安土城は現在公開中の映画「火天の城」の影響で大勢の観光客が詰め掛けています。
平成20年度に20年にも及ぶ発掘調査を終えたばかりですが、安土城の全貌はまだまだ謎のままです。
安土城考古博物館から見る方角(南側)が大手となります。
こちらは城下町から見る(西側)安土城です。
意外とこの「安土城址」の石碑は知られていない存在なのかもしれません。日本100名城スタンプラリーの図柄にも採用されているのですが・・・
昨年から入山が有料となり、総見寺に近い西側から登る道からは入山できなくなりました。残念です。
日: 2009年9月26日
観音寺城 滋賀県の城館
今日は山頂に登ったわけではありませんが、周辺からみる観音寺城を紹介します。
こちらは麓の安土城考古博物館からみた観音寺山(観音寺城)です。観音寺城には考古博物館から登る道が2本、桑実寺から登る道、観音正寺から登る道があります。桑実寺から登る道のみ入山料300円かかります。
こちらは安土城下町のセミナリヨ址に整備されたセミナリヨ史跡公園から見た観音寺城です。
こちらは常浜港舟入跡や木村城跡のある常浜公園から見た観音寺城です。
木村城 滋賀県の城館
常浜公園の西端に位置する畑が木村城跡です。
安土町大字常楽寺には、中世から近世にかけて栄えた「常楽寺港」と呼ばれた港がありました。この常楽寺港の入り口付近に「木村」と呼ばれる小字名が残った畑があります。ここが木村城(館)跡の推定地で、佐々木六角氏の家臣であった木村氏の居館とされています。
現在館跡と伝えられる一角は畑地として残されていますが、周辺の水路の大部分が埋め立てられ、現在見られる石垣は後世に構築されたと推定されているので、遺構ではありません。
平成元年の発掘調査で、南北に伸びる溝状の遺構が検出され、館を区画する堀跡の一部と推定されています。伝承部分が多い木村城ですが、その実態は明らかにされていません。
連続講座「安土城四百三十年」 第三回 安土城をつくった男達
今日は講演会に参加するために安土城考古博物館に来ました。
先週のシルバーウィーク中は映画「火天の城」の影響もあってか、開館当時を彷彿させるような込み具合だったようです。
講演会は連続講座「安土城四百三十年」の第三回目です。前回までは日程が合わなかったので初参加となります。テーマは「安土城をつくった男達」で、今話題の岡部又右衛門や、狩野永徳、後藤平四郎、京のたい阿弥など安土城築城に関わった人々を紹介されました。
今回も100名を越える参加者がいて大盛況でした。
1時間の講演のあと、現在開催中の秋季特別展「戦国の城 - 安土城への道」のギャラリートークがありました。今回の特別展では門外不出の城絵図の展示もあり、とても楽しめました。
連続講座に参加すると、資料と修了証の他に、彦根の「しょうぶ屋」さんのご好意でキーホルダーがもらえました。毎回違う絵になるのかな?次回以降もできるだけ参加したいですね。
展示会は前後期の入替制で、すべての展示を見ることはできません。連続講座第四回に参加すれば後期を見ることができます。実物を堪能した後は図録で楽しみます。
安土城下町を歩く
今日は安土城の城下を歩きました。前回の訪問時は安土駅の南側を歩きましたので、今回は北側を歩きます。
映画「火天の城」で安土町は随分と盛り上がっていました。
駅前では信長像が出迎えてくれます。
まずは駅前を西側に進み、「梅の川」に向かいました。
梅の川は、織田信長の家臣武田夕庵が、この水で茶を献上したところ、信長公はたいそう気に入り、茶会に好んで用いたと言われる水場です。
続いて、「北川湧き水」です。室町時代に常楽寺港として栄えたこの地区には湧き水が当時の姿で多く残っています。
湧き水の近くに常楽寺港の船着場址が残っています。
現在では湖岸からかなり内陸部となっていますが、常浜公園として葦茂る良い魚釣り場所となっているようです。
常浜公園から西の湖に向かう途中、道路上のマンホールが気に入りました。信長の旗印、永楽通宝ですね。
安土城の西側に広がる「西の湖」です。安土城築城当時は湖面が城の北側に大きく広がっていました。
安土城の西側に位置する「活津彦根神社」です。
現在の本殿は江戸時代前期のものです。
神社から東に進むと、朝鮮人下街道に至ります。安土城はすぐそこに見えます。
角に嘉永7年の法華塔が残っています。
百々橋を渡れば、安土城の百々橋口です。
下街道を戻ると、途中「新宮大社」がありました。
茅葺の美しい拝殿のある神社でしたが、敷地を取り囲む石垣の入り組み方が複雑で、砦かとも思える程でした。
さらに下街道を進み、少し外れた場所に「セミナリヨ址」がありました。南蛮寺のあった場所ですね。今はすっかり整備されて史跡公園となっています。
ここからは安土城が間近に見えます。
下街道は城下では何度も曲がります。この曲がり角では「常夜灯」が残っています。
石は一見して古さがわからないのが欠点ですね。
さらに進むと「活津彦根神社」の参道の入口がありました。ここから数百メートル先に先ほどの境内がありますが、下街道からまっすぐに参道が設けられていたことになります。
下街道からまっすぐ北に神社への参道、下街道は右に折れます、。
そこから50メートルほど南に神社の御旅所が残っています。
この角には「朝鮮人街道」の石碑が立っています。向こうの角を左に曲がれば安土駅です。