安養寺御坊 とやま城郭カード

安養寺御坊

小矢部市にある安養寺御坊。蓮如上人が布教拠点として土山御坊、高木場御坊の次に拠点とした場所。

安養寺御坊

田んぼの中に鐘撞き堂と伝えられる土盛りが残っている。

安養寺御坊

ここに案内板が立っている。

安養寺御坊

鐘撞き堂の北側を通る道路が小原道という加賀と砺波を結ぶ旧道だった。

安養寺御坊

小原道を挟んだ北側の集落の氏神八幡宮

安養寺御坊

この境内が北側の田んぼより少し高くなっており、御坊の北端だと思われる。

安養寺御坊

八幡宮前の交差点から少し西へ行くと住宅地と田んぼの境が高い断崖となっている。ここが西端となる。

安養寺御坊

少し戻り住宅前の道路を北へ。上御亭橋のところで東に折れる。道路より田んぼが少し高いことが分かる。

安養寺御坊

御坊の北を流れる渋江川。御坊の堀の代わりとなっていたと考えられる。

安養寺御坊

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

土山御坊・御峰城 とやま城郭カード

土山御坊・御峰城

南砺市にある土山御坊と御峰城。蓮如上人と佐々成政に関係する地へ行って来た。
にしてもすごい山奥の集落。

土山御坊・御峰城

入口に「蓮如上人旧跡 入口」の石碑が建つ。

土山御坊・御峰城

さらに山を上っていくとあと50mという案内の場所が少し開けているのでここに駐車して歩いて行く。

土山御坊・御峰城

旧跡は観光地のようになっていた。蓮如上人が退去した後は当地の有力者の杉浦屋敷となっていたようだ。

土山御坊・御峰城

庭園の中には蓮如上人像、その後ろは蓮如上人お手植えの伽羅木だそうです。

土山御坊・御峰城

済んでいた御坊の推定地はこの下だという。のぞくと手前の車庫の屋根に隠れる。

土山御坊・御峰城

推定地を見に行く前に旧跡の前にある丘を見に行く。

土山御坊・御峰城

ここに御亭があったと伝えられる。

土山御坊・御峰城

御坊の推定地を見に行く。この砂利が敷かれている部分がそうだと言われているが、少し狭いような。向こうの丘が気になる。

土山御坊・御峰城

次に御峰城に向かう。旧跡とは反対側に歩いて行く。

土山御坊・御峰城

右手に分かりにくいが入口がある。

土山御坊・御峰城

少し入ると大きな堀切が現われる。御峰城の一番の見所といっていいかも

土山御坊・御峰城

堀切を横切ると、登城道は足がつるほどの急登だった。

土山御坊・御峰城

何とか踏ん張りながら主郭に着くと給水施設があって探索できる場所はほとんどなかった。

土山御坊・御峰城

フェンスの横に錆びた標柱が建っている。

土山御坊・御峰城

今日は晴天だったこともあり主郭からは立山連峰がきれいに見えた。
車に戻るとちょうど前の家の方が外に出ていたので立山がきれいに見えたことを話し、白山は見えないのか聞いてみた。
ここからは間に一山あって見えないそうだ、残念。

土山御坊・御峰城

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

今石動城 とやま城郭カード

今石動城

小矢部市にある今石動城。石動中学校横を通り城山公園の駐車場に駐車する。

今石動城

ここから城跡までは1.7km。舗装された道路を上る。

今石動城

聖天堂跡からは林道になる。

今石動城

城跡までは1.3km。まだまだ遠い・・・

今石動城

ようやく城跡まで来た。通路状に見えるのが大手道と考えられるルートだが、実際にはここからはブッシュに阻まれて上れない。

今石動城

道路向かいに駐車場のほうに下る大手道があるはずなのだが、こちらもブッシュで全く想像できる状態になっていない。

今石動城

もうしばらく歩いていくと三の丸のところで城跡に入る階段が付いていた。

今石動城

今石動城の案内板が建っている。地図は反対のほうがわかりやすいような気がする。

今石動城

早速階段を上って三の丸に入る。本丸方向には歩けるが、逆方向にはブッシュで進めなかった。

今石動城

三の丸から本丸には階段が付いている。

今石動城

本丸に着いた。平坦地に削平されているようだが、土塁などの構造物は見当たらない。

今石動城

本丸という看板が

今石動城

2カ所ある。

今石動城

三の丸とは反対側に下りていくと二の丸となる。
二の丸はブッシュ部分が多く広さを体感できない。

今石動城

二の丸から本丸下の曲輪までまた階段がある。

今石動城

下りていくと曲輪という看板があった。ここから下の曲輪に下りれば最初の大手道に至るのだが、道はない。

今石動城

この本丸下の曲輪から本丸を見る。かなり落差のある切岸になっている。
来た道を駐車場に戻る。50分ほどの探索だった。

今石動城

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

木舟城 とやま城郭カード

木舟城

高岡市にある木舟城。いつの間にか駐車場もできていた。

木舟城

案内板も増えて以前来た時からすると随分わかりやすくなった。

木舟城

城跡の中を横切る道路沿いに「木舟城跡」の石碑

木舟城

南端の少し高い場所に木柱が建っている。

木舟城

南側から城跡の残存部分を眺める。

木舟城

東側に回り込み、手前の神社境内地と先程の残存部分を望む。

木舟城

貴布禰神社の境内地として残る残存部分

木舟城

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

阿尾城 とやま城郭カード

阿尾城

氷見市にある阿尾城。湾に突き出た独立丘陵が写真映えするスポットでもある。

阿尾城

入口は榊葉乎布神社の参道となっており、数台の駐車場がある。

阿尾城

近くには阿尾城主が開基した願生寺がある。

阿尾城

登り口に「阿尾城址」の石碑が建つ。

阿尾城

榊葉乎布神社が建つのは最も陸に近い高台

阿尾城

神社の神輿舎が建つ1段低いところが伝三の丸といわれる。

阿尾城

伝三の丸から海に一区画進んだ休憩所のある平坦地が伝二の丸といわれる。

阿尾城

その北側は高くなっており

阿尾城

白峰社が建っている。

阿尾城

白峰社の背後は狭いが2段の高台となっていて監視台と思われるが、旧白峰社の拝殿が下に、一番高い場所に本殿があったようだ。

阿尾城

本丸へは一旦下がる。

阿尾城

谷部分は両側が堀切のように削られ土橋状になっている。

阿尾城

伝本丸も伝二の丸と同じく北側が少し高くなっている。

阿尾城

展望台からは湾を挟み二上山(守山城)や奈呉の浦(放生津城)が見渡せる。
20分もあればほぼ一周することができる手軽な城跡でした。

阿尾城

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

森寺城 とやま城郭カード

森寺城

氷見市にある森寺城に行きました。駐車場までの道は狭くてスリルあります。

森寺城

駐車場は城跡の裾をまわってかなり奥に入っている。

森寺城

駐車場に近い寺坂屋敷。向かいの一段低い場所だが、ブッシュ状態

森寺城

まずはさらに奥に進んで搦手口をみてくる。

森寺城

山側から見ると、右の土塁、食い違いの虎口に左の土塁と、通過するのにかなり恐怖を感じる。

森寺城

戻って本丸方向に進む。百間馬場という細長い曲輪

森寺城

本丸との分岐

森寺城

二の丸沿いに破却されているが、一部石垣が残っている。

森寺城

二の丸は広い。井戸の向こうに右側の石垣に囲まれた部分が本丸

森寺城

大きな井戸

森寺城

本丸の石垣の残りはいい。二の丸と本丸は石垣で区切られているだけで高さにそれほど違いがあるわけではない。

森寺城

上ったのと反対側にある二の丸への道。崩れているが通路沿いに石垣が残る。

森寺城

お花畑は竹藪になって往時の雰囲気はない。

森寺城

しばらくいくと本町という場所

森寺城

道を少しそれるとカンジャ屋敷という曲輪がある。

森寺城

不動堂が由来という踏段堂。向こう側は段々の平坦地が連なり、右側は狭いが土塁に囲まれた曲輪になっている。

森寺城

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

飯久保城 とやま城郭カード

飯久保城

氷見市にある飯久保城にやってきた。以前1度来たことがあり、そのときは湖南小学校のあるこの北側から丘陵を縦走していったのだが、

飯久保城

地図を見てこっちは搦手口だなと思って、大手口だと思われる八幡宮から登ることにした。

飯久保城

八幡宮に到着。入口に案内板が2つ立っている。

飯久保城

参道を進むと、登城口があった。八幡宮はここから右に折れ階段を上って社殿が建っている。

飯久保城

最初は木段で一気に比高を稼ぐ。あまり人は来ていないようで草も伸びている。

飯久保城

木段を上がると道が続いている。

飯久保城

上り始めて3分ほどで「虎口」という看板の立つ大手の桝形虎口に着く。

飯久保城

道は屈曲している。「土塁」という看板もある。

飯久保城

ここからさらに道が荒れてきて倒木もある。一昨年、昨年の台風被害もあるのだろう。
「竪堀」の看板もあるが、笹で全く確認できる状態にない。

飯久保城

途中「涌水池」という水場があるが、前日までの雨でぬかるみが酷くどこがそうなのかよくわからない状態

飯久保城

足跡といえばイノシシの蹄跡くらいのなか、主郭に入るところでついに登城口がわからなくなった。

飯久保城

主郭からの眺めはいい。
登城口から10分ちょっと

飯久保城

主郭はブッシュ状態で進める状態にない。
後で地図を確認するとこのブッシュの先に湖南小学校登城口につながる木道があったようだ。

飯久保城

一番高い櫓台に上る。「堀切」は藪の向こう側

飯久保城

櫓台

飯久保城

櫓台から主郭を望む。再整備してほしいところだ。

飯久保城

砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

とやま城郭カード

とやま城郭カード

「とやま城郭カード」なるカードが出ていることを今日知りました。配布場所は砺波市埋蔵文化財センターなんですが、増山城の続100名城スタンプや展示のある場所で、スタンプを去年の6月にもらいに行った後、8月に配布が始まっていたようです。

今日は用事のあった高岡城と増山城の2城のカードをもらいに行き、50城の一覧表をもらいました。県内の人を中心に50城制覇した人がすでに10人以上いるそうです。

山城が多く大変そうですが、久しぶりに城攻めの日々を過ごしましょうか!

[お知らせ]とやま城郭カードが完成しました! – 砺波市役所
県内の城郭50箇所をカードにした「とやま城郭カード」が完成しました。
城郭を訪問し、撮影した写真を砺波市埋蔵文化財センターで提示くださると、そのお城のカードをお渡します。
お城をめぐって、カードをコレクションしてみて下さいね。

[配布場所]
砺波市埋蔵文化財センター しるし
〒939-1431 富山県砺波市頼成566(庄東小学校敷地内)
TEL&FAX 0763-37-1303
開館時間 9時~17時
休館日 毎週月曜日、毎月第3日曜日、国民の祝日
    (祝日が月曜のときは、その翌日も休館となります)
    年末年始(12月29日~1月3日)
入館料 無料

ナビは庄東小学校で行ったほうが迷わずに済みますよ。

[城郭一覧]
1.宮崎城 富山県朝日町宮崎
2.若栗城 富山県黒部市若栗
3.松倉城 富山県魚津市鹿熊
4.魚津城 富山県魚津市本町
5.升方城 富山県魚津市舛方
6.天神山城 富山県魚津市小川寺
7.北山城 富山県魚津市北山
8.水尾城 富山県魚津市鹿熊
9.石の門砦 富山県魚津市舛方
10.弓庄城 富山県上市町館西円場他
11.千石山城 富山県上市町千石、折戸
12.茗荷谷山城 富山県上市町大岩、麻生、須山
13.池田城 富山県立山町池田
14.日中砦 富山県立山町日中
15.箕輪城(護摩堂城) 富山県滑川市蓑輪、上市町護摩堂
16.富山城 富山県富山市本丸
17.白鳥城 富山県富山市城山他
18.中地山城 富山県富山市中地山
19.城生城 富山県富山市八尾町城生
20.尾畑城 富山県富山市八尾町尾畑他
21.富崎城 富山県富山市婦中町富崎
22.高山城 富山県富山市婦中町高山
23.井田主馬ヶ城 富山県富山市八尾町井田
24.安田城 富山県富山市婦中町安田他
25.大道城 富山県富山市八尾町大道他
26.放生津城 富山県射水市二の丸他
27.日の宮城 富山県射水市下条他
28.高岡城 富山県高岡市古城
29.守山城 富山県高岡市守山
30.古国府城 富山県高岡市伏木古府
31.木舟城 富山県高岡市福岡町木舟
32.赤丸城 富山県高岡市福岡町馬場他
33.鴨城 富山県高岡市福岡町加茂他
34.森寺城 富山県氷見市森寺城山
35.阿尾城 富山県氷見市阿尾
36.飯久保城 富山県氷見市飯久保
37.中村城 富山県氷見市中村他
38.増山城 富山県砺波市増山
39.安川城 富山県砺波市安川
40.壇城 富山県砺波市庄川町庄
41.千代ヶ様城 富山県砺波市庄川町庄
42.隠尾城 富山県砺波市庄川町隠尾
43.今石動城 富山県小矢部市上野本桜町入会地
44.松根城 富山県小矢部市内山他
45.一乗寺城 富山県小矢部市八伏他
46.安養寺御坊 富山県小矢部市末友
47.上見城 富山県南砺市上見
48.井波城 富山県南砺市井波
49.土山御坊・御峰城 富山県南砺市土山
50.桑山城 富山県南砺市川西

平城が10、山城が40。
日本100名城、続日本100名城に選ばれている高岡城、増山城、富山城の3城が人気で、場所柄もあり増山城のカードがかなり品薄になってきているそうです。 初版は各城1000枚、品切れの後は未定です。

高岡城 とやま城郭カード

高岡城
高岡城址公園入口

高岡城
晩秋の雨の日、晴天ならもっと紅葉の赤が映えるんでしょうけど

高岡城
本丸

高岡城
本丸と二の丸の間の土橋には唯一石垣が残る

高岡城
深い水堀が残っているのが

高岡城
とても印象的な城跡

高岡城
売店の入る三の丸茶屋

高岡城
その中に高岡城の模型がある。天守があったり架空の部分もあるが曲輪の鋼製は参考になる。
本丸-二の丸-鍛冶丸-明き丸-三の丸-梅林曲輪-小竹藪とらせん構造になっている。

高岡城
砺波市埋蔵文化財センターで写真を見せて、とやま城郭カードを取得する。

昔の守山城 富山県の城館

守山城

二上山にある越中三大山城のひとつ、守山城

守山城

今日、高岡城にある高岡市立博物館で開催中の「特別展 古写真にみる高岡」を見てきました。

守山城

中でも気になったのはこの写真

守山城

いつ頃撮られたかわかりませんが、守山城の郭が数段くっきりと見える貴重な写真です。

続日本100名城スタンプラリー 増山城

増山城

富山県砺波市の増山城に行ってきました。続10城目。

増山城

まずは庄東小学校にある砺波市埋蔵文化財センターに行って、スタンプを押しました。
城内の写真を撮ってくれば登城認定証もらえると聞いて、後でまた寄ることにする。

増山城

増山陣屋

増山城

中には増山城の歴史などのパネルがあり、登城前に予習できる。

増山城

中には続日本100名城の認定証もある。

増山城

備え付けのパンフレットを持って行くことを勧める。
城内は案内が少なく、縦横に曲輪が広がる城内では迷子になる。

増山城

増山城の登城口へは和田川ダムの堤頂を通って行く。

増山城

登城口には冠木門が復元されている。
5月下旬に草刈が行われたらしく、歩きやすくなっていた。

増山城

大手口

増山城

大手口を過ぎるとすぐに左右に大きな堀切が見える。
この堀切は大きくわかりやすい。

増山城

一の丸。といっても本丸とは違うらしい。入口から近い方から数えるらしく、実質の本丸は二の丸。

増山城

植林に囲まれた城内ではこの一の丸からの眺めが一番良い。眼下に増山城の城下町(向かいの田んぼのあたり)が見える。

増山城

一の丸から二の丸に至る途中、通路下に石垣跡が残る。
大きな石が上に見えるが、下の段にも砂に埋もれて石があるようだった。

増山城

二の丸入口の虎口。
スタンプはここらしい。柵や門、旗はないが往時のイメージということ。

増山城

二の丸

増山城

中心付近にある神水鉢

増山城

奥のほうの鐘楼堂が一段高く、増山城では最高所といえるだろうか。

増山城

鐘楼堂からは通路になっている大きな堀切を隔てて安室屋敷と呼ばれる曲輪。

増山城

迂回して馬洗池

増山城

三の丸

増山城

安室屋敷の切岸と空堀

増山城

足軽屋敷

増山城

神保夫人入水井戸

増山城

中をのぞくと石や板は入っておらず、深さや水の有無はわからなかった。

増山城

その向かいに池ノ平等屋敷

増山城

法花坊谷(現在は道路)を隔て、支城の亀山城への登城口がある。

増山城

増山城のほうに小判清水がある。

増山城

亀山城の本丸への登城道

増山城

亀山城本丸。下草がなく広さもわかりやすい。

増山城

本丸には高坪里神社跡がある。標高は増山城鐘楼堂より少し高いようだ。

増山城

帰りに別ルートで又兵衛清水に寄る。

増山城

下山後、再度砺波市埋蔵文化財センターに寄って登城認定証をもらい、センター内を見学した。
増山城の千社札シールはここでスタンプを押したときの粗品。

高岡城跡発掘調査現地説明会

平成20年度から高岡城跡である高岡城址公園で初の本格的な発掘調査が実施されています。昨年は本丸広場内で建物の敷石遺構が発見されましたが、現地説明会は都合がつかず行けませんでした。今日は「貫土橋地区」「児童公園地区」「本丸虎口地区」「射水神社地区」の本丸4カ所の現地説明会が行われました。
高岡城跡発掘調査現地説明会
特に射水神社地区で発見された築城期の遺構は新聞報道されました。
高岡城跡発掘調査現地説明会
朝陽橋口の受付で説明会資料を受け取り、貫土橋地区に向かいます。
高岡城跡発掘調査現地説明会
開始から時間が少し経っていたので人も少なく最前列で説明を聞くことができました。
高岡城跡発掘調査現地説明会
貫土橋は緊急時に移動できる車輪がついた橋が架けられていたと考えられていますが、両岸で栗石層の上に人為的な盛土が確認されました。
さらに、この斜面では上部に整地された通路が発見され、本丸であった射水神社裏から下りる通路があったとわかりました。現在はないものの、よく見ると通路だった部分がくぼんでいる様子が今も確認できます。
高岡城跡発掘調査現地説明会
栗石層はかなり深いです。
高岡城跡発掘調査現地説明会
先の斜面の反対側のトレンチです。
高岡城跡発掘調査現地説明会
次に児童公園地区。天守台があったかもと考えられている場所です。
高岡城跡発掘調査現地説明会
説明はありませんでしたが、現在は平坦な公園面ですが、トレンチで土塁の立ち上がりを確認しています。
高岡城跡発掘調査現地説明会
次に本丸虎口地区です。現在の本丸広場へ通じる通路になっていますが、元は通路入口が土塁で塞がれていたことがわかっており、虎口がどのようにあったのは正確にはわかりません。
高岡城跡発掘調査現地説明会
広場入口部分で人為的に版築された整地層が発見されました。
高岡城跡発掘調査現地説明会
最後に射水神社地区です。神聖な社叢ですので立ち入り禁止地区ですが、本日限り公開されました。
射水神社は高岡城の本丸に建ち、本丸の半分を占めています。その社叢は本丸北限にあたり、貫土橋にまっすぐに続く場所になります。
高岡城跡発掘調査現地説明会
裏込め石を伴う二段の石積み遺構が確認され、石の配置から方形の隅部分だと思われます。
高岡城跡発掘調査現地説明会
注目は矢穴もあるこの石の「卍」の刻印です。
高岡城跡発掘調査現地説明会
様々な産地の石が使われているのも特徴です。右側に裏込が見えます。

高岡城速報展 発掘調査報告&講演会

高岡城は前田利長が築城した近世城郭ですが、長く公園として保存されてきて本格的な調査が行われてきませんでした。高岡市では平成22年度から価値向上の取り組みの一環として発掘調査など多角的な調査に着手しました。
高岡城跡
今年夏には本丸広場の初めての発掘調査を大規模に行い、御殿の礎石が多数発見され、今回その成果を踏まえて速報展が城内の高岡市立博物館で行われています。
高岡城跡
新館2階の第3展示室で行われた展示ですが、あまり広くない展示室内ではありましたが、関連する展示物と本丸発掘調査の結果について展示されていました。
現在の城内の数カ所で発掘調査が行われていて、
高岡城跡
梅苑
高岡城跡
明丸土塁
高岡城跡
本丸入口付近
高岡城跡
本丸北東部土塁
高岡城跡
本丸児童遊園
高岡城跡
朝陽橋付近、と6カ所で進行中、または予定の調査が行われていました。今日はブルーシートが被されていて、その実態は不明でした。
高岡城特別講演会
午後は市役所で特別講演会が開催されました。予約が必要でしたが、始まるまでには会場はいっぱいになっていました。
高岡城特別講演会
はじめに本丸発掘調査の成果が報告され、
続けて、高岡徹氏による「前田利長の高岡築城」、千田嘉博氏による「高岡城の歴史的価値」の講演が行われ、高岡城が価値ある城跡であるという認識が高まりました。
往時は本丸の周囲は石垣が巡っていたということで、土塁と堀のイメージのある高岡城が非常に近代的な印象に変わりました。

日宮城 富山県の城館

日宮城
日宮社の鳥居をくぐり、長い参道を歩いていくと、
日宮城
小高い丘が目の前に
この丘の一帯が神保氏の居城であった「日宮城跡」です。
日宮城
丘を囲むように麓に用水が流れています。
日宮城
上り階段のわきに看板が立てられています。
日宮城
階段は急で、下から見上げるとかなりの高さがあります。
日宮城
本堂の立つ頂上の境内地はそれほどの広さはありませんが、急峻な崖に囲まれ、攻めるのは大変です。
日宮城
本堂横の小さな祠の先に一段低い平坦地がありますが、
日宮城
まわりは大木に囲まれ、石を抱く巨木や
日宮城
枝分かれする巨木など、これだけ大木が残る境内地は珍しいですね。
日宮城
本堂入口の鳥居の両脇にも大きな木が立っています。見上げて撮っても天辺まで写りません。
日宮城
北陸道を望むこの地に神保氏は拠点を作ったということですが、大木に囲まれた本堂のまわりからは、周囲を眺めることができません。
日宮城
残念と思いながら、階段を半分ほど下りるとようやく眼下が開けます。と言っても、かなり下りてしまったので、それほど景色はよくないですね。

安田城 富山県の城館

安田城
安田城は豊臣秀吉の越中攻めのときに、白鳥城の支城として築かれました。攻められたのは佐々成政です。
安田城
この城跡は、ほ場整備をかろうじて逃れ、ほぼ完全な形で復元された平城です。見どころはなんといっても、まわりをぐるりと囲むこの大きな水掘です。
安田城
本丸跡も大きな土塁で囲まれ、土塁上に柵を立ててれば立派な砦であることが実感できます。
安田城
本丸跡の土塁の一角には展示室があり、
安田城
土塁の断面がそのまま残されています。
安田城
城跡に隣接する資料館の二階からは、城跡を少しだけ俯瞰することができます。
安田城
一階の展示室には安田城跡の発掘に関する経緯や遺物が展示されています。

高岡城と高山右近

高岡城
高岡城の大手口に、高岡城の縄張りをしたと言われている高山右近の銅像が立っています。
高岡城
キリストの十字架を手に立つ右近はキリシタン大名として有名で、摂津高槻城の城主でした。バテレン追放令により流罪となった右近を前田利長が客賓として召抱え、利長の隠居所となった高岡城の縄張りをすることになったと伝わりますが、現在では築城期間に右近は加賀藩に滞在していなかった証拠などが見つかり、この説はかなり怪しくなっています。

高岡城 石垣の巻 富山県の城館

少し間が空きましたが、高岡城の3回目、石垣の魅力について紹介しましょう。
高岡城
二の丸から本丸に渡る土橋の両側に築城期の石垣が残っています。
高岡城
これだけの高さの石垣は高岡城ではここでしか見ることができません。
高岡城
西側は堀のほうに下りて、すぐ傍で石垣を観察することができます。
高岡城
よく見ると、刻印の残る石がたくさんあることに気が付きます。すぐに10以上は見つけることができますよ。
高岡城
東側は水堀となっていて、下りて観察することはできませんが、明の丸方面から見ることができます。
高岡城
他の郭や土橋では、水堀の水面に一段ほどの石積みが見えます。これは築城期のものか、城址公園整備のものか、詳細な現況調査が待たれます。
ここでひとつ城下にある遺構を紹介します。
大手町神明社
大手口から徒歩5分のところに、大手町神明社があります。
大手町神明社
この拝殿は、加賀藩2代藩主で高岡城を築城した前田利長の御廟の鎮守堂の遺構です。鎮守堂は明治に入って、この拝殿と本殿が五福町神明社に移築されました。後方の幣殿は後世のものです。
大手町神明社
拝殿だけではなく、後方の幣殿の金具にも前田家の剣梅鉢紋を見ることができます。

富山城 富山県の城館

内堀に映る天守が絵になる富山城ですが、元々の富山城には天守はなく、戦後城址公園で開催された博覧会に合わせて建設された模擬天守です。
富山城
模擬天守は郷土博物館となっていて、富山城の歴史について学ぶことができます。数年前にリニューアルされてから、現代的な楽しい展示となりました。一見の価値ありますよ。
この博物館を眺めながら内堀を渡る橋が、二の丸から本丸に入る大手口となります。
富山城
橋を渡ると、そこは石垣虎口となっており、右に2石、左に1石、前に2石の計5石の鏡石が配されています。この5石は陰陽道の五芒星を意味するとも言われています。
富山城
その石垣を進んで、右に折れたところに鉄御門がありました。
富山城
現在、藩政期の富山城の建造物遺構として残るのは、唯一この千歳御殿の門です。戦後民間に払い下げられていたが、平成19年度に寄贈・移築されました。
富山城
千歳御殿は10代藩主利保の隠居所として、現在の歓楽街である桜木町あたりに建てられ、移築された門は御殿の正門でした。北向きに建てられた門は晴天下では陰になって絵になりません。
富山城
本丸への搦手口を入ると、佐藤記念美術館があります。
富山城
その前には今年日本庭園が整備されました。
富山城
整備前の発掘調査でここから戦国時代の素堀の井戸が発見されました。現在は埋め立てられ、位置だけわかるようになっていました。
この発見により、今まで神保氏や佐々氏の居城した中世富山城がここにあったことが初めて考古学的に証明されました。
富山市埋蔵文化財センター 富山城研究コーナー

高岡城 井戸の巻 富山県の城館

今日は高岡城址に残る2つの井戸についてです。
高岡城
こちらは本丸の隅にひっそりと残っている本丸井戸です。なにげなくぶらり散歩していると、つい見逃してしまうような場所にあるので今までその存在も知りませんでした。
高岡城
高岡城
そして、三の丸にある民部之井戸です。こちらは目立つ部分にある井戸で、上屋がかかるほど重要な井戸だったようです。
高岡城
高岡城に滝があることを知っている人はどれだけいるでしょうか?
高岡城
城に滝?と思う人もいると思いますが、本丸にある射水神社の外周部、堀沿いにある道を歩くと、途中に石橋があります。この左手に・・・
高岡城
「古城の滝」があります。この滝は藩政期のものではなく、高岡古城公園の整備と同時に新造されたものです。
高岡城
その傍には太平洋戦争で掘られた防空壕の跡を見る事ができます。城に歴史あり、ですね。

高岡城 堀の巻 富山県の城館

しばらく土曜日に行ってきた高岡城を紹介します。
高岡城
高岡古城公園の石碑は大きなものが、ここ元竹薮側と三の丸搦手口の2箇所にあります。
高岡城
内堀にかかる「朝陽橋」です。藩政期はここに橋はありませんでした。この橋がなければ本丸に行くのにぐるりと回らなければいけませんが、ここを渡れば本丸に直行できます。公園整備の上では必須だったのでしょう。
高岡城
この橋から眺める堀の景色はいいものです。
高岡城
藩政期の堀がほぼそのまま残っている高岡城は、日本100名城にも選ばれていますが、古城公園整備の計画にはこの三の丸を囲む堀だけは埋めたてられる予定になっていた時期もありました。
高岡城
しかし、広い水堀の残っている城址はまさに水鳥の楽園です。
高岡城
高岡城
さまざまな水鳥がいつ来てもたくさんいます。
高岡城
堀に向けて一眼レフを向けている人がいたので、自分も覗いていると、被写体はカワセミでした。実物を見たのは初めてです。
高岡城
亀もたくさんいて、甲羅干しをしている亀も何匹かいましたが、死んだ鯉をつついている3匹の亀がなんとも微笑ましい光景でした。両側からつつけばいいのに、同じ方向からつついているので、鯉は流されてしまって、それを追いかけながら一所懸命つついている亀には、もう少し利口になれば?と思わずにはいられませんでした。