高岡城 本丸御殿の遺構か?

地元新聞に大きく載った記事


高岡市教育委員会は5日、高岡城跡(高岡古城公園)の本丸広場で見つかった建物遺構について、加賀藩2代藩主の前田利長が居住したころの屋敷「本丸御殿」の可能性がると発表した。
本丸広場には、高岡城跡の郭の配置から、城主の館が置かれた可能性が高いとされてきた。現存する絵図に御殿が描かれたものはないが、利長の書状から、勝手方(広間・台所)が完成したことや、入城後に畳の材料を調達するよう命じたことが分かっており、城主が居住する御殿の存在が推定されていた。
高岡城跡で建物遺構が見つかったのは初めて。高岡市教育委員会は、城跡の国史跡指定を目指して2008年度から総合調査に取り組んでおり、10年度から発掘調査に着手。礎石は6月下旬に始めた調査で見つかった。
調査では8カ所を発掘し、江戸時代後期の地層から一段下の地層で、建物の礎石が6カ所で計16個見つかった。長さ50~60センチの楕円形で、同軸線上に並んでいる。場所は広場の中央から北側にかけて広範囲にわたり、市教育委員会は建物の横幅が50メートル以上になる可能性を指摘している。
(北國新聞2011年8月6日付記事より)


明日、一般向けの説明会が開催されますが予定が入っているので、今日見られるかどうかわかりませんでしたが行ってきました。
高岡城
高岡市立博物館に続く大手口。
高岡城
高岡市立博物館に展示されている高岡の模型
高岡城
模型の高岡城は、堀には石垣が巡らされていますが
高岡城 本丸
二の丸から本丸に架かる橋の両側に残る
高岡城 本丸
この石垣以外は土塁だったと推定されているはずでは?
高岡城 本丸広場
さて、目的の本丸へ
高岡城 本丸広場
本丸広場はすっかり金網に囲まれていて、今日は中に入れませんので金網沿いに中を伺います。
高岡城 本丸広場
新聞報道は中央部のトレンチを載せていましたが、ここから向こうへ3つのトレンチが並んでいますので、一直線に礎石が出ているようです。
高岡城 本丸広場
西側の1つのトレンチにも礎石が1つ。
高岡城 本丸広場
東側の1つのトレンチにも礎石が1つ。
高岡城 本丸広場
東北隅のカギ状のトレンチ
高岡城 本丸広場
ここからは3つの礎石が発見されました。調査員がちょうど記録を取っていました。
高岡城 本丸広場
今回は80センチほどの深さのトレンチを掘っていますが、地層は黒い層が2つ。下の黒い層は焼土層のようにも見えますが、この下の地層が江戸初期のものとなるようです。
高岡城 本丸広場
記録はトレンチと遺物の関係図のようです。

金沢城下 寺内町発見?

金沢城白鳥路です。ここは金沢城の北側にあった白鳥堀の跡となります。
金沢市大手町発掘現場
入口では金沢市の自転車貸し出しサービスの試験運用が始まっています。
金沢市大手町発掘現場
白鳥路を歩いていると、発掘の音が聞こえてきました。
金沢市大手町発掘現場
そういえば、大手町でも発掘していたことを思い出し、壁越しにのぞいてみました。
金沢市大手町発掘現場
ここは金沢地方裁判所の裏になります。車道からは建物が遮断して何も見えません。昨年も行われていましたが、見ることはできませんでした。今日は運がいいですね。
金沢市大手町発掘現場
しばらく眺めていると、何か建物の柱穴が複数見つかっているようです。ここは、金沢御坊(尾山御坊)時代の寺内町があったのではないかと推測されている場所でもあります。
金沢市大手町発掘現場
さらに、場所を移動して眺めていると、溝跡や石列からみると道路跡らしきものが見えます。
金沢市大手町発掘現場
全貌はよくわかりませんが、今年は現場説明会ないでしょうか?
金沢市大手町発掘現場

発掘速報展2009

発掘速報展2009
発掘速報展2009を見に、富山市安田の安田城跡資料館にやってきました。
発掘速報展2009
今回、実際の現場を見ることはできませんでしたが、今年3月に富山城跡の発掘調査現場で見つかった井戸の枠が展示されていると聞き、これは見ておこうと思いました。
発掘速報展2009
さて、こちらが枠板の1枚です。腐食を防ぐために水袋に保存されたままの展示です。大きな枠板ですね。他にも富山城跡で見つかった遺物がたくさん展示されていました。

発掘報告会 いしかわを掘る

冬らしい肌寒い日が続きます。毎年恒例となった石川県埋蔵文化財センターの発掘報告会「いしかわを掘る」が、生涯学習センターで開かれました。
発掘報告会 いしかわを掘る
ここでの開催も今年限りとなりますが、170名を超えるほどの満員でした。
発掘報告会 いしかわを掘る
今年は遺物の実物展示はなく、パネル展示だけでしたが、中に金沢高等裁判所敷地内で行われた白鳥堀外の城下町遺跡の発掘調査パネルがありました。発掘調査前に新聞報道されていましたが、いつ行われていたのか?裁判所内だけにいつでも見に行けるというものではないですからね、貴重な写真です。
発掘報告会 いしかわを掘る
中には夏に現場を見学に行った「宮保館跡」の報告がありました。周りにもいくつも発掘調査現場が見えていましたが、この辺りが北陸新幹線の白山車両基地の建設予定地らしく、断続的にいくつもの発掘が行われていたようです。
発掘報告会 いしかわを掘る
最後に「金沢城跡玉泉院丸」の報告がありました。こちらの現場説明会には参加しましたが、説明会後に判明した石の産地や用途、西ノ丸と呼ばれた時代の地層など新しい見解の発表もありました。
来年は県立美術館ホールなどが候補に上がっているようですが、あそこは声が聞こえづらいからイヤだな。

加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査

今日は午後、広坂別館で「加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査」の講演会を聞いてきました。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
90名先着だった申込みは大幅に定員を超え、部屋いっぱいの人でした。市民の関心の高さが窺えますね。
まずは、金沢市埋蔵文化財センターの庄田氏による発掘調査の報告です。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
門のあった場所の発掘では、階段が見つかりました。また附近に散乱する石は手前の石垣を崩したものだと推測されているそうです。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
二段石垣の下段には刻印のある石も見つかりました。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
報告のあとは、本多家15代当主の本多政光氏による「加賀本多家について」というテーマの講演がありました。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
発掘調査の行なわれた門跡、石垣や道跡は、上屋敷絵図にもしっかり出ているようです。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
今日は幸い良い天候に恵まれましたので、講演の後は現地で遺構を見ながら説明がありました。
加賀八家 本多家の歴史と上屋敷周辺の発掘調査
今日はとても良い機会でしたが、この講演会の申込みも一日で定員となったらしいですが、若い人はやはりほとんどいませんでした。

加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会 金沢歴史遺産探訪月間

金沢歴史遺産探訪月間の最終週のイベントである加賀藩土清水塩硝蔵跡の現地説明会に参加してきました。
今日は朝から時折土砂降りとなるような荒天でしたが、地元の方中心に50人ほどの人が集まりました。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
今は果樹園となっている一帯に塩硝蔵の中心的建物であった「御土蔵」「干場」、そして今回発掘調査の行なわれた「搗蔵」がありました。
一段高くなっている場所には辰巳用水が流れ、脇の遊歩道から「搗蔵」、その向こうに昨年度まで発掘調査が行われた「御土蔵」が見えます。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
2棟並んで建っていた御土蔵の1棟にはロープが張られ、その大きさがよくわかるようになっていました。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
敷地内に立てられた現場事務所でまずは解説を聞きました。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
事務所内には昨年度までの発掘調査で見つかった瓦が展示されていました。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
前田家の梅鉢紋の付いた平瓦は市内では金沢城とここ塩硝蔵のみ見つかっています。それだけ重要な施設であった証でしょう。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
大雨の中3本のトレンチのうちの1本で新聞報道もされた搗蔵の説明を受けます。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
2列の石列の間が水路の跡です。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
すぐ脇を流れる辰巳用水は、搗蔵の直前で北側に少し曲がっています。これは搗蔵に引き込む水路がもう1本あったからで、今回発見された水路がその経路ということになります。
加賀藩土清水塩硝蔵跡現地説明会
円形集石遺構も見つかり、搗臼が置かれた跡ではないかと見られています。
加賀藩土清水塩硝蔵は「三品搗蔵」「調合所」「役所」など重要施設がすでに民有地の下になっていて発掘の困難な状況ですが、現状を保存し、史跡指定を目指すことで、将来に残っていけばいいなと思います。
以前の記事はこちら

織田信長公居館跡発掘調査 現地公開に行ってきたよ

この夏休み期間は盆であった先週を除き、土曜日の午前に普段は公開されていない発掘調査の現場を公開しています。
晴れた金沢を出発して、北陸道から名神に入る頃には雨模様で、まわりの山々には雲海ができるような天候です。
いざ岐阜へ
岐阜城に到着すると、雨はあがっているものの曇り空です。天気予報を信じて昼からに期待しましょう。
岐阜城
今日は出発が遅れた分、まずは発掘現場に急ぎます。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
発掘現場はC地区の平坦地から山側の奥まったB地区です。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
作業用の階段を上って一段に上がります。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
中央に見える石段はここが登山道として整備されたときももので、その登山道建設のために遺構もかなり破壊を受けているようなのが残念です。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
現地は2段ありましたが、下段では平坦地を囲むように石垣が出土していました。その石垣の一部はかなり焼けた跡があります。
この辺りの石は黄色いのが特徴ですが、発掘された石垣の石には表面が赤く変色しているものがいくつもありました。この厚さに焦げ跡が残るには相当な火災がないとここまでは焼けないようです。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
上段に上がると、すぐ礎石と排水溝の跡が出土していました。この排水溝は平坦地を横切っているそうで、礎石のある下段側は2メートル足らず。どのような建物だったのか気になりますね。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
現在、この最上段に3階建て以上の建物が建っていたと推定されています。今は木々で城下を見渡すことはできませんが、当時はかなり見通せたことが予想されます。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
写真左側に石垣が見えますが、
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
ここは石垣の下に川原石が敷き詰められており、さらに石垣裏にも川原石が敷き詰められています。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
実際に掘り下げていないので裏込石なのかどうかはわからないようですが、階段のように見えなくもないので、石垣脇を通ってさらに上へ向かう通路だったのではないか?とも考えられているようですが、決定打はなく、すべては謎です。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
奥の傾斜地からは焼土も見つかっており、何か建物があったようです。さらに奥に石積みが見えますが、それも登山道整備のときに作られたものです。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
上段奥からも石垣の列が出土しています。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
上段の平坦地は下段よりも幾分広いです。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
岐阜公園の楽しみは他にもあります。公園内には発掘調査の成果を展示するスペースが設けられていました。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
中では、岐阜城と城下町の復元イラストや、
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
居館跡の構造を示すペーパークラフトが飾られていたりします。
織田信長公居館跡発掘調査 現地公開
もちろん、これまでも発掘調査の成果を解説するパネルや遺物の展示もありますので、お見逃しなく!!