姫路へ向かう途中で、昨年春オープンしたばかりの若狭国吉城歴史資料館に寄りました。
佐柿町奉行所跡に建設された資料館の入館料は100円!安いですね。
ここでは国吉城を中心に佐柿町の歴史を学ぶことができます。国吉城の立体模型もありますよ。
資料館は夏休みとはいえ、平日の午前なので観光客は自分たちだけでしたのでゆっくりと見学できました。
資料館を見て帰ろうと思っていると、受付で今日は本丸近くで発掘調査が行われているとのこと・・・
登るつもりはありませんでしたが、調査中と言われれば登らないわけにはいきません!!
ということで登り始めますが、寝不足気味もありバテバテです。6分ほど登ったところで佐柿の町並みが見えました。
さらに登ると、本丸下段の堀切のところへやってきました。
今回の発掘調査はこの堀切のようです。
堀切の両側に石垣が出ています。
かなり立派な石積みですね。中世の山城でも堀切のみ石垣をもったものは見たことないですが、もしかすると郭をぐるりと石垣が巻いていたのかもしれませんね。破却されてここだけ残ったのであればわからないこともないな。
すぐ上の本丸へ向かいます。本丸の入口は虎口のようになっているようですが、手前に「石垣」の看板があるけど、どこ???
と思っていたら、側面の急な崖の部分に一部石積みが残っていました。自然石を積んだ形式は堀切の石積みと同じ形式です。
本丸から見た佐柿の町並みです。
本丸はけっこう広いです。
中央付近に「国吉城」と書かれた小さな石碑と案内板があります。
本丸奥には一段高くなった土塁が残っています。その下に堀切が残っているようですが確認できませんでした。
戻ってくると休憩が終わって、発掘作業が始まっていました。
下りてくる途中に伝二の丸跡があります。資料館前の案内板では出丸跡となっていました。
一段低い平坦地へ下りてみると、ここには土塁と門跡が残っていました。
反対側の郭から見ると、この門跡はまっすぐには進めない巧妙な仕組みになっていることがよくわかります。
麓には館跡があります。前回の訪問時はこの館跡の発掘調査が行われていました。館跡のまわりは石組み水路が見つかっています。
国吉城はこの麓の館と山頂に築かれた山城という、中世の典型的な平時の館と詰めの城形式です。
資料館に戻ってきました。奉行所の石垣も復元されています。
整備された駐車場には「国吉城址」の立派な石碑が新設されていました。本丸へ登らない方はこの石碑の前で記念撮影するのでしょうね。
カテゴリー: 攻城記
村岡山城 福井県の城館
何年かぶりに福井県勝山にある村岡山に登ってきました。
前に一度訪れたとき、どこから上ったのか記憶になかったので、とりあえず山を登るような道を進むことにして、村岡神社の本堂の脇の道を進むことにしましたが、けもの道はあるものの、夏場であるので草が非常に大きく育っていました。
前は石仏のある道を進んだ覚えはあったのですが、そこまで長い道のりがあったかもしれない・・・
と思いながら、草道を進むこと20分
ようやく見覚えのある石仏の道に到達しました。
今来た道はこんな感じで前回とは違う回り道を進んでしまったようです。
頂上への道には菩薩像の石仏が非常に多く立てられています。
最初は一向一揆戦乱の舞台となった山城を鎮魂するために、子孫たちにより立てられたものかと思っていました。下りた後わかったことですが、この菩薩像は四国八十八霊場めぐりを映した霊場を再現したものです。
途中の道は急で足場も悪く、雨で濡れた日は滑ってとても危険です。
登りはじめて40分ほどでようやく頂上に到達しました。
一段高い本郭の入り口には掘にかかる土橋を当時のまま見る事ができます。
本郭には南側に物見台、北側に土塁など土の高まりをはっきりと確認できます。
本郭から眼下を見下ろすと、福井県恐竜博物館が見えます。
本郭の北側から東側、南側とぐるりと掘がめぐっています。
本郭の北側には、手前に郭1、奥に郭2の2つの平地を確認できます。
郭1から郭3への入り口両側には土塁が残り、
郭3に入って、郭4へ至る入り口は虎口がきれいに残っています。
郭4と郭1の間の土塁、その土塁の郭4側に掘が掘られています。
その郭4から北側の斜面を見下ろすと・・・・
畝状たて堀が残っています。ちょうど草刈が終わったところだったのか、4つの畝がはっきりと確認できました。
畝の間に入るとこんな感じですが、攻める側は畝の間を進むことになり、隣の畝へ移動することや、連絡を取ることを困難にします。
一向一揆が立てこもった村岡山に、敵対していた平泉寺の僧兵が攻めて、反撃されて撃退されたのもこの畝状たて堀が活躍したのかもしれませんね。
この出来事のあと、村岡山は勝山と呼ばれ、今の勝山市の元となりました。
本郭の東側に二の郭があり、南側に一段高い物見台が残っています。
二の郭の南側に大きく段を下げながら、4つの郭(郭5~郭8)とそれぞれの間に、堀切が残っています。
こちらはあまりに草深いので郭6より先は進むのを断念しました。
帰りは霊場の道を戻ってきました。途中草も生えない歩きやすい道が一部あります。
神社に戻ってくると、間違いにようやく気付きました。
神社の泉の道(中央の道)を行きは進んだのですが、こちらは遠回り、近道は石段の先(右側の道)ということです。旧ですが、こちらが近道です。
神社の入り口には「村岡城址」の看板が・・・ そう言えば、前はここから登ったんだった。
鳥居の脇には看板も立てられています。村岡小学校の裏という記憶しかなかったのですが、登るときは村岡神社をめざしましょう!
小松城 石川県の城館
小松城は加賀藩3代藩主前田利常が隠居城として、一国一城令の例外として整備された城です。
沼地の島を曲輪として利用し、梯川を外堀とした堅牢な城でしたが、近年は埋め立てが進み、沼地であったことを想像することもできません。
平成2年に小松市制50周年を記念して12本の石碑が立てられています。その中のいくつかを紹介しましょう。
ここは小松市役所前の芦城公園です。「三の丸跡」に整備されました。春には公園内いっぱいに桜が咲いて人で賑わいます。
隣りの小松商業高校の前には「二の丸跡」の石碑が立っています。商業高校と小松高校の校舎がほぼ曲輪の大きさです。
小松高校テニスコートの脇に本丸の天守台がひっそりと残っています。
テニスコートが本丸御殿跡、小松高校の校庭が本丸跡になります。
天守台の西側に唯一の掘沿いの石垣の遺構が残っています。
鰻橋跡の石碑から家の方向に、琵琶島から二の丸への橋(鰻橋)が架かっていました。ここにあった門の遺構が園町の来生寺に残っています。
この石碑から徒歩20分ほどですので、見逃さないように。
その来生寺へ行く途中に葭島神社があります。
この本堂は本丸御殿の一部が移築されたものと言われており、天井に天井画が残っています。
梯川の対岸には藩政期に天満宮が創建され、今も同じ地に残されています。繁殖中なのかカラスが着いてきて恐い思いをしました。
堺南砲台場 大阪府の城館
南海堺駅の西にある大浜公園にきました。
ここには、幕末に砲台が多数設置され、沿岸の防衛にあたっていました。
公園の一角には当時の石積みの一部が残されています。
菖蒲園が整備され、景色の一部となっている石積みですが、
台場跡の東側にあたる部分であり、他は開発を受けて残っていないようです。
堺「南」砲台場というくらいなので、堺「北」砲台場もあったのですが、
現在は、工場が立ち並ぶ地域として開発を受けており、全く痕跡が残っていないようですが、観光客は近くの旧堺灯台は見に行っても、堺南砲台場跡は見に来る人がほとんどいないようなのが残念です。
国見城 大阪府の城館
あいにくの雨でしたが、大阪府堺市の国見城跡へやってきました。
って、ここは「仁徳天皇陵」じゃないか?と思われたかもしれませんが、ここは戦国時代、讃岐・摂津を拠点とした三好氏により城跡として使用されたことがある、れっきとした城なのです。
30代以上の方は学校で「仁徳天皇陵」と習ったと思いますが、今は「大仙陵古墳」というのが正式名のようですね。
5世紀中期の築造と考えられている仁徳天皇陵は、全長約486メートルの日本一巨大な古墳です。
天然の城郭となった訳は・・・
この古墳のまわりを囲んでいる大きな水掘です。
現在は宮内庁の管轄で、一番外側の掘より中には入ることはできませんが、
三重にめぐらされた堀はそれぞれに幅が広く、
鉄壁の平山城の備えですね。本当に大きい、平地の堺市内からは山のように見えます。
星崎城 愛知県の城館
電車の写真・・・
ではありますが、奥に見える一段高い台地上に「星崎城」があったと伝えられています。
現在、城跡は「笠寺小学校」の敷地となっています。
校庭などもあり、かなり広い平坦地がもともとあったと推定されます。
が、遺構らしきものは地形以外は何もないですね。
丹下砦 愛知県の城館
鳴海城の北側に位置した砦が丹下砦です。
しかしながら、丹下砦は実際にどこにあったかわかりません。開発が進んだため発掘調査がままならない状況もありますが、遺跡分布図の推定値がこの辺りです。
駐車場から西側をのぞむと平野が広がっています。
下から同じ場所を見上げると、こんなに落差があります。
奥に見える台地のどこかに丹下砦があったのでしょうね。
善照寺砦 愛知県の城館
鳴海城を東に、台地を上っていき、ひときわ高くなっている場所まで来ると、ここが「善照寺砦」跡です。
現在は「砦公園」となっていますが、周辺道路からの高低差もかなりあります。
山頂の公園はそう広くはないですが、
ここからは大高や桶狭間の方角がよく見えたことでしょう。
鳴海城 愛知県の城館
名鉄鳴海駅を北側にしばらく行くと、鳴海城跡があります。
成海神社の境内に「史跡 鳴海城址」の石碑がありますが、
境内は城跡の西端あたりになります。
境内から駅方向に向けてなだらかに傾斜しています。
道路を渡って、東方向に歩くと、
「鳴海城跡公園」がありますが、公園整備のため、遺構らしきものはありません。
が、公園から眼下をのぞむと、ここが山上にあることがよくわかります。鳴海城跡は数回にわたり発掘調査がされており、ちょうどこの公園のまわりの道路などで行われているのですが、道路の下に堀跡などが見つかっています。
中島砦 愛知県の城館
名鉄鳴海駅の北側に流れる川沿いに東に歩いていくと、2本の川が合流する中洲地帯が見えてきます。
ここに中島砦がありました。観光用地図の中島砦は遺跡分布図とは違う場所が示されていますが、後で調べると、私有地に石碑を立てた方がおられるようで、この石碑を見逃してしまいました。
遺跡地図上は中洲の北側となっています。
ちょうどこの住宅街の辺りとなるのですが、開発が進んだ今となっては何も痕跡らしいものはありません。
住宅街を用水が流れていますが、これが砦跡を利用したものなのか?近代に掘削されたものなのか?どうもわかりません。
丸根砦 愛知県の城館
鷲巣砦から丸根砦に向いましたが、間に大高台地が横たわっていて迷ってしまいました。
ようやく辿り着いた入り口も、観光道としてはどうも裏口だったようです。
入るとすぐに案内板があります。本丸となった山の山頂部とまわりを囲む外掘が残っているようです。
案内板の近くの外掘跡は外側に土塁が残りますが、
少し進むと、外側の土塁はなくなります。今は通路のようになっていますが、ここが外堀だと・・・思います。
急な斜面を階段を上ると、山頂はそれほど広くはありません。桶狭間の戦いの慰霊碑が地元町内会によって立てられていました。
一段下りた森の中に「史跡 丸根砦址」の石碑が立てられています。
反対側の階段を下りていくと、入り口に看板が立っています。といってもこちらもわかりにくい場所ですね。ここまで大通りからどうやって到達するのでしょう?
しかしながら、荒れているわけではないので地元の方に大事に守られている砦跡だと思いました。
奥に見える森が丸根砦です。
鷲津砦 愛知県の城館
JR大高駅から程ないところに鷲津砦跡があります。
砦跡は現在「鷲津砦公園」となっていますが、土曜日にもかかわらず人はまったくいません。といっても、小さな公園です。
大半は森となっているようですが、一帯の山腹は住宅街になっているところもあります。
砦跡を通る通路は一本ですので、迷うことはありません。
少し上って平坦部に出ると、忠魂碑とその横に「史跡 鷲津砦址」の石碑が立てられています。
石碑を過ぎてすぐに住宅街に隣接した公園に出てきます。
遊具のある公園の一角に「鷲津砦跡」案内板が立てられています。
これを見ると、実際の史跡範囲は意外に狭いものですね。
この鷲津砦跡からは木々が遮って大高城のほうを見渡すことはできません。残念。
大高城 愛知県の城館
大高城下には今も寺院が多く残り、風情が感じられます。
と・・・肝心の大高城への入り口を過ぎて奥に行ってしまいました。
家の間を抜けると、小高い丘が眼前に広がります。
入り口に石碑と、反対側に
案内板が立てられています。
地図でみると、大高城のまわりはぐるりと住宅街が取り囲んでいます。
本丸からは鷲巣砦の方角に森がなんとか見えます。
本丸は広いです。親子がキャッチボールを楽しんでいました。
そんな本丸の柵の外は急な斜面となっています。
本丸と二の丸の間には内堀がよく残っているため、土橋も良好に残ります。
土橋を抜けると、二の丸です。
本丸と二の丸の間の内堀は広く、深いものでした。
斜面も急で、ここを上るのは大変です。
遠く、鷲巣砦や丸根砦も望めますし、内堀はぜひ下から眺めて欲しいですね。
少し離れたところを大高川が流れます。水量はそれほど多くありません。この川を挟んで、大高城と鷲巣砦、丸根砦が向かい合っています。さあ、鷲巣砦へ!
名古屋城 東馬出石垣修復工事
雨模様ですが、なかなか来ることはできませんので、内堀のまわりを歩きました。
すると、東馬出の石垣がいよいよ積み直されていました。
裏込めの石がたくさん見えます。
ここは石垣がはらんで崩れる可能性があるため、随分前より立入禁止になっています。
修復を終えて入れるのが楽しみですね。
雨でずぶ濡れになりましたが、雨の日でも良いことがあります。
それが、この石垣の刻印などが見やすいことです。光がなく、石がぬれて文字や模様が浮き出てくるのです。
今年は名古屋城築城400年の記念すべき年。
「はち丸」くんも出動して盛り上がっていますよ。
日宮城 富山県の城館
日宮社の鳥居をくぐり、長い参道を歩いていくと、
小高い丘が目の前に
この丘の一帯が神保氏の居城であった「日宮城跡」です。
丘を囲むように麓に用水が流れています。
上り階段のわきに看板が立てられています。
階段は急で、下から見上げるとかなりの高さがあります。
本堂の立つ頂上の境内地はそれほどの広さはありませんが、急峻な崖に囲まれ、攻めるのは大変です。
本堂横の小さな祠の先に一段低い平坦地がありますが、
まわりは大木に囲まれ、石を抱く巨木や
枝分かれする巨木など、これだけ大木が残る境内地は珍しいですね。
本堂入口の鳥居の両脇にも大きな木が立っています。見上げて撮っても天辺まで写りません。
北陸道を望むこの地に神保氏は拠点を作ったということですが、大木に囲まれた本堂のまわりからは、周囲を眺めることができません。
残念と思いながら、階段を半分ほど下りるとようやく眼下が開けます。と言っても、かなり下りてしまったので、それほど景色はよくないですね。
安田城 富山県の城館
安田城は豊臣秀吉の越中攻めのときに、白鳥城の支城として築かれました。攻められたのは佐々成政です。
この城跡は、ほ場整備をかろうじて逃れ、ほぼ完全な形で復元された平城です。見どころはなんといっても、まわりをぐるりと囲むこの大きな水掘です。
本丸跡も大きな土塁で囲まれ、土塁上に柵を立ててれば立派な砦であることが実感できます。
本丸跡の土塁の一角には展示室があり、
土塁の断面がそのまま残されています。
城跡に隣接する資料館の二階からは、城跡を少しだけ俯瞰することができます。
一階の展示室には安田城跡の発掘に関する経緯や遺物が展示されています。
一乗谷朝倉義景館 福井県の城館
雪の季節にここ福井県一乗谷にやってくるのは初めてです。ちょうど週末まで天候も悪かったですので、雪景色を期待していましたが、まさに絶好の散策日和でした。
帰って来て確認したら、雪の照り返しで写真がかなり飛んでしまっていました。
こういう景色を期待して長靴持参で行きましたので、早速履き替えて散策です。他の観光客は靴で難儀していましたよ。
どうです、一面の雪景色に浮かぶ朝倉義景館跡と、
一乗谷朝倉氏遺跡のシンボルの「唐門」です。
それでは雪が残る一乗谷朝倉遺跡をご覧下さい。
雪景色の金沢城へ 石川県の城館
昨日は市内へ出かける用事もありましたので、金沢城へ。
最近は北陸も雪が少なくなりました・・・と言っても、今年は時々豪雪になるのですが、やはりあっという間に消えてしまいますので、出かけるタイミングで屋根に雪が残っていたり、こんなに一面雪景色の金沢城には地元でも滅多に会えるものではないですね。
そういう意味で貴重な機会ですので、ゆっくり散策です。散策路が整備されてきた城内も大雪で一部は通行止めになっていました。そのくらい一気の豪雪だったのですね。
建造物の屋根雪もいいですが、石垣にうっすらと残る雪が旅情を誘います。何度も来ていますが、今日の景色は特別ですね。
とはいっても、雪の中の散策は体力使います。絶景を求めて歩き回りましたよ。
石川門も雪が積もると風情が増しますね。
今日は午後から内部公開日だったのですが、残念ながら時間が合いませんでした。準備を始めた石川門で石落としを開けた珍しい写真を外側から撮ることができました。
辰巳櫓もいい風情です。昨日の地元新聞では、この辰巳櫓から水の手門までの県道沿い(兼六園側、写真では右側)の松の木などを間伐して石垣をもっと見えるように新年度整備されるようです。これもぐるりと城外を一周する石垣見学コース整備の一環です。
昨日の夜はちょうど恒例となった冬のライトアップ日でした。冬のライトアップでもここ数年は雪がなかったですから、三年ぶりぐらいの雪景色でしょうか?と言っても、これだけの大雪の中のライトアップは初めてかもしれません。
雪景色の金沢城のライトアップは感動モノでした。あまりの寒さに人はまばらでしたが・・・
天神山陣地 愛知県の城館
医王寺の西側に天神山陣地への搦手口があります。
とその前に、地元の伝承である山県三郎兵衛昌景の息継ぎの井戸がありますのでお見逃しなく!
さて、山道を進むと、平坦部に出てきます。
この辺りが陣地跡でしょうか?しかし、立て看板は眼下の岩代陣地、有海村陣地、篠場野陣地の説明です。
見晴らしはよいですが、肝心の陣地跡はいずこ?
さらに進むと、神社裏にやってきました。この平坦部には虎口跡?にも見える掘削部が見られるのですが、はっきりしたことはわかりません。
荏柄天神の裏山であることは間違いないとは思いますが・・・
本殿裏の山とはかなりの落差があります。
麓の一段上には結構立派な的場がありました。曲輪跡にも見えないことはないですね。
医王寺山陣地 武田勝頼本陣 愛知県の城館
長篠城址の北に医王寺があります。その背後の山に長篠合戦のとき、武田勝頼の本陣の陣地がありました。
医王寺にはその碑が建てられています。
医王寺の東側に大手道があり、そこから上って搦手道を下りて来るように散策コースが作られています。
さあ!行きましょう。
けもの道幅の遊歩道を歩いていくと、15分ほどで山頂の平坦地に出ます。
ここに展望台が・・・
あれ?壊れていて上れないようです。残念・・・
展望台に上らないと木でよく見えませんが、長篠城までの見通しの良い場所ではあるようです。
山頂の案内板には、現在地の「本曲輪」の東に「東曲輪」、西に「西曲輪」があると描かれています。
東曲輪はよくわかりませんでしたが、西曲輪に至る道には堀切が認められ、
また西曲輪の平坦部もわかりやすいです。
大通寺山陣地よりは時間もかからず、散歩にはちょうどよい感じです。