いもり堀の鯉喉櫓台の石積み工事は急ピッチに進んでいます。
10日ほど来ないと、どんどん積み上がっています。写真も何も残っていない新造の石垣は積むのが早いですね。
脇の通路の植え込みの高さまで石が積まれました。
裏込石も一段高かった後方の土盛りと同じ高さまで来ましたが、石垣の中は地山の上には裏込石しか入れていません。通常内側には土盛りをして、石垣の間1メートルから2メートル石を入れるのですが、すべて裏込石なんて、これでいいのでしょうか?
さらに着々と積めるように石が待機しています。
西側の土塁側も石積みが見えるようになりました。
よく見ると積む位置を確認するための印が貼ってありますね。
半年後には辰巳櫓の高石垣の前に櫓台が出現します。楽しみですね。
日: 2009年9月6日
金沢城 河北門復元整備
金沢城復元整備は順調に進んでいるようです。
太陽に照らされて囲いのなかのニラミ櫓の塀の輪郭がうっすらと浮かんでいます。
隙間から海鼠塀が見えます。塀はほぼ出来ているようです。
最近は外観がほとんど出来てきたこともあって久しぶりに行っても、あまり変わり映えしませんね。
二の門の大屋根の天辺にある箱棟もほとんど完成したようです。
土壁はヒビに塗り重ねられてきれいになっています。漆喰を塗る日も近そうです。
見学台から唯一見える二の門の出窓の屋根にも鬼瓦が乗りました。
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金沢城 石川県の城館
石川門、加賀藩の金沢城のシンボル的存在です。
観光客は兼六園から城内に入るため、兼六園との間に架かる石川橋を渡って石川門をくぐってきます。しかし、ここは金沢城にとっては搦手門です。
小立野台地の先端部に築かれた金沢城の最大の弱点はこの台地伝いに攻められることです。そこで現在道路になっている百間掘を兼六園との間に築き、石川門を建てました。門の形式は堅固な枡形です。
金沢城の大手口は、現在唯一の水堀、大手堀が残る尾坂門です。ここは大手らしく巨大な鏡石がいくつも配置されています。ちょうど隅石として使用されている鏡石は、その厚さを実感できる珍しい巨石です。
尾坂門を進むと、新丸の向こうに平成13年に復元された菱櫓が見えます。本丸の天守が焼失したあと、本丸には天守代用の三階櫓が建てられましたが、建造物の高さは菱櫓のほうが高く、実質の天守としての役割を果たしました。
新丸から三の丸に入るところに河北門があり、現在復元整備中です。
金沢城では他にも、石川門と塀が修復中、いもり堀と鯉喉櫓台が復元整備中、玉泉院丸跡が復元整備に向けて発掘調査中と、平成26年度の北陸新幹線延伸まで復元・修復ラッシュです。