医王寺の西側に天神山陣地への搦手口があります。
とその前に、地元の伝承である山県三郎兵衛昌景の息継ぎの井戸がありますのでお見逃しなく!
さて、山道を進むと、平坦部に出てきます。
この辺りが陣地跡でしょうか?しかし、立て看板は眼下の岩代陣地、有海村陣地、篠場野陣地の説明です。
見晴らしはよいですが、肝心の陣地跡はいずこ?
さらに進むと、神社裏にやってきました。この平坦部には虎口跡?にも見える掘削部が見られるのですが、はっきりしたことはわかりません。
荏柄天神の裏山であることは間違いないとは思いますが・・・
本殿裏の山とはかなりの落差があります。
麓の一段上には結構立派な的場がありました。曲輪跡にも見えないことはないですね。
投稿者: Tadashi
医王寺山陣地 武田勝頼本陣 愛知県の城館
長篠城址の北に医王寺があります。その背後の山に長篠合戦のとき、武田勝頼の本陣の陣地がありました。
医王寺にはその碑が建てられています。
医王寺の東側に大手道があり、そこから上って搦手道を下りて来るように散策コースが作られています。
さあ!行きましょう。
けもの道幅の遊歩道を歩いていくと、15分ほどで山頂の平坦地に出ます。
ここに展望台が・・・
あれ?壊れていて上れないようです。残念・・・
展望台に上らないと木でよく見えませんが、長篠城までの見通しの良い場所ではあるようです。
山頂の案内板には、現在地の「本曲輪」の東に「東曲輪」、西に「西曲輪」があると描かれています。
東曲輪はよくわかりませんでしたが、西曲輪に至る道には堀切が認められ、
また西曲輪の平坦部もわかりやすいです。
大通寺山陣地よりは時間もかからず、散歩にはちょうどよい感じです。
大通寺山陣地 愛知県の城館
見晴らしの良い高台に大通寺があります。
長篠城の巴城郭や瓢郭を眼下に見下ろすこの山に武田軍の陣地がありました。
この陣地に陣取ったのは、馬場信春、武田信豊、小山田信行の三将です。
遊歩道になっている山中を歩くと意外に大きな平坦部が広がっています。先日の台風で倒木が多く、遊歩道を何箇所もふさいでいました。
2000人と言われる兵が陣取ったと説明されています。
注意深く観察すると、低い石積みや土盛が見えますが、これが陣跡のものなのか、遊歩道整備のためなのか、森林植樹によるものなのか判断できませんでした。
長篠城に行ったときはゆっくり散策するのも気持ちよいですよ。
長篠城 愛知県の城館
ここは長篠合戦で有名な長篠城です。
本丸址は子供たちが野球できるほど広いです。。
本丸址入口に立つ長篠城址史跡保存館では、城主だった奥平氏に関する展示がされています。
本丸と帯郭の間には深い堀があります。
土塁の上には古い長篠城址の石碑がありました。
本丸の向こう側に行くと、武田軍が陣取った5つの砦群が見えます。
この看板なぜフェンスなのかというと、
鉄道が敷かれているんですよ。長篠城址は線路でまっ二つにされており、今も電車が通っています。
本丸址の西側に弾正郭址があります。入口の石積みは見所のひとつですね。郭の中には住宅が建ち、今も住んでいるようです。
弾正郭の向かい側に家老屋敷址があります。
線路を横切って行くと、野牛郭址になります。左手の土塁は物見櫓址です。
野牛郭には殿井が残っているのですが、看板が木に隠れていて最初見落としてしまいました。保存館で聞いて帰る前にまた見にきました。石組みが良く残っています。
保存館の駐車場横は巴城郭址となります。
保存館の駐車場前は倉屋敷址になります。保存館のまわりだけでも多くの見所がありますね。
保存館から東に少し歩くと、瓢郭址があります。線路沿いの標柱の場所は畑となっていました。
さらに東に歩くと搦手門址となります。石がたくさん積まれていましたが、遺構ではないようです。
保存館から北の大通りに出て西に歩くと、サークルKの駐車場に大手門址の標柱がありますが、この辺りは全く遺構は残っていませんね。
さて、線路を横切って野牛郭を行くと、その先端部は少し盛り上がっています。櫓址ですが、正面の木々がなければ川の対岸がよく見えることでしょう。
さらに、進んで下に降りていくと川岸までたどり着きますが、地図ではここに「夢出会い橋」が・・・
橋が・・・
あるはずだったのですが、今は橋脚しか残っていません。保存館で尋ねると、以前イベントで期間限定で架けられていたことがあるそうです。次はいつのことやら?
ここを渡れると、鳶が巣山砦方面へ行くのに近いのですが・・・
しかし、天候が良ければ川を横切る線路とともに絶景を見ることができますよ!
龍譚寺と井伊氏歴代墓所
浜松を朝出発し長篠に向かいましたが、途中大きな看板に誘われて寄りました。
ここは井伊保の龍譚寺です。
御堂が修復中でしたが、朝早いこともあり、有名な庭園は見れませんでした。
境内には「井伊直政公出生之地」の碑がありました。ここは徳川四天王の井伊家が治めた地なのです。
御堂の奥にある建物は・・・
重要文化財の井伊家霊廟でした。近くまで近づけない・・・
隣接する墓地には井伊氏600年の歴代墓所がありました。
そんなに広くはないですね。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
昨日に続いて、また二俣城にやってきました。
今日もイベント目白押しです。
昼間に見る復元天守は夜とは違いますね。週間天気では雨が予想されていましたが、朝は何とか晴れてよかったです。
勇壮な和太鼓演奏からイベントは始まりました。
続けて居合が披露されます。
午前の部の最後は、日本放鷹協会による放鷹術披露です。
本丸内を颯爽と飛ぶ鷹、今は日本種ではなく、イギリスのスカイホークなどを使用するようですが、観客も参加して鷹匠がどういう訓練をしていたのかを体験しました。
昼の休憩の後は居合から始まりました。竹の居合斬りは切れないミネを使用するもので、すごい迫力でした。
昨日以上の観客が来ていましたが、期間限定の二俣城復元にしてはもう少し人出があってもよかったと思いますね。新型インフルエンザの影響もあるのでしょうけど。
続けて、朝から準備をしていた武者行列が始まり、
舞台上で徳川軍と武田軍による演劇が行われました。
続けて、長篠・設楽原鉄砲隊による火縄銃砲術演武が行われました。すでに天候がかなり怪しくなってきていましたが、順調に演武は進み、
三段構えの演武などもあり、
すべての演武を終えるまでなんとか天気は持ちました。
一通りイベントを楽しんだので、帰ろうと駐車場に向かっている途中で土砂降りとなってしまいました。後のイベントはどうなったでしょうね。しかし、わざわざこのイベントのために遠征してきて良かったです。
帰りにイベントに連動した企画展をしていた田代家に寄りました。田代家は天竜川を利用した筏問屋です。
中では、「二俣城物語展」として、二俣城や鳥羽山城の発掘調査や小説、絵画などが部屋に所狭しと並べられていました。
中に、平成7年に初めて復元されたときの二俣城復元天守の写真がありました。今回の天守は立派だと聞こえてはいましたが、比べるまでもないですね(#^.^#)
鳥羽山城 静岡県の城館
イベントの昼休みを利用して、お隣の鳥羽山城を再訪しました。(昨日も行きましたが夕方で暗かったもので)
大手門跡に続く大手道は幅6メートルの立派なものです。
大手門など本丸のまわりは、武田軍との攻防のあとに入封した堀尾氏により石垣造りになったようです。
大手門のほかに、橋のかかった通用門と
搦手門が本丸の入口となります。
本丸はかなりの広さです。
本丸西側には腰巻石垣が長く残っています。
笹曲輪からは天竜川を挟んで和田ヶ島砦が見えます。
本丸からは二俣城は見えませんが、一段下のわんぱく広場になっている曲輪から、かろうじて二俣城が見えます。
腰曲輪を利用した駐車場には公園となっている城址の全体図があります。
二俣城 静岡県の城館
二俣城は武田軍との激戦地となった城です。また、徳川家康の嫡男信康が自害させられた城としても有名です。
国民文化祭しずおか2009に合わせ、期間限定で復元された天守です。
蔵屋敷跡には入ることができません。
蔵屋敷と二の郭の間には深い堀切を見る事ができます。
鳥羽山城側から見ると、現在は堤防になっていますが、左の天竜川に向かって、右側から川が流れていました。川の合流点の先端に山城を築いていました。
井戸櫓と信康廟
ここは二俣城下の諏訪神社です。
境内には本日の武者行列の主役が朝早く集合していました。
神社の池に面して、隣接する清龍寺の井戸櫓が建てられています。
二俣城には天竜川沿いに井戸櫓がありましたが、武田軍により破壊され水の手を絶たれて落城したと言われています。
この井戸櫓は近年復元されたものですが、天竜川沿いの井戸櫓はこれよりも高いものだったのでしょうね。
清龍寺の本堂の裏手を登ると、
そこに徳川家康の嫡男で二俣城で自害した、岡崎三郎信康の廟があります。
御廟前の門は先の台風で屋根瓦でも飛んだのでしょうか?ブルーシートが掛けられて少し痛々しい姿でした。
刑部砦 静岡県の城館
刑部城の近く、「刑部砦」跡です。ここは刑部城以上に探すのに苦労しました。
道沿いに碑があるのですが、非常に見落としやすい場所にあります。
正面に「史蹟」、裏に由緒が書かれていますが非常に読みにくくなっています。
犀ヶ崖で首実検をした武田信玄が三方原台地を北上して陣を構えた場所と伝わっています。
わかりにくい場所ですが、サンキューオートの隣りですので、そちらを目印に探すと良いでしょう。
刑部城 静岡県の城館
交差点近くに立てられた「刑部(おさかべ)城址」の案内板です。ようやく探し当てました。
山城だと聞いていたのですが、
道向いのあちらの山か?
振り向いてあるこちらの山か?
道路建設により2つに分断されているそうなのだが、案内板でも書かれている残っている犬走や井戸跡が見たかった・・・
こちらの山の別の面には「金襴の池」という刑部城にまつわる話がかかれた案内板もありますよ。
三方原古戦場碑やっと見つけた!
写真でよく見る画なのだが、なかなか場所が分からなかったもの
この「三方原古戦場」の碑です。
地元の観光マップにも載っていない?地元に入った後にどうしても見たくて探していると・・・
ありました。ここは中区の浜松市営の墓地です。
ちょうど管理事務所では
三方原合戦の貼絵展が開催中でした。
松下屋敷(頭陀寺城) 静岡県の城館
浜松駅近くに宿泊したこともあり、朝は早く出かけて松下屋敷にやってきました。
一歩通行やら細い路地が交差し、かなり迷いましたが到着です。
公園となっている屋敷跡の休憩所に由来が書かれています。
石碑には「松下嘉平次屋敷跡」と書かれています。案内板には松下嘉平次は豊臣秀吉が奉公したとあります。そういえば、秀吉は信長の草履取りになる前に松下氏に奉公していましたが、この場所がそうだとは・・・、尾張生まれの秀吉がはるばる遠江まで来たんですね。
かなり錆びた案内板ですが、屋根があるおかげで何とか読むことはできます。
絵図によると、公園のまわりの今道路になっている部分は少なくとも堀か屋敷地内だったようですね。
二俣一夜城と戦国時代絵巻
今回静岡まで足を伸ばした理由に、国民文化祭にあわせてここ二俣城に天守が復元されると知ったからです。
初日の今日は一日限りの夜のイベントが開催されます。
天竜川も夕暮れに沈んでいきます。
城跡となっている山上へは東側の公園入口から上るのが通常ですが、隣りの鳥羽山城を見に行った帰りでもあり、地元の人と一緒に西側入口より登ります。
そのおかげで山上にのぞく復元天守と月の風景を見る事ができました。
山上に到着すると目の前に復元天守が現れました。
回り込みます。一夜城として発表されていたイメージ図どおりではないですが、9日間という公開限定期間で撤収されてしまうのは勿体無い出来ですね。
後で聞いたところによると、建築に2、3週間もかかったそうで、解体された後はいつかまた公開されるまで保管されるそうです。
本丸入口に立つ木像は、ここで自害した家康の嫡男信康の像です。
今日は地元の方中心に100人以上の人が集まっていました。ドライアイスの煙幕とともにイベントが始まりました。
天守二階の窓が開き、法螺貝が演奏されます。窓開くんだー、という驚きの演出です。
初めに、犀ヶ崖資料館で見た遠州大念仏が演じられました。漆黒に浮かぶ復元天守の前で演じられる大念仏はなんとも言えない厳かなものでした。
続けて、地元生田流の琴の演奏がありました。金沢城でも同様のイベントを何度も見ましたが、城に和の演奏はやはり合いますね。
最後に日本舞踊が披露されました。晴れてて良かったですが、夜は寒かったですね。明日は昼のイベントです。
曳馬城 静岡県の城館
浜松東照宮への参道ですが、坂になっていて徐々に上っている土地であることがわかります。
浜松東照宮は浜松城古絵図には「古城」として表記されています。
鳥居の横に「曳馬城跡」の碑があります。
境内には思いの他広い空間があります。
境内の一番奥に少し盛り上がった土塁か?何かと思えるものがありましたが、明確に遺構と思われるものは何もありません。
横から境内を見るとかなりの高さがありますので、ここに城が築かれた理由もわかりますね。
国民文化祭しずおか2009 絵図でみる浜松城
国民文化祭しずおか2009を見るために静岡までやってきたので、関連イベントを見ていきますよ。
まずはクリエート浜松で開催中の「絵図でみる浜松城」です。
会館の一室に絵図や浜松城の発掘調査成果などの写真が展示されていました。
貴重な大絵図も堪能できるこの展覧会、期間限定ながら無料です。
そして、道向いの浜松まちづくりセンターに移動します。そちらでは「徳川・武田争奪の城」として、北遠・湖北の30の城について絵図や縄張り図、写真が展示されていました。それらの城跡が紹介された「浜松の城跡見どころマップ」もゲットできました。こちらも無料でした。
いざ浜松城へ! 静岡県の城館
浜松城に来ました。良い天候に誘われてか、たくさんの観光客が訪れています。
公園無料駐車場側から本丸に至る通路脇には古い石垣が残っています。
いざ浜松城天守の中に入ります。
通常展示に加えて、国民文化祭にあわせて「センゴク」原画展をしていました。迫力ある戦国の男たちで絵でした。マンガ本欲しくなってしまいましたよ。
最上階からの展望は浜松の市街を見渡せます。駐車場となっている一帯は旧二の丸となりますが、奥の木が茂っているあたりが浜松城築城前の曳馬城跡となります。
入ってきたのと逆側の本丸入口の石垣も、通路両側にそびえ良い風景です。
本丸には井戸がひとつ残っていますが、天守の地下にもひとつ残っています。他にも井戸はあったようですが、見当たりませんでした。
本丸一段下の郭に家康像が立っています。向きが東向きだったら、後ろに天守が見えるのですが。
三方原犀ヶ崖古戦場
今日はいい天気になって良かった!浜松に到着するまでに豊田で1時間の大渋滞にはまってしまいました。
浜松市に到着して初めに寄ったのは犀ヶ崖古戦場です。まずは犀ヶ崖資料館を見てきました。
中には遠州大念仏の資料が展示されていますが、三方原合戦唯一の史跡として当時の模型があります。決戦場の広さを実感できますよ。
犀ヶ崖がその名のとおり深い崖地です。三方原合戦で夜営していた武田軍を徳川軍が急襲して、この崖に次々と落ちて亡くなったという場所だそうです。
石碑もあります。
のぞくとかなり深いです。斜面には竹も群生しており、当時はこれで竹槍なども作ったのでしょうかね?
資料館の裏には合戦でこの地で討死した本多忠真の顕彰碑もあり、その後ろには徳川家康お手植と伝わる楠木もあります。
この碑の右後方には「旗立ての松」という看板があるのですが、附近に松らしき木がない!?
不思議に思って資料館の管理人に聞いてみると、数年前に松くい虫にやられて枯れてしまったとか!それは残念なことです。看板の謎、解決です。
鉈尾山城 岐阜県の城館
北陸東海自動車道の途中に「古城山パーキングエリア」がある。
パーキングエリアに附近の地図があるが、古城山は別名、鉈尾山(はたおやま)と言われるらしい。パーキングからどの方角に山がそうであったのかよく分からなかった。
天文8年に佐藤将監清信が山上に築城し、3代目方政の時代に岐阜城の織田秀信に従って関ヶ原の合戦に出陣して生死不明となり、廃城となった。
続・福井藩と江戸 福井市立郷土歴史博物館
午後から福井市立郷土歴史博物館にやってきました。
当館では現在特別展「葵と菊」を開催中です。越前の刀工というテーマで、刀剣が多数展示されています。展示室には学芸員ではなく、警備員が配置されている物々しさもありますが、私は刀よりは鍔や金工具のほうに目が行ってしまいます。
今日の目的は先の展示ではなく、こちらの企画展「続・福井藩と江戸」です。昨年に続く企画ですが、今回は福井藩の江戸屋敷に関する絵図が展示されているということで実物をぜひ見たかったのです。幕末中心でしたが、福井藩の江戸屋敷は「松平えちぜん殿」という名称で絵図に描かれていました。
そのあとはやはり「加州殿」が気になります。加賀藩の江戸上・中・下屋敷の位置関係を始めて絵図で確認できました。1本の街道沿いに下・中・上屋敷が配置されているのですね。江戸城を取り囲むように配置された尾張藩や紀伊藩、水戸藩など親藩と比べると大きな違いです。
展示のあとは秋深まる養浩館庭園を見てきました。今日は行楽客や博物館の講座参加者で賑わっていましたね。
まだまだ紅葉の初めという感じでしたが、所々に赤く染まった紅葉がよいコントラストでした。