長篠城址史跡保存館で2館共通券を購入しましたので、新城市設楽原歴史資料館にやってきました。
当館では「京都奥平家菩提寺久昌院の長篠合戦障壁画」展をやっていました。
初めて見る障壁画でしたが、とても興味深いものでした。300円で図録も販売されていました。
歴史資料館の敷地内に信玄塚がありますが、観光案内にも書かれている塚はどこに・・・?
わからなかったので、歴史資料館の受付で教えてもらいました。
こちらが大塚と呼ばれる塚。
そしてこちらは小塚と呼ばれる塚。
2つの塚を合わせて信玄塚と呼ばれているそうです。織田・徳川連合軍と武田軍の間の設楽原合戦では1万6千人の戦死者があったと言われ、地元の方がねんごろに葬った2つの塚に当時亡くなっていた信玄の名が冠されたそうです。
日: 2009年11月2日
日本100名城スタンプラリー 長篠城
日曜日と祝日の間の平日ですが、今日は休みをとりました。
豊川と宇連川の合流点に位置する長篠城はこうして、対岸の豊川にかかる橋から見るのが一番の絶景ですね。今日は天候も良かったので最高でした。
スタンプの図柄はこのアングルの長篠城と、長篠城の本丸址に入る場所にある土塁の上にある石碑を組み合わせたものです。
これがその石碑です。長篠城周辺は武田軍の陣砦跡や徳川軍の砦跡など多くの歴史スポットが整備されており、徒歩でまわると4時間から6時間ほどです。
さて、この長篠城が35個目となりました。
馬場美濃守信房の墓と蟻塚
大手門の近くに蟻塚があります。少し奥まった場所でわかりにくい場所ですが、蟻塚とは長篠合戦の多くの戦死者を埋めた場所で、のちに蟻が大量発生したので供養のために碑を立てて、蟻を封じこめたことに由来するようです。
附近には供養塔のようなものが多数あります。
大通りを挟んで、住宅地の奥を行くと、畑の真ん中に「馬場美濃守信房の墓」があります。
鳳来町指定史跡となっているこの地に、設楽原合戦の殿となった馬場信房の首が埋められていると伝えられているそうです。
武勇高き馬場美濃守に合掌
天神山陣地 愛知県の城館
医王寺の西側に天神山陣地への搦手口があります。
とその前に、地元の伝承である山県三郎兵衛昌景の息継ぎの井戸がありますのでお見逃しなく!
さて、山道を進むと、平坦部に出てきます。
この辺りが陣地跡でしょうか?しかし、立て看板は眼下の岩代陣地、有海村陣地、篠場野陣地の説明です。
見晴らしはよいですが、肝心の陣地跡はいずこ?
さらに進むと、神社裏にやってきました。この平坦部には虎口跡?にも見える掘削部が見られるのですが、はっきりしたことはわかりません。
荏柄天神の裏山であることは間違いないとは思いますが・・・
本殿裏の山とはかなりの落差があります。
麓の一段上には結構立派な的場がありました。曲輪跡にも見えないことはないですね。
医王寺山陣地 武田勝頼本陣 愛知県の城館
長篠城址の北に医王寺があります。その背後の山に長篠合戦のとき、武田勝頼の本陣の陣地がありました。
医王寺にはその碑が建てられています。
医王寺の東側に大手道があり、そこから上って搦手道を下りて来るように散策コースが作られています。
さあ!行きましょう。
けもの道幅の遊歩道を歩いていくと、15分ほどで山頂の平坦地に出ます。
ここに展望台が・・・
あれ?壊れていて上れないようです。残念・・・
展望台に上らないと木でよく見えませんが、長篠城までの見通しの良い場所ではあるようです。
山頂の案内板には、現在地の「本曲輪」の東に「東曲輪」、西に「西曲輪」があると描かれています。
東曲輪はよくわかりませんでしたが、西曲輪に至る道には堀切が認められ、
また西曲輪の平坦部もわかりやすいです。
大通寺山陣地よりは時間もかからず、散歩にはちょうどよい感じです。
大通寺山陣地 愛知県の城館
見晴らしの良い高台に大通寺があります。
長篠城の巴城郭や瓢郭を眼下に見下ろすこの山に武田軍の陣地がありました。
この陣地に陣取ったのは、馬場信春、武田信豊、小山田信行の三将です。
遊歩道になっている山中を歩くと意外に大きな平坦部が広がっています。先日の台風で倒木が多く、遊歩道を何箇所もふさいでいました。
2000人と言われる兵が陣取ったと説明されています。
注意深く観察すると、低い石積みや土盛が見えますが、これが陣跡のものなのか、遊歩道整備のためなのか、森林植樹によるものなのか判断できませんでした。
長篠城に行ったときはゆっくり散策するのも気持ちよいですよ。
長篠城 愛知県の城館
ここは長篠合戦で有名な長篠城です。
本丸址は子供たちが野球できるほど広いです。。
本丸址入口に立つ長篠城址史跡保存館では、城主だった奥平氏に関する展示がされています。
本丸と帯郭の間には深い堀があります。
土塁の上には古い長篠城址の石碑がありました。
本丸の向こう側に行くと、武田軍が陣取った5つの砦群が見えます。
この看板なぜフェンスなのかというと、
鉄道が敷かれているんですよ。長篠城址は線路でまっ二つにされており、今も電車が通っています。
本丸址の西側に弾正郭址があります。入口の石積みは見所のひとつですね。郭の中には住宅が建ち、今も住んでいるようです。
弾正郭の向かい側に家老屋敷址があります。
線路を横切って行くと、野牛郭址になります。左手の土塁は物見櫓址です。
野牛郭には殿井が残っているのですが、看板が木に隠れていて最初見落としてしまいました。保存館で聞いて帰る前にまた見にきました。石組みが良く残っています。
保存館の駐車場横は巴城郭址となります。
保存館の駐車場前は倉屋敷址になります。保存館のまわりだけでも多くの見所がありますね。
保存館から東に少し歩くと、瓢郭址があります。線路沿いの標柱の場所は畑となっていました。
さらに東に歩くと搦手門址となります。石がたくさん積まれていましたが、遺構ではないようです。
保存館から北の大通りに出て西に歩くと、サークルKの駐車場に大手門址の標柱がありますが、この辺りは全く遺構は残っていませんね。
さて、線路を横切って野牛郭を行くと、その先端部は少し盛り上がっています。櫓址ですが、正面の木々がなければ川の対岸がよく見えることでしょう。
さらに、進んで下に降りていくと川岸までたどり着きますが、地図ではここに「夢出会い橋」が・・・
橋が・・・
あるはずだったのですが、今は橋脚しか残っていません。保存館で尋ねると、以前イベントで期間限定で架けられていたことがあるそうです。次はいつのことやら?
ここを渡れると、鳶が巣山砦方面へ行くのに近いのですが・・・
しかし、天候が良ければ川を横切る線路とともに絶景を見ることができますよ!
龍譚寺と井伊氏歴代墓所
浜松を朝出発し長篠に向かいましたが、途中大きな看板に誘われて寄りました。
ここは井伊保の龍譚寺です。
御堂が修復中でしたが、朝早いこともあり、有名な庭園は見れませんでした。
境内には「井伊直政公出生之地」の碑がありました。ここは徳川四天王の井伊家が治めた地なのです。
御堂の奥にある建物は・・・
重要文化財の井伊家霊廟でした。近くまで近づけない・・・
隣接する墓地には井伊氏600年の歴代墓所がありました。
そんなに広くはないですね。