堅田城 石川県の城館

探訪会で疲れましたが、まだ明るいということでいつか行きたいと思っていた堅田城跡に登ってきました。
堅田城
山側環状のトンネルのあるいずれの山だとは聞いていたのですが、森本トンネルの頂上でした。
堅田城は北陸道・小原越といった主要道や森下川・河北潟・日本海といった水上交通の要衝に立地する中世山城であり、麓の堅田B遺跡(山側環状の工事で発掘調査が行われ、現在は道路の下)からは鎌倉時代の館跡が見つかっています。
堅田城
森本ICを下り、市街方向から医王病院を越えると案内板がありました。
堅田城
麓に立つ看板を見ると、ここ墓地側と少し先の神社裏から登山道が整備されているようです。別のホームページではもう1本あるようなことを書いてありましたが、ここには記載がありません。
堅田城
墓参の方用に砂利の駐車場がありましたので車を停めて登ります。麓から400メートル。15分ほどのちょうどよい距離です。
堅田城
半分の200メートル進むと、けもの道になりました。3年ほどまえに整備され、竹が伐採されましたが、未だにその根元が残っていて気をつけないとつまずいてしまいます。
堅田城
主郭に到着すると思いのほか広いですね。
堅田城
主郭西側に見張り台とも思える小山があり、そこからは日本海、河北潟が一望できます。
堅田城
主郭南側にまわると北陸道森本ICがよく見えます。
堅田城
主郭の東側には一段低い郭があり、神社裏から登ってくる道があります。平地として整備されているのは主郭と東側の郭です。西側にも郭がありますが、木々に囲まれている影響もあるのか草も生え放題でした。
堅田城
主郭の北側には2列の畝状竪堀を見ることができます。ちょっと分かりにくいです。
堅田城
主郭の西側にまわりこむと、そこには大規模な畝状竪堀がありました。
堅田城
こんな近所で大規模な畝状竪堀が見れるとは・・・感動です。
堅田城
これだけ良好に遺構が残っているのだから、もっと有名になってもいいと思うのですが・・・
金沢城、七尾城、鳥越城、小松城、大聖寺城・・・・他の城は残念ながらいまいち知名度がありません。
堅田城
夕方に登ったのには理由がありました。もしかしたら夜景がきれいかな?と思っていたのです。数十分で空が赤くなってきました。
堅田城
金沢市街の方角は木々で隠れてしまっています。隙間からなんとか県庁が見えますが、夜景が一番きれいな方角なので勿体無いですね。
堅田城
森本ICにできる光の列がきれいです。もっと暗いときれいなのですが、懐中電灯を持参していませんし、足元が見える間に麓に下ります。熊の目撃情報はないようですが、カモシカが出るようですし。
堅田城
かなり低くなってから視界が開けていました。医王病院の向こうに市街が見えます。暗いと足元の竹の切り株につまずきそうで恐いですが、整備すれば卯辰山に負けない夜景スポットになりますね。

惣構跡探訪会(東内・外惣構)

金沢歴史遺産探訪月間2009
金沢歴史遺産探訪月間が昨日から今年も始まりました。探訪会、文化財公開、伝統芸能披露と多くのイベントが開催されます。
惣構跡探訪会
今日は、惣構跡探訪会に参加しました。昨年第一回として西内・外惣構跡探訪会が開催され、今年は東内・外惣構跡探訪会が開催されます。
今まで惣構の探訪会は西惣構が中心だったので、東で開催されるのは今回が初めてではないでしょうか。講師は惣構跡探訪ではすっかりお馴染みになりました、金沢工業大学の増田教授です。
2年続けての参加が多いものと思っていましたが、数人だったのが意外でした。
惣構跡探訪会
集合場所であった金沢市庁舎南分室で講義を受けてから出発です。
惣構跡探訪会
東外惣構の見所はやはりその始点になる兼六園内の山崎山ですね。
惣構跡探訪会
早速、出発して県立美術館裏の階段を上り、小立野口から兼六園内に、山崎山で初めの解説です。
喰違虎口の一部であった山崎山は土塁の一部であり、古木が多く樹生するあたりが言われてみると庭園とは異なる趣に見えます。
惣構跡探訪会
そこから八坂を下り、路地に入ります。東外惣構が流れ落ちる道筋は非常に少なくなっているのですが、写真の中央の用水は新しいものです。右側からこの用水に合流している溝が惣構堀の名残りだということでした。
惣構跡探訪会
そこからすぐ近くの駐車場に土盛りが残っていますが、これが土居の跡ではないかと思われるのですが、民有地のため保存が難しいそうです。貴重な文化財ではありますが、一般生活との両立ができないのは残念なことです。
惣構跡探訪会
そして、材二親和会童志園は敷地が惣構堀、向こうの壁が土居の高さを示しており、痕跡は全くありませんが、その大きさのよく分かる場所です。
惣構跡探訪会
途中、旧成瀬家邸の立派な石垣を横目に、常福寺をぐるりと回ります。常福寺の敷地は一段高くなっており、その敷地に添って惣構は流れていきます。
ここで予定コースは横山町に入るのですが、賢坂辻を曲がり、東内惣構へ向かいました。
惣構跡探訪会
内惣構は小将町中学校の前から始まり、味噌蔵町小学校に向かって下ります。小学校前でみんなが覗き込んでいるのは・・・・
惣構跡探訪会
惣構が道路下を通り、流れてくる惣構堀跡です。ここでほぼ直角に右に折れます。
惣構跡探訪会
ここから入ったことのないような細い路地に入りましたが、惣構堀と土居との落差がよくわかる場所でした。
惣構跡探訪会
味噌蔵町交差点から斜めに入り、寺島蔵人邸の1本南側の道を歩きました。ここが惣構の内側の道、内道の跡です。1本北側の道路(寺島蔵人邸前)とは確かに落差があります。
また、個人宅に残る松の木は打道の幅を示しているそうで、興味深いですね。
惣構跡探訪会
枯木橋で惣構の深さを実感し、
惣構跡探訪会
最終地点は東内惣構堀枯木橋詰遺構です。皆さん最後まで真剣に話を聞いていましたね。
来年も開催されるか分かりませんが楽しみにしています。

鯉喉櫓台はついに最上段へ

先週見学会の開催されたばかりの鯉喉櫓台ですが、
金沢城鯉喉櫓台
先週高く積まれていた裏込石もわずかばかりとなりました。
金沢城鯉喉櫓台
北面の石垣もほぼ最上段まで積まれました。
金沢城鯉喉櫓台
南面も最上段まで積まれましたが、上部の裏込石の上はまだ整備が始まっていません。
金沢城鯉喉櫓台
金沢城鯉喉櫓台
楽しみはこの周りを取り囲む足場がいつ外されるかですね。

金沢城河北門寄進 第四回記名会

今日は金沢城・兼六園大茶会が三の丸で開催されているが、他に第四回記名会も開催されていた。
金沢城河北門寄進 第四回記名会
この行事も宣伝が全く無いのはいかがなものか?夕方のニュースには流れていたけど、今回で河北門寄進に関する記名会も最後となり、次回は橋爪門なのかな?
金沢城河北門寄進 第四回記名会
見学現場も変わり映えしないなーと思っていたら、
金沢城河北門寄進 第四回記名会
二の門とニラミ櫓台をつなぐ土塀の壁はいつの間にか漆喰が塗り込められているではないか!
金沢城河北門寄進 第四回記名会
記名会場となった五十間長屋の前には何かのイベント用の会場設営が着々と進められている。何のイベントでしょうね。