いもり口の整備は進んでいます。
隣接する玉泉院丸はいもり口の横のみが入口となり、香林坊側の坂は石垣に戻されることになります。
入口以外は工事が進んでいないようですね。
と、紅葉橋から続く高台は草が生えてきて、縁の盛土があることがわかるようになりました。
真夏は土を寝かすために工事進まないのかな?
平日に見に来ないとやはり進行具合が全くわからないなー
投稿者: Tadashi
金沢城 橋爪門工事は始まらないのか
起工式から2週間・・・
2階建ての工事用プレハブが建っていました。
いつものアングルからはプレハブが遮って現場が見えなくなりました。ここから左前方に見学用足場が組まれるはずですが、まだその準備は整っていないですね。
ということでまだ工事は始まりそうにありません。
七尾城跡 全山に精巧な防御構造
七尾市教育委員会の七尾城跡石垣調査委員会は4日までに、石垣など石の構造物が城内に約380カ所あることを確認した。分布が広範なことから、日本最大級の山城である七尾城は全域にわたって精巧な防御構造を備えていたことが明らかになった。同市教委は今後も調査を続け、2015(平成27)年度以降に石垣などの整備を図る。
約380カ所のうち約100カ所は石垣と見られ、野面積みの石垣は、防御や土留め、装飾などそれぞれ異なる機能を持つことも分かった。
この調査で、現在の大手道以外に、西側の麓から山上に向かう新たな道筋が確認された。道中には巨石「九尺石」を使ったものなど、数カ所の枡形があった。
(北國新聞2012年7月5日付け記事より)
金沢城 橋爪門起工式現地説明会
起工式の後、復元現場で現地説明会がありました。昨年の現地説明会には参加できなかったので、ちょうど良い機会でした。
それにしても、晴天過ぎるためか人出が少ないですね。これは広報不足じゃないでしょうか?
おかげでよく聞こえましたが。
話によると、来年3月までに枡形の土塁部分と二の門の柱部分が完成するようで、その南側に見学台ができるそうですが、冬の間は野ざらしになるのでどうするんでしょうか?4月以降、二の門の櫓部分の工事が始まると、囲いを掛けるので中に入るような見学台になるみたいですよ。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが、
白いロープで囲った場所に実際の二の門、枡形土塁が作られるそうです。河北門より小さいとは言え、やはり大きいものですね。
完成予想図はこんな感じ。
初めて近くから発掘現場を見れました。
柱の根固め
敷石の高さがわかる痕跡
のみ切跡。積み直しされていない下部数段の石垣は初期のものが多く残り、刻印の残る石も多いですが、復元でそのほとんどが見えなくなりそうです。
金沢城 橋爪門起工式
明日からは天気が崩れるというのに今日は天気が良かった。金沢城では二の丸で橋爪門の起工式が開催されました。
河北門の起工式のときはテントの中で式典をやっていて見学できなかったけど、関連イベントもあるので一度きりのイベントは見とかないと!
三の丸から二の丸へ正規の門である橋爪門。一の門は先に復元されているので、今回は二の門と枡形を復元します。
二の丸に着くと、式典は10時からという予告だったにもかかわらず、式典は始まっていました。百万石太鼓の披露が父兄の前で行われていました。
式典はすでに終わっていました・・・・
暑さを避けて早めに始まったようです。
石垣石の石曳きも見たかったのに、こちらも終了していました・・・・残念
寄進も始まり、早速一口申し込んできました。
それにしても、記名イベントは来年9月で、振込も来年7月頃って忘れそうだよ!
(記名イベントに参加したい方は早めに申込どうぞ!平瓦のほうで)
氷室饅頭の配布時間にはどこから人が来たのか?長蛇の列に
明日7月1日は氷室饅頭を食べて無病息災を祈ります。
北陸新幹線の金沢開業までに完成予定で楽しみですね。
金沢城 橋爪門起工式まであと一週間
来週ようやく起工式を迎えます。
橋爪門二の門と枡形土塁が復元されます。
どこに見学台ができるのかな?
三の丸休憩所にある金沢城模型。金沢城公園として公開されるときに将来の復元も視野に入れて作られたとか・・・・
でも橋爪門は一の門と枡形土塁はあるけど、二の門はない。橋爪門には櫓門が2つあったのだけど、今回は1つのみ復元される。それだけでも公園化当時から考えると想定外なのか。
金沢城玉泉院丸 久しぶりに来てみたら
久しぶりに玉泉院丸にやってきたら、入口の工事が始まっていました。
一緒にいもり坂口も整備するようです。
玉泉院丸から折り重なる石垣の先に三十間長屋が見えます。少し立木を整理したようだけど、もう少し整理してくれるといいアングルなんだけどなー
今の時期はアジサイが見頃。
泉水部分はあまり工事進んでいないよう。
紅葉橋から続く高台は縁をきれいに整備して、土が落ち着くのを待つようです。
石垣上が整備され、石垣下の整備が進められているよう。玉泉院丸コースはしばらくは遠回りとなりますね。
七尾城 石川県の城館
夕方、七尾城に登ってきました。
ここ数日は天候が良かったためか、それとも時期的なものか、下界は靄っていてはっきり見えませんね。残念です。
上杉謙信も名城と称えた七尾城ですが、国史跡とあって平日にもかかわらず、数台の車が停まっていました。
桜馬場の西面の段々になった石垣群は七尾城の見所のひとつです。
ゆるい石段を登っていくと、
本丸の石垣が見えてきます。本丸下の駐車場から10分程度で本丸に到着しますので、気軽に行ける城跡です。
本丸には社と、
石碑が建てられています。
夕暮れまでしばらく時間があったので、桜馬場から二の丸付近まで散策しました。
桜馬場の東側に残る崩れかけた石垣や
温井屋敷の九尺石など、隠れた見所のたくさんある城跡です。
本丸に戻ってしばらく待っていたものの、夕暮れまでまだ時間がかかりそうだったので、フィルタをかけて撮影しました。もっとはっきり撮るのなら、やはり冬かな?
小丸山城 石川県の城館
平日の七尾市小丸山公園。
まだ夕方には少し早い時間なので、掃除の方以外は他に人はいませんでした。桜もつつじも終わってしまったので、しばらくは静かな場所になりそうです。
前田利家が一国一城の主として能登に入国したばかりのときは、能登畠山氏の居城、七尾城(府中)に入りました。しかし、生活や交通には不便だったので湊に近いここ所口に城を築きました。
現在では小丸山城は4つの小山から構成されていたと考えられています。
まずはもっとも高い本丸へ。一角に小丸山城址の石碑が立っています。
中央付近には、NHK大河「利家とまつ」が放映された記念として、利家とまつの銅像が立てられました。
(拡大あり)
本丸から北側には所口と呼ばれた七尾市街が広がっています。
南東隅の少し小高くなった上に日像上人像が立てられており、ここに櫓があったと想定されています。
(拡大あり)
そのからの眺めは東に七尾城のあった山々、眼前の住宅街が郭のひとつ、大念寺山です。住宅街を造成する際に少し削られていると考えられ、当時はもっと高かったと思われます。
橋を渡り、西側の郭が二の郭の役割だったと考えられる天性丸です。
小丸山公園の北側入口に相撲場がありますが、その西の山が郭のひとつ、宮丸です。その名前の由来は、築城以前この山は愛宕山と呼ばれ、気多本宮社があったことによると思われます。
現在は忠魂碑が建てられていますが、平成19年の能登半島地震により倒壊の危険が出たため、分解されて展示されています。
その宮丸の北側に「愛宕小路」という看板を見つけました。見落としそうな歴史遺産ですが、建物の間を通る細い小道でした。愛宕山にあった気多本宮社への参道であったことからその名が付けられ、築城後は本丸への通り道となったと考えられるそうです。
玉泉院丸庭園整備始まる!
橋爪門工事現場を見た後、
二の丸西側から玉泉院丸コースへ入っていくと、あれいつもと風景が違う・・・・
途中で通路が切れている?と思ったら曲がっているだけでつながっているようです。
色紙短冊式石垣の前では整備が始まって、松坂門側からの通路は切れているようです。
しばらくは色紙短冊式石垣の前には行けないみたいです。
下に降りていくと、雑木林だった場所がすっかり整地されている。ここには旧陸軍時代?の門跡なんかもありましたが、何もかも撤去されてしまいました。
石垣のまわりの木も整理されて、見え方も変わってきました。
整備予想図が一緒に設置されています。
と、見学通路は位置が変わって、中程を突っ切るようになりました。
石垣群までの距離が短くなってうれしいです。石垣の上に積もっていた土や瓦礫も徐々に撤去されているようで、(それが前に積まれている袋かも?)石垣の景色も見応え出てきました。整備後はきっと石垣の大パノラマが広がることでしょう。
と、三十間長屋が以前より見えるようになったような?
もう少し伐採してくれれば、新しい写真スポットが出来ますね。
また足繁く通ってみることにしましょう。
ついに始まるよ!橋爪門二の門復元工事
GW以来の橋爪門工事現場を見てきました。
鶴の丸休憩所前の池にはちょうど菖蒲が見頃を迎えていました。
変わらない風景・・・?
と思いきや、工事のお知らせの看板が立っていました。
工事開始は6月15日!
あと1カ月を切り、いよいよ始まりますよ。
今回の工事範囲は、土塀と二の門です。
こちらはフェンスの位置が低くなりました。
復元予想図も角度を変えて描かれています。小さくて見落としがちですが、お見逃しなく!
二の丸への通路は二の門の復元によって、以前より急角度になりそうです。掘って配管の位置とかを確認しているようですね。
5月通常総会 きくざくら第21号が出ました
石川県立美術館ホールで5月総会が開催されました。
22期会員13名を加えて132名になった金沢城・兼六園研究会ですが、今日は議決権ギリギリでしたね。広坂別館では狭いけど、美術館ホールでは広すぎる感じがあります。もっと出席してほしいところですが、ご高齢の方も多いですからね。
きくざくら第21号が出ました。昨年は記念すべき20号だったので多くの投稿がありましたが、今年は少なめでした。
今年も昨年に続き投稿しましたよ。「古絵葉書で見る金沢城・百間堀」というテーマです。
平日開催の行事ばかりでほとんど参加できない身ですので、こういう場所で貢献しないと!
通常総会に続き、例会として、金沢城調査研究所の滝川氏が「金沢城跡五十間長屋の発掘調査」という少しディープな話題で講演しました。
NHK大河「利家とまつ」に合わせて開催された平成13年の全国都市緑化いしかわフェアに向けて、金沢城二の丸の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓ですが、金沢大学が移転した後の三の丸からの眺めがこんな感じだったそうです。
今となっては新鮮な写真です。
建物が残っていた最終期の明治11年の写真。三の丸でもかなり北東部から撮ったもので、右の木の陰に河北門が写り、左に菱櫓、五十間長屋、橋爪門櫓、橋爪門一の門、奥には二の門の屋根も見えます。
中でも一番興味を引くのは、三の丸中央に写る井戸ですね。現在はほとんどが埋められてしまって見ることができない井戸がここにあったんですよ。
発掘調査で菱櫓から橋爪門までの櫓・長屋台の石垣は初期と末期で礎石が変化していることがわかったそうです。
初期は穴を掘って隅石大の大きさの石を埋め、上に柱を立てていたそうです。
末期は穴を埋め、石垣の最上部で建物を支える鬘(かずら)石大の大きさの礎石を、鬘石の高さに合わせて二段にしていたそうです。
平成24年度名古屋城検定 実施概要
今年の名古屋城検定の案内が届きました。
今年も昨年と同様に名古屋市公会堂が会場となっています。
昨年は上級受験していましたが、勉強不足では全くというほど太刀打ちできないレベルでした。合格証も変わっているので、初級からやり直そうか?少し考えてから申し込みすることにします。
試験日:平成24年11月24日(土)
時間:
初級・・・10:30~12:10
中級・・・14:30~16:10
上級・・・10:30~12:20
受験料:
初級・・・2000円
中級・上級・・・3000円
申込受付:5月10日~10月31日
会場:名古屋市公会堂 4階ホール
お問合せ:名古屋城検定実行委員会事務局 TEL.052-961-7580
昨年はあいち戦国姫隊から3名が受験し、3名ともに合格!今年も受験はあるのか?楽しみですね。
金沢城 橋爪門の復元工事は間近?
GWに開催中の百万石菓子百工展を見に来たついでに、橋爪門の復元現場がどうなっているか?見てきました。
本丸戌亥櫓台のつつじがきれいです!
そういえば、4月初めの強風で漆喰がはがれた金沢城土蔵(旧、鶴丸倉庫)は、今も前面がブルーシートに覆われたままです。
変わったことと言えば、この復元図の立て看板と、
二の丸へ続く通路が掘られていること。もう少しで復元工事が始まると思いますが、見学場所ができるのが楽しみです。
ところ変わって西外惣構の石標、まわりにきれいな花が咲いていますよ。
新しくなったデジカメで撮影。背景がほどよくボケました。どうでしょう?
末森城の桜 石川県の城館
前田利家と佐々成政の激戦の地、末森城。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」の放映に合わせて整備が進められました。国道沿いのこの立て看板もそうです。
麓の駐車場に設置された仮設トイレ。
駐車場の案内板。
入り口の石碑とすべてそのときに整備されたものです。
入り口に設置されたしおり箱。今は中がからっぽです・・・
夕暮れ時の末森城を上ります。最初に守る郭は「若宮郭」。南に開けた、佐々の籠もる坪山砦と対峙する位置にあった郭です。
今は桜が真っ盛り!!
しばらく上ると大きな空堀が出てきます。春先は草がすべて枯れ、とても見やすい状態になっています。
二の丸を経て本丸に到着しました。
本丸もちょうど桜が真っ盛りでした!こんな夕暮れ時なので誰もいないと思っていましたが、途中地元の方に一人会いました。会うと思っていなかったのでちょっとビックリ!してしまいました。
今年は雪が多かったこともあるのでしょうか。草が枯れて、本丸先の郭にも行くことができました。ここが末森の北の見張り台です。
日中は暖かくなったとはいえ、日が暮れるとさすがに寒くなってきました。さっさと下りましょう。
下りてきてから「熊注意」の看板に気がつきました・・・
途中音楽をつけて歩いていましたけど、もしかしてとても危険だったのか?でも春先の末森城は土塁や堀もとても見やすくおすすめですよ!
名古屋城 本丸御殿復元現場が面白い!
名古屋に来たならここに行かないと!
名古屋城本丸の本丸御殿復元工事現場です。なんとか間に合った・・・
中に入ると、
おーかなり形ができてきていますねー!
ここまで形が見えてくると、本当にすばらしいですよ。来年には玄関と表書院部分が公開となりますが、素屋根がかかったまま公開となるのか、接続部分はかかって外されるのか?素屋根がかかっていれば、できた玄関を上から眺められるのだろうけど、隣からでも見られるのか?
表書院は屋根のこけら葺きの真っ最中、板がたくさん積んであります。
少しずつ葺いているようですが、実際の作業が見れないのが残念。
玄関はこけら葺きが終わって、上から見ていても大きい!!
下から見ると迫力あるでしょうね。早く前から見てみたい。
玄関北側の中之口部屋は屋根の板組みの途中です。
北側は屋根の横板も中央から張られています。
よく見ると、横に3枚ずつ縦の板2枚分ずつずらして張られています。これも丈夫に造るためですかね。
下の方に何か見えると思ったら、釘箱ですね。
このアングル、「週刊安土城をつくる」を思い出しますね。大きさが全く違いますけど。
表書院の北側、溜之間もできてきています。それにしてもこの規模で約3分の1なんで、本当に大きいですよ。
この空間はちょうど第2期工事の対面所と下御膳所が建つ場所。
遠く見ると奥で作業している方がいます。木材の最終的な調整をやっているようですが、前回の訪問までは木材加工場でしか見られなかった光景です。でも少し遠いなー
いつからか御深井丸展示館で本丸御殿にかかわる催しが開かれていました。
1室を使って、これまでの本丸御殿の復元の写真が飾られています。
これは途中経過などもわかっていいですね。ここも順次変えられるのでしょうか。
天守閣では、「本丸御殿障壁画復元模写展」が開催中でした。今日は春まつり期間中ということで、6時過ぎでも見学できました。ライトアップまでゆっくり楽しめました。
これらの復元画はちょうど来年公開の玄関や表書院に飾られるものです。
実際に建物内に設置されると感じがまた変わるのでしょうね。楽しみだ。
本丸御殿はまだ外から見ていても作業が進んでいるのがわかって、何度見に来ても面白いですよ。これがまだ6年続くので、あと何回来られるか?
姫路城天空の白鷺 2回目の訪問
姫路城に行ってきました。昨年春に天守の本格的な修復工事が始まってから、昨年8月に1回行きましたが、半年を経てその様子を見てきました。
平成では今回限りの大修復ですから最低年1回は行きたいところです。
朝ホテルを出て、近くにある中堀の鵰門(くまたかもん)跡
枡形の先に姫路城天守が見えます。この時期は木々の葉が落ちているので見やすいですね。
昨夜、ホテルに着いた後、ライトアップを撮影に出かけました。同じく鵰門跡です。
外灯に照らされた枡形の石垣の向こうにライトアップされた天空の白鷺が見えます。
もう少し昨日の様子を・・・
三の丸に入って、備前丸の天守を右に、西の丸のワの櫓とカの櫓を左に見た景色です。もう9時を過ぎているので人っ子一人いません。
ライトアップされて一際大きさが目立つ天守ですが、隣りの小天守、手前のリの一渡櫓もライトアップしてほしいなー
内堀西南隅の石垣群。今日は寒いですが風がないので、きれいに堀に石垣が映り込んでいます。
ライトアップは夜10時まで。順次ライトが消えていったので、こちらもホテルに帰りました。
さて、駐車場に到着したので、まずは工事中の美術館越しに天守を撮影
東側の三の丸入口は橋を修理中。内堀に映る天空の白鷺が美しいです。
今回の天守工事は、昭和の大修理と同じく鹿島建設が担当。今回はJVですが、鹿島のホームページでは姫路城天守に足場を組むCG動画を見ることができます。
近づいて見ると、工事用足場の大きさもさることながら、帯の櫓下や太鼓櫓下の石垣の高さに圧倒されますね。
昨夜と同じ三の丸の場所に来ました。明るいと多数の建物が見えます。
この景色すべての建物がライトアップされていれば壮観でしょうね。
天空の白鷺は前回同様予約してあったのでスムーズに入場できました。
途中、漆喰の修復工事現場に遭遇。休みに遭遇するのは珍しいことで、年度末だからでしょうか?
さあ、中に入りますよ。
並んだ一般観光客に先んじて、エレベータで最上階へ
ビデオは前回訪問した夏あたりの作業風景。しばらくは半年ごとの更新になりそうです。
最上階の屋根はすべて瓦が葺き終わってしまって少し残念ですが、目地の漆喰塗りは今後の作業
平瓦、丸瓦は葺き終わっているものの、真ん中の鬼瓦はぽつりと独り立ち。
屋根の両側には足場用の板が置かれています。
7階に下ります。今日は前回より人が多いですね。まだ春休みというのに、少し観光客が戻ってきているようで安心します。
こちらの破風の屋根瓦はまだまだ。あまり以前と変わっていないような・・・
先日世間を賑わした「幻の窓」の報道記事が展示されていました。
今日は天候が悪く、遠くが霞んでいます。
次はいつ来ようか?工事の進捗状況を見て決めましょう!
兵庫城 兵庫県の城館
新川運河沿いのきれいに整備された河川敷
その一画に兵庫城跡の石碑と案内板が立っています。
天正8年(1580)、池田信輝と輝政父子が花熊城を攻め落とした功によって兵庫の地を与えられて、この地に兵庫城を築城しました。
兵庫城は江戸時代に尼崎藩領となって陣屋が置かれ、その後、大坂町奉行所の勤番所や兵庫鎮台、兵庫裁判所と変わり、廃藩置県により「兵庫県」となったときの最初の県庁所在地だそうです。
明治7年(1874)に新川運河の開削が行われ、城跡の中心地はほとんど川敷になってしまったということで、まさにここが中心地ですね。
金沢城調査研究10周年記念シンポジウム 「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」
金沢城調査研究10周年記念シンポジウム「城郭石垣の技術と組織を探る 金沢城と諸城」の2日目です。今日は朝から丸1日ですよ。
研究報告1
「慶長11年の江戸城普請における加藤清正の石材調達指図について」
別府大学 白峰旬氏
白峰報告では新しい知見を得ました。名古屋城の天守石垣に人名の書かれた角石が数石あります。その理由が石材の大きさの目安とする目的だったということです。
江戸城の調達指示の書状に中に、「『勝兵へ』くらいの石を送ってこい」と家臣に指示しているそうです。
研究報告2
「万治元年の江戸城普請と加賀藩」
金沢城調査研究所 石野友康氏
研究報告3
「軍学と後藤家石垣秘伝書」
愛知県立大学 長屋隆幸氏
軍学の流派は
・越後流
・長沼流
・甲州流
の3大流派に、甲州流から派生した
・北条流
・山鹿流
の2つを加えて5流派となるようです。加賀では有沢家が甲州流、北条流、山鹿流の混在した流派を教えていたようです。
研究報告4
「九州における近世城郭石垣の変遷」
佐賀県立名護屋城博物館 市川浩文氏
研究報告5
「加藤嘉明と藤堂高虎にみる石垣構築技術」
松山市教育委員会 楠寛輝氏
研究報告6
「近世大学池田家の石垣普請」
鳥取市教育委員会 細田隆博氏
研究報告7
「東国における野面積石垣構築技術と画期」
山梨県教育庁埋蔵文化財センター 宮里学氏
パネルディスカッション
「城郭石垣の技術と組織からみた金沢城」
パネルディスカッションでは、野面積み→打込はぎ→切込はぎと年代によって自然石から切石から進む石垣構築過程をこれまで進化だとする風潮が、実はある面では退化だという主張がなされました。
石加工技術としては自然石から割石、切石と高度化しているが、石積み技術としては最も難しいのは自然石、切石は簡単になっている。要は石垣のバリエーションが増えたということだと。
丸1日はさすがに疲れましたが、比較研究の大切さを実感した充実した報告会でした。来年から金沢城調査研究所では、金沢城の兼六園、その周囲の武家屋敷に点在する庭園の調査から金沢の石積み技術を解き明かし、玉泉院丸庭園の特異な石垣の解明と、名勝指定に向けた調査がおこなわれるようです。
金沢城 いもり堀年1回清掃へ
昨日の夕方、清掃のため水抜きをしているといういもり堀へ寄ってみました。
かなり水位が下げられていましたが、水面を覆った藻がそのまま下がっていってどうしようも・・・・
そんな中、水中の藻が食べやすくなったのか、2羽の鴨がさかんに水中をついばんでいました。
水深が浅くなったことで、珍しいお客さんも来ていましたよ!
アオサギでしょうか?頭の後ろのとさか?の毛が象徴的ではありますが、こちらもさかんに水中をついばんています。こちらは小魚狙いでしょうね。
水深の下がった堀はまさに鳥たちの狩り場となっていました。
水堀復元から早2年。しかし、たったの2年でここまで藻が生えるとは予想外ですね。
これからは年1回清掃をするということですが、見栄えも悪いのでもっと抜本的に解決策を探る必要がありそうですね。大手堀はそんなに汚れた記憶はないのですが、木陰にもなる北側の大手堀と直接日光が当たる南側のいもり堀では違うのでしょうか。
一夜明けて今朝の風景。
2年前のきれいな風景は望むべくもなし・・・
水位が下がって鯉喉櫓台の低い位置にある石樋が久々に顔を出しました。
昨日いもり堀内の鯉を助け出して兼六園に戻したと新聞報道されていたけど、今朝も背中に藻を絡ませながら泳ぐ数匹の鯉がいました。
昨日の夕方は見かけなかったので、昨晩のうちにまた兼六園から下ってきたのか?
きれいになったいもり堀が楽しみです。