講演会の後、久しぶりに木舟城に寄って来ました。
何年ぶりに来たのでしょうか?まだ福岡町が高岡市と合併する前だったので、現在の看板が立てられ整備された城跡には少し驚きましたよ。
天正13年の大地震で陥没してしまった木舟城は、そのまま廃城となってしまい、現在は小山がわずかに残るだけです。
旧福岡町で整備されたときに設置された石碑です。数年前に範囲確認調査が行われ、地震痕などが発見されていますが、まわりの田んぼの土地改良整備のときに表土がかなり失われていたようで、わずかに残る中世の地層からいくつかの遺物が出土しています。
道路を挟んだ向こう側にもうひとつの小山が残っています。
そこには貴布祢神社があります。
社殿脇にはこの辺りにあったものか墓石が集められていました。
整備された木舟城でしたが、また天気の良い日に来ようと思います。
その後、元木舟城下町にあった実性寺に行きました。現在はかなり離れた、道の狭い場所にありました。
まずその大きさに圧倒されました。村の寺としては大規模な建物群です。
城下町時代からの力の大きさを感じることができました。
日: 2009年8月29日
特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」
高岡城内にある高岡市立博物館では、現在、特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」が開催中です。
藩政期高岡城の絵図のほか、高岡古城公園整備に関する設計書など多くの資料を無料で楽しめます。以前の高岡城展の図録掲載物はほぼ出品されているようですので、前回見逃した方は今回必見ですね。
絵図を見ていて今回ひとつ発見したのは、藩政期(現在も)高岡城での大手口と搦手口は、古城公園の設計図では逆に記載されていました。なぜでしょうね?
今日は14時から3階講堂で、高岡徹氏により「前田氏の越中進出から高岡築城まで」というテーマで講演があり、80名という定員のところ、大幅にオーバーして廊下まではみ出していました。
高岡氏も話に大いに熱が入り、1時間半の予定が1時間も延長されました。阿尾城菊池氏から木舟城、蓮沼城、今石動城、守山城まで、高岡城築城に至るまでの西富山地区の城館の変遷がよくわかりました。