ホテル前の道路は旧北陸街道、高田の町中を屈曲して通ります。
8時前には高田城に到着しましたが、三階櫓開館は9時なのでそれまでは高田のまちをめぐります。
外堀の南の端から西南に広がる旧城下町に向かいます。
昨日はよく見えなかった堀の蓮が、今日の晴天に誘われて
満開となっています。
まちめぐりはパンフレット「城下町高田さんぽ」を見ながら巡ります。
「馬塚稲荷」
上杉謙信公の馬がここで死んだという伝承の地らしいです。
西へ向かう途中、駐車場から旧百間堀が見えました。堀の両側を住宅に挟まれ、堀も短くなっているようです。
百間堀の碑のあるところから堀が全く見えないのはもったいない。
惣構を担ったと思われる青田川は、北国街道と交差するように直角に曲げられました。
川沿いをしばらく行くと、唯一土塁が残る場所があります。上に家が建てられて奇跡的に残ったようですが、木が繁茂していて形はよくわからないですね。
「町奉行所跡」
旧城下の風情ただよう松林
対面所のあった榊神社を通ってようやく大手橋まで戻ってきました。
二の丸土塁跡
内堀にかかる西側の土橋。昨晩のライトアップ写真はここから撮ったものですが、すでにたくさんの観光客が訪れているようです。
三階櫓に入ります。
もともとそんなに高い場所ではありませんが、自然に囲まれた櫓からの景色は壮大とは言えないですね。
上越市発足20周年記念事業として復元された三階櫓には、最上階の天井に棟札が掲げられていました。
2014年は高田開府400年の年にあたり、記念行事が行われるそうで楽しみです。
「本丸跡」
「三の丸跡」
堀の向こうに見える土橋には東不明門がありました。
高田を後にして春日山神社に寄った後、全国城郭研究者セミナー2日目に参加しました。テーマ報告1の途中からの参加でしたが、報告4に地元石川の七尾城の縄張報告があって、期待していましたが新たな見識はありませんでした。
カテゴリー: 15新潟県の城館
全国城郭研究者セミナー1日目と高田蓮まつり
今年の全国城郭研究者セミナーは上越市の上越教育大学での開催です。
会場の講堂にはすでに多くの方が集まって研究報告を聴いていました。
朝早くに上越入りしたものの、居多神社と林泉寺と御朱印めぐりをしていたので到着は昼前になりました。
昨年の大震災を受けて、本日の報告には「史跡小峰城跡の被災状況と復旧」がスライド入りで紹介されました。地震では東北各地の城跡が多大が被害がでましたが、生活最優先のなか文化財の復旧はなかなか進んではいないようです。
また、本日最終報告は「2011年7月の記録的な集中豪雨による坂戸城跡・樺野沢城跡の被害状況について」は思っていたより衝撃的でした。2009年のNHK大河ドラマ「天地人」放映時に、私も両城へ訪れましたが、良好に遺構が残っていて魅力ある城跡でした。特に土盛りの城である樺野沢城跡は土砂崩れによる崩壊が激しく、復旧にはまだ数年かかりそうです。
宿泊のホテルは高田駅近くでしたが、高田城のライトアップをやっているか確認に行こうと思っていたところ、ちょうど蓮まつりの期間のようでした。
すでに薄暗くなっていて、高田城の堀一面を覆い尽くす蓮はよく見えない状況でした。
目的だった高田城の三階櫓はライトアップされており、暗い公園の中しばらくアングルを探りながら撮影してきました。やはり堀に映るこの位置がベストアングルのようです。
蓮は日が暮れて閉じてる状態だったので、夜に見に来るものではないですね。明日に期待しよう。
樺沢城 新潟県の城館
樺沢城は小さな山城ではありますが、山城独自の機能が随所に見られる良い城でした。樺沢城については、入口にある龍譚寺で今泉博物館発行の特別展「山城 樺沢城」(500円)が販売されています。分かりやすいですのでおすすめです。
さて、龍譚寺の向かいに城への入口があります。
小さな川を渡るとすぐに「元屋敷跡」の石碑があります。
登っていくと「仙桃院お花畑跡」の看板がありますが、
その石碑は龍譚寺の前にあります。
進むと、左方向が崖面となり、そこらじゅうに看板が立っていました。「空堀」「土塁」・・・・などなど
土塁と頂上方向の崖面の間の通路に沿って空堀があるようなのですが、草が茂る今の時期はわかりませんね。
通路を抜けると、頂上側の通路が大手口です。
大手口を入ると三の丸跡となりますが、三ノ丸は2段になっているのは珍しいです。
三ノ丸と二ノ丸の間には深い堀切があります。
「空堀」と看板のある、右が三ノ丸側、左が二ノ丸側、写真でもわかるほどの堀切は珍しいです。
二ノ丸跡は意外に小さいです。
二ノ丸と本丸の間にも深い堀が掘られています。
本丸に至る途中に、胞衣塚(えなづか)があります。景勝が誕生した時、その胞衣を納めた所と言われています。
本丸のまわりには帯曲輪が巡っています。
本丸は思いの外広く、眺めは最高です。
上田庄を望む位置に作られた本丸からは、坂戸城も左前方に見えます。
頂上に富士権現も見えますね。
本丸を下ると、「ロープをつかっておりてください」
本当にロープなしでは下りれません。写真でもご覧のとおりの急勾配です。
本丸から西の丸に至る途中に畝状竪堀があります。ロープで登り下りして五重以上の竪堀を見ることができそうですが、2重目を見て今日は時間がないので諦めました。
そして西ノ丸です。こちらからも上田庄が見えますが、木々が邪魔していますね。
樺沢城下には樺沢城保存活動の一環として、標石が多く立てられています。その中のひとつ、「黒金屋敷跡」です。
こちらは龍譚寺の手前にある「下屋敷跡」です。
坂戸城 新潟県の城館
坂戸城に登ります。
麓の駐車場で係りの人に、「薬師尾根コース」と「城坂コース」のどちらが急かを訪ねましたが、80パーセントが坂だと言われた「薬師尾根コース」から登ることにしました。
入口からしばらく通路の脇に地蔵が立っています。後世に頂上の富士権現に向かう信仰の道へと変貌したのでしょう。逆なのかな?
道の途中で脇道を進むと御居間屋敷跡がありました。広い平地が広がっていました。
城坂方向から入る入口は虎口となっています。
戻って、道はさらに急に続きます。向こうに頂上が見えますが、なかなか近づきません。
今日は早起きしたこともあり、体力が持ちません。何度も休憩しましたが、急な坂道からの眺望はすばらしいです。
ようやく頂上近くまで来ましたが、最大の難関、ロープに、鉄鎖?登るのはまだマシで、下りてくる人がたくさんいるのに驚きです。
頂上の実城には富士権現社が建ち、十数人がくつろいでいました。
本丸からの眺めも最高です。
富士権現の裏からは尾根筋が続き、小城、大城の郭があるようです。
道の中程、木のこんもりした部分が小城、先端が大城のようです。
小城だと思われる場所です。というのもこの尾根については案内板がないのです。薬師尾根では松が多かったですが、小城では白樺(かな?)が多いですね。
大城の入口には礎石?とも思われる2個の石が横たわっています。
大城からは実城とは違う方角がよく見えます。
実城にも連絡をとれる距離にあり、連携して機能していたことが容易に予想できます。
実城に戻って、城坂コースを進みます。下の段は広瀬曲輪となります。
5分程で別の尾根筋にある主水曲輪への分かれ道があります。
3本の深い堀切を進んで15分程で先端近くの主水曲輪に到着しました。大城といい、主水曲輪といい、実城からアップダウンがあって体力的に厳しい山城です。
主水曲輪からは越後方向がよく見渡せます。
戻って城坂コースを下りてくると途中に水場跡の案内があります。
実際の場所に案内が見つからなかったのですが、プラスチック管のあるこの辺りが石が多く、水場だと思われます。この場所は観光地図には載っていませんね。
水場を後にして、桃の木平に到着しました。かなり広い平地です。名前の由来は桃木でも立っていたのでしょうか。現在はないようでしたが・・・
城坂コースは薬師尾根コースと比べ緩やかですが、木々に囲まれて展望はあまりよくありませんね。
城坂コース入口まで来ると、一本松が立っていました。
一本松からは砂利道ながら車の乗り入れもできるようになっています。途中、天地人ロケ地の旗がなびいていました。
この辺りで武田軍との遭遇シーンが撮られたようですね。
さらに下ってくると、途中土塁や堀をもつ御館と思われる場所に出ました。
御館の入り口には石垣が残っており、坂戸城跡の石碑が立っていました。観光客はここまで来て引き返す人が多いようですね。
坂戸城で石積みが見られるのはここだけです。
柱跡の残る礎石も残っています。
別の場所には「上杉景勝・直江兼次生誕の地」の石碑が立っています。
御館から入り口までの間には広大な家臣屋敷跡が広がっていました。
道の両側が屋敷跡です。
麓には内堀跡として埋田堀が3カ所復元されています。
ハスが咲き、カモが戯れる雰囲気ある水場となっていました。
登り始めてから3時間半さすがに疲れました。