出張の帰りに、尼子氏の出雲十旗のひとつである三刀屋城を見てきました。ここを訪れるのは7年ぶりでしょうか?
城の脇を流れる三刀屋川です。川の向こう側に見える山が三刀屋城です。現在公園となっています。
橋を渡りすぐに城跡への道が続いています。自動車1台がやっと通れる幅の山道ですが、しばらく上ると
駐車場になっている馬場跡にでます。ここに停めて散策します。
駐車場には公園内の案内板があります。
馬場の隣に馬舎跡があります。
一角には石垣が残っています。
馬舎跡はかなり広い郭となっています。
上って行き馬舎跡の1段上の郭がもう1つの駐車場となっています。見晴らしの良い郭です。
さらに上っていくと、本郭のまわりの石垣が見えてくる。
面によっては良く残っています。
自然石をそのまま使用する野面積みですね。
本丸に入ると右手に物見櫓台が残っているのが目立ちます。
近くにここの城主であった三刀屋氏の子孫の方による顕彰碑が立てられています。
物見というだけあって、ここからの眺めは最高です。
川向うを通っていたであろう街道の先を見渡すことができます。
物見櫓の見どころは景色だけではなく、この櫓台付近に放置された石垣の石です。まさに破却の跡ですね。
大きな石も多いです。
では本郭跡を見ていきます。
見どころは本郭と二の郭の間に残る一文字土塁ですね。石垣も残り、往時は壮観なものであったことが想像できます。
脇に二の丸から続く道があります。
道沿いに放置された石には、石を割った矢穴の跡がくっきりと残っています。城内には数少ないですが矢穴の石を見ることができました。
二の丸から本丸へは土塁にぶつかり、直線では入れないです。
現在の公園は、道が本丸に入り二の丸へ至るのですが、本来は二の丸から本丸に入ったはずであり、このあたりは公園整備で破壊されてしまっているのかもしれません。
しかし、郭や土塁がよく残る良い城跡ですね。
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松江城の夜景 島根県の城館
大手前駐車場は17時に閉まるので駅前のホテルに行き、晴れていたので歩いてライトアップを見に行きました。
橋と宍道湖岸のホテルをまずは撮りましたが、ちょっとライトが少ない。
駐車場から出るときに櫓にライトが当たっていたので期待してやってきましたが、期待通りのきれいなライトアップです。
市役所方向から3つの櫓と奥に天守がライトアップされていますが、雨もあがり風もなかったこともあり、水堀に映る石垣と櫓がきれいです。
暗いので足元に気をつけながら城内に入ります。櫓を見上げて撮ってみました。
本丸の脇から石垣越しの天守です。手前下が天守ですが、ここはライトアップされていなくて、また外灯も届かなかったのでつぶれてしまいました。天守が浮いてみえますね。
本丸にも入りたかったですが、さすがに解放されていませんでした。できればもう少しそばで撮りたかった。寒い中写真撮っている人もライトアップ見ている人もいませんでしたが、松江に行ったら見に行くことをおすすめします。
一夜明けて、松江駅前で川が見える部屋だったので外を見ると朝霧がかかっていました。内湖があると平野でもこれほどの霧が立つのですね。びっくりです。
写真は7時半の状況、7時頃は橋の手前まで霧が立ち込めていました。
8時にようやく向こう岸の建物が見えてきました。これだけの霧が立つと、敵が移動していても目の前に来るまで全く気がつかないですね。
松江城 島根県の城館
山陰の名城、松江城にやってきました。震災の影響でしょうか?連休にもかかわらず、お客さんは少なかったですね。
大手口木戸門跡の石垣上に石碑が立っています。こんなところに立っていると見逃す人も多いだろうに。
木戸門を入ると広い馬溜跡が広がり、右手に折れて大手門となります。
この3月19日から松江では開府400年記念博覧会が始まりましたが、全体的に自粛ムードでイベントが多数中止となっていました。
二の丸上の段には松江神社が鎮座しています。祭神は松江藩松平家初代の松平直正公です。のちに、東照宮を合祀、つまり徳川家康公。さらに松江開府の堀尾吉春公と、松平治郷(不昧)公を配祀されたようです。結果的に4人を祀っているということになりますね。
ちょうど始まったイベントで、開府記念博覧会のキャラクタ「あっぱれくん」を見れました。
二の丸上の段には、トイレがありますが、ここに番所があったということで番所風になっています。
その前に井戸があります。その奥が大広間です。
二の丸上の段には、南櫓
中櫓
太鼓櫓の3櫓が2001年に復元されています。
南櫓横の南口門です。三の丸とつながっていた門です。
上の段から本丸につづく二の門です。礎石が残っています。
本丸一の門です。この先は有料です。
本丸に入ると先に天守が見えます。
天守に入る前にまわりを回ります。東南隅の武具櫓跡です。
そこからは二の丸上の段や
二の丸下の段を見渡すことができます。
武具櫓石垣の下、三の門からみた天守です。ちょっと木が邪魔。
入口近くから見上げると、前の付櫓がアクセントになって迫力あります。
付櫓の入口は鉄張の扉になっています。
内部の柱は特徴的な寄木柱となっています。肥え松の一本の柱の外側に板を揃えて鉄輪で締めています。鉄釘や鉄輪は朽ちる可能性もあるので、木組みで建てることの多い城郭建築ではめずらしいのではないでしょうか。
最上階からの眺めは最高です。宍道湖方向ですが、天候がよければもっと良かったのに。
東方向には、19日に開館したばかりの松江歴史館が見えます。
北西方向には北の門に隣接する乾櫓のあとが見えます。今は手前の木が枯れているのでとてもよく見えますね。
西方角から見ると全く違った雰囲気になりますね。
二の丸下の段、米蔵跡であったところです。
北の門から出たところ、馬洗池です。
脇虎口ノ門です。
そこを出ると橋の前に松江歴史館が広がっています。
北惣門に架かる橋、この広い内堀は松江城の特徴でもあり、観光資源でもあります。
橋のたもとに堀の出入りをする通路が残っています。
県庁のある三の丸は北側のみ堀が残っています。
三の丸から見る松江城は、手前に内堀、二の丸の石垣、南櫓、中櫓、太鼓櫓、奥に天守と見事です。風のない日は水堀に石垣や櫓が映ってこれまたきれいです。
おみあげに「松江大亀伝説」というのを買いました。何か由来があるのかなと思い調べてみると、
松江市外中原町にある月照寺には松江藩松平家の墓所があるが、6代藩主宗衍の廟所にある寿蔵碑の土台となっている大亀がいる。大亀は、夜な夜な松江の街を徘徊したといわれ、下の蓮池にある水を飲み、「母岩恋し、久多見恋し…」と、町中を暴れ回ったという。(ウェキペディアより)
暴れたのに退治されたところまで書いてないけど、最後にはどうなったのかな?まあそういう由来のある菓子です。
新宮谷の史跡 新宮党館跡、尼子氏奥津城、山中鹿介幸盛屋敷跡 島根県の城館
月山富田城を見たあと、歩いて新宮谷を見て回りました。
入口に地図があります。館跡が墓が点在しています。小山が多くある深い谷筋です。
新宮谷は尼子経久の次男国久の一族が住んだところであり、新宮党と呼ばれました。
この山が「尼子氏奥津城」と呼ばれていますが、
「城」とついてはいますが、「き」と呼び、新宮党一族の墓所と伝えられています。
新宮党は尼子氏の先兵として領土拡大に多大な貢献をしましたが、甥の晴久により攻め滅ぼされました。
新宮谷の左の谷筋を進むと、一段高い平地が見えてきます。
今は太夫神社境内となっています。
平成20年に島根県指定史跡となりました。
太夫神社は新宮党一族を祀っています。
神社横には国久やその子らの墓と伝わる墓石があります。
ここには確かに戦があったのでしょうが、今はのどかな風景ですね。
右の谷筋には山中鹿介生誕地と伝わる「山中鹿介幸盛屋敷跡」があります。今は高台にある墓地の奥になります。
石碑が立っています。
「山中鹿介幸盛屋敷趾」と書かれています。
敷地の奥に井戸らしい窪地を発見しました。
石碑裏には敷石らしき石もあり、奥は一段高くなっています。このあたりも猪に掘り起こされて荒れていました。
月山富田城 島根県の城館
仕事で島根に出張するついでに1日前乗りして来たものの雨模様です。とはいえ、折角来たので久しぶりに広瀬にやってきました。広瀬に来るときはいつも天候がよくないように思いますが、楽しみにしてきました。
飯梨川を天然の堀として、奥に高くそびえるのが日本五大山城のひとつ、富田城の本丸です。
麓の道の駅に安来市立歴史資料館があります。平成の合併でここ広瀬町は安来市となりました。先に見学してから登ろうかと思いましたが、着いたのは9時前、開館は9時半ということで先に登ることにしました。
駐車場からすぐのところに「尼子興久の墓」があります。今日は雨模様なので露出が厳しいです。
一番下の郭は「千畳平」です。
郭内には尼子神社があります。
千畳平の1つ上の郭は、「太鼓壇」となります。奥の小山の上に
「尼子氏之碑」が立てられています。
さらに太鼓壇には有名な山中鹿介像が立っています。
その見つめる先は三笠山です。三笠山の上にかかる三日月を排して、「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈ったといわれています。
太鼓壇の上の郭は「奥書院」となります。
さらにすすむと「花ノ壇」に出ます。
奥のほうに復元された屋敷跡の写真ばかりが出ていますが、手前に広い郭です。
花の壇と山中御殿平の間にあるこの郭はなんていう?郭でしょうか。
御殿平の入口には多聞櫓が建っていました。
多聞櫓から御殿平をみると、奥に本丸の山が見えます。まだ随分奥ですね。
御殿平の菅谷口に井戸跡(雑用井戸)が残っています。
菅谷口は石垣に囲まれ、直角に曲がっています。ここは攻めるのが難しいですね。
菅谷口は新宮谷方面にあり、入口に広瀬藩松平氏の菩提寺である城安寺があります。
城のような構えの石垣は近世のものでしょうが、谷の迫った尾根には防御用の郭があったことでしょう。
御殿平に戻りましょう。御殿平の中央には山中御殿がありました。堀に囲まれた跡が復元されています。
千畳平と厳倉寺の谷筋を通るのが大手道で、御殿平に入ります。
御殿平の大手道沿いに大井戸があります。
案内板があっても道が埋もれてどこか探しましたが、竹藪の中でしたね。見つけるのが大変でした。
この軍用大井戸は今でもかなりの深さを持っていますね。落ちたら簡単には登ってこれそうにありません。見学者も少ないし、大変です!
大井戸の近くに池があります。この辺りには大量の湧水があるようです。
御殿平に戻り、菅谷口と反対側の塩谷口にやってきました。
このあたりの郭や土塁は特に掘り返された跡がありました。資料館の方にお聞きすると、猪が根のあたりにいるミミズを食べるために掘り返しているんだとか!麓の資料館付近にも現れることがあるそうで、今日は会わなくて良かった。
「塩谷」という自分と同じ名前を持つ地域から入ります。谷筋も短いため、入口を特に堅固に作ったようですね。
本丸へ登る七曲りから見渡す御殿平は壮観です。
本丸までは20分、さあ登りましょう!
石畳の跡が見えます。
しばらく登ると、山吹井戸があります。ここは浅いです。
七曲りをひたすら登ると、三の丸に出ます。高い石垣ですが、段が多いところが技術が未発達ですね。未発達なだけなのか、鬼門除けをしているのか、角をとっている部分も見えます。
階段を上って二の丸へ進みます。
雨が強くなってきて、霧が深くなってきました。奥に本丸も見えてきました。先を急ぎます。
二の丸から麓を見渡すと、やはり霧が深いですね。晴れていれば遠くまで見えるところなのですが・・・
二の丸と本丸の間には深い堀切が掘られています。
本丸は奥に勝日高守神社が建てられています。また天気の良いときに登りたいですね。
下りてきて対岸の三日月公園に尼子経久像が立てられています。奥に富田城が見えます。
経久の指し示す先は、鹿介と同じ三笠山です。陶隆房との戦いにいざ出陣!っていうところでしょうか。
安来市立歴史資料館で受付の方といろいろと先の話などをさせていただきました。ご厚意ですでに配布終了しているという「山陰の城館跡」という小冊子をいただきました。縄張り図などもあり、ちょっと持ち歩くにはいい本ですね。再配布してほしいところですが、予算がないかな?