大口町にある小口城です。
現在は本丸の一部だった櫓台跡を中心に公園として整備されています。
小口城は尾張領内の岩倉と犬山の中間点にあり、街道上の重要な拠点でした。
平成11年にこの館風の展示館と望楼ができたようです。展示館ではここ小口の歴史を学ぶことができます。
展示館の前には発掘で見つかった井戸跡と
鍛冶場の炉跡の位置がわかるようになっています。
公園は近くの小学生の遊び場になっているようで、たくさんの子供たちが遊んでいましたが、見上げるほどの望楼に上ることもできます。目が回るほどにグルグルと上がっていくと、さすがに転落防止に金網が張ってありますが、四方一望できます。
昔は見渡す限り田畑が広がったのどかな場所だったのでしょうが、今は住宅地が広がります。
公園横に広い空地がありますが、そこには昔小学校があったそうです。その敷地ももとは小口城の本丸です。
岩倉と犬山の中間にあるということで、この望楼からは犬山城も
小牧城も見えますよ。
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晩秋の犬山城へ 愛知県の城館
今日は午前中は天気良かったですが、徐々に雲が広がってきて、最後の太陽です。長良川に映る太陽が眩しく、湖岸の山上にそびえる天守が良いですね。
天守までの道脇はすっかり紅葉しています。今年は秋が遅れましたから、まだまだいけますね。
紅葉と石垣の組み合わせはいいですね。
本丸内は紅葉には少し遅いようでしたが、それでも観光客がそこそこいましたよ。さすがに国宝です。
天守最上階に上ると、四方景色が広がります。これは南方面の名古屋方面。
先程とは反対に、小牧山上の小牧歴史館が見えます。
西方面の奥に金華山が見えます。
最大望遠で山上の資料館が見えました。肉眼ではまったく見えませんでしたが。
上から望む長良川もいいですよ。
城下のみやげ店でマスコットキャラのわん丸君のぬいぐるみを買いました。春に小さいほうも購入したので、今日は大きいのを買いました。大きいのは手の肉球もあるんですよ。お店の方はどんどん売れるけど入荷が少ないんですよ、って嘆いていました。売れるっていうのはわかりますよ。かわいいですからね。
自販機にもわん丸君が描かれて、大活躍ですね。
青塚砦 愛知県の城館
犬山市の青塚古墳史跡公園に来ました。
古墳が整備され、ここまで全形が残っているのは貴重ですね。上に登れないのは殘念だけど。
ここは秀吉VS家康で争った小牧長久手合戦のとき、秀吉軍の森長可が陣を張った場所です。
しかし、看板にも古墳の説明だけで砦跡であることは一言も書かれていません。
ここから小牧城の歴史博物館が見えます。開発された現在でも見えるということは、当時は丸見えだったことでしょう。戦場の臨場感が味わえます!
小牧城 愛知県の城館
小牧城のあった小牧山にやって来ました。昔はまわりも田畑が広がり、小牧山全体がきれいに見えたのでしょうけど、今は、会瀬川沿いのこのスポットからやっと見える軽度ですね。
小牧山の頂上にある小牧歴史館を目指します。
資料館はちょうど本丸にあたる場所に建っているのですが、近年その周囲の発掘調査で巨石を使用した石垣の一部が次々と発見されました。
こちらにも
信長が小牧山に在城したのは数年なので、これまでは本格的に整備されないうちに岐阜城へ移ったと考えられていた定説を覆すことになりました。
資料館からの遠望は、今日の天候にも恵まれてとても良いです。こちらは北方面。
小牧長久手合戦のとき、徳川家康はこの小牧山に陣取り、北側に布陣した羽柴秀吉軍と向かい合いました。
肉眼では見えなかったけど、デジカメを最大望遠にしてみたら、なんとか犬山城が見えました。
史跡として保存されている小牧山の麓には、おそらく小牧合戦時代の土塁が残り、山裾との間に広い郭を形成していることが今でも確認できます。
それにしても大きな高い土塁です。どこの城跡でも数万人が野営する場所などないと思うところが多いですが、ここはなるほどと思えます。
通路を造るために、土塁を切断した部分をそのまま展示施設として見せています。
井戸跡も残っています。
郭との間の空堀も復元されています。山城の面影が残る場所ですね。
尾張大野城 江を訪ねる旅 愛知県の城館
江が最初に嫁いだ先として、今年注目を集めた尾張大野へやって来ました。ドラマではほぼ1話程度で別れてしまいましたが・・・・地元は盛り上げようと頑張っていますね。
平野部が続く中、ひときわ小高い丘の上に展望台が見えます。
大野城一帯は城山公園として整備されていました。
ぐるりと空堀がめぐる中心部に上がると、石碑と展望台がありました。
実際には天守はなかったのですが、展望台として建てられた建物は天守風ですね。
ここから見える伊勢湾を江も眺めたのでしょうか?
現在一番高い部分には佐治神社が祀られています。思ったより小さい社です。
主郭はかなりの比高差があり、天然の要害となっています。
町へ向かって、旧郵便局を改装したという尾張大野歴史資料館にも行ってきました。今年空きスペースを利用して開催されている資料館ですが、ドラマが終わった後も続くのかは不明です。期間限定かも?
中にはあいち戦国姫隊が来た時の様子や
ドラマで佐治一成を演じた俳優、平岳大さんが来た時の様子が展示されていました。
もちろん、佐治氏とドラマ登場人物の関係図などもあり、地元の歴史を紹介することも忘れていませんよ。ドラマ終了まであと少し、ぜひご覧アレ!
西南隅櫓、旧二之丸東二之門 修復工事
1年ぶりに名古屋城に来てみたら、西南隅櫓に素屋根が懸けられて、名古屋城一の撮影スポットが変わっていました。
西南隅櫓は濃尾地震で崩れて、城内唯一の菊の御紋が瓦に描かれた旧離宮の面影が残る建造物です。
次に西南隅櫓が見られるのは平成26年秋ということで、随分先ですね。工事中で掘部分にも部材が置かれていますので、あれ!?鹿たちは・・・
と思っていたら、表二之門近くの堀で仲良く休んでいました。
工事現場の看板には「旧二之丸東二之門」の文字もあり、
ずっと立入禁止になっていた現場に行ってみると、
こちらは完全に解体されて、礎石のみの状態に
こちらは一足先に平成24年冬に終了予定ということです。
名古屋城 西北隅櫓、乃木倉庫の特別公開
秋に名古屋城検定が日程変更になり、ちょうど特別公開中の西北隅櫓に入ることができました。県外者にはタイミングよく訪れるのは難しいことなので、自分も初めて入りました。
北西隅櫓は別名、清洲櫓とも呼ばれ清洲城天守を移築したものと言われた時代もありましたが、修復調査により現在は否定されています。層塔型という形式で、階が上がるごとに徐々に面積が狭くなる形式ですが、この建物は通し柱がなく、代わりに下階の廊下に貫を通すことで上階の柱を支えているそうです。写真は二階。
最上階でも広く、大勢の武士が待機できるようになっています。
眺めはよく、堀越しに名城公園方向を撮ってみました。
もうひとつ、同じく御深井丸に建つ乃木倉庫も中を公開していました。
太平洋戦争の名古屋空襲で本丸御殿の障壁画を守った土蔵の戸は、分厚く重量感があります。
中は単純な構造で広く空間が取られていました。
一角には古材や古瓦が集められて置かれていました。貴重な体験でした。
犬山城 愛知県の城館
東海北陸道の岐阜各務原ICを下りて、西に進むと「岐阜城」、東に進むと「犬山城」に至ります。共に国道21号(旧中山道)となりますが、こうして車で行くと、犬山城が岐阜城と尾張・三河の途上にあることがよくわかります。(ちなみに地元民でもないと、「各務原」ってなんて読むのかわかりません。「かかみがはら」と読むようですよ。)
国宝犬山城の石碑のある三の丸から登ります。
犬山城は天守を除いて廃藩置県のとき取り壊されてしまったので、大手門も復元となります。
桜越しに天守を捉えてみました。
天守の東南隅に付櫓がつくのが犬山城天守の特徴です。
明治24年の濃尾地震で付櫓が壊れたのを機に元城主で尾張藩家老の成瀬家の私有となりました。平成16年からは財団法人犬山城白亭文庫の所有となっています。
付櫓前には雷から天守を守ってきた神木が立っていますが、今はもう枯れています。
丸瓦は成瀬家の家紋「丸にカタバミ紋」です。
では、天守中に入りましょう。
入母屋破風の部屋
唐破風の部屋
石落としの部屋
地階石垣で地階を支える柱
最上階には成瀬家歴代の肖像写真が飾られています。
では、望楼の高欄に出てみます。天気が回復してきて今日は遠くまで見通しがききます。まずは本丸内。
東側の木曽川上流。
今日は運よく雪をかぶった御嶽山がよく見えます。
西側には岐阜城の金華山が
木曽川下流、ライン大橋の向こう対岸に伊木山が見えます。
南側には遠く、小牧山が見えます。
秋の名古屋城散策と天守台刻印 愛知県の城館
紅葉真っ盛りの名古屋城に来ました。この時期に来るのは初めてですね。
今回は時間がありますので、久しぶりに二之丸庭園から巡ります。
南蛮たたきです。
埋御門をじっくりと見るのも久しぶりです。
二之丸庭園の場所によっては、とてもきれいに紅葉しています。絶好の撮影場所ですね。
手水鉢に浮かぶ紅葉の葉が風情ですね。
二之丸庭園入口も紅葉が入るといつもと違います。
内堀には鹿たちが・・・・おー復活していますよ。元気でね!!
では、まだまだ時間がありますので天守台の刻印を探します。家紋など記号の刻印は沢山ありますが、文字の刻印もあるんですよ。こちらは有名な不明門近くの天守台北東隅の「加藤肥後守 内小代下総」(拡大あり)の刻印です。
問題はこちら天守台南西隅の刻印です。肉眼では全くどこにあるかわかりません。
デジカメを最大望遠(X18)で石ひとつひとつをじっくり探すこと10分・・・
ようやく見つけました!「○肥後守内 ○○○○○」、よく読み取れません。
(資料が見当たらないので後日更新します)
人気者のはち丸には撮影待ちの列がついていましたよ。
あーそれと、名古屋城売店で「名古屋城本丸御殿基金WAON」が売られていたので買いました。もちろん使いません。カードを記念に買ったようなものですよ。首里城にもあるみたいだけど、あちらはずっと行けないなー。
星崎城 愛知県の城館
電車の写真・・・
ではありますが、奥に見える一段高い台地上に「星崎城」があったと伝えられています。
現在、城跡は「笠寺小学校」の敷地となっています。
校庭などもあり、かなり広い平坦地がもともとあったと推定されます。
が、遺構らしきものは地形以外は何もないですね。
丹下砦 愛知県の城館
鳴海城の北側に位置した砦が丹下砦です。
しかしながら、丹下砦は実際にどこにあったかわかりません。開発が進んだため発掘調査がままならない状況もありますが、遺跡分布図の推定値がこの辺りです。
駐車場から西側をのぞむと平野が広がっています。
下から同じ場所を見上げると、こんなに落差があります。
奥に見える台地のどこかに丹下砦があったのでしょうね。
善照寺砦 愛知県の城館
鳴海城を東に、台地を上っていき、ひときわ高くなっている場所まで来ると、ここが「善照寺砦」跡です。
現在は「砦公園」となっていますが、周辺道路からの高低差もかなりあります。
山頂の公園はそう広くはないですが、
ここからは大高や桶狭間の方角がよく見えたことでしょう。
鳴海城 愛知県の城館
名鉄鳴海駅を北側にしばらく行くと、鳴海城跡があります。
成海神社の境内に「史跡 鳴海城址」の石碑がありますが、
境内は城跡の西端あたりになります。
境内から駅方向に向けてなだらかに傾斜しています。
道路を渡って、東方向に歩くと、
「鳴海城跡公園」がありますが、公園整備のため、遺構らしきものはありません。
が、公園から眼下をのぞむと、ここが山上にあることがよくわかります。鳴海城跡は数回にわたり発掘調査がされており、ちょうどこの公園のまわりの道路などで行われているのですが、道路の下に堀跡などが見つかっています。
中島砦 愛知県の城館
名鉄鳴海駅の北側に流れる川沿いに東に歩いていくと、2本の川が合流する中洲地帯が見えてきます。
ここに中島砦がありました。観光用地図の中島砦は遺跡分布図とは違う場所が示されていますが、後で調べると、私有地に石碑を立てた方がおられるようで、この石碑を見逃してしまいました。
遺跡地図上は中洲の北側となっています。
ちょうどこの住宅街の辺りとなるのですが、開発が進んだ今となっては何も痕跡らしいものはありません。
住宅街を用水が流れていますが、これが砦跡を利用したものなのか?近代に掘削されたものなのか?どうもわかりません。
丸根砦 愛知県の城館
鷲巣砦から丸根砦に向いましたが、間に大高台地が横たわっていて迷ってしまいました。
ようやく辿り着いた入り口も、観光道としてはどうも裏口だったようです。
入るとすぐに案内板があります。本丸となった山の山頂部とまわりを囲む外掘が残っているようです。
案内板の近くの外掘跡は外側に土塁が残りますが、
少し進むと、外側の土塁はなくなります。今は通路のようになっていますが、ここが外堀だと・・・思います。
急な斜面を階段を上ると、山頂はそれほど広くはありません。桶狭間の戦いの慰霊碑が地元町内会によって立てられていました。
一段下りた森の中に「史跡 丸根砦址」の石碑が立てられています。
反対側の階段を下りていくと、入り口に看板が立っています。といってもこちらもわかりにくい場所ですね。ここまで大通りからどうやって到達するのでしょう?
しかしながら、荒れているわけではないので地元の方に大事に守られている砦跡だと思いました。
奥に見える森が丸根砦です。
鷲津砦 愛知県の城館
JR大高駅から程ないところに鷲津砦跡があります。
砦跡は現在「鷲津砦公園」となっていますが、土曜日にもかかわらず人はまったくいません。といっても、小さな公園です。
大半は森となっているようですが、一帯の山腹は住宅街になっているところもあります。
砦跡を通る通路は一本ですので、迷うことはありません。
少し上って平坦部に出ると、忠魂碑とその横に「史跡 鷲津砦址」の石碑が立てられています。
石碑を過ぎてすぐに住宅街に隣接した公園に出てきます。
遊具のある公園の一角に「鷲津砦跡」案内板が立てられています。
これを見ると、実際の史跡範囲は意外に狭いものですね。
この鷲津砦跡からは木々が遮って大高城のほうを見渡すことはできません。残念。
大高城 愛知県の城館
大高城下には今も寺院が多く残り、風情が感じられます。
と・・・肝心の大高城への入り口を過ぎて奥に行ってしまいました。
家の間を抜けると、小高い丘が眼前に広がります。
入り口に石碑と、反対側に
案内板が立てられています。
地図でみると、大高城のまわりはぐるりと住宅街が取り囲んでいます。
本丸からは鷲巣砦の方角に森がなんとか見えます。
本丸は広いです。親子がキャッチボールを楽しんでいました。
そんな本丸の柵の外は急な斜面となっています。
本丸と二の丸の間には内堀がよく残っているため、土橋も良好に残ります。
土橋を抜けると、二の丸です。
本丸と二の丸の間の内堀は広く、深いものでした。
斜面も急で、ここを上るのは大変です。
遠く、鷲巣砦や丸根砦も望めますし、内堀はぜひ下から眺めて欲しいですね。
少し離れたところを大高川が流れます。水量はそれほど多くありません。この川を挟んで、大高城と鷲巣砦、丸根砦が向かい合っています。さあ、鷲巣砦へ!
名古屋城 東馬出石垣修復工事
雨模様ですが、なかなか来ることはできませんので、内堀のまわりを歩きました。
すると、東馬出の石垣がいよいよ積み直されていました。
裏込めの石がたくさん見えます。
ここは石垣がはらんで崩れる可能性があるため、随分前より立入禁止になっています。
修復を終えて入れるのが楽しみですね。
雨でずぶ濡れになりましたが、雨の日でも良いことがあります。
それが、この石垣の刻印などが見やすいことです。光がなく、石がぬれて文字や模様が浮き出てくるのです。
今年は名古屋城築城400年の記念すべき年。
「はち丸」くんも出動して盛り上がっていますよ。
天神山陣地 愛知県の城館
医王寺の西側に天神山陣地への搦手口があります。
とその前に、地元の伝承である山県三郎兵衛昌景の息継ぎの井戸がありますのでお見逃しなく!
さて、山道を進むと、平坦部に出てきます。
この辺りが陣地跡でしょうか?しかし、立て看板は眼下の岩代陣地、有海村陣地、篠場野陣地の説明です。
見晴らしはよいですが、肝心の陣地跡はいずこ?
さらに進むと、神社裏にやってきました。この平坦部には虎口跡?にも見える掘削部が見られるのですが、はっきりしたことはわかりません。
荏柄天神の裏山であることは間違いないとは思いますが・・・
本殿裏の山とはかなりの落差があります。
麓の一段上には結構立派な的場がありました。曲輪跡にも見えないことはないですね。
医王寺山陣地 武田勝頼本陣 愛知県の城館
長篠城址の北に医王寺があります。その背後の山に長篠合戦のとき、武田勝頼の本陣の陣地がありました。
医王寺にはその碑が建てられています。
医王寺の東側に大手道があり、そこから上って搦手道を下りて来るように散策コースが作られています。
さあ!行きましょう。
けもの道幅の遊歩道を歩いていくと、15分ほどで山頂の平坦地に出ます。
ここに展望台が・・・
あれ?壊れていて上れないようです。残念・・・
展望台に上らないと木でよく見えませんが、長篠城までの見通しの良い場所ではあるようです。
山頂の案内板には、現在地の「本曲輪」の東に「東曲輪」、西に「西曲輪」があると描かれています。
東曲輪はよくわかりませんでしたが、西曲輪に至る道には堀切が認められ、
また西曲輪の平坦部もわかりやすいです。
大通寺山陣地よりは時間もかからず、散歩にはちょうどよい感じです。