全国的な大雨が続いていますが、今日は起きてみれば快晴?早めに出かける用意をして、諦めていた山城登りへ
「温泉公園」と「城址公園」の看板を見つけて曲がりました。
500mと書かれていたけど、次の案内がなかったのでどんどん奥へ登っていったら、こんなに高い場所に来てしまいました。間違えたー!
戻って、温泉公園駐車場へ。案内板を見つけました!
そうか!あの正面の山が城址公園なのか。
細い道を恐る恐る入っていくと、見つけましたよ!入口
消えかかった案内標。上信越道路の工事によって、ここまでの経路が変更されたのかもしれません。
さらに、1車線の道路を登っていくと、ようやく中腹の駐車場に着きました。
替佐城は上杉軍の飯山城と対峙するために築城された武田軍の山城です。
山城には満開の八重桜が・・・
昨日までの雨で足元がゆかるんでいる場所もあります。というより、地面からしみ出してきているようです。
道は「一の郭」と「二の郭」の間の堀切に繋がってました。それにしても深い堀切だ。
「一の郭」に上がると、広いし見通しもいいですね。日当たりもよく、城址公園としていい場所です。
他の山城では杉で視界が遮られているところも多い中で、針葉樹がほとんどない山城は貴重です。
「二の郭」も全体が臨めます。
「二の郭」の先端からも景色がいいです。千曲川を挟んで小高い山々が連なります。
ふと足元を見ると、イノシシの掘り返した跡が・・・
さらに進むと、「三の郭」へ。近年は手入れされていないようで、まさに忘れ去られた公園のようです。
「三の郭」からしばらく下りてくると、両側を土塁?(一段高いだけ)に挟まれた水堀に到着。山の中に水堀、一見ミスマッチながら大雨で表面からしみ出してくる水を見ると、ここは地下水が豊富なようで、ここに水が溜まっているようです。
最も低い郭?は「風呂屋古墳」と呼ばれている場所です。
横は上信越道路、こちらのほうがまだ少し高いくらいです。なかなか見学しやすい山城です。すでにこの時期は草が生えて、竪堀などが判別しにくいのがちょっと難点か。でも、上からの眺望をぜひ体験してみてください。
カテゴリー: 攻城記
安源寺館 長野県の城館
全国的に雨模様。朝止んでいたので近所の館跡へ。
中野市「安源寺」の交差点。
すぐ近くに小内八幡神社があります。
現在も大きな榎に挟まれた神社への参詣道が残っています。ここは善光寺から草津(温泉で有名だよね)までの間の草津道の一部です。この辺りはまわりに比べて一段高くなった丘の尾根筋にあたります。
北側は急坂となっていて、畑や住宅地が広がっていますが、中央あたりが地名の由来となっている「安源寺跡」、左手の住宅地あたりが「安源寺館跡」、右手の山上に「安源寺城跡」となっています。
住宅地の中の「安源寺館跡」と推定されている地域にいってきました。深い用水がありましたが、館跡と関係があるのか不明です。
道祖神の横に
「安源寺の釣鐘井戸」。どういう由来の井戸なのか、調べてもよく分かりませんでしたが、安源寺館に関係あるものなのか?
やはり平地の館跡は痕跡を探すのが難しいということで、いずれこちらの山城跡(安源寺城)へ登ってみたいです。
飯山城 長野県の城館
今週一週間は長野県の出張です。明日から荒天のようなので、早朝急ぎ途中の飯山に寄ってみました。2度目の訪問です。慌ててカメラを手にしてきたら、ひとつ古いカメラを持ってきてしまいました。
移築された飯山関連の山門です。明治の廃城ですべての門は売却されたようですが、この門は他所に残る飯山城の門と同質の木材が使用されているそうです。
売却後に大きく改造されたそうで、原形とは大きく変わっているそうですが、立派な木造建築は飯山城では唯一のものですのでシンボルとして貴重です。
前と後ろで窓の数が違います。
春の遅い飯山の桜はまだ少し残っていました。
弓道場を建てるときに見つかった南中門の礎石が、弓道場前に復元されています。
本丸跡は葵神社の境内地となっています。
本丸から二の丸への通路は枡形虎口となっています。飯山城の見どころですね。
広い芝生公園となっている二の丸です。そのため、本丸の石垣が一望できて良いですね。
二の丸から見下ろすと千曲川が流れています。
二の丸からさらに一段低いときに三の丸の花壇が広がります。
ここ飯山は「長野県スキー発祥の地」だそうです。日本発祥の地はどこ?
桜の一乗谷へ 福井県の城館
春(を少し過ぎた)一乗谷へ。
入口にして一乗谷最大の見所とも言える下城戸です。
この巨石を積み上げた虎口が往時の城下町口を彷彿とさせるのですが、他の観光客にはあまり人気がないようですね。
ここに春が残っていました。
復元建物横の駐車場に着くと、夕方の時間帯でしたが県外車がたくさん停っていました。やはり福井では人気の観光地です。
さすがに館入口の桜は終わっています・・・
館跡の山裾がいつの大雨からだったか以降ずっとシートが掛けられているのだけど、いつ外れるのだろう。
ここも桜が残っていて絵になりますね。
2年前だったでしょうか、発掘調査説明会に参加した金工業者が住んだ地域も整備が終わりました。
「米津」という名称に決まったのですね。
一乗谷川沿いに桜が植樹されています。向こうに見えるのは土塁の残る上城戸です。小さな写真ではわかりにくいですね。
夕暮れまで目一杯楽しみ、遅い春に思わず出会った一乗谷でした。
小諸城 長野県の城館
小諸城に行くために大手門前駐車場に車を停めて散策です。懐古園駐車場よりこちらのほうが滞在時間を考えると安く済みます。
早速、隣りの大手門公園から見学です。桜も目的のひとつです。
小諸城は城域を線路で分断された城のひとつで、大手門と三の門のあいだにしなの鉄道が走ります。
大手門の二階は展示場になっていますが、10時から15時までとなっていて今回は残念ながら中の見学はできませんでした。
線路をくぐり三の門に出てきました。小諸城は風林火山放映時以来です。前回は隣りのホテルに宿泊したこともあり、夕方と早朝に見ましたが、ゴールデンウィーク初日としては観光客は少ないです。
三の門をくぐると懐古園入口の前に懐古館が建っていて、ここで日本100名城のスタンプを押せます。受付で販売されている「小諸城全図」(300円)もいいですよ。前回来たときはもうひとつ何か販売されていたような気がしますが・・・
懐古園に入ると、右側に高く二の丸を囲む石垣が並んでいますが、これは昭和50年代に復元された石垣です。
二の丸横から本丸へ至る虎口はカギ爪のように屈曲しています。
黒門跡の前に架かる黒門橋です。紅葉谷とも欄干に書かれていますが、
橋の架かる谷筋は本当に深い。
本丸隅に天守台が残っています。
天守台の斜め前に武器庫が復元されています。これは幕末の藩主牧野家時代のものです。
武器庫の横から地獄谷に架かる酔月橋を渡って、郷土博物館へ行けますが、前回訪れた郷土博物館は休館になってしまっていました。残念。
地獄谷というだけあって、紅葉谷よりさらに深い。落ちたらタダでは済みそうにありませんが、鉄製の橋でよかった。これが木製のつり橋だったり、強風が吹いていたら渡る勇気がないですね。
本丸は懐古神社となっています。
拝殿の前に、山本勘助が所持していたと伝わる鏡石が光っています。
天守台には何にもありませんが、
ここから見える本丸石垣と馬場の桜がきれいです。ちょっと遅かったけど。
馬場の一角に満開の小諸八重枝垂桜が一本ありました。濃い桃色が青空に映えます。
夕暮れの太陽を背にした枝垂桜もいいですよ。
夕方に来たのは桜のライトアップを見たかったのですが、桜も終わりかけ、さらにライトアップは中止ということで今回は諦めました。
龍岡城 長野県の城館
田口峠を守る龍岡の地にやって来ました。直前の橋が工事中で遠回りさせられましたが、なんとか到着しました。
龍岡城は大給松平家により幕末の緊迫状態のなかで三年間で築上されました。
その最大の特徴は日本で2例しか存在しない西洋稜堡式の城郭だということです。もうひとつは函館の五稜郭。龍岡城が「もうひとつの五稜郭」とも言われています。
現在は内堀の5分の3、土塁の3分の2が残っていて、ぐるりと一周しても30分かからない小さな城ですが、小諸から田口峠を越える街道を押さえていました。
なぜこの時期に来たのか?それは山奥の龍岡は今が桜の見頃だからです。
土塁は地元の子どもたちの木ソリの格好の遊び場となっていました。楽しそうです。
少し曇ってきたのが残念です。
水堀がなくなった部分も土塁側の石垣はすべて残っているのがすばらしい。
水堀のなくなった堀石垣は間近で見ることができるのが良いです。水堀を渡ってくる敵を容易に上陸させないための跳ね出し(武者返し)もよくわかります。
現在の城内は小学校となっていますが、畑や住宅に囲まれた静かな場所です。
堀に映る桜も美しい。ライトアップはされていないようですが、ライトアップすればとてもきれいでしょうね。
よく見ると、水堀の残る石垣は一部が崩落しているようです。これ以上壊れないように修復してほしいです。
大給松平家は「陣屋格」であったので天守など城は許さない身分でしたが、陣屋や屋敷は建てられていましたが、廃城により現在は小学校校舎としても使用された台所のみが残っています。元の位置には小学校校舎が建てられているので、位置は往時とはずれた場所になります。
この太い梁柱が印象的な建物です。常時公開している建物ではないそうですが、花見シーズンで運良く入ることができました。ラッキー!
帰りは反対方向に行きましたが、途中何か石垣が見えてきました。
北の街道沿いを守る龍岡城の桝形でした。交通止めで運良く通りましたが、道路沿いのこの小さな施設が残されていることに感動しました。地元で大事にされてきたのですね。
龍岡城に行ったときは五稜郭だけでなく、枡形もお見逃しなく!
上田城 長野県の城館
風林火山以来の上田市です。
上田駅前の真田幸村像です。上田に来たらまずこれを見ないと!
市役所前通りには大手門跡が大手門公園として偲べます。
道路の形もだいぶ変わってしまっているようですが。
二の丸橋の入口に「上田城址」石碑が立てられています。
今回は二の丸の市民会館駐車場に停めましたが、もうひとつ南側に上田城跡駐車場があります。
上田城の南側は絶壁となっていて天然の要害と言えます。
西櫓横から上ることもできますが、この急坂の前で地元の犬の散歩をしていた方が上ろうとしたら、犬が嫌がって全く動こうとしない光景を見てとても面白かったです。
犬も厭う急坂かな
本丸跡は
その大部分が芝生公園となっています。
北東櫓台は鬼門方角であり、
内堀の角が鬼門除けとして切り込んであります。
本丸の一部は真田神社となっています。
神社奥には真田井戸が残っています。
北櫓と桜、似合いますね。
北櫓と南櫓、それをつなぐ東虎口櫓門は入場することができます。北櫓から入ります。
模型を置いてありますので、立体的によく理解することができます。
城門は平成六年に復元されたものですが、まだまだ新しいです。
上田城は確かに真田氏の居城でしたが、幸村が城主になったことはなく、それでも幸村が観光客に人気があるためか前面に出るのは仕方がないところですね。戦国BASARAの影響も大きいのでしょう。
上田藩主屋敷 長野県の城館
現在、上田高校の敷地となっている場所は上田藩主屋敷として館があったところです。
上田駅から屋敷跡へ向かう途中に現代地図に藩政期地図を重ねた案内図がありました。こういうのが町の隅にあるのはとてもいい!ですね。
中は高校なので当然入れませんが、内堀の一部が残っていてそれだけでも楽しめます。
門が残っています。
これはどの藩主の家紋ですかね?
石碑がないのかなーと思っていたら、来た方向とは反対に立っていました。
こんな歴史ある高校に通うのは羨ましいです。
堀は門の前の直線部と北部分に曲がって一部が残っています。
今日は天気も良かったので、亀たちも甲羅干しで気持よさそうでしたよ。
荒砥城 長野県の城館
前日に戸倉山田温泉に泊まりました。
今日は晴天です。背後の山に戸倉山田温泉の案内板が立っていますが、右端に物見櫓が見えますか?
9時の開園に向かうように斜度のきつい坂道を登ってきました。軽だと時速30キロがやっとの急坂です。
荒砥城に着きました。ここは村上氏の一族、山田氏の山城です。
合わせるようにもう1組のカップルが入って行きました。
ソメイヨシノ桜は終わってしまいましたが、ちょうどスイレンが咲いていました。
これは八重桜?でしょうか
二の門に到着しました。
二の郭の入口に物見櫓があります。
建物が復元されて往時を偲ぶことができます。
櫓上からは上田方面がよくみえます。左手の山は村上義清の主城であった葛尾城です。
本郭に入りましょう。
本郭入口にも二の郭と同様の門が配置されています。
本郭からは千曲方面がこれまたよく見えます。
本郭には下から見えないように低い建物が立てられ、左が当主の館、右が兵舎となります。
当主の館の内部には一段高い段が設けられています。
一段高い本郭から二の郭はよく見通せません。

高梨氏館の桜 長野県の城館
真冬に一度訪れた中野市の高梨氏館跡です。
今年の春は遅れていますが、こちらでは正面入口横の桜が満開になりました。
他の桜は葉桜または半分近く散ってしまっていますが、この桜は遅れて満開、時折花びらがハラハラと散ってきます。
館内側から見ると本当にきれいですね。
前回は雪に埋れていた庭園跡も見えるようになりました。大きな枯山水の庭園です。
館内の桜並木は散って桜のじゅうたんになっています。
小谷城・大嶽城 滋賀県の城館
先月の続いて小谷城に登ってきました。前回は時間がなく、南側の峰を本丸までしか行けませんでしたが・・・
今日は9時に小谷に乗り込んで、まだ一度も登ったことのない北峰から登ることにします。
麓の清水神社鳥居から登ります。
5分ほど登るとお社に出ました。舗装はここまで、この先は山道です。
山城らしい道を進むと、20分ほどでようやく山崎丸に出ました。
土塁や空堀など良好に残っています。写真ではあまりお伝えできないのが残念です。山城の楽しさを知った身には楽しくてしょうがない場所ですね。20分ほど歩きまわっていました。
まだまだ峰の序の口だけど、ここでもかなりの高さで、いい眺めです。
さらに登って20分ほどでしょうか。第2の砦、福寿丸に到着です。先の山崎丸もそうですが、この砦は浅井氏により築城されたものではなく、応援に来た朝倉氏により築城されたものです。ここで今日2組目の2人組とすれ違いました。しかし、その2人組は案内板を少し眺めただけで下の方に降りていきました。
しかし、福寿丸の魅力はこの案内板の奥です。勿体無いことを!
山崎丸以上の深い空堀や高い土塁がめぐっています。ここでも時間を忘れて数十分歩きまわっていました。
山崎丸より高所の福寿丸では、山本山城や賤ヶ岳の奥に、雪がおおった越前の峰々が続いています。
さらに登っていきますが、さすがに疲れてきました。麓から1時間ほど登ったところで、南峰全体が見えてきました。いつもは反対側からこちらを見ているんだよね。
左奥に伊吹山も今日はきれいに見えます。
南北の峰に挟まれた清水道と城下が見えてきました。その先に虎御前山が見えます。この景色は南峰からは臨めませんね。
大嶽城がどこからか区別が付かなかったですが、最初の大きな郭の入口の内側には石積みがまばらですが残っていました。
登山道を外れて大きな竪堀や帯郭を見に行きました。春先は草が枯れてて縄張りが見やすいですが、枯れ葉が積もっていて斜面はとても厳しかった。
そうこうしながらも2時間ほどで山頂の大嶽城に到着しました。ここまですれ違ったのは5人。ここもまだ・・・・
と思ったら、大勢のご年配に一の郭は占拠されていました。今日、地元の歩こう会があったようです。
一の郭のまわりは先の砦とは違い土塁や空堀も規模が大きく、山城の醍醐味を感じることができます。
大嶽城のまわりは木々で覆われていて景色はよくないですが、北側の郭から丁野方面を望むことができました。眼下に丁野山、山本山城、竹生島が見えます。
やはり高いなー!
一仕切楽しみましたが、予定時間を大幅に超過してしまいました。南峰を下ります。下る途中、さらに多くのご年配とすれ違いました。みなさん元気だな。
途中、岩尾という場所に出ました。
ちょうど良い眺望所となっていて、南には伊吹山。
眼下には小谷城の南峰を見下ろすことができます。この景色は疲れが癒えますね。
大嶽城、月所丸、清水道、六坊の交差点まで降りてきました。ここから月所丸に進みます。途中狭い道もあり、邪魔になる木が切ってありましたが、足を踏み外せば急な斜面を転げ落ちるような危険な場所も。ご年配には無理ですね。
この砦も朝倉氏の築城のようです。
小さいながら畝状連続竪堀や連続する堀切など見所がたくさんありました。
この先は越前に続くようです。朝倉氏の退却用街道らしいです。
いろいろなタイプの砦や郭があって楽しいですね。
南峰も本丸までの間は前月は見ていないのですが、ゆっくり見ている時間はないのでさっと見てきました。と言いながら、誰も見に行かないような斜面の竪堀を見に降りたりしていたのですが、
ここは山王丸の大石垣です。現在小谷城で最も高い石垣ですが、往時は同規模の石垣がそこかしこにあったのでしょうね。
本丸前の石垣です。ここまで降りてくるとさすがに観光客が大勢来ています。さすがに注目スポットですが、山城なのにご年配を連れて回るのもどうかとは思います。同じことは天地人の坂戸城でも思いましたが。
今日の目的のひとつはこの桜馬場の桜でした。
が・・・一歩遅かった。昨日の風に吹かれたせいか葉桜です。
再び、桜馬場から見る琵琶湖の眺めです。観光客に蹴られて長政の石は違う場所に転がっていました。
さて、今日はここまで何枚かの景色をお見せしましたが、お気に入りはどこでしょうか?
麓に降りてくると、桜が満開です。あと数日持ってくれれば、桜馬場も・・・
いやーこれは言わないことにします。春の小谷、楽しかったです。
犬山城 愛知県の城館
東海北陸道の岐阜各務原ICを下りて、西に進むと「岐阜城」、東に進むと「犬山城」に至ります。共に国道21号(旧中山道)となりますが、こうして車で行くと、犬山城が岐阜城と尾張・三河の途上にあることがよくわかります。(ちなみに地元民でもないと、「各務原」ってなんて読むのかわかりません。「かかみがはら」と読むようですよ。)
国宝犬山城の石碑のある三の丸から登ります。
犬山城は天守を除いて廃藩置県のとき取り壊されてしまったので、大手門も復元となります。
桜越しに天守を捉えてみました。
天守の東南隅に付櫓がつくのが犬山城天守の特徴です。
明治24年の濃尾地震で付櫓が壊れたのを機に元城主で尾張藩家老の成瀬家の私有となりました。平成16年からは財団法人犬山城白亭文庫の所有となっています。
付櫓前には雷から天守を守ってきた神木が立っていますが、今はもう枯れています。
丸瓦は成瀬家の家紋「丸にカタバミ紋」です。
では、天守中に入りましょう。
入母屋破風の部屋
唐破風の部屋
石落としの部屋
地階石垣で地階を支える柱
最上階には成瀬家歴代の肖像写真が飾られています。
では、望楼の高欄に出てみます。天気が回復してきて今日は遠くまで見通しがききます。まずは本丸内。
東側の木曽川上流。
今日は運よく雪をかぶった御嶽山がよく見えます。
西側には岐阜城の金華山が
木曽川下流、ライン大橋の向こう対岸に伊木山が見えます。
南側には遠く、小牧山が見えます。
津幡城 石川県の城館
津幡町の四ツ角交差点です。
正面に見えるのが津幡小学校、津幡城のあった大西山です。
今は交差点となっていますが、元はT字路となっており、後ろ方向が「金沢」、左手に進むと「能登」、右手に進むと「越中」という加越能の三叉路となっていた場所です。
小学校へ向かってゆるやかに上り坂となっています。
入って左手の小高い小山の上に忠魂碑が立てられており、
上り口に案内板があります。上杉謙信の上洛、前田利家の末森合戦など戦国の節目に登場する城です。
忠魂碑の脇に「津幡城址」の石碑が立てられています。
この津幡小学校が建てられるときに山は大きく削られて平坦部を広げたため、往時の郭の様子は現況からはわかりませんが、校舎の高さほどもあったという話もあります。
この津幡小学校は老朽化のため、別の場所に新校舎がすでに完成しており、今年度取り壊される予定となっています。
小山から眺めるだけでもかなり向こうまで見渡せます。建物が低く、田園風景の広がっていたであろう戦国の世では重要な拠点であったことは容易に想像できます。
三刀屋城 島根県の城館
出張の帰りに、尼子氏の出雲十旗のひとつである三刀屋城を見てきました。ここを訪れるのは7年ぶりでしょうか?
城の脇を流れる三刀屋川です。川の向こう側に見える山が三刀屋城です。現在公園となっています。
橋を渡りすぐに城跡への道が続いています。自動車1台がやっと通れる幅の山道ですが、しばらく上ると
駐車場になっている馬場跡にでます。ここに停めて散策します。
駐車場には公園内の案内板があります。
馬場の隣に馬舎跡があります。
一角には石垣が残っています。
馬舎跡はかなり広い郭となっています。
上って行き馬舎跡の1段上の郭がもう1つの駐車場となっています。見晴らしの良い郭です。
さらに上っていくと、本郭のまわりの石垣が見えてくる。
面によっては良く残っています。
自然石をそのまま使用する野面積みですね。
本丸に入ると右手に物見櫓台が残っているのが目立ちます。
近くにここの城主であった三刀屋氏の子孫の方による顕彰碑が立てられています。
物見というだけあって、ここからの眺めは最高です。
川向うを通っていたであろう街道の先を見渡すことができます。
物見櫓の見どころは景色だけではなく、この櫓台付近に放置された石垣の石です。まさに破却の跡ですね。
大きな石も多いです。
では本郭跡を見ていきます。
見どころは本郭と二の郭の間に残る一文字土塁ですね。石垣も残り、往時は壮観なものであったことが想像できます。
脇に二の丸から続く道があります。
道沿いに放置された石には、石を割った矢穴の跡がくっきりと残っています。城内には数少ないですが矢穴の石を見ることができました。
二の丸から本丸へは土塁にぶつかり、直線では入れないです。
現在の公園は、道が本丸に入り二の丸へ至るのですが、本来は二の丸から本丸に入ったはずであり、このあたりは公園整備で破壊されてしまっているのかもしれません。
しかし、郭や土塁がよく残る良い城跡ですね。
松江城の夜景 島根県の城館
大手前駐車場は17時に閉まるので駅前のホテルに行き、晴れていたので歩いてライトアップを見に行きました。
橋と宍道湖岸のホテルをまずは撮りましたが、ちょっとライトが少ない。
駐車場から出るときに櫓にライトが当たっていたので期待してやってきましたが、期待通りのきれいなライトアップです。
市役所方向から3つの櫓と奥に天守がライトアップされていますが、雨もあがり風もなかったこともあり、水堀に映る石垣と櫓がきれいです。
暗いので足元に気をつけながら城内に入ります。櫓を見上げて撮ってみました。
本丸の脇から石垣越しの天守です。手前下が天守ですが、ここはライトアップされていなくて、また外灯も届かなかったのでつぶれてしまいました。天守が浮いてみえますね。
本丸にも入りたかったですが、さすがに解放されていませんでした。できればもう少しそばで撮りたかった。寒い中写真撮っている人もライトアップ見ている人もいませんでしたが、松江に行ったら見に行くことをおすすめします。
一夜明けて、松江駅前で川が見える部屋だったので外を見ると朝霧がかかっていました。内湖があると平野でもこれほどの霧が立つのですね。びっくりです。
写真は7時半の状況、7時頃は橋の手前まで霧が立ち込めていました。
8時にようやく向こう岸の建物が見えてきました。これだけの霧が立つと、敵が移動していても目の前に来るまで全く気がつかないですね。
松江城 島根県の城館
山陰の名城、松江城にやってきました。震災の影響でしょうか?連休にもかかわらず、お客さんは少なかったですね。
大手口木戸門跡の石垣上に石碑が立っています。こんなところに立っていると見逃す人も多いだろうに。
木戸門を入ると広い馬溜跡が広がり、右手に折れて大手門となります。
この3月19日から松江では開府400年記念博覧会が始まりましたが、全体的に自粛ムードでイベントが多数中止となっていました。
二の丸上の段には松江神社が鎮座しています。祭神は松江藩松平家初代の松平直正公です。のちに、東照宮を合祀、つまり徳川家康公。さらに松江開府の堀尾吉春公と、松平治郷(不昧)公を配祀されたようです。結果的に4人を祀っているということになりますね。
ちょうど始まったイベントで、開府記念博覧会のキャラクタ「あっぱれくん」を見れました。
二の丸上の段には、トイレがありますが、ここに番所があったということで番所風になっています。
その前に井戸があります。その奥が大広間です。
二の丸上の段には、南櫓
中櫓
太鼓櫓の3櫓が2001年に復元されています。
南櫓横の南口門です。三の丸とつながっていた門です。
上の段から本丸につづく二の門です。礎石が残っています。
本丸一の門です。この先は有料です。
本丸に入ると先に天守が見えます。
天守に入る前にまわりを回ります。東南隅の武具櫓跡です。
そこからは二の丸上の段や
二の丸下の段を見渡すことができます。
武具櫓石垣の下、三の門からみた天守です。ちょっと木が邪魔。
入口近くから見上げると、前の付櫓がアクセントになって迫力あります。
付櫓の入口は鉄張の扉になっています。
内部の柱は特徴的な寄木柱となっています。肥え松の一本の柱の外側に板を揃えて鉄輪で締めています。鉄釘や鉄輪は朽ちる可能性もあるので、木組みで建てることの多い城郭建築ではめずらしいのではないでしょうか。
最上階からの眺めは最高です。宍道湖方向ですが、天候がよければもっと良かったのに。
東方向には、19日に開館したばかりの松江歴史館が見えます。
北西方向には北の門に隣接する乾櫓のあとが見えます。今は手前の木が枯れているのでとてもよく見えますね。
西方角から見ると全く違った雰囲気になりますね。
二の丸下の段、米蔵跡であったところです。
北の門から出たところ、馬洗池です。
脇虎口ノ門です。
そこを出ると橋の前に松江歴史館が広がっています。
北惣門に架かる橋、この広い内堀は松江城の特徴でもあり、観光資源でもあります。
橋のたもとに堀の出入りをする通路が残っています。
県庁のある三の丸は北側のみ堀が残っています。
三の丸から見る松江城は、手前に内堀、二の丸の石垣、南櫓、中櫓、太鼓櫓、奥に天守と見事です。風のない日は水堀に石垣や櫓が映ってこれまたきれいです。
おみあげに「松江大亀伝説」というのを買いました。何か由来があるのかなと思い調べてみると、
松江市外中原町にある月照寺には松江藩松平家の墓所があるが、6代藩主宗衍の廟所にある寿蔵碑の土台となっている大亀がいる。大亀は、夜な夜な松江の街を徘徊したといわれ、下の蓮池にある水を飲み、「母岩恋し、久多見恋し…」と、町中を暴れ回ったという。(ウェキペディアより)
暴れたのに退治されたところまで書いてないけど、最後にはどうなったのかな?まあそういう由来のある菓子です。
新宮谷の史跡 新宮党館跡、尼子氏奥津城、山中鹿介幸盛屋敷跡 島根県の城館
月山富田城を見たあと、歩いて新宮谷を見て回りました。
入口に地図があります。館跡が墓が点在しています。小山が多くある深い谷筋です。
新宮谷は尼子経久の次男国久の一族が住んだところであり、新宮党と呼ばれました。
この山が「尼子氏奥津城」と呼ばれていますが、
「城」とついてはいますが、「き」と呼び、新宮党一族の墓所と伝えられています。
新宮党は尼子氏の先兵として領土拡大に多大な貢献をしましたが、甥の晴久により攻め滅ぼされました。
新宮谷の左の谷筋を進むと、一段高い平地が見えてきます。
今は太夫神社境内となっています。
平成20年に島根県指定史跡となりました。
太夫神社は新宮党一族を祀っています。
神社横には国久やその子らの墓と伝わる墓石があります。
ここには確かに戦があったのでしょうが、今はのどかな風景ですね。
右の谷筋には山中鹿介生誕地と伝わる「山中鹿介幸盛屋敷跡」があります。今は高台にある墓地の奥になります。
石碑が立っています。
「山中鹿介幸盛屋敷趾」と書かれています。
敷地の奥に井戸らしい窪地を発見しました。
石碑裏には敷石らしき石もあり、奥は一段高くなっています。このあたりも猪に掘り起こされて荒れていました。
月山富田城 島根県の城館
仕事で島根に出張するついでに1日前乗りして来たものの雨模様です。とはいえ、折角来たので久しぶりに広瀬にやってきました。広瀬に来るときはいつも天候がよくないように思いますが、楽しみにしてきました。
飯梨川を天然の堀として、奥に高くそびえるのが日本五大山城のひとつ、富田城の本丸です。
麓の道の駅に安来市立歴史資料館があります。平成の合併でここ広瀬町は安来市となりました。先に見学してから登ろうかと思いましたが、着いたのは9時前、開館は9時半ということで先に登ることにしました。
駐車場からすぐのところに「尼子興久の墓」があります。今日は雨模様なので露出が厳しいです。
一番下の郭は「千畳平」です。
郭内には尼子神社があります。
千畳平の1つ上の郭は、「太鼓壇」となります。奥の小山の上に
「尼子氏之碑」が立てられています。
さらに太鼓壇には有名な山中鹿介像が立っています。
その見つめる先は三笠山です。三笠山の上にかかる三日月を排して、「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈ったといわれています。
太鼓壇の上の郭は「奥書院」となります。
さらにすすむと「花ノ壇」に出ます。
奥のほうに復元された屋敷跡の写真ばかりが出ていますが、手前に広い郭です。
花の壇と山中御殿平の間にあるこの郭はなんていう?郭でしょうか。
御殿平の入口には多聞櫓が建っていました。
多聞櫓から御殿平をみると、奥に本丸の山が見えます。まだ随分奥ですね。
御殿平の菅谷口に井戸跡(雑用井戸)が残っています。
菅谷口は石垣に囲まれ、直角に曲がっています。ここは攻めるのが難しいですね。
菅谷口は新宮谷方面にあり、入口に広瀬藩松平氏の菩提寺である城安寺があります。
城のような構えの石垣は近世のものでしょうが、谷の迫った尾根には防御用の郭があったことでしょう。
御殿平に戻りましょう。御殿平の中央には山中御殿がありました。堀に囲まれた跡が復元されています。
千畳平と厳倉寺の谷筋を通るのが大手道で、御殿平に入ります。
御殿平の大手道沿いに大井戸があります。
案内板があっても道が埋もれてどこか探しましたが、竹藪の中でしたね。見つけるのが大変でした。
この軍用大井戸は今でもかなりの深さを持っていますね。落ちたら簡単には登ってこれそうにありません。見学者も少ないし、大変です!
大井戸の近くに池があります。この辺りには大量の湧水があるようです。
御殿平に戻り、菅谷口と反対側の塩谷口にやってきました。
このあたりの郭や土塁は特に掘り返された跡がありました。資料館の方にお聞きすると、猪が根のあたりにいるミミズを食べるために掘り返しているんだとか!麓の資料館付近にも現れることがあるそうで、今日は会わなくて良かった。
「塩谷」という自分と同じ名前を持つ地域から入ります。谷筋も短いため、入口を特に堅固に作ったようですね。
本丸へ登る七曲りから見渡す御殿平は壮観です。
本丸までは20分、さあ登りましょう!
石畳の跡が見えます。
しばらく登ると、山吹井戸があります。ここは浅いです。
七曲りをひたすら登ると、三の丸に出ます。高い石垣ですが、段が多いところが技術が未発達ですね。未発達なだけなのか、鬼門除けをしているのか、角をとっている部分も見えます。
階段を上って二の丸へ進みます。
雨が強くなってきて、霧が深くなってきました。奥に本丸も見えてきました。先を急ぎます。
二の丸から麓を見渡すと、やはり霧が深いですね。晴れていれば遠くまで見えるところなのですが・・・
二の丸と本丸の間には深い堀切が掘られています。
本丸は奥に勝日高守神社が建てられています。また天気の良いときに登りたいですね。
下りてきて対岸の三日月公園に尼子経久像が立てられています。奥に富田城が見えます。
経久の指し示す先は、鹿介と同じ三笠山です。陶隆房との戦いにいざ出陣!っていうところでしょうか。
安来市立歴史資料館で受付の方といろいろと先の話などをさせていただきました。ご厚意ですでに配布終了しているという「山陰の城館跡」という小冊子をいただきました。縄張り図などもあり、ちょっと持ち歩くにはいい本ですね。再配布してほしいところですが、予算がないかな?
「多賀17城発見報告」勉強会
多賀町立博物館で開催された「多賀17城発見報告」勉強会に参加してきました。
会場となったあけぼのパーク多賀には町立博物館のほかに、図書館と埋蔵文化財センターが入っています。
多賀町は日本で最も完全に近い「アケボノゾウ」の化石が出土したところで、見つかった1993年当時は大さわぎしたようですが、自分はまだ高校生になったばかりで全く知りませんでした。
昼休みに博物館に入ってみましたが、歴史は多賀大社が中心で、展示も少なく研究が進んでいない様子でした。
勉強会は多賀観光ボランティアの田畑氏の主催で、滋賀民俗学会理事の長谷川氏の講演という形式でしたが、地元の方が意外に少なく、地元の方の関心は多賀大社にあるようですね。
20名弱の参加者はこれでも主催者の想定以上であったようですが、せっかくのふるさと学習の機会ですので、やはり地元の方の関心がもっと欲しいです。
レジュメは手作りで2冊分。既知でない城跡らしきものが一つの町内に17も発見された経緯や発見の方法など、とても楽しくためになるひとときでした。
国道306号からあけぼのパークに向かう「北多賀」交差点から見える山並みですが、ここだけで、赤丸の各山頂部に城跡があるんですよ。スゴイ!
10時からの開始前に、近くの多賀大社に参拝しました。
全国に末社も数多くのもつ社にしては境内は思いのほかコンパクトです。
多賀大社と言えば、しゃもじ?なのかな。
参拝者は少なかったですが、初孫の安産祝?と思しき家族連れがいて微笑ましい光景でした。
境内には秀吉ゆかりの庭と書院があるということで見学してきました。庭は座視鑑賞式で、池には水が引かれていました。今の季節は木が枯れていてイマイチか?
しかし、書院の襖は金箔画ですばらしかったです。見学者は自分ひとりだったのでゆっくりと鑑賞しました。
雪の白山麓攻城記
平野部の雪は溶けたし、先週の小谷山の件もあったので、セミナー参加のついでに城めぐりをしようと思っていましたが、今年の大雪をなめてました・・・反省
第一の目的は旧鶴来町の舟岡山城。今年整備を予定しているので、その前に現状をもう一度撮影したかったのですが・・・
目の前に開ける散策路・・・
のはずが
雪の固まりです。こんなに残っているとは、まだまだ春は遠いです。
いつもとは違った方角から鳥越城を撮影。右側の頂上付近に本丸があります。
しかし、入口はこんなにも雪が
生活道路ではありませんので、ここも春は遠いです。
麓の殿様屋敷。現在は畑になっているのですが、ここにも大雪の跡が。
屋敷の高台と考えられる神社境内は、鳥居も半分埋まりさらにすごいことに。
そして、二曲城の入口は見えるものの、
入口の橋には70センチほどの雪。前に進めない。
ということでここは大人しくセミナーまで常設展を久しぶりにじっくりと観賞しました。
今年の歴史館セミナーのテーマは「二曲城を考える」でした。2004年から6カ年で調査が続けられ、いよいよ来年度から4年程度で環境整備されます。