新城市設楽原歴史資料館と信玄塚

長篠城址史跡保存館で2館共通券を購入しましたので、新城市設楽原歴史資料館にやってきました。
新城市設楽原歴史資料館
当館では「京都奥平家菩提寺久昌院の長篠合戦障壁画」展をやっていました。
新城市設楽原歴史資料館
初めて見る障壁画でしたが、とても興味深いものでした。300円で図録も販売されていました。
信玄塚
歴史資料館の敷地内に信玄塚がありますが、観光案内にも書かれている塚はどこに・・・?
信玄塚
わからなかったので、歴史資料館の受付で教えてもらいました。
信玄塚
こちらが大塚と呼ばれる塚。
信玄塚
そしてこちらは小塚と呼ばれる塚。
2つの塚を合わせて信玄塚と呼ばれているそうです。織田・徳川連合軍と武田軍の間の設楽原合戦では1万6千人の戦死者があったと言われ、地元の方がねんごろに葬った2つの塚に当時亡くなっていた信玄の名が冠されたそうです。

馬場美濃守信房の墓と蟻塚

蟻塚
大手門の近くに蟻塚があります。少し奥まった場所でわかりにくい場所ですが、蟻塚とは長篠合戦の多くの戦死者を埋めた場所で、のちに蟻が大量発生したので供養のために碑を立てて、蟻を封じこめたことに由来するようです。
供養塔
附近には供養塔のようなものが多数あります。
供養塔
大通りを挟んで、住宅地の奥を行くと、畑の真ん中に「馬場美濃守信房の墓」があります。
馬場美濃守信房の墓
鳳来町指定史跡となっているこの地に、設楽原合戦の殿となった馬場信房の首が埋められていると伝えられているそうです。
馬場美濃守信房の墓
武勇高き馬場美濃守に合掌

龍譚寺と井伊氏歴代墓所

浜松を朝出発し長篠に向かいましたが、途中大きな看板に誘われて寄りました。
龍譚寺
ここは井伊保の龍譚寺です。
龍譚寺
御堂が修復中でしたが、朝早いこともあり、有名な庭園は見れませんでした。
龍譚寺
境内には「井伊直政公出生之地」の碑がありました。ここは徳川四天王の井伊家が治めた地なのです。
龍譚寺
御堂の奥にある建物は・・・
龍譚寺
重要文化財の井伊家霊廟でした。近くまで近づけない・・・
井伊氏歴代墓所
隣接する墓地には井伊氏600年の歴代墓所がありました。
井伊氏歴代墓所
そんなに広くはないですね。
井伊氏歴代墓所

二俣一夜城と戦国時代絵巻

二俣一夜城と戦国時代絵巻
昨日に続いて、また二俣城にやってきました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
今日もイベント目白押しです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昼間に見る復元天守は夜とは違いますね。週間天気では雨が予想されていましたが、朝は何とか晴れてよかったです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
勇壮な和太鼓演奏からイベントは始まりました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて居合が披露されます。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
午前の部の最後は、日本放鷹協会による放鷹術披露です。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
本丸内を颯爽と飛ぶ鷹、今は日本種ではなく、イギリスのスカイホークなどを使用するようですが、観客も参加して鷹匠がどういう訓練をしていたのかを体験しました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昼の休憩の後は居合から始まりました。竹の居合斬りは切れないミネを使用するもので、すごい迫力でした。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昨日以上の観客が来ていましたが、期間限定の二俣城復元にしてはもう少し人出があってもよかったと思いますね。新型インフルエンザの影響もあるのでしょうけど。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて、朝から準備をしていた武者行列が始まり、
二俣一夜城と戦国時代絵巻
舞台上で徳川軍と武田軍による演劇が行われました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて、長篠・設楽原鉄砲隊による火縄銃砲術演武が行われました。すでに天候がかなり怪しくなってきていましたが、順調に演武は進み、
二俣一夜城と戦国時代絵巻
三段構えの演武などもあり、
二俣一夜城と戦国時代絵巻
すべての演武を終えるまでなんとか天気は持ちました。
一通りイベントを楽しんだので、帰ろうと駐車場に向かっている途中で土砂降りとなってしまいました。後のイベントはどうなったでしょうね。しかし、わざわざこのイベントのために遠征してきて良かったです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
帰りにイベントに連動した企画展をしていた田代家に寄りました。田代家は天竜川を利用した筏問屋です。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
中では、「二俣城物語展」として、二俣城や鳥羽山城の発掘調査や小説、絵画などが部屋に所狭しと並べられていました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
中に、平成7年に初めて復元されたときの二俣城復元天守の写真がありました。今回の天守は立派だと聞こえてはいましたが、比べるまでもないですね(#^.^#)

井戸櫓と信康廟

諏訪神社
ここは二俣城下の諏訪神社です。
諏訪神社
境内には本日の武者行列の主役が朝早く集合していました。
諏訪神社
神社の池に面して、隣接する清龍寺の井戸櫓が建てられています。
清龍寺 井戸櫓
二俣城には天竜川沿いに井戸櫓がありましたが、武田軍により破壊され水の手を絶たれて落城したと言われています。
この井戸櫓は近年復元されたものですが、天竜川沿いの井戸櫓はこれよりも高いものだったのでしょうね。
清龍寺
清龍寺の本堂の裏手を登ると、
信康廟
そこに徳川家康の嫡男で二俣城で自害した、岡崎三郎信康の廟があります。
信康廟
御廟前の門は先の台風で屋根瓦でも飛んだのでしょうか?ブルーシートが掛けられて少し痛々しい姿でした。

三方原古戦場碑やっと見つけた!

写真でよく見る画なのだが、なかなか場所が分からなかったもの
三方原古戦場碑
この「三方原古戦場」の碑です。
三方原古戦場碑
地元の観光マップにも載っていない?地元に入った後にどうしても見たくて探していると・・・
三方原古戦場碑
ありました。ここは中区の浜松市営の墓地です。
三方原古戦場碑
ちょうど管理事務所では
三方原古戦場碑
三方原合戦の貼絵展が開催中でした。

二俣一夜城と戦国時代絵巻

今回静岡まで足を伸ばした理由に、国民文化祭にあわせてここ二俣城に天守が復元されると知ったからです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
初日の今日は一日限りの夜のイベントが開催されます。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
天竜川も夕暮れに沈んでいきます。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
城跡となっている山上へは東側の公園入口から上るのが通常ですが、隣りの鳥羽山城を見に行った帰りでもあり、地元の人と一緒に西側入口より登ります。
そのおかげで山上にのぞく復元天守と月の風景を見る事ができました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
山上に到着すると目の前に復元天守が現れました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
回り込みます。一夜城として発表されていたイメージ図どおりではないですが、9日間という公開限定期間で撤収されてしまうのは勿体無い出来ですね。
後で聞いたところによると、建築に2、3週間もかかったそうで、解体された後はいつかまた公開されるまで保管されるそうです。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
本丸入口に立つ木像は、ここで自害した家康の嫡男信康の像です。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
今日は地元の方中心に100人以上の人が集まっていました。ドライアイスの煙幕とともにイベントが始まりました。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
天守二階の窓が開き、法螺貝が演奏されます。窓開くんだー、という驚きの演出です。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
初めに、犀ヶ崖資料館で見た遠州大念仏が演じられました。漆黒に浮かぶ復元天守の前で演じられる大念仏はなんとも言えない厳かなものでした。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
続けて、地元生田流の琴の演奏がありました。金沢城でも同様のイベントを何度も見ましたが、城に和の演奏はやはり合いますね。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
最後に日本舞踊が披露されました。晴れてて良かったですが、夜は寒かったですね。明日は昼のイベントです。

国民文化祭しずおか2009 絵図でみる浜松城

国民文化祭しずおか2009を見るために静岡までやってきたので、関連イベントを見ていきますよ。
国民文化祭しずおか2009 絵図でみる浜松城
まずはクリエート浜松で開催中の「絵図でみる浜松城」です。
国民文化祭しずおか2009 絵図でみる浜松城
会館の一室に絵図や浜松城の発掘調査成果などの写真が展示されていました。
国民文化祭しずおか2009 絵図でみる浜松城
貴重な大絵図も堪能できるこの展覧会、期間限定ながら無料です。
国民文化祭しずおか2009 徳川・武田争奪の城
そして、道向いの浜松まちづくりセンターに移動します。そちらでは「徳川・武田争奪の城」として、北遠・湖北の30の城について絵図や縄張り図、写真が展示されていました。それらの城跡が紹介された「浜松の城跡見どころマップ」もゲットできました。こちらも無料でした。

三方原犀ヶ崖古戦場

今日はいい天気になって良かった!浜松に到着するまでに豊田で1時間の大渋滞にはまってしまいました。
三方原犀ヶ崖古戦場
浜松市に到着して初めに寄ったのは犀ヶ崖古戦場です。まずは犀ヶ崖資料館を見てきました。
三方原犀ヶ崖古戦場
中には遠州大念仏の資料が展示されていますが、三方原合戦唯一の史跡として当時の模型があります。決戦場の広さを実感できますよ。
三方原犀ヶ崖古戦場
犀ヶ崖がその名のとおり深い崖地です。三方原合戦で夜営していた武田軍を徳川軍が急襲して、この崖に次々と落ちて亡くなったという場所だそうです。
三方原犀ヶ崖古戦場
石碑もあります。
三方原犀ヶ崖古戦場
のぞくとかなり深いです。斜面には竹も群生しており、当時はこれで竹槍なども作ったのでしょうかね?
三方原犀ヶ崖古戦場
資料館の裏には合戦でこの地で討死した本多忠真の顕彰碑もあり、その後ろには徳川家康お手植と伝わる楠木もあります。
この碑の右後方には「旗立ての松」という看板があるのですが、附近に松らしき木がない!?
不思議に思って資料館の管理人に聞いてみると、数年前に松くい虫にやられて枯れてしまったとか!それは残念なことです。看板の謎、解決です。

続・福井藩と江戸 福井市立郷土歴史博物館

午後から福井市立郷土歴史博物館にやってきました。
福井市立郷土歴史博物館
当館では現在特別展「葵と菊」を開催中です。越前の刀工というテーマで、刀剣が多数展示されています。展示室には学芸員ではなく、警備員が配置されている物々しさもありますが、私は刀よりは鍔や金工具のほうに目が行ってしまいます。
秋季特別展「葵と菊」
今日の目的は先の展示ではなく、こちらの企画展「続・福井藩と江戸」です。昨年に続く企画ですが、今回は福井藩の江戸屋敷に関する絵図が展示されているということで実物をぜひ見たかったのです。幕末中心でしたが、福井藩の江戸屋敷は「松平えちぜん殿」という名称で絵図に描かれていました。
そのあとはやはり「加州殿」が気になります。加賀藩の江戸上・中・下屋敷の位置関係を始めて絵図で確認できました。1本の街道沿いに下・中・上屋敷が配置されているのですね。江戸城を取り囲むように配置された尾張藩や紀伊藩、水戸藩など親藩と比べると大きな違いです。
秋季企画展「続・福井藩と江戸」
展示のあとは秋深まる養浩館庭園を見てきました。今日は行楽客や博物館の講座参加者で賑わっていましたね。
養浩館庭園
まだまだ紅葉の初めという感じでしたが、所々に赤く染まった紅葉がよいコントラストでした。
養浩館庭園
養浩館庭園

高岡の名宝展 ~ 前田の時代と城 ~ 近世越中産物の世界

秋のイベントが最も集中する10月第三週日曜日、今朝は大雨の中隣県富山に出かけました。
「高岡の名宝展」 高岡市美術館
第一の目的地は高岡市美術館。前売券を購入していた特別展「高岡の名宝展」を見学です。現地に少し早く着いてしまって、まだ準備中でした。
高岡開町400年記念の一環として開催中の同展ですが、開祖前田利長、中興の祖前田利常に関する宝物、同市の瑞龍寺と勝興寺の宝物が一堂に会する貴重な展覧会です。今日は一番乗りで展示を見ました。
「高岡の名宝展」 高岡市美術館
数年前の石川県立歴史博物館で開催された「瑞龍寺展」には行かず、今年春の「勝興寺展」にも行けなかった私でも、この展覧会でほとんどの重要な宝物は見れたと思います。図録ではなかなか感じられない本物の輝きを十分に堪能してきました。
特別展「前田の時代と城」 富山県埋蔵文化財センター
続けて訪れたのは富山県埋蔵文化財センターです。同館では現在、特別展「前田の時代と城」を開催中です。
特別展「前田の時代と城」 富山県埋蔵文化財センター
越中の城を中心に、富山城の絵図、高岡城、増山城、森寺城の模型、そして、安土城、小丸城、金沢城、富山城、増山城、放生津城、弓庄城、松倉城、春日山城、末森城、白鳥城の発掘遺物が展示されています。非常に充実した展示ですが、なんと無料で見る事ができますよ。
特別展「前田の時代と城」 富山県埋蔵文化財センター
展示室の入口は富山城の石垣の写真が出迎えてくれます。虎口風になっており、城跡へ入るような雰囲気を感じることができます。ちなみに中は撮影禁止です。
「近世越中産物の世界」 富山県公文書館
時間がありましたので隣の富山県公文書館に入りました。こちらも展示は無料です。
「近世越中産物の世界」 富山県公文書館
同館では企画展「近世越中産物の世界」というテーマで、加賀藩・富山藩領で名物として奨励された特産品を紹介していました。
日本全国に知られた「加賀笠(菅笠)」が旧福岡町近郊(現高岡市)で栽培されていた原料を使っていたという事実を始めて知りました。思いのほか興味深い展示で新しい知見を得ることができました。
さて、今日第二の目的は、富山県立図書館で開催される記念講演会でした。
記念講演「城が語る天下統一」
開演30分より前に受付に行ったらまだ準備中でした。
記念講演「城が語る天下統一」
特別展「前田の時代と城」を記念した講演会で、「城が語る天下統一」というテーマで奈良大学の千田教授が講師でした。100名余りの参加者の前で軽快な話を楽しみました。
織豊系城郭研究では第一人者である千田氏ですが、静岡大学の小和田教授といい、この分野の第一人者は話上手で大学教授らしからぬ?方々ですね。
今日の話のなかでは千田氏の安土城定説の反論がとても興味深い話でした。
・大手道の道筋のこと
・本丸御殿の建物のこと
・本丸天守台と天守の構造のこと
これまた知見の広がる話でした。そういえば、千田氏も今回の特別展の展示内容については大絶賛でしたよ。

惣構跡探訪会(東内・外惣構)

金沢歴史遺産探訪月間2009
金沢歴史遺産探訪月間が昨日から今年も始まりました。探訪会、文化財公開、伝統芸能披露と多くのイベントが開催されます。
惣構跡探訪会
今日は、惣構跡探訪会に参加しました。昨年第一回として西内・外惣構跡探訪会が開催され、今年は東内・外惣構跡探訪会が開催されます。
今まで惣構の探訪会は西惣構が中心だったので、東で開催されるのは今回が初めてではないでしょうか。講師は惣構跡探訪ではすっかりお馴染みになりました、金沢工業大学の増田教授です。
2年続けての参加が多いものと思っていましたが、数人だったのが意外でした。
惣構跡探訪会
集合場所であった金沢市庁舎南分室で講義を受けてから出発です。
惣構跡探訪会
東外惣構の見所はやはりその始点になる兼六園内の山崎山ですね。
惣構跡探訪会
早速、出発して県立美術館裏の階段を上り、小立野口から兼六園内に、山崎山で初めの解説です。
喰違虎口の一部であった山崎山は土塁の一部であり、古木が多く樹生するあたりが言われてみると庭園とは異なる趣に見えます。
惣構跡探訪会
そこから八坂を下り、路地に入ります。東外惣構が流れ落ちる道筋は非常に少なくなっているのですが、写真の中央の用水は新しいものです。右側からこの用水に合流している溝が惣構堀の名残りだということでした。
惣構跡探訪会
そこからすぐ近くの駐車場に土盛りが残っていますが、これが土居の跡ではないかと思われるのですが、民有地のため保存が難しいそうです。貴重な文化財ではありますが、一般生活との両立ができないのは残念なことです。
惣構跡探訪会
そして、材二親和会童志園は敷地が惣構堀、向こうの壁が土居の高さを示しており、痕跡は全くありませんが、その大きさのよく分かる場所です。
惣構跡探訪会
途中、旧成瀬家邸の立派な石垣を横目に、常福寺をぐるりと回ります。常福寺の敷地は一段高くなっており、その敷地に添って惣構は流れていきます。
ここで予定コースは横山町に入るのですが、賢坂辻を曲がり、東内惣構へ向かいました。
惣構跡探訪会
内惣構は小将町中学校の前から始まり、味噌蔵町小学校に向かって下ります。小学校前でみんなが覗き込んでいるのは・・・・
惣構跡探訪会
惣構が道路下を通り、流れてくる惣構堀跡です。ここでほぼ直角に右に折れます。
惣構跡探訪会
ここから入ったことのないような細い路地に入りましたが、惣構堀と土居との落差がよくわかる場所でした。
惣構跡探訪会
味噌蔵町交差点から斜めに入り、寺島蔵人邸の1本南側の道を歩きました。ここが惣構の内側の道、内道の跡です。1本北側の道路(寺島蔵人邸前)とは確かに落差があります。
また、個人宅に残る松の木は打道の幅を示しているそうで、興味深いですね。
惣構跡探訪会
枯木橋で惣構の深さを実感し、
惣構跡探訪会
最終地点は東内惣構堀枯木橋詰遺構です。皆さん最後まで真剣に話を聞いていましたね。
来年も開催されるか分かりませんが楽しみにしています。

連続講座「安土城四百三十年」 第三回 安土城をつくった男達

今日は講演会に参加するために安土城考古博物館に来ました。
連続講座「安土城四百三十年」 第三回 安土城をつくった男達
先週のシルバーウィーク中は映画「火天の城」の影響もあってか、開館当時を彷彿させるような込み具合だったようです。
連続講座「安土城四百三十年」 第三回 安土城をつくった男達
講演会は連続講座「安土城四百三十年」の第三回目です。前回までは日程が合わなかったので初参加となります。テーマは「安土城をつくった男達」で、今話題の岡部又右衛門や、狩野永徳、後藤平四郎、京のたい阿弥など安土城築城に関わった人々を紹介されました。
今回も100名を越える参加者がいて大盛況でした。
安土城考古博物館 秋季特別展「戦国の城 - 安土城への道」
1時間の講演のあと、現在開催中の秋季特別展「戦国の城 - 安土城への道」のギャラリートークがありました。今回の特別展では門外不出の城絵図の展示もあり、とても楽しめました。
連続講座「安土城四百三十年」 第三回 安土城をつくった男達
連続講座に参加すると、資料と修了証の他に、彦根の「しょうぶ屋」さんのご好意でキーホルダーがもらえました。毎回違う絵になるのかな?次回以降もできるだけ参加したいですね。
安土城考古博物館 秋季特別展「戦国の城 - 安土城への道」
展示会は前後期の入替制で、すべての展示を見ることはできません。連続講座第四回に参加すれば後期を見ることができます。実物を堪能した後は図録で楽しみます。

安土城下町を歩く

今日は安土城の城下を歩きました。前回の訪問時は安土駅の南側を歩きましたので、今回は北側を歩きます。
安土城下町を歩く
映画「火天の城」で安土町は随分と盛り上がっていました。
安土城下町を歩く
駅前では信長像が出迎えてくれます。
安土城下町を歩く
まずは駅前を西側に進み、「梅の川」に向かいました。
梅の川は、織田信長の家臣武田夕庵が、この水で茶を献上したところ、信長公はたいそう気に入り、茶会に好んで用いたと言われる水場です。
安土城下町を歩く
続いて、「北川湧き水」です。室町時代に常楽寺港として栄えたこの地区には湧き水が当時の姿で多く残っています。
安土城下町を歩く
湧き水の近くに常楽寺港の船着場址が残っています。
安土城下町を歩く
現在では湖岸からかなり内陸部となっていますが、常浜公園として葦茂る良い魚釣り場所となっているようです。
安土城下町を歩く
常浜公園から西の湖に向かう途中、道路上のマンホールが気に入りました。信長の旗印、永楽通宝ですね。
安土城下町を歩く
安土城の西側に広がる「西の湖」です。安土城築城当時は湖面が城の北側に大きく広がっていました。
安土城下町を歩く
安土城の西側に位置する「活津彦根神社」です。
安土城下町を歩く
現在の本殿は江戸時代前期のものです。
安土城下町を歩く
神社から東に進むと、朝鮮人下街道に至ります。安土城はすぐそこに見えます。
安土城下町を歩く
角に嘉永7年の法華塔が残っています。
安土城下町を歩く
百々橋を渡れば、安土城の百々橋口です。
安土城下町を歩く
下街道を戻ると、途中「新宮大社」がありました。
安土城下町を歩く
茅葺の美しい拝殿のある神社でしたが、敷地を取り囲む石垣の入り組み方が複雑で、砦かとも思える程でした。
安土城下町を歩く
さらに下街道を進み、少し外れた場所に「セミナリヨ址」がありました。南蛮寺のあった場所ですね。今はすっかり整備されて史跡公園となっています。
安土城下町を歩く
ここからは安土城が間近に見えます。
安土城下町を歩く
下街道は城下では何度も曲がります。この曲がり角では「常夜灯」が残っています。
安土城下町を歩く
石は一見して古さがわからないのが欠点ですね。
安土城下町を歩く
さらに進むと「活津彦根神社」の参道の入口がありました。ここから数百メートル先に先ほどの境内がありますが、下街道からまっすぐに参道が設けられていたことになります。
安土城下町を歩く
下街道からまっすぐ北に神社への参道、下街道は右に折れます、。
安土城下町を歩く
そこから50メートルほど南に神社の御旅所が残っています。
安土城下町を歩く
この角には「朝鮮人街道」の石碑が立っています。向こうの角を左に曲がれば安土駅です。

天地人の旅 IN 南魚沼

今日は誕生日です。私もついに30代後半に突入しました。
シルバーウィーク後半は天候が崩れる予報だったので、またまた強行軍ではありますが、朝6時に出発して南魚沼市に出かけました。
3時間ほどで六日町ICに到着。シルバーウィーク期間でも北陸道から関越道は渋滞なしに来ることができました。
愛・天地人博
まずはJR六日町駅前の「愛・天地人博」を見学。
上杉謙信公・直江兼続公レリーフ
駐車場は隣りの南魚沼市役所駐車場だったので、市役所前の上杉謙信公と直江兼続公のレリーフを見てきました。
上杉謙信公・直江兼続公レリーフ
移動して川沿いの駐車場に駐車し、周辺を歩きます。
直江兼続公伝世館
向かったのは直江兼続公伝世館。観光客がいっぱいでゆっくり見れませんでしたが、パンフレット類をたくさん入手しました。
トキめき新潟国体
駐車場から伝世館への道すがら一週間後に開催される「トキめき新潟国体」の昇り旗が並んでいました。地元石川県は前田利家?ですね。頑張って書いたんでしょうね。
坂戸城
黄金の穂を垂れる田では稲刈り真っ最中でしたが、田の後方にそびえるのは坂戸城です。
銭淵公園
伝世館の裏は銭淵公園となっており、池の背に坂戸城がそびえます。
銭淵公園
この銭淵は長尾政景が溺死したと言われている場所です。園内に「長尾政景公生涯之地」の碑が立てられています。
上田長尾氏史跡公園
坂戸城に登った後に上田長尾氏史跡公園に向かいました。
上田長尾氏史跡公園
新しい長尾政景公の墓碑の裏には天正と明治の古い墓碑がひっそりと立っています。
上田長尾氏史跡公園
史跡公園のなかには、政景公以外にも歴代の上田長尾氏の当主の墓碑と、直江兼続公の墓碑が立っています。
雲洞庵
駐車場に戻り、雲洞庵へ向かいました。雲洞庵は大河ドラマにも出てきた幼い景勝と兼続が学んだ地です。しかし、ここだけは観光客であふれ、駐車場が足りずに道にはみ出していました。大河ドラマの影響はすごいですね。まあ、自分もその一人なのですが・・・
雲洞庵
山門は朱色で装飾され、別名赤門と呼ばれています。
雲洞庵
本堂ほかの建物も広いです。宝物館には貴重な品々が残っていましたが、保存状態があまり良いようには見えませんでした。
坂戸城
雲洞庵からは遠く坂戸城が見えます。
龍譚寺
まだまだ行けそうだったので、龍譚寺に向かいました。ギリギリで拝観時間に間に合いました。本堂には景勝の母、仙桃院の寄贈した文殊菩薩が特別公開されています。
龍譚寺
境内には「上杉景勝公生誕之地」の石碑が立てられています。この龍譚寺の本尊は珍しい文殊菩薩です。それは仙桃院に関係あることなのでしょうね。
樺沢城
龍譚寺の前が樺沢城跡です。夕方遅くなってきていましたが、住職に頂上まで20分ほどと聞かされていたのでひと回りしてきました。
なんとか当初予定していた計画を消化できました。引き替えに昼食は最後までお預けとなってしましたが・・・腹減ったなあ。
愛・天地人博みやげ
愛・天地人博でいくつかのみあげをゲット。南魚沼には専用キャラがいるのですが、購入したのは米沢の専用キャラ「かねたん」のぬいぐるみとメモ帳、景勝と兼続に扮したキティのお菓子、そして入場記念としてもらえた南魚沼産コシヒカリ1キロです。米沢は行けそうにないなー

富山城石垣ツアー

晴天の今日、遅い夏休みを取りました。目的地はここ富山城址です。
富山市郷土博物館
目的のイベントの前に、富山市郷土博物館で開催中の企画展「梅鉢紋をさがそう」を見てきました。
富山藩主に関連する品々から、富山藩の家紋である「丁子梅鉢紋」を探すという企画です。
企画展「梅鉢紋をさがそう」
ゲーム感覚でとても面白かったです。
同じ前田家といえども、本家加賀藩は「剣梅鉢紋」、大聖寺藩は「瓜実梅鉢紋」、七日市藩は「星梅鉢紋」だそうです。ちなみに、富山藩の丁子とは植物の名前です。
富山城石垣ツアー
さて、本日の目的は「石垣ツアー」に参加することです。今年初めて開催されているこのイベントは6月から始まり、今回が4回目です。基本水曜日に開催されるイベントはサラリーマンには参加できるはずもなく、11月の祝日が唯一の機会なのですが、これがために休みを合わせました。
富山城石垣ツアー
集合場所である郷土博物館前には思っていたより大勢の人が集まっています。
富山城石垣ツアー
毎回参加しても新しい発見を!ということで、今回は城内コース(基本コース)のほかに、船橋コースが準備されていました。3分の2は常連さんみたいで船橋コースに行きましたが、自分は城内コースです。
富山城石垣ツアー
最初は、郷土博物館の隣りにある屋外展示場にある石垣石から解説が始まりました。
富山城石垣ツアー
次に、郷土博物館の土台となっている本丸石垣に残る鉄御門の貫端部加工石(部屋でいうと敷居にあたる門柱を支えるための横に敷かれる木材)。石垣の崩落による積み直しにより、本来あるべき場所とは違う場所にありますが、言われないと気付きませんね。
富山城石垣ツアー
次に本丸石垣、郷土博物館の模擬天守のちょうど下の隅石として使用されている石。陰陽道の五芒星が石いっぱいに描かれています。富山城には裏鬼門となる南東方角に2箇所残っているそうです。
富山城石垣ツアー
最後に、佐藤記念美術館の建つ本丸石垣です。北向きで日陰になるところなので、苔生して非常にわかりづらいですが、明治期に積み直している部分の石が、色や積み方が違っているのがよくわかる場所だそうです。1時間という短い時間でしたが、参加できてよかったです。今後も続けてもらえれば、富山城址の復元に一役買う存在になりそうな予感がします。

特別展「木舟城と城下」

旧福岡町内の福岡公園内にある高岡市福岡歴史民俗資料館に行ってきました。
特別展「木舟城と城下」
旧福岡町役場の建物を資料館として再利用しており、市指定文化財となっています。
特別展「木舟城と城下」
現在は高岡開町400年記念事業の一環として、特別展「木舟城と城下」が開催中です。
特別展「木舟城と城下」
チラシは昭和10年の木舟城と、杉野家文書の木舟古城図です。
特別展「木舟城と城下」
二階展示室には木舟城跡や城下町遺跡で出土した遺物や発掘調査パネル、前田利家と佐々成政の対立に関連する古文書や末森合戦の絵図などが見ごたえたっぷりに展示されていました。
特別展「木舟城と城下」
中でも注目は加賀藩十村(他地域の庄屋)であった杉野家文書のなかに発見された「木舟古城図」です。
特別展「木舟城と城下」
この絵図は木舟城の紹介で何度も見ましたが、実物を見るのは初めてです。
十村は領内を管理するために様々なことを書き留める義務があり、古城であった木舟城もその対象になっていたようです。聞いてはいましたが、実物は小さいですね。現在のメモ帳に近いものではないでしょうか?
近くの方はこの機会に、地元の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。10月11日まで開催中で、わずか一月半という短い期間なのが残念です。1時間ほどの滞在時間でしたが、地元の方が数人見に来ていました。これも昨日の講演会の宣伝効果なのか?

前田秀継公墓所

富山県小矢部市にある前田秀継の墓所へ行ってきました。
前田秀継公墓所
山の中にポツリとある、わかりにくい場所ですが、案内看板も随所にあり、すんなりと到着しました。
現在「前田秀継公記念公園」となっています。
前田秀継公墓所
奥に100メートルぐらい進むと、山の中腹に見えます。
前田秀継公墓所
そのまま階段を進もうとすると、
前田秀継公墓所
蛇に行く手を遮られました。先日一乗谷山城でも遭遇しましたが、今年は蛇によく出会います。
前田秀継公墓所
蛇がなかなか退かないので、土手道を進みます。
前田秀継公墓所
一段上がると、そこは高徳寺跡です。昭和初めまで建物があったようですが、老朽化で取り壊されたため今は何もありません。
前田秀継公墓所
門をくぐって階段を上ると、
前田秀継公墓所
そこに3基の墓が並んでいました。
前田秀継公墓所
前田秀継夫妻の墓です。3基ありますが、1基は誰のものでしょうか?
前田秀継は前田利家の末弟であり、越中の佐々成政との攻防のなかで、津幡城主から木舟城主となりました。天正13年の大地震で木舟城が倒壊し、夫婦ともに圧死し、その子利秀により、ここ高徳寺に葬られました。利秀は秀継の跡を継いで木舟城主となりましたが、再建を断念し、今石動城に移りました。高徳寺も今石動の城下に移転しましたが、秀継墓所はそのまま残ったようです。
前田秀継公墓所
墓所には麓から一直線に上る急階段もありましたが、段が傾くなどしてこちらから上るのは無理そうです。

特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」

高岡城内にある高岡市立博物館では、現在、特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」が開催中です。
特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」
特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」
藩政期高岡城の絵図のほか、高岡古城公園整備に関する設計書など多くの資料を無料で楽しめます。以前の高岡城展の図録掲載物はほぼ出品されているようですので、前回見逃した方は今回必見ですね。
絵図を見ていて今回ひとつ発見したのは、藩政期(現在も)高岡城での大手口と搦手口は、古城公園の設計図では逆に記載されていました。なぜでしょうね?
特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」
今日は14時から3階講堂で、高岡徹氏により「前田氏の越中進出から高岡築城まで」というテーマで講演があり、80名という定員のところ、大幅にオーバーして廊下まではみ出していました。
特別展「地図にみる高岡古城公園の400年」
高岡氏も話に大いに熱が入り、1時間半の予定が1時間も延長されました。阿尾城菊池氏から木舟城、蓮沼城、今石動城、守山城まで、高岡城築城に至るまでの西富山地区の城館の変遷がよくわかりました。