旧福岡町内の福岡公園内にある高岡市福岡歴史民俗資料館に行ってきました。
旧福岡町役場の建物を資料館として再利用しており、市指定文化財となっています。
現在は高岡開町400年記念事業の一環として、特別展「木舟城と城下」が開催中です。
チラシは昭和10年の木舟城と、杉野家文書の木舟古城図です。
二階展示室には木舟城跡や城下町遺跡で出土した遺物や発掘調査パネル、前田利家と佐々成政の対立に関連する古文書や末森合戦の絵図などが見ごたえたっぷりに展示されていました。
中でも注目は加賀藩十村(他地域の庄屋)であった杉野家文書のなかに発見された「木舟古城図」です。
この絵図は木舟城の紹介で何度も見ましたが、実物を見るのは初めてです。
十村は領内を管理するために様々なことを書き留める義務があり、古城であった木舟城もその対象になっていたようです。聞いてはいましたが、実物は小さいですね。現在のメモ帳に近いものではないでしょうか?
近くの方はこの機会に、地元の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。10月11日まで開催中で、わずか一月半という短い期間なのが残念です。1時間ほどの滞在時間でしたが、地元の方が数人見に来ていました。これも昨日の講演会の宣伝効果なのか?
日: 2009年8月30日
前田秀継公墓所
富山県小矢部市にある前田秀継の墓所へ行ってきました。
山の中にポツリとある、わかりにくい場所ですが、案内看板も随所にあり、すんなりと到着しました。
現在「前田秀継公記念公園」となっています。
奥に100メートルぐらい進むと、山の中腹に見えます。
そのまま階段を進もうとすると、
蛇に行く手を遮られました。先日一乗谷山城でも遭遇しましたが、今年は蛇によく出会います。
蛇がなかなか退かないので、土手道を進みます。
一段上がると、そこは高徳寺跡です。昭和初めまで建物があったようですが、老朽化で取り壊されたため今は何もありません。
門をくぐって階段を上ると、
そこに3基の墓が並んでいました。
前田秀継夫妻の墓です。3基ありますが、1基は誰のものでしょうか?
前田秀継は前田利家の末弟であり、越中の佐々成政との攻防のなかで、津幡城主から木舟城主となりました。天正13年の大地震で木舟城が倒壊し、夫婦ともに圧死し、その子利秀により、ここ高徳寺に葬られました。利秀は秀継の跡を継いで木舟城主となりましたが、再建を断念し、今石動城に移りました。高徳寺も今石動の城下に移転しましたが、秀継墓所はそのまま残ったようです。
墓所には麓から一直線に上る急階段もありましたが、段が傾くなどしてこちらから上るのは無理そうです。