続日本100名城スタンプラリー 鳥越城

鳥越城

いよいよ続日本100名城スタンプラリー始まりましたよ。開始日に早速地元の鳥越城に行ってきた。

鳥越城

二週間前までは山上駐車場までの道路も雪に埋もれていたのに、ここ数日の陽気で問題なく行けました。
途中倒木などもありましたが、駐車場に着くと後二の丸の切岸が迎えてくれる。

鳥越城

何度も訪れた鳥越城だが、この時期に来たのは初めてだった。城跡にはカタクリの群生がきれいに咲いていた。

鳥越城

本丸を取り囲む堀跡にもカタクリが

鳥越城

今日は午後から雨予報であり、曇天だったが雨の前に散策できた。

鳥越城

桝形門と桝形石塁

鳥越城

中の門の先に見える曲輪は二の丸

鳥越城

1本の桜がきれいに咲いていた。山上に広がる曲輪群が鳥越城の魅力だ。

鳥越城

本丸土塁から桝形を眺める。

鳥越城

本丸を眺めると、やはり遠方まで見渡せる青空が似合う。

鳥越城

道の駅から鳥越城のある鳥越山を望む。

鳥越城

スタンプは鳥越一向一揆歴史館の窓口でもらった。
城跡では3名の方とすれ違ったが、まだ2番目だった。

鳥越城

歴史館では毎年特別な道の駅切符が作られる(入館者に配布)が、今年は続日本100名城選定記念バージョン(先着300枚限定)です。

戦国の城と道の実像を探る 加越国境城跡群及び道シンポジウム

加越国境城跡群及び道

今年10月に国史跡に指定されたことを記念したシンポジウム、「戦国の城と道の実像を探る ~加越国境城跡群及び道~」に行ってきました。

加越国境城跡群及び道

場所は石川県文教会館。30分前開場ということで、その10分前に着いたのですが、すでに50名ほどの行列で、先着500名とはいえこういうテーマでは埋まることはないとは思っていましたが、ゲストを良い場所で見たいということでしょうか。

今日のゲストの一人が、落語界一の城好きで知られる春風亭昇太さんでした。シンポジウムなのに始めに落語会あったりして楽しかったです。

昇太さんが来ていたこともあるんでしょうか、撮影禁止だったので中の様子はありません。

シンポジウム次第
13:00
 開会
 記念落語 春風亭昇太氏
 記念講演「加越国境城跡群の歴史的意義」 千田嘉博氏(奈良大学学長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
14:50
 報告1「天正12年の加越国境の戦い」 木越隆三氏(石川県金沢城調査研究所所長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
 報告2「加越国境城跡群及び道の調査成果」 向井裕知(金沢市文化財保護課)
 パネルディスカッション「戦国の城と道の実像を探る」
  コーディネーター 谷内尾晋司氏(石川考古学研究会会長、加越国境城跡群と古道調査指導委員会委員)
  パネリスト 春風亭昇太氏、千田嘉博氏、宮下英樹氏(漫画「センゴク」作者、七尾市出身)、木越隆三氏、向井裕知氏

国史跡「加越国境城跡群及び道」は、前田方の城「切山城跡」、佐々方の城「松根城跡」、双方の城が通過する「小原越」の三史跡が対象となっています。これらの史跡は天正12年(1584)の羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦いが北陸に波及して構築・改修された城群であり、道を巻き込みながら、また道を遮断して付け替えたりした城跡が良好に残っています。道を含んで史跡指定された初めてのケースとなります。今日のシンポジウムを聞いて非常に珍しい貴重な史跡だと再認識しました。

史跡指定された両城跡の他に、加越国境には
・高峠城と荒山城と二俣越
・朝日山城と一乗寺城と田近越
・津幡城と和田山城、龍ヶ峰城と北陸道(倶利伽羅峠)
など残っている城跡も多く、調査が進めば追加登録される可能性はありますね。

今後の整備予定として、切山城跡と松根城跡の木々を切って双方の城跡が目視できる状態にするのと、金沢城からも見えるようにするそうです。楽しみです!

加越国境城跡群及び道

さて、今日は見開きのパンフレットが一部、先着でポスターをもらい、これまた先着で春風亭昇太さんの著書「城あるきのススメ」を購入できました。

加越国境城跡群及び道

30冊ほどありましたでしょうか?春風亭昇太さんのサイン入りです。「持って帰るのは重いので皆購入して!」とか言っていましたが、帰りには完売していたようです。中学校時代の趣味だったとか、シブいですよね。

富樫館 石川県の城館

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市情報交流館カメリアで行われた埋蔵文化財講演会「守護所富樫館の姿と加賀の城」に行ってきました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

野々市市文化振興課の田村さんから現在までの富樫館の発掘調査報告がありました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

少し前までは館の場所が確定していませんでしたが、ようやく江戸期の絵図に残る館を囲む堀跡が見つかりました。

守護所富樫館の姿と加賀の城

堀跡からは銅鏡が見つかりました。中央に亀、上に鳥が2羽向かい合っています。

守護所富樫館の姿と加賀の城

館の東側は九艘川(くそうかわ)を堀の替わりとしていました。館の少し南側で中世の九艘川の跡も見つかっています。
川名の由来は九艘の舟が通れるほどの大きな川だったとか。

守護所は舟運に恵まれ、中世北国道と宮腰から白山本宮まで通っていた白山大道の結節地点という要衝にありました。この立地条件の良さは新しい見知でした。

守護所富樫館の姿と加賀の城

基調講演は奈良大学の千田嘉博氏による講演でした。時折冗談も入りとても興味深い内容で、中世の館が室町将軍の足利義満の建てた花の御所をモデルに全国の守護大名や守護代に広がったこと。きっと富樫館も同様の風景が広がっていたことを想像させるものでした。

講演終了後、実際の現場を見てきました。聞いた後だと現地巡りも楽しいです。他に人はいなかったけど

富樫館

最初にすみよし公園。この角地と隣の建物部分の発掘調査で九艘川の川跡が見つかりました。やはり今は跡形もないです。

富樫館

そこから北方面へ。住宅地のなか、今日いただいた資料とにらめっこしながら堀跡を探すと・・・ありました!

富樫館

ここには案内板もあります。これは講演会でも告知すべきことだと思いますが、ここは残るということでしょうね。

富樫館

堀跡は奥の区画。幅も広いですね。午前中に千田先生も見学されたということでしたが、雪が一面に積もっているおかげで凹みがよく見えます。

富樫館

最後に北鉄工大前駅に

富樫館

富樫館の場所が確定していなかった頃に駅前にこの石碑が立てられました。実際の館跡はこの石碑とすみよし公園のちょうど間になります。

「よみがえる城内キャンパス」写真展

よみがえる城内キャンパス
二週間ぶりに金沢城に行ったら、「よみがえる城内キャンパス」という写真展を鶴の丸休憩所でやっていました。
よみがえる城内キャンパス
この週末は金沢大学で金大祭もやっているし、大学資料館が毎秋行う特別展に連動したものでしょう。
よみがえる城内キャンパス
1978年当時の金沢城内の金沢大学を空撮した様子です。今もここに大学があったなら、自分もここを受験したかなーと思いながら、そうだったら今の城跡復元はなかっただろうと思うと複雑な気持ちですが・・・
よみがえる城内キャンパス
奥に石川門が見えるので三の丸のキャンパスの様子です。
よみがえる城内キャンパス
他にも写真が数十枚展示されていますので、興味ある方は来週末にでも出かけてください。14日までですよ。

七尾城 石川県の城館

夕方、七尾城に登ってきました。
七尾城
ここ数日は天候が良かったためか、それとも時期的なものか、下界は靄っていてはっきり見えませんね。残念です。
七尾城
上杉謙信も名城と称えた七尾城ですが、国史跡とあって平日にもかかわらず、数台の車が停まっていました。
七尾城
桜馬場の西面の段々になった石垣群は七尾城の見所のひとつです。
七尾城
ゆるい石段を登っていくと、
七尾城
本丸の石垣が見えてきます。本丸下の駐車場から10分程度で本丸に到着しますので、気軽に行ける城跡です。
七尾城
本丸には社と、
七尾城
石碑が建てられています。
七尾城
夕暮れまでしばらく時間があったので、桜馬場から二の丸付近まで散策しました。
桜馬場の東側に残る崩れかけた石垣や
七尾城
温井屋敷の九尺石など、隠れた見所のたくさんある城跡です。
七尾城
本丸に戻ってしばらく待っていたものの、夕暮れまでまだ時間がかかりそうだったので、フィルタをかけて撮影しました。もっとはっきり撮るのなら、やはり冬かな?

小丸山城 石川県の城館

平日の七尾市小丸山公園。
小丸山城
まだ夕方には少し早い時間なので、掃除の方以外は他に人はいませんでした。桜もつつじも終わってしまったので、しばらくは静かな場所になりそうです。
小丸山城
前田利家が一国一城の主として能登に入国したばかりのときは、能登畠山氏の居城、七尾城(府中)に入りました。しかし、生活や交通には不便だったので湊に近いここ所口に城を築きました。
現在では小丸山城は4つの小山から構成されていたと考えられています。
小丸山城
まずはもっとも高い本丸へ。一角に小丸山城址の石碑が立っています。
小丸山城
中央付近には、NHK大河「利家とまつ」が放映された記念として、利家とまつの銅像が立てられました。
小丸山城
(拡大あり)
本丸から北側には所口と呼ばれた七尾市街が広がっています。
小丸山城
南東隅の少し小高くなった上に日像上人像が立てられており、ここに櫓があったと想定されています。
小丸山城
(拡大あり)
そのからの眺めは東に七尾城のあった山々、眼前の住宅街が郭のひとつ、大念寺山です。住宅街を造成する際に少し削られていると考えられ、当時はもっと高かったと思われます。
小丸山城
橋を渡り、西側の郭が二の郭の役割だったと考えられる天性丸です。
小丸山城
小丸山公園の北側入口に相撲場がありますが、その西の山が郭のひとつ、宮丸です。その名前の由来は、築城以前この山は愛宕山と呼ばれ、気多本宮社があったことによると思われます。
小丸山城
現在は忠魂碑が建てられていますが、平成19年の能登半島地震により倒壊の危険が出たため、分解されて展示されています。
小丸山城
その宮丸の北側に「愛宕小路」という看板を見つけました。見落としそうな歴史遺産ですが、建物の間を通る細い小道でした。愛宕山にあった気多本宮社への参道であったことからその名が付けられ、築城後は本丸への通り道となったと考えられるそうです。

末森城の桜 石川県の城館

前田利家と佐々成政の激戦の地、末森城。
末森城の桜
NHK大河ドラマ「利家とまつ」の放映に合わせて整備が進められました。国道沿いのこの立て看板もそうです。
末森城の桜
麓の駐車場に設置された仮設トイレ。
末森城の桜
駐車場の案内板。
末森城の桜
入り口の石碑とすべてそのときに整備されたものです。
末森城の桜
入り口に設置されたしおり箱。今は中がからっぽです・・・
末森城の桜
夕暮れ時の末森城を上ります。最初に守る郭は「若宮郭」。南に開けた、佐々の籠もる坪山砦と対峙する位置にあった郭です。
今は桜が真っ盛り!!
末森城の桜
しばらく上ると大きな空堀が出てきます。春先は草がすべて枯れ、とても見やすい状態になっています。
末森城の桜
二の丸を経て本丸に到着しました。
末森城の桜
本丸もちょうど桜が真っ盛りでした!こんな夕暮れ時なので誰もいないと思っていましたが、途中地元の方に一人会いました。会うと思っていなかったのでちょっとビックリ!してしまいました。
末森城の桜
今年は雪が多かったこともあるのでしょうか。草が枯れて、本丸先の郭にも行くことができました。ここが末森の北の見張り台です。
末森城の桜
日中は暖かくなったとはいえ、日が暮れるとさすがに寒くなってきました。さっさと下りましょう。
末森城の桜
下りてきてから「熊注意」の看板に気がつきました・・・
途中音楽をつけて歩いていましたけど、もしかしてとても危険だったのか?でも春先の末森城は土塁や堀もとても見やすくおすすめですよ!

和田山砦 石川県の城館

小春日和のなか、雪解けの和田山へ向かいました。
和田山砦
道路の雪は解けているけど、
和田山砦
山中の雪はまだ少し残っているけど、かなり遺構が見やすくなった。
和田山砦
草一つ生えていない虎口は、構造がわかりやすいけど写真写りはイマイチか
和田山砦
二の丸の奥に櫓台が見えます。
和田山砦
本丸に入って、櫓台の上から
和田山砦
まだ雪の残る山々をしばし鑑賞
和田山砦
本丸をめぐる土塁の雪がなくなったことで、写真ではわかりにくくなった。
和田山砦
前回と同じく細い土橋を渡り、
和田山砦
そこから雪の残る空堀と帯郭が見えました。下りていくには北面のまだ雪が深い。
和田山砦
もう少し本丸まわりの木を伐採してくれると、この景色が拝めるのだが・・・・

和田山砦 石川県の城館

冬の貴重な晴れ間。明日よりまた荒れるようだったので、和田山へ向かった。
和田山砦
今日は残っていた和田山の南尾根を目指すことに。
和田山砦
まずは北側から入って古墳群を見て回る。
和田山砦
こんな状況でも散歩する人はいるようです。尾根と尾根の間には深い谷が入っています。
和田山砦
古墳がもっとも多く並ぶ尾根に入ると、ちょうど防虫作業の最中でした。
和田山砦
古墳の中にはわかりに溝を掘ったものがあります。この古墳はさらに正面に土橋が残っています。
和田山砦
枯れ木の合間、合間から除く景色が広々としていました。
和田山砦
忠魂碑(題字は「霊碑」)の立つ広場まで来ると、その先は中世の和田山砦です。
和田山砦
和田山砦は一向一揆の拠点となった後、柴田勝家軍により砦として利用されたところです。北方に手取川が流れ、手取川以南の最前線となった場所です。
和田山砦
縄張り図もありましたが、中世城郭にして「本丸」「二の丸」はないですね。せめて「一の郭」「二の郭」にしてほしいところです。現在地が表示されていないもわかりにくい・・・
和田山砦
二の丸の櫓台をめぐる深い空堀。この櫓台そのものも古墳です。
和田山砦
空堀沿いに進むと、ここを下って帯郭となりますが、さすがに雪深くて進めません。
和田山砦
空堀と帯郭の間を渡る土橋と虎口。
和田山砦
虎口を入ると二の郭となります。櫓には右前方から上るようです。
和田山砦
櫓にはわずかに土塁が残っていました。
和田山砦
松の合間から下を監視できますが、松を切ってくれればもっと景色を楽しめるのですが・・・
もともと古墳の山ですから城メインで伐採もできないとは思いますが。
和田山砦
本丸に入ります。こちらも古墳を利用した櫓台があります。
和田山砦
櫓台からの景色。こちらの眺望は南側に少し開けています。
和田山砦
一の郭
和田山砦
その北側から西側にかけて土塁が残っています。いまはちょうど土塁部分のみ雪が溶けて、写真でもよくわかる状態です。
和田山砦
一の郭から二の郭へ向かう土橋。右前方が帯郭です。
和田山砦
最後に南側に降りて腰郭を歩きました。
古墳を利用した砦だとは知っていたので城としての構造物は期待していませんでしたが、思っていた以上に中世城郭を楽しめる場所でした。次は雪が溶けてから訪ねてみましょうか。

和田山砦・能美古墳群 石川県の城館

寒波がやってきて時折激しく雪が降る天候ですが、昼休みには良い天気になりましたので、近くの能美古墳群へ行ってきました。冬になって下草が枯れて、地形がよく見えるようになっていると予想してのことです。
和田山砦・能美古墳群
能美古墳群は石川県内最大の古墳群で、手取川左岸に点在する寺井山、和田山、末寺山、秋常山、石山にわかれて、50基以上の古墳が尾根に築かれている。
とは言っても、開発により山は削られ、住宅地や公園になった場所も多く、地図では濃い緑色の部分が現存の丘陵地、灰色の部分が失われた丘陵地ということになる。左に位置する寺井山は9割以上が失われてしまった。
和田山砦・能美古墳群
和田山の麓の駐車場に車を停め、散策開始!
もっと大きな和田山古墳群南尾根は次回にして、最初に和田山古墳群北尾根に向います。
和田山砦・能美古墳群
城山と呼ばれている北尾根の登り口。低い丘陵地ですから、あっという間に頂上です。
和田山砦・能美古墳群
頂上には和田山5号墳。比較的大きな前方後円墳ですね。草も枯れて形状もよく見えます。
和田山砦・能美古墳群
上に上ると広い空間があり、一時的な陣地としては申し分ないです。
和田山砦・能美古墳群
ここ和田山は加賀に攻めいった織田軍が陣をはったと言われています。総大将は柴田勝家ですが、位置関係からして、もっとも後方の和田山に柴田が陣取り、残りは寺井山や末寺山などに陣をはったのでしょうね。
和田山砦・能美古墳群
さて次は、和田山の北に位置する末寺山古墳群に行きます。
和田山砦・能美古墳群
この尾根にはたくさんの古墳が残っているようです。冬とはいえ、この辺りは笹が多く自生していて、古墳がわかりにくかったです。特に、末寺山は南と北の尾根沿いに古墳が並ぶのですが、南尾根の円墳はどこなのか全くわかりませんでした。
和田山砦・能美古墳群
雪はあまりなかったのですが、それでも日陰部分はまだうっすら残っている箇所もあり、こんな寒い中誰も来ないですから足跡も当然ついていませんよ。
和田山砦・能美古墳群
さすがに最北に位置する末寺山北尾根からの眺めはいいですね!
ここは最前線の見張り台として古墳が利用されたことでしょう。
和田山砦・能美古墳群
末寺山7号墳の円墳。盗掘か?発掘か?真ん中にぽっかりと穴のあいた円墳でした。
和田山砦・能美古墳群
最後に9割を失った寺井山古墳群へ。
和田山砦・能美古墳群
唯一残された円墳は、住宅街にひっそりと整備されて残っていました。
和田山砦・能美古墳群
ここからは和田山も
和田山砦・能美古墳群
末寺山もよく見えます。ここは古墳のまわりの木がまったくありませんから、他の古墳群ももう少し見晴らしを良くしてくれると嬉しいですね。とここでまた雪が激しくなってきました。
次回は和田山南尾根へ。

加越国境城郭群と古道探訪会

切山城
金沢歴史探訪月間のイベントして「加越国境城郭群と古道探訪会」が開催されました。現在発掘調査中の切山城と金沢市指定史跡の松根城、それをつなぐ小原越古道をめぐる旅です。
加越国境城郭群と古道探訪会
参加者18名と市職員を乗せたバスは大雨の中、一路切山城へ向います。
切山城
険しい山道を登って切山城へ。ちなみにこの道は現代の道です。
切山城
しばらく登ると小原越と重なる箇所に竪堀があります。現代の道より一段高い位置にあるので不思議な感じですが、両側から見ると低くなっています。
切山城
切山城の脇を小原越が通っており、上から道を監視できるわけですが、一部は非常に急峻な切岸となっています。
切山城
現在の道の脇に旧小原越古道が残っていて、もとは非常に狭い道だったことがわかります。まるでけもの道!しかし、この脇街道は本道である北陸道よりも交通量があった時代もあるのだそうだ。
切山城
富山側からの最初の障害は先の竪堀だが、金沢側からの最初の障害はこの堀切。
切山城
1枚目が主郭のトレンチだが、その中からは柱穴が見つかっています。
切山城
石が集められた場所も・・・柱の根固めか?
切山城
主郭には櫓台とまわりをぐるりと土塁が巡っています。
切山城
もう少し天候が良ければ眺めは最高なのだろうけど、今日は大雨。まったく視界がありませんでした。
松根城
その後、大雨で小原越を歩く予定は中止となり、バスで松根城へ移動。数年前、日光で薄くて読めなくなっていた看板が新しくなっていました。
松根城
砺波平野や河北潟が一望できる主郭からは、こちらも霧でまったく視界なし。殘念です。
加越国境城郭群と古道探訪会
切山城と松根城は、羽柴VS織田・徳川の小牧・長久手合戦の北陸地方での代理戦争の舞台です。桐山城が前田利家方、松根城が佐々成政方、他の二俣越、田近越、北陸道でも同様のにらみ合いが行われていたけど、比高でいうとこの時点では佐々方が優勢だったのかな。
金沢市は3年計画で発掘調査や文献調査を行い、2城と古道一括で史跡申請を行う予定だそうです。

津幡城 石川県の城館

津幡町の四ツ角交差点です。
津幡城
正面に見えるのが津幡小学校、津幡城のあった大西山です。
津幡城
今は交差点となっていますが、元はT字路となっており、後ろ方向が「金沢」、左手に進むと「能登」、右手に進むと「越中」という加越能の三叉路となっていた場所です。
津幡城
小学校へ向かってゆるやかに上り坂となっています。
津幡城
入って左手の小高い小山の上に忠魂碑が立てられており、
津幡城
上り口に案内板があります。上杉謙信の上洛、前田利家の末森合戦など戦国の節目に登場する城です。
津幡城
忠魂碑の脇に「津幡城址」の石碑が立てられています。
津幡城
この津幡小学校が建てられるときに山は大きく削られて平坦部を広げたため、往時の郭の様子は現況からはわかりませんが、校舎の高さほどもあったという話もあります。
この津幡小学校は老朽化のため、別の場所に新校舎がすでに完成しており、今年度取り壊される予定となっています。
津幡城
小山から眺めるだけでもかなり向こうまで見渡せます。建物が低く、田園風景の広がっていたであろう戦国の世では重要な拠点であったことは容易に想像できます。

雪の白山麓攻城記

平野部の雪は溶けたし、先週の小谷山の件もあったので、セミナー参加のついでに城めぐりをしようと思っていましたが、今年の大雪をなめてました・・・反省
舟岡山城
第一の目的は旧鶴来町の舟岡山城。今年整備を予定しているので、その前に現状をもう一度撮影したかったのですが・・・
舟岡山城
目の前に開ける散策路・・・
のはずが
舟岡山城
雪の固まりです。こんなに残っているとは、まだまだ春は遠いです。
鳥越城
いつもとは違った方角から鳥越城を撮影。右側の頂上付近に本丸があります。
鳥越城
しかし、入口はこんなにも雪が
鳥越城
生活道路ではありませんので、ここも春は遠いです。
殿様屋敷
麓の殿様屋敷。現在は畑になっているのですが、ここにも大雪の跡が。
殿様屋敷
屋敷の高台と考えられる神社境内は、鳥居も半分埋まりさらにすごいことに。
二曲城
そして、二曲城の入口は見えるものの、
二曲城
入口の橋には70センチほどの雪。前に進めない。
鳥越一向一揆歴史館セミナー
ということでここは大人しくセミナーまで常設展を久しぶりにじっくりと観賞しました。
今年の歴史館セミナーのテーマは「二曲城を考える」でした。2004年から6カ年で調査が続けられ、いよいよ来年度から4年程度で環境整備されます。

金沢城 冬のライトアップ

大雪の後のライトトップ。雪は2年ぶりでしょうか?
兼六園
まずは兼六園真弓坂から入園します。
兼六園
今年は友人と夜景用に三脚を使用して撮影しました。写真に詳しい友人に助言をもらいながらも、兼六園で撮った写真はぶれたものが多く、でも例年以上に良い写真が何枚かありました。
兼六園
ここ数日の気温上昇により、木々に被った雪はなくなったけど、池は一部凍ったままで、水面に映る美しい姿がない場所もあったが、凍った水面もまた近年では珍しい光景だ。
兼六園
寒さのためか、来週三連休がやはり人気なのか、今日の来客は少なめでした。
兼六園
園内は滑らないように通路の氷は取り除いてあったけど、一部にはうず高く積まれた雪が残っていました。そんな珍しい光景も見ながら、場所を移動しながら写真を撮っていきました。
兼六園
一番人気は唐崎の松ですね。
兼六園
では、金沢城公園に場所を移します。
金沢城
外壁塗装の修築が完了した石川門櫓。光に反射する白い壁が美しいです。
が、脇の一の門の壁が若干ミスマッチです。
金沢城
金沢城公園は兼六園よりは人気が少ないです。
金沢城
三の丸広場は一面の雪景色。五十間長屋の屋根雪はすっかり溶けてしまっているのは残念ですが、雪の冷気のためか寒いです。
金沢城
復元後初めての雪のライトアップを迎える河北門です。
金沢城
河北門への入場口から見る、河北門一の門、ニラミ櫓台、菱櫓、向こうに橋爪門、この光景は新しい金沢城の絶景スポットです。
金沢城
この菱櫓、五十間長屋、橋爪櫓の奥行きのある絵もいいでしょ!
金沢城
橋爪門の中では発掘調査が進められているため、門は閉じられたまま。そのためもあってか橋の上の雪は除雪もされず積もったままだ。
金沢城
堀には氷が張っている。こんな光景も2回目だろうか。
金沢城
この河北門、菱櫓のアングルは古写真にもある。
金沢城
河北門二の門の内側から枡形を覗けば、そこには菱櫓が顔を出す。
金沢城
終園のアナウンスが流れてきた。もう9時だ。時間はあっという間に過ぎる。

虚空蔵山城 石川県の城館

昼から曇ってきましたが、能美市(旧辰口町)の虚空蔵山城を訪れました。初めてでしたので、辺りをうろうろと迷いながらようやく到着しました。
虚空蔵山城
和気小学校の裏にある山が虚空蔵山です。一帯は「こくぞう里山公園」として整備されています。
虚空蔵山城
城跡への入口は和気小学校の体育館横になります。
虚空蔵山城
入口の看板を見ると城域には4つの看板が立てられているようです。
虚空蔵山城
入口に最初の看板「史跡虚空蔵山城」と脇に石碑が立っています。
虚空蔵山城
それでは大手道から登ります。
虚空蔵山城
大手道の南側には土塁が続いていますが、その外側に石垣があったそうです。しかし、急斜面のため確認することはできませんでした。今は埋まっているのかもしれません。
虚空蔵山城
しばらく上がると2つ目の看板「大手門跡」が立っています。
虚空蔵山城
通路の南側に平坦地があり、
虚空蔵山城
そこからの景色がすばらしいです。足元に大きな石がありますが、
虚空蔵山城
実際、このような大きな石が二段積まれています。大手道に沿って上がってくる石垣の最終地点となる部分だと考えられますが、ここまで大きな石がずっと積まれていたのかわかりません。
虚空蔵山城
石積みの下は立っていられないほどの急斜面です。
虚空蔵山城
大手道を上って最初にある曲輪は二の丸となります。
虚空蔵山城
草が生えていてわかりにくいですが、土塁が囲むかなり広い曲輪であり、土塁の外側を空堀が囲んでいます。
虚空蔵山城
二の丸の奥に進むと、「二の丸虎口の道」が続きます。先に3つの郭が存在します。
虚空蔵山城
二の丸を下りたところに橋がかかっており、まわりの空堀を確認することができます。
虚空蔵山城
2つ先の郭です。この左側先にもう1つ郭がありますが、ともに木々に囲まれて景色がよくありません。
虚空蔵山城
こんな感じです。木々の間から少しだけ向こうが見えます。
虚空蔵山城
二の丸まで戻って本丸に向かいます。
虚空蔵山城
二の丸と本丸の間は深い谷となっていますが、通路は土橋のようになっており、両側に深い堀切が切られています。
虚空蔵山城
堀切に見えますが、発掘調査報告書によると道の代用にもなっているようです。東側の下館へ下りる堀切の途中には井戸のある郭が存在するようですが、こんな有様です。
虚空蔵山城
少しだけ下りてみてこの辺りが井戸か?と思って写真を撮りましたが、実際はもっと下がったところの郭だったようです。なんせ調査自体が20年以上も前になりますので、自然が戻りつつあり状況では探索も辛いですね。
虚空蔵山城
本丸は二の丸より少し小さい曲輪ですが、こちらにもまわりを囲む土塁が残っています。
虚空蔵山城
ここが最頂点ということで、本丸隅に三角点が設置されています。
虚空蔵山城
帰りは薬師坂ですので、先に馬場を見てきます。途中黒岩の道への分かれ道があります。
虚空蔵山城
すぐ下に「金の茶釜伝説」の残る黒岩があります。
虚空蔵山城
なぜ黒岩というのかわかりませんが、ものすごく大きな石が数個窪みに残っています。
虚空蔵山城
では、馬場へ向かいます。
虚空蔵山城
馬場の曲輪は草むらでよくわからない状態でしたが、上徳山へ下りる道へ折れる最終箇所に土塁を確認することができます。
虚空蔵山城
本丸に戻ってきました。
虚空蔵山城
それでは薬師坂を下りましょう。
虚空蔵山城
いくつかの郭を通ってくると、分かれ道にでます。「常基寺の道」の先にひとつ郭があるので見て行きます。
虚空蔵山城
浅い堀切を越えるとその先が郭のようですが、やはり木々でその範囲がよくわかりません。
虚空蔵山城
戻って、薬師坂を下ります。
虚空蔵山城
薬師坂の途中に広い郭が残っています。
一向一揆の砦として使用された城跡でもあるので、中世城郭の趣を感じることができます。整備されてから時が経っている(木が大きく成長してしまっている)のでわかりにくくなっている部分もありますが、草の短い春先にでももう一度訪れてみたい城ですね。

二曲城 その2 石川県の城館

今日は二曲城へ行ってきました。
二曲城
二曲城は鳥越城とともに加賀一向一揆最後の城として国史跡に登録されています。登録後に鳥越城のほうは石垣や門など整備が進みましたが、二曲城は現況調査にとどまり、発掘調査はここ3、4年の間に漸く行われました。
そして、来年度からようやく環境整備が始まることになりました。発掘調査を踏まえ、通路や看板が整備され、建物の礎石などが示されるようです。
ということで、環境整備で雰囲気が変わる前にもう一度来たかったのです。
二曲城
しばらく進むと、土塁が正面に見えてきます。土塁左手には二の丸へ上がる通路があり、それに沿って堀切があります。
その土塁の間の道を上がると、土塁の内側には溜池が残っています。
二曲城
本丸、二の丸がある北の尾根と南の尾根の間道の途中にもう一度土塁があがる箇所があります。ここは発掘調査で石積みとその前に空堀が見つかりました。今は双方埋められています。ここはどう整備されるのでしょうか?
二曲城
間道の一番奥で左に折れていつもは本丸へ向かうのですが、今日は右上に折れて南の尾根の頂点を目指します。
二曲城
初めて上りましたが、南側に土塁を持つ広い平坦地です。
二曲城
ここから見える東方角は本丸よりこちらの郭のようがよく見えます。
二曲城
戻って本丸へ向かいます。
二曲城
本丸も発掘調査で見つかったものは埋め戻されています。
二曲城
本丸から北側に本城である鳥越城が見えます。
二曲城
二の丸です。
二曲城
二の丸の先にも尾根続きに小さな郭が配置されています。
二曲城
二の丸と先の郭の間には深い堀切が掘られ、その下がる先は最初の土塁部分です。
二曲城
わかりにくいですが、郭と郭の間の土橋があった箇所です。右側の堀切がかろうじてわかるでしょうか。左側は発掘調査の後埋め戻されています。
鳥越一向一揆歴史館
麓にある鳥越一向一揆歴史館です。現在は「長島一向一揆展」が開催中です。

松根城 石川県の城館

加賀と越中の国境の城、松根城に行ってきました。加越国境は前田利家と佐々成政が覇を争った地であり、松根城は佐々方の城でした。
松根城
金沢方面から入ると、ゴルフ場の横道を進んで車で城の中まで行くことができます。ここは加賀方面からの門跡の土塁です。
松根城
この土塁の反対側に中世の小原越の街道跡が残っています。
松根城
小原越の最も高い松根峠から下りの道が続いていました。
松根城
土塁から城内に入ると、広い郭の先に一段高い砦跡があります。
松根城
入口の土塁から郭と反対側を上ると、小原越の監視用の郭があります。今は草が高く見通しはききません。
松根城
一番奥の郭沿いの道は遊歩道として整備されていますが、郭と間に土塁と空堀がくっきりと続いています。帯郭でしょうか。
松根城
帯郭から本丸への階段は急です。
松根城
本丸は広く、
松根城
加賀方面
松根城
越中方面を見渡すことができますが、今日は曇っていて、加賀方面の海も、越中方面の立山も見えませんでした。残念・・・
松根城
本丸には「松根城址」の石碑が立っていますが、NHK大河「利家とまつ」の頃に整備された看板は西陽にあたり薄くなっていました。
松根城
本丸からさらに先に二の丸と
松根城
三の丸が配置されています。

末次城 石川県の城館

能登町行延にある末次城です。今まで何度か前を通ったことがあり、ずっと気になっていましたが、今日は時間があったので寄ってみました。
末次城
道路から入ってすぐに案内板が設置されています。
末次城
これによると、末次城は珠洲郡の入口を守備するため築かれた山城で、上杉謙信の能登侵攻のとき、末次氏を中心に対抗したが落城したと書かれています。
末次城
その末次氏の末裔の末次家はまだこの山城の麓にあります。これってすごいことですよね!
そのおかげもあり、この山城の遺構は当時そのままに保存されているようです。
末次城
それでは、奥に見える看板の裏から中に入ります。
末次城
最初の20メートルほどは階段らしきものが見えていましたが・・・・
末次城
そこから道は全く不明になりました。夏はダメですね。整備されたのはもう二十年も前になるでしょうから、今は誰も近づかない史跡になってしまっているのかもしれません。春先にもう一度チャレンジです。

松波城 平成22年度庭園跡発掘調査現場説明会

新聞報道され、今日は時間も空いていましたので松波城まで行ってきました。
金沢から140キロ、3時間・・・・。遠いですね。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
松波城の庭園跡は三の郭にあり、昭和54、55年に最初の発掘調査が行われましたが、平成18年度より詳細な発掘調査を行ってきました。
今年度は調査の最終年度にあたり、整備まで遺構の保存のため埋め戻されるそうです。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
説明が始まってすぐ、沢ガニが出てきてビックリしました。かなりの大きさですが、横穴を掘って住んでいるようです。川からは随分遠いのですが、どこから来たのでしょうね?
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
礎石建物のトレンチが遊歩道の下に掘られていました。この部分は昭和の発掘調査では手付かずだった部分で、破却の土層がそのまま出てきたため、新聞報道にもありました、礎石建物と枯山水遺構が16世紀に間違いないと確定できたそうです。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
礎石自体も赤く変色し、焼けた炭跡が残っています。土層にも焼き炭が混ざっています。この層から枯山水と同じ庭小石が発見されました。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
枯山水の前には池遺構が出ています。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
しかし、枯山水と同時期のものかどうか確定できなかったようです。水のない庭の手前に水の池?というもの不自然ではありますね。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
この池、水が溜まっていたのですが、ここ数日は雨は降っておらず、不思議に思っていましたが、この池の底からは水がジワジワと染み出して来ているそうです。湧き水が出るんですよ。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
庭園奥の斜面には泥岩貼付遺構が残っています。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
枯山水遺構は19個の景石と3123個の小石により形成されています。小石は昭和の発掘調査で採取されたものがあるので、当時は4000個以上の小石があったようです。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
どうです。水が流れているように見えますね。これが16世紀の奥能登に存在したなんて驚きです。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
水の流れをあらわすために、小石は寝かせず立てて配置されています。破却され埋められる前はもっときれいだったことでしょう。
平成22年度松波城庭園跡発掘調査現場説明会
この貴重な枯山水遺構ですが、もうしばらくして埋め戻されます。今日は遠かったけど貴重なものが見れました。

松波城 石川県の城館

能登半島の先端、旧内浦町にある松波城です。
松波城
旧松波駅側から行くと山の上に看板が見えます。この右側からも公園に入ることはできますが、
松波城
ぐるりと麓を反対にまわると、公園へのもうひとつの入口があります。それではここから登ります。
松波城
上ってすぐのところに一本目の石碑があります。
松波城
平坦地を2つ上がると、町並みを見下ろすことができる平坦地にでます。「音川亭址」という石碑がありますが、出丸跡になると思われます。
松波城
町並みの向こうに大きな屋根の寺院が見えます。
松波城
この寺院は松岡寺です。松岡寺は本願寺八世蓮如の子により、小松市波佐谷に勢力を持っていた浄土真宗系の寺院です。
松波城
この郭と隣りの郭の間には深い堀切が見て取れます。
松波城
隣りの郭跡には2本目の記念碑が立てられています。
松波城
この郭と三の郭の間には橋が架けられています。
松波城
この深い堀切には数年前まで「のと鉄道」が走っており、すぐ近くに旧松波駅があります。
松波城
橋を渡ると、大手門址があり、三の郭があります。松波城の防衛ラインは基本的に東側のこの大手門からとなります。
三の郭には枯山水跡が残ります。
松波城
三の郭の上に二の郭があります。
松波城
二の郭と本丸の間の通路は狭くなっています。といっても車が通れるほどの広さはあります。
松波城
本丸跡には石碑が立てられています。
松波城
本丸の二の郭側には土塁の一部が残っています。
松波城
本丸側の入口に案内板がありますが、すでに古く、書かれている郷土資料館などはなくなっています。というより、他の建物も現在は使用されてはいないようです。
松波城
松波城は松波川を防衛施設のひとつとして利用しています。松岡寺の下から見た松波川ですが、右奥に見える山が松波城となります。
松波城址情報館
旧松波駅は現在、松波城址情報館となっています。
松波城址情報館
不定休ということでしたが、今日はお休みでした。
松波城址情報館
なんとか光る窓を遮りながら中をのぞくと、松波城の模型があるようです。