樺沢城は小さな山城ではありますが、山城独自の機能が随所に見られる良い城でした。樺沢城については、入口にある龍譚寺で今泉博物館発行の特別展「山城 樺沢城」(500円)が販売されています。分かりやすいですのでおすすめです。
さて、龍譚寺の向かいに城への入口があります。
小さな川を渡るとすぐに「元屋敷跡」の石碑があります。
登っていくと「仙桃院お花畑跡」の看板がありますが、
その石碑は龍譚寺の前にあります。
進むと、左方向が崖面となり、そこらじゅうに看板が立っていました。「空堀」「土塁」・・・・などなど
土塁と頂上方向の崖面の間の通路に沿って空堀があるようなのですが、草が茂る今の時期はわかりませんね。
通路を抜けると、頂上側の通路が大手口です。
大手口を入ると三の丸跡となりますが、三ノ丸は2段になっているのは珍しいです。
三ノ丸と二ノ丸の間には深い堀切があります。
「空堀」と看板のある、右が三ノ丸側、左が二ノ丸側、写真でもわかるほどの堀切は珍しいです。
二ノ丸跡は意外に小さいです。
二ノ丸と本丸の間にも深い堀が掘られています。
本丸に至る途中に、胞衣塚(えなづか)があります。景勝が誕生した時、その胞衣を納めた所と言われています。
本丸のまわりには帯曲輪が巡っています。
本丸は思いの外広く、眺めは最高です。
上田庄を望む位置に作られた本丸からは、坂戸城も左前方に見えます。
頂上に富士権現も見えますね。
本丸を下ると、「ロープをつかっておりてください」
本当にロープなしでは下りれません。写真でもご覧のとおりの急勾配です。
本丸から西の丸に至る途中に畝状竪堀があります。ロープで登り下りして五重以上の竪堀を見ることができそうですが、2重目を見て今日は時間がないので諦めました。
そして西ノ丸です。こちらからも上田庄が見えますが、木々が邪魔していますね。
樺沢城下には樺沢城保存活動の一環として、標石が多く立てられています。その中のひとつ、「黒金屋敷跡」です。
こちらは龍譚寺の手前にある「下屋敷跡」です。
日: 2009年9月20日
坂戸城 新潟県の城館
坂戸城に登ります。
麓の駐車場で係りの人に、「薬師尾根コース」と「城坂コース」のどちらが急かを訪ねましたが、80パーセントが坂だと言われた「薬師尾根コース」から登ることにしました。
入口からしばらく通路の脇に地蔵が立っています。後世に頂上の富士権現に向かう信仰の道へと変貌したのでしょう。逆なのかな?
道の途中で脇道を進むと御居間屋敷跡がありました。広い平地が広がっていました。
城坂方向から入る入口は虎口となっています。
戻って、道はさらに急に続きます。向こうに頂上が見えますが、なかなか近づきません。
今日は早起きしたこともあり、体力が持ちません。何度も休憩しましたが、急な坂道からの眺望はすばらしいです。
ようやく頂上近くまで来ましたが、最大の難関、ロープに、鉄鎖?登るのはまだマシで、下りてくる人がたくさんいるのに驚きです。
頂上の実城には富士権現社が建ち、十数人がくつろいでいました。
本丸からの眺めも最高です。
富士権現の裏からは尾根筋が続き、小城、大城の郭があるようです。
道の中程、木のこんもりした部分が小城、先端が大城のようです。
小城だと思われる場所です。というのもこの尾根については案内板がないのです。薬師尾根では松が多かったですが、小城では白樺(かな?)が多いですね。
大城の入口には礎石?とも思われる2個の石が横たわっています。
大城からは実城とは違う方角がよく見えます。
実城にも連絡をとれる距離にあり、連携して機能していたことが容易に予想できます。
実城に戻って、城坂コースを進みます。下の段は広瀬曲輪となります。
5分程で別の尾根筋にある主水曲輪への分かれ道があります。
3本の深い堀切を進んで15分程で先端近くの主水曲輪に到着しました。大城といい、主水曲輪といい、実城からアップダウンがあって体力的に厳しい山城です。
主水曲輪からは越後方向がよく見渡せます。
戻って城坂コースを下りてくると途中に水場跡の案内があります。
実際の場所に案内が見つからなかったのですが、プラスチック管のあるこの辺りが石が多く、水場だと思われます。この場所は観光地図には載っていませんね。
水場を後にして、桃の木平に到着しました。かなり広い平地です。名前の由来は桃木でも立っていたのでしょうか。現在はないようでしたが・・・
城坂コースは薬師尾根コースと比べ緩やかですが、木々に囲まれて展望はあまりよくありませんね。
城坂コース入口まで来ると、一本松が立っていました。
一本松からは砂利道ながら車の乗り入れもできるようになっています。途中、天地人ロケ地の旗がなびいていました。
この辺りで武田軍との遭遇シーンが撮られたようですね。
さらに下ってくると、途中土塁や堀をもつ御館と思われる場所に出ました。
御館の入り口には石垣が残っており、坂戸城跡の石碑が立っていました。観光客はここまで来て引き返す人が多いようですね。
坂戸城で石積みが見られるのはここだけです。
柱跡の残る礎石も残っています。
別の場所には「上杉景勝・直江兼次生誕の地」の石碑が立っています。
御館から入り口までの間には広大な家臣屋敷跡が広がっていました。
道の両側が屋敷跡です。
麓には内堀跡として埋田堀が3カ所復元されています。
ハスが咲き、カモが戯れる雰囲気ある水場となっていました。
登り始めてから3時間半さすがに疲れました。
天地人の旅 IN 南魚沼
今日は誕生日です。私もついに30代後半に突入しました。
シルバーウィーク後半は天候が崩れる予報だったので、またまた強行軍ではありますが、朝6時に出発して南魚沼市に出かけました。
3時間ほどで六日町ICに到着。シルバーウィーク期間でも北陸道から関越道は渋滞なしに来ることができました。
まずはJR六日町駅前の「愛・天地人博」を見学。
駐車場は隣りの南魚沼市役所駐車場だったので、市役所前の上杉謙信公と直江兼続公のレリーフを見てきました。
移動して川沿いの駐車場に駐車し、周辺を歩きます。
向かったのは直江兼続公伝世館。観光客がいっぱいでゆっくり見れませんでしたが、パンフレット類をたくさん入手しました。
駐車場から伝世館への道すがら一週間後に開催される「トキめき新潟国体」の昇り旗が並んでいました。地元石川県は前田利家?ですね。頑張って書いたんでしょうね。
黄金の穂を垂れる田では稲刈り真っ最中でしたが、田の後方にそびえるのは坂戸城です。
伝世館の裏は銭淵公園となっており、池の背に坂戸城がそびえます。
この銭淵は長尾政景が溺死したと言われている場所です。園内に「長尾政景公生涯之地」の碑が立てられています。
坂戸城に登った後に上田長尾氏史跡公園に向かいました。
新しい長尾政景公の墓碑の裏には天正と明治の古い墓碑がひっそりと立っています。
史跡公園のなかには、政景公以外にも歴代の上田長尾氏の当主の墓碑と、直江兼続公の墓碑が立っています。
駐車場に戻り、雲洞庵へ向かいました。雲洞庵は大河ドラマにも出てきた幼い景勝と兼続が学んだ地です。しかし、ここだけは観光客であふれ、駐車場が足りずに道にはみ出していました。大河ドラマの影響はすごいですね。まあ、自分もその一人なのですが・・・
山門は朱色で装飾され、別名赤門と呼ばれています。
本堂ほかの建物も広いです。宝物館には貴重な品々が残っていましたが、保存状態があまり良いようには見えませんでした。
雲洞庵からは遠く坂戸城が見えます。
まだまだ行けそうだったので、龍譚寺に向かいました。ギリギリで拝観時間に間に合いました。本堂には景勝の母、仙桃院の寄贈した文殊菩薩が特別公開されています。
境内には「上杉景勝公生誕之地」の石碑が立てられています。この龍譚寺の本尊は珍しい文殊菩薩です。それは仙桃院に関係あることなのでしょうね。
龍譚寺の前が樺沢城跡です。夕方遅くなってきていましたが、住職に頂上まで20分ほどと聞かされていたのでひと回りしてきました。
なんとか当初予定していた計画を消化できました。引き替えに昼食は最後までお預けとなってしましたが・・・腹減ったなあ。
愛・天地人博でいくつかのみあげをゲット。南魚沼には専用キャラがいるのですが、購入したのは米沢の専用キャラ「かねたん」のぬいぐるみとメモ帳、景勝と兼続に扮したキティのお菓子、そして入場記念としてもらえた南魚沼産コシヒカリ1キロです。米沢は行けそうにないなー