野々市市情報交流館カメリアで行われた埋蔵文化財講演会「守護所富樫館の姿と加賀の城」に行ってきました。
野々市市文化振興課の田村さんから現在までの富樫館の発掘調査報告がありました。
少し前までは館の場所が確定していませんでしたが、ようやく江戸期の絵図に残る館を囲む堀跡が見つかりました。
堀跡からは銅鏡が見つかりました。中央に亀、上に鳥が2羽向かい合っています。
館の東側は九艘川(くそうかわ)を堀の替わりとしていました。館の少し南側で中世の九艘川の跡も見つかっています。
川名の由来は九艘の舟が通れるほどの大きな川だったとか。
守護所は舟運に恵まれ、中世北国道と宮腰から白山本宮まで通っていた白山大道の結節地点という要衝にありました。この立地条件の良さは新しい見知でした。
基調講演は奈良大学の千田嘉博氏による講演でした。時折冗談も入りとても興味深い内容で、中世の館が室町将軍の足利義満の建てた花の御所をモデルに全国の守護大名や守護代に広がったこと。きっと富樫館も同様の風景が広がっていたことを想像させるものでした。
講演終了後、実際の現場を見てきました。聞いた後だと現地巡りも楽しいです。他に人はいなかったけど
最初にすみよし公園。この角地と隣の建物部分の発掘調査で九艘川の川跡が見つかりました。やはり今は跡形もないです。
そこから北方面へ。住宅地のなか、今日いただいた資料とにらめっこしながら堀跡を探すと・・・ありました!
ここには案内板もあります。これは講演会でも告知すべきことだと思いますが、ここは残るということでしょうね。
堀跡は奥の区画。幅も広いですね。午前中に千田先生も見学されたということでしたが、雪が一面に積もっているおかげで凹みがよく見えます。
最後に北鉄工大前駅に
富樫館の場所が確定していなかった頃に駅前にこの石碑が立てられました。実際の館跡はこの石碑とすみよし公園のちょうど間になります。