北陸道敦賀ICから舞鶴自動車道小浜西ICに向かう国道27号線、最後に通る後瀬山トンネルの上に後瀬山城はあります。今週末から小浜ICが開通しましたので、もう通る機会は減るでしょうが。
今まで登り口がよくわからなかったのですが、東側の麓の愛宕神社鳥居から登ります。
入口の案内板を見ると、本郭に愛宕神社本殿があるようです。
1段上がると、末社が2社あり、
その脇を登っていくようです。
新しい案内板が立てられていますが、下のポストにパンフレットはありませんでした。残念・・・
ずっと上のようですから、また次の機会にしましょう。
投稿者: Tadashi
小浜城 福井県の城館
今年のNHK大河の影響で観光客が増えるとみた小浜市は、小浜城の臨時駐車場を準備しました。そこから徒歩3分、観光客は他に誰もいませんでしたけど。
歩いて行くと畑の向こうに立派な石垣が見えてきます。
石垣に隣接して建つ民家。異様な光景でもありますが、少しうらやましい。
小浜城本丸の石垣は南側以外の三面が残されています。その南西隅石垣、階段が封鎖されていませんでしたので、登ってみます。
民家と先に見える湾、小浜城が海に面した海城たる所以ですね。
本丸は小濱神社の境内となっています。
境内に案内板が立てられていますが、地元では初の嫁いだ京極氏より、江戸時代に入封してきた酒井氏のほうが大事にされているようです。
本殿横に橋として利用された大石と城内の井戸が残されています。
北西隅に残る天守台
天守台にも上ることができます。天守台から東を臨めば、小天守台と先に湾が見えます。
西を臨むと、民家の先に湾が見えます。
本殿裏の北側から駐車場に戻ります。小浜城は石垣を間近に見ることができるのがいいですね。
帰り道、若狭歴史民俗資料館で見たこの地の風習、色で塗られた地蔵を祀った祠を発見しました。
敦賀城 福井県の城館
晴天の中、大谷吉継の敦賀城の遺構を探訪。大谷吉継で有名な敦賀城です。
敦賀西小学校の正門横に立つ敦賀城の案内碑です。平成9年に新たに立てられました。
3面の微妙な傾きの中、自分の映り込みを避けながら撮影するのは大変です。小学校の場所は絵図から三重の天守があった場所あたりだと推定されています。
そこから北に移動し、真願寺にやってきました。
寺の北を流れる闇加川。敦賀城の北限となる堀跡と言われています。
真願寺の境内に入ります。
境内の片隅に乾門と伝えられる礎石が野外展示されています。
最後に西に移動し、来迎寺まで行きました。駐車場と反対側が正門となりますが、寺門として移築されているのが、敦賀城の注文と伝わる門です。
部材を見ると、瓦や屋根裏など修築により新しくなっているものも見受けられますが、この戸の部分は古いようです。
敦賀城の遺構としては、南限と考えられる八幡神社の境内に表門の礎石が展示されているようです。
金ヶ崎城 福井県の城館
敦賀湾に面する山に構築された金ヶ崎城。朝倉氏と浅井氏に挟まれ、織田信長が這々の体で撤退した金ヶ崎の退き口で有名となりましたが、南北朝時代、新田義貞が陣を張った古くから北陸道の要所となった城です。
しばらく続く石段を登って行くと、城の入口は金崎宮の境内地となっています。
石段脇に新しく立てられた看板を見つけました。城跡というより公園の設備の説明板ですね。
横には城跡の解説板が新しく立てられています。
境内まで上がると、以前から立っている古い城跡の案内板が今も立っています。
境内にはNHK大河ドラマ「功名が辻」のときに製作された金ヶ崎城と天筒山城の模型が今も展示されています。
遊歩道の入口に立つ石碑。
遊歩道の入口でもこれだけの高さ。
敦賀市街を眺めると、左手に天筒山を望むことができます。
手取川合戦古戦場
能美市の呉竹文庫駐車場にやってきました。
存在は知っていてもどこにあるのか探していますが、ここの駐車場にありましたよ。
「上杉 織田手取川の戦 遠望の地
上杉に逢ふては 織田も名取川
はねる謙信 逃ぐるとぶ長」
後世の有名な狂言を書いた石碑が立っています。
隣には合戦の経緯を書いてあります。
駐車場から程ないところを手取川が流れています。
北陸鉄道の鉄橋の先は河口になります。
ここ数日の好天で瓦は水が多くありませんが、合戦のときは大雨で増水していました。増水した下流域を渡るのは至難の業でしたでしょうね。
呉竹文庫は北前船で財を成したここ本吉(美川)の熊川氏の蔵書を展示した元図書館だそうです。今は蔵書の和本の展示をしています。呉竹文庫と石川ルーツ交流館の入場券で300円です。
石川ルーツ交流館から国道8号線に向かう途中の田の横に、何か立っているということでちょいと見物。
長享2年(1488)、富樫政親の命により越前口の援路を開くため高尾城より南下した松坂八郎が高尾城に引返すため、今湊より川を渡ったところ、長屋の一揆の追撃を受け此の地において全滅した。その後間もなく高尾城は落ちたが、その頃より当地周辺に火玉ががあらわれるようになり、「ちょうやの火」と呼ばれるようになったそうです。
玉泉院丸跡下 外堀園地の緑地整備
金沢城の玉泉院丸庭園の復元整備に合わせて進められていた入口の広場(外堀園地)の整備が完了しました。
と言っても報道されるまで知らなかったけど。
これまで工事やイベント主催者の臨時駐車場として使用されていた未舗装だった部分に石張り舗装がされ、石垣下に芝が張られました。
以前あった舗装道路部分を含めての再工事。効率悪なー
大木に遮られていた石垣も、手前の木が伐採され見通しがよくなりました。報道によれば33本も伐採したとのこと。
芝内のこの溝は雨溝でしょうか。これほど大きなものの意味はなんでしょう。
この石張り舗装部分ではイベントを行うことも想定されているようですが、それにしてはちょっと手狭か。
さて、玉泉院丸は整備はストップしているようです。草が生い茂ってきましたね。
新しくいもり坂方向から玉泉院丸に入る階段が整備されていました。今は使用できませんけど。
旧小松城瓦34点発見
旧小松城に使われたとみられる瓦の破片34点が8日までに、小松市丸内町の用水で見つかった。小松市埋蔵文化財センターによると、現地は江戸時代は堀で、明治期に旧小松城の建物を壊して堀を埋めた際に瓦も投棄されたと推測され、「発見地周辺に他の遺物が残っている可能性が高まった」としている。
瓦は平瓦と丸瓦などの一部で、大きなものでも縦横10センチ四方程度しかないため、どこに使われていたかは不明という。
明治維新後、政府は城郭の破壊と用地の払い下げのため、建物や石垣などで堀を埋めるように地元に求め、瓦も埋め立てに使われたとみられる。同センターは「発見地では城郭が完全に破壊されていると推測されていた」と説明している。(北國新聞2011年6月9日付記事より)
辰巳櫓20分の1模型 再び!
北国総合研究所が金沢工業大学の協力を得て作成した、金沢城の辰巳櫓20分の1模型。
完成した後、赤羽ホール、しいのき迎賓館と数ヶ月展示されていたものの、その後展示スペースがなく、一般の目に触れる機会がなくなってしまいました。
今日は百万石まつり。60回を記念して142年ぶりに復活した盆正月の「作り物」コーナーに再び登場しました。
内側もしっかりと作ってあるのですが、一方向から見ることができるのみで裏からも見たかった。
3Dプリンターで作られた模型はとても精巧にできています。来年も見られるかな?
金沢城 橋爪門の発掘調査進む
百万石まつりで金沢城に来たついでに、発掘調査が進む橋爪門へ。
南側に大きく掘り込んでいます。
よく見ると、復元された橋爪櫓石垣から2メートルほどのところに1列の石垣。
本来はこれに相対する石垣列があって、間が通路になっていたと思うのだが、南側はこれほど掘っても何も出てこないから破壊されたのか?
今年度に行われるであろう現地説明会が楽しみだ。
春日城 長野県の城館
伊那市にある春日城にやって来ました。ちょっと道に迷いましたが。
後で歩いていたときに地図を見つけました。縄張りはこんな状況です。
それで、道路沿いの駐車場に車を停め、春日公園へ。最初に遊具が並ぶ三の丸に入ります。
三の丸と二の丸の間に架かる三の丸橋です。公園としてかなりの改修をうけているので、本来土橋だったのか、木橋だったのかはわかりません。
郭の間の空堀は深いです。
二の丸は本丸を西側と北側から囲むような配置です。
三の丸から渡るとすぐに本丸へ架かる橋は二の丸橋です。
二の丸橋を渡ると本丸には土塁跡を見ることが出来ます。つつじが植えられていますが、元は明らかに土塁でしょうね。
本丸からは伊那街道がよく監視できます。
天気が悪いのが残念ですが、雨はあがりました。
本丸と二の丸に架かるもうひとつの橋は本丸橋と呼ばれています。
空堀の斜面はきれいに植栽されています。
本丸橋のたもとに石碑が建てられています。
公園内には歴史の石碑と「本丸跡」の石柱が立っていますが、城跡の石碑がないなーと思っていたら、本丸の斜面に「春日城跡」という看板が立てられていました。
城下は伊那街道が通り、清水が今でも使用されているようです。
さらに、伊那部宿という宿場町となっていて、最南には今も井澤家住宅が残されて公開されています。
街道沿いには他に何か残っているのかと思って歩いてみましたが、何もないですね。
ただ、各家の表札が変わっているなーと思っていたら、
宿場だったときにあった宿や店が書かれていました。気づくのに時間かかりましたよ。面白い試みだけど、わかりづらい。
高遠城 長野県の城館
南側の断崖絶壁下に三峰川が流れる高遠城。
殿坂口から車で上ります。
駐車場になっている勘助曲輪へ。
手前は武家屋敷だった場所です。
道路を挟んだ三の丸には伝大手門と伝わる門が移築されています。
一度坂を下って少し戻ります。
大手門があった場所です。
右側を見ると、立派な石垣が残っています。
城内には高遠藩の藩校であった進徳館が保存されています。
中には入れませんが、ぐるりと建物のまわりを一周できます。しかも無料です。
では二の丸北入口から入ります。
二の丸から南曲輪、法憧院曲輪と進んでいくと、信州高遠美術館に出ます。天守風のコンクリート建物がこの風情ある城跡を台無しにしているような・・・
法憧院曲輪の南入口です。桜百選で有名な高遠城址ですが、観桜期は有料になります。
桜が散った跡はただの広い曲輪です。観光客も少ないですね。
本丸に1つ太鼓櫓が復元されています。
階段は付いていますが、当然上ることはできません。
一段下に小さな笹曲輪という郭が広がっています。
そこから見上げる太鼓櫓は絵になりますね。葉桜が満開だったらもっと絵になるのになー
本丸には新城福原神社が鎮座しています。
社殿の前の囲みは井戸か?水の手が大事だったはずの山城ですが、ここまで井戸らしきものは見ていません。あまり残っていないのか?
本丸入口に移築された問屋門です。もともとここにあった門ではありません。
問屋門前の桜雲橋の架かる空堀には池が2箇所、今でも水を湛えています。
もう少し暑くなれば蚊が大量発生しそうですが・・・
橋を支える石垣は城内随一です。これは当時のものか?橋を架けるためのものか?
さあ戻ろうかと階段を上っていると、脇に井戸を発見!
これは古い井戸です。底は埋まっていますが、覗き込むことができるほどの安全な高さしかありません。
公園案内のチラシは桜見物用で曲輪や建物は描かれていますが、城跡としての要素、空堀や石垣、井戸の表記はほとんどありません。やはりここは城跡を楽しみに来るところというよりは、桜を楽しむ場所なのか?
日本100名城スタンプラリー 高遠城
続けて伊那市の高遠城へ。49城目となり、ようやく半分目前となりました。
スタンプはこの二の丸にある高遠閣にあるはずだったのですが・・・
そこには移動したという貼り紙があり、そこは先に行った高遠町歴史博物館と
ふたたび歴史博物館の受付へ。
無事にスタンプをゲットしました。
図柄はこの二の丸から本丸につながる桜雲橋と問屋門です。桜が終わったこの時期は葉桜が橋を覆っていて問屋門がよく見えないですね。
松本城 長野県の城館
国宝松本城にやって来ました。
開智駐車場に車を停め、開智口から入ります。
松本城への入口は他に3箇所。駅から歩いてきたときは、ここ大手口から
そして、市役所のある東側は平成11年に復元された太鼓門。
二の丸御殿の北側からも入ることができます。この橋の隣に本丸に入る橋もありますが、そこだけは通行止めです。
埋の橋です。赤い橋が黒の天守によく似合いますが、藩政期にこんな赤い橋があるはずもありません。
内堀の中程から見ると、天守が大天守、乾小天守、月見櫓とすべての建物を見ることができます。
では、復元された太鼓門からじっくり見ます。
二の門から入り枡形に入ります。
案内板に鳥瞰図があり、非常にわかりやすいですね。
二の門を内側からみると、高麗門である様子がよくわかります。
一の門の脇に大きな玄蕃石と呼ばれる巨石が配されています。
一の門を支える大きな赤松が大梁として使用されています。
二の丸に入ります。
建物位置が示されただけの二の丸跡はとても広く感じます。
隣とは言え、天守は中程のこの位置に来ないと見えません。
二の丸と本丸の間の内堀ではなにやら工事をしていました。
どうも石垣が崩れたりはらんでいる場所を補修しているようです。
ぱっと見てもこのような場所が何カ所も見える。
雨が大きくなってきた。黒門から入る前に博物館に寄る。
博物館に寄っている間に、一際雨が大きくなってしまった。天守向こうの山のさらに向こうにアルプスの山々が天気良ければ見えるのですが。
黒門の一の門は昭和35年に、先程の二の門は平成2年に復元されました。大雨の中、続々の観光客が入ってきます。
藤棚は今が満開。
本丸内のつつじも満開です。
それでは天守に入りましょうか。入口は乾小天守にあります。
乾小天守、大天守ともに隅に石落しが付いています。
午前から大勢の観光客が押し寄せて、最上階まで辿りつくのが大変でした。
最上階についたところで、雨の中では遠くまでは見渡せるはずもありません。
最上階の天井には神様が祀られています。
上るには時間がかかっても、降りるのは早いです。あっという間に出口のある月見櫓です。
この時点では入る時よりさらに雨の勢いは強くなり、堀の白鳥も石段で身を休めていました。
大雨の中、駐車場に駆け込み、傘をさして城の北側を散策です。
外堀はほとんどは埋め立てられてしまいましたが、市役所裏のこの場所だけは五〇メートルほど残されています。しかし観光客もなかなかここまでは足を延ばすことはありません。
惣堀の横の公園内に北門大井戸が残っています。松本城のまわりにはこのような井戸がたくさん残っています。
ここは北馬場柳の井戸です。ここは元惣堀であり、埋立地に湧き水が出たらしいのですが、隣りの柳の木はとても大きかった。柳の木って大きくなるの早いんですね。
次回行ったときは南側も散策してみなければ!
日本100名城スタンプラリー 松本城
48城目となる松本城です。国宝4天守のひとつです。
図柄は埋の橋越しに見る松本城天守です。
こんな感じでしょうか。今日は雨が降っていていい絵が撮れずに残念です。人気は少なかったですが。
このアングルからだと、大天守と小天守は見えますが、月見櫓は見えません。
本丸内、本丸御殿の踏み石が残る良いアングルです。
朝、風が強かった時は映っていなかった天守が、雨がふりだしてから風が止んで少し映るようになりました。きれいに映ることもあるんでしょうか?
中野陣屋 長野県の城館
中野市街にある中野陣屋県庁記念館です。
ここに中野県の県庁がありました。
県庁の前は、天領として中野陣屋があった場所です。
それでは中野陣屋跡を散策しましょう。
記念館前は陣屋の堀跡が用水として今も利用され、
西側に残る石垣が陣屋のあった当時を忍ばせます。
西側の石垣の途中は切れて階段となっていますが、これは後世のものでしょうね。
記念館の開館が10時なので、それまで時間があったので周辺を散策します。
すぐ近くに陣屋跡の記念碑が建てられていて、文字は徳川18代の御筆によるもののようです。
徒歩3分ほどで、陣屋の少ない遺構である「陣屋井戸」が道路沿いの店舗に挟まれるように残されいます。
井戸の凸型の石には「不忘井」と書かれています。どういう意味でしょうか?
陣屋井戸の前、鈴泉寺の門前に建つ石碑には、高木清左衛門代官と手代、手付たちの名前が見える。
戻って記念館の中に入ります。無料の記念館では陣屋や県庁など中野の歴史を見ることができます。
展示のなかにこの辺りの旧街道図がありました。
北国街道が牟礼-善光寺-篠ノ井-上田-小諸と進むところ、長沼-松代という分岐もあったようです。その北国街道から須坂-小布施-中野-飯山と進む「谷街道」という脇街道があり、中野で分岐して草津へ向かう「草津道」があったようです。
これを見ると、飯山、須坂、草津の分岐にある中野は天領として重要な地であったことはうなずけますね。
今年の名古屋城検定は複数受験可能!
今年から秋に受験日が変更された「名古屋城検定」の案内が届きました。今まで3カ月ぐらいの申込期間だったのが、5カ月以上に延長されました。
それでは概要を
試験日:11月12日 土曜日
時間:初級・上級 午前10時30分~12時10分
中級 午後2時30分~4時10分
受験料:初級 3,000円
中級・上級 2,000円
申込受付:5月10日~10月25日
会場:名古屋市公会堂 4階ホール
お問合せ:名古屋城検定実行委員会事務局 TEL.052-961-7580
今年は受験日の変更だけでなく、受験時間もずれて、初級と中級、中級と上級の複数受験ができるようになりました。
と言っても、今まで中級受験には初級の、上級受験には中級の認定番号(合格番号)が申込に必要だったのですよ。同時受験だと、中級だけ受かるとか、上級だけ受かるとか、まあそんな人はいないとは思いますが、そういう時は上の級は無効になってしまうのでしょうか?
今年は名古屋城検定が始まって4年目を迎えます。
初級が第5回(1年目が2回あったため)、中級が第3回(2年目から)、上級が第2回(昨年から)となります。協賛企業もついて、本丸御殿の復元も順調に進んでいますので、ますます盛り上がって欲しいですね。
替佐城 長野県の城館
全国的な大雨が続いていますが、今日は起きてみれば快晴?早めに出かける用意をして、諦めていた山城登りへ
「温泉公園」と「城址公園」の看板を見つけて曲がりました。
500mと書かれていたけど、次の案内がなかったのでどんどん奥へ登っていったら、こんなに高い場所に来てしまいました。間違えたー!
戻って、温泉公園駐車場へ。案内板を見つけました!
そうか!あの正面の山が城址公園なのか。
細い道を恐る恐る入っていくと、見つけましたよ!入口
消えかかった案内標。上信越道路の工事によって、ここまでの経路が変更されたのかもしれません。
さらに、1車線の道路を登っていくと、ようやく中腹の駐車場に着きました。
替佐城は上杉軍の飯山城と対峙するために築城された武田軍の山城です。
山城には満開の八重桜が・・・
昨日までの雨で足元がゆかるんでいる場所もあります。というより、地面からしみ出してきているようです。
道は「一の郭」と「二の郭」の間の堀切に繋がってました。それにしても深い堀切だ。
「一の郭」に上がると、広いし見通しもいいですね。日当たりもよく、城址公園としていい場所です。
他の山城では杉で視界が遮られているところも多い中で、針葉樹がほとんどない山城は貴重です。
「二の郭」も全体が臨めます。
「二の郭」の先端からも景色がいいです。千曲川を挟んで小高い山々が連なります。
ふと足元を見ると、イノシシの掘り返した跡が・・・
さらに進むと、「三の郭」へ。近年は手入れされていないようで、まさに忘れ去られた公園のようです。
「三の郭」からしばらく下りてくると、両側を土塁?(一段高いだけ)に挟まれた水堀に到着。山の中に水堀、一見ミスマッチながら大雨で表面からしみ出してくる水を見ると、ここは地下水が豊富なようで、ここに水が溜まっているようです。
最も低い郭?は「風呂屋古墳」と呼ばれている場所です。
横は上信越道路、こちらのほうがまだ少し高いくらいです。なかなか見学しやすい山城です。すでにこの時期は草が生えて、竪堀などが判別しにくいのがちょっと難点か。でも、上からの眺望をぜひ体験してみてください。
安源寺館 長野県の城館
全国的に雨模様。朝止んでいたので近所の館跡へ。
中野市「安源寺」の交差点。
すぐ近くに小内八幡神社があります。
現在も大きな榎に挟まれた神社への参詣道が残っています。ここは善光寺から草津(温泉で有名だよね)までの間の草津道の一部です。この辺りはまわりに比べて一段高くなった丘の尾根筋にあたります。
北側は急坂となっていて、畑や住宅地が広がっていますが、中央あたりが地名の由来となっている「安源寺跡」、左手の住宅地あたりが「安源寺館跡」、右手の山上に「安源寺城跡」となっています。
住宅地の中の「安源寺館跡」と推定されている地域にいってきました。深い用水がありましたが、館跡と関係があるのか不明です。
道祖神の横に
「安源寺の釣鐘井戸」。どういう由来の井戸なのか、調べてもよく分かりませんでしたが、安源寺館に関係あるものなのか?
やはり平地の館跡は痕跡を探すのが難しいということで、いずれこちらの山城跡(安源寺城)へ登ってみたいです。
飯山城 長野県の城館
今週一週間は長野県の出張です。明日から荒天のようなので、早朝急ぎ途中の飯山に寄ってみました。2度目の訪問です。慌ててカメラを手にしてきたら、ひとつ古いカメラを持ってきてしまいました。
移築された飯山関連の山門です。明治の廃城ですべての門は売却されたようですが、この門は他所に残る飯山城の門と同質の木材が使用されているそうです。
売却後に大きく改造されたそうで、原形とは大きく変わっているそうですが、立派な木造建築は飯山城では唯一のものですのでシンボルとして貴重です。
前と後ろで窓の数が違います。
春の遅い飯山の桜はまだ少し残っていました。
弓道場を建てるときに見つかった南中門の礎石が、弓道場前に復元されています。
本丸跡は葵神社の境内地となっています。
本丸から二の丸への通路は枡形虎口となっています。飯山城の見どころですね。
広い芝生公園となっている二の丸です。そのため、本丸の石垣が一望できて良いですね。
二の丸から見下ろすと千曲川が流れています。
二の丸からさらに一段低いときに三の丸の花壇が広がります。
ここ飯山は「長野県スキー発祥の地」だそうです。日本発祥の地はどこ?
桜の一乗谷へ 福井県の城館
春(を少し過ぎた)一乗谷へ。
入口にして一乗谷最大の見所とも言える下城戸です。
この巨石を積み上げた虎口が往時の城下町口を彷彿とさせるのですが、他の観光客にはあまり人気がないようですね。
ここに春が残っていました。
復元建物横の駐車場に着くと、夕方の時間帯でしたが県外車がたくさん停っていました。やはり福井では人気の観光地です。
さすがに館入口の桜は終わっています・・・
館跡の山裾がいつの大雨からだったか以降ずっとシートが掛けられているのだけど、いつ外れるのだろう。
ここも桜が残っていて絵になりますね。
2年前だったでしょうか、発掘調査説明会に参加した金工業者が住んだ地域も整備が終わりました。
「米津」という名称に決まったのですね。
一乗谷川沿いに桜が植樹されています。向こうに見えるのは土塁の残る上城戸です。小さな写真ではわかりにくいですね。
夕暮れまで目一杯楽しみ、遅い春に思わず出会った一乗谷でした。