗蔵の直前で北側に少し曲がっています。これは搗蔵に引き込む水路がもう1本あったからで、今回発見された水路がその経路ということになります。
円形集石遺構も見つかり、搗臼が置かれた跡ではないかと見られています。
加賀藩土清水塩硝蔵は「三品搗蔵」「調合所」「役所」など重要施設がすでに民有地の下になっていて発掘の困難な状況ですが、現状を保存し、史跡指定を目指すことで、将来に残っていけばいいなと思います。
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