先月、心柱が建った橋爪門二の門を見てきました。今日は土曜日でしたが、ちょうど作業中でした。
重機が入って木材を吊り上げていました。
あー、もう心柱見えないですね。
先ほど吊り上げていた木材の作業が終わって、今から最後の1本を吊り上げるようです。
石垣積みはすべて完了し、塀を作るための矢倉作りが始まっていました。
作業風景を見れるチャンスなんて平日働いている人間には滅多にないですから、最後まで見ていました。
吊り上げて、中央の組み物に差し込んで、溝をはめていきます。最後はノミで調整したり、滑りやすいようにスプレーで何かを吹き付けたり、と
手前はすぐに入りましたが、向こうは木材のゆがみのせいかなかなか入らず、ようやく組み合わせて、最後は2人でハンマーで叩く、叩く、叩く・・・
ご苦労様でした。最初はひとりで見てましたが、終わる頃には見学者が増えてました。
投稿者: Tadashi
玉泉院丸 整備は急ピッチに進む
今年は花見の余裕がなかったので、満開の機会を逃してしまいました。
ソメイヨシノは遅かったですが、切手門前に大輪の桜が満開になっていました。
サトザクラというようですね。
久しぶりの玉泉院丸です。発掘調査は昨年度までに一段落し、今年度は新幹線金沢開業に向けて整備の年となります。
大量の土盛りの真っ最中。どこまで土盛りするのかな?
鼠多門のあった平地も整備中です。二の丸のように門の大きさを示してくれるのか?
若狭国吉城 福井県の城館
1年ぶりに若狭国吉城歴史資料館へ行ってきました。
常設展示も一室ながら充実していて見応えありますよ。
今日は関西文化の日という企画で入館無料。さらにハイウェイキャンペーンで絵葉書1枚、アンケート記入で絵葉書2枚いただいてきました。
秋の企画展が興味深いものが多く、今年は「城の形 国吉城の姿を想像しよう」というテーマで、山城の国吉城の在りし時を想像するもの。城の基礎知識が多かったなかで、私の見たかったのはこれ!
国吉城の発掘調査一覧。本丸の周囲から埋もれた石垣がどんどん見つかっているという情報です。受付で聞いたら、まだ調査は続いていて埋められていないということ。
早速本丸へゴー!
昨年と違ったこと。この柵ですね。麓の居館跡の上をずらりと防御。あれ?上に行けないのかと思いきや、自分で開け閉めすることで行けました。昨年は猿に遭遇したけど、イノシシなんかもいるのかもしれません。
発掘現場に到着すると、調査面はブルーシートに覆われることなく露出していました。休日の一般見学者への配慮ありがたいです。
本丸に到着する頃には天候は下り坂、早く下山しないと。
昨年発掘の真っ最中だった本丸下の堀切。
間近で見学できます。
まだこれからのトレンチもあるようです。
下の段に下りて、先の石垣が二段になって積まれている部分へ。
現在の発掘現場あたりは本丸下をぐるりと石垣が巻いていた様子がよくわかります。展示と合わせて見学するとよくわかります。もうしばらくは見学できそうですよ。
国吉城は若狭町にとって歴史上もっとも表舞台に出てきた城跡ですから、これからも多方面に調査、整備が進むと思います。ちょっと期待。
「最後」の 玉泉院丸発掘調査現地説明会
玉泉院丸の現地説明会に行ってきました。
来年度からは新幹線金沢開業に向けて暫定整備が始まるので、今回が最後の説明会となりそうです。
地元新聞に大々的に掲載されたためか、いつもより多い250人近い人が集まりました。まさに注目の的ですね。今日は時折雨も降る中で解説が行われました。
あまりの多さに四班に分かれて解説を聞くことに。
玉泉院西側の鼠多門近くの井戸。ずっと軍隊が入った後の近代の遺構かと思っていましたが、確かに上の部分は追加されているけど下の部分は近世のままだそうです。
のぞいてみると深ーーーーーい
これだけ深いと蓋をしないわけにはいかないな。これも今日限りか。
いよいよ色紙短冊積み石垣の前へ
昨年は右半分のみの発掘でしたが、下すべてが掘られています。
この部分も整備では埋められて、上に復元されます。
この色紙短冊積みも10メートル近くの高さがあるので、この高さのまま保存すると崩壊の危険もあるということで、発掘前の高さ近くまで埋め戻されるようです。
滝のほうは流れがわかりやすいように青いテープが張られました。現在の色紙短冊の下の石積みは軍隊が積んだもので、その下にさらに数メートルの土盛りがあるため、その下に流路がありますが、実際の流路口は土盛りの中ということで今回は発掘されませんでした。
蛇行する滝の景石は、兼六園の明治記念標の石垣として抜き取られました。
今日は説明会の前に少し解説員と話をする機会がありました。その中からひとつ。
発掘調査と平行して今年度は、石垣周辺の木々の伐採や石垣上がきれいになりました。石垣上の清掃は公園課の担当で、近代のゴミを中心に除去したそうですが、その中で、奥の石垣前の土盛りが強調されるような形になりました。
最終的に平らに整備されるのか聞いたところ、後ろの石垣がはらんでいるので除去すると崩れる恐れがあるということ。もしかしたら幕末に予算がなくて急場しのぎで土盛りしたのかもしれませんね。
今年度で5年を迎えた調査ですが、現地説明会は4回目。ということで調査概要資料も4冊目。いつもカラー写真満載でわかりやすい資料です。調査報告書も楽しみです。
金沢城橋爪門 土塁の土盛りは早いなー
一週間ぶりの橋爪門は、たった一週間なのに様変わりしていました。
それは石垣裏の土塁です。あっという間に土盛りがされ、その完成形にぐっと近くなりました。一冬越すために積雪前に土が盛られたのですね。
枡形の最後の位置もこの辺りになるようです。
石垣の最上部よりも土塁は高く積まれています。
こうして形になってくると、平面で見ているときは狭いなーと思っていた枡形も広いものです。
金沢城玉泉院丸 石垣積み直しか?
玉泉院丸は、日曜日はブルーシートに覆われて状況はわからないけど、地表に足場が組まれているようです。
いつになるのか、現地説明会が待ち遠しいです。
松阪門石垣前には足場が組まれて何をしているのか?ずれた石垣を積み直すのかな?
金沢城橋爪門 石垣工事は急ピッチに進む
橋爪門の二の門復元工事は
着々と進んでいますよ。
橋爪門は枡形の内側のみ石垣で外側は土塁になります。
東側はすでに五段積まれ、あと一段で終了の気配ですね。
南側は五段積んでいる途中経過がよくわかります。しかし、ここ二週間で急速に進みましたね。二段目から五段目はあっという間でした。
ちょうど見学台正面に積まれていた石に現代の矢穴を見つけました。細い溝分かりますか?
隠れる部分なので復元としてはOKなのでしょうね。
ふと見ると、石垣の後ろがどれも穴が空いています。吊るためのものなのか?中の品質を検査したものなのか?気になるーーー
「よみがえる城内キャンパス」写真展
加賀藩歴史文化護持協力会 第4回総会・講演会
加賀藩歴史文化護持協力会の第4回総会と講演会が金沢歌劇座で開催されました。総会は正会員のみ参加できるので、自分は講演会のみ。
今年は前田育徳会の菊池氏による江戸加賀藩藩邸の話でした。
前田家の洋館・和舘などが都文化財指定に向けて調査が進んでいるとか、五代綱紀はとても慎重な性格だったとか、支藩である富山、大聖寺の藩邸は加賀藩の本郷内にあったが、七日市藩はなかったとか、とても興味深い話を聞けました。
今年の更新特典は横山家に伝わる江戸本郷邸の絵図。昨年の講演会で「地震の間」は藩邸にあったのか?という疑問に応えたタイムリーな絵図でした。
わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる城旅34
全国山城サミット魚津大会の会場で、本を一冊購入してきました。
「わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる城旅34」
山と渓谷社 ¥1,680円
城関連セミナーでは、各地の同人誌がずらりと並ぶのが恒例ですが、山城サミットは自治体主催だからか、個人ブースは愛知城郭研究会と荻原さんのみでした。それも柱の陰になっている・・・
歴女ブームとは言え、城ガールの方と会う機会もなく、サインしていただけるということで、サインしてもらった本を持って写真撮らせてもらいましたよ!
愛城研の隣りに座っていたので、てっきり愛知から来たものかと思っていましたが、後でプロフィール確認したら、わざわざ東京から来たようです。お疲れ様でした!
内容は写真とイラストいっぱい!総カラー!かと思いきや、ビギナー編だけでした。それでも本当に城が好きなんだというのが伝わる内容です。
全国34城の中に、地元金沢城が入っているのが何より嬉しかった。ちょっと誤解もあるようだけど、専門家じゃないしね、城ガールはこんなふうに考えるんだーと参考になりました。
(えっ?何の参考)
で、楽しみながら他の城も読んでみようっと!
本は今月発売されたばかりで荻原さんの処女作です。売れたら35以降の城旅があるかも?って。
荻原さちこさんのホームページ 「城メグリスト」
http://46meg.jp/
第19回全国山城サミット 魚津大会
隣りの富山県で開催されるということで、初めて全国山城サミットに行ってきました。魚津といえば、悲運の魚津城が有名ですが、今回の主役は松倉城です。
今日明日の二日間の開催ですが、明日は予定があるので今日のみの参加になります。
早めに乗り入れて記念開催されている「北陸の山城展」を見に魚津歴史民俗博物館に行きました。
展示は無料、太っ腹です。松倉城、魚津城、春日山城、御舘、七尾城、福井城などの発掘調査の遺物を展示しています。
ここに来るのは二度目。前回はNHK大河「天地人」放映のときでした。その時のパネルが常設展示に今も残っていました。懐かしーーー
天神山にある同館の四階の展望台から見える日本海は絶景です。
サミット会場は新川文化ホール。
大ホールは持っていたよりも広く、ここがいっぱいになったらさぞ凄かろう!と思いましたが、さすがに満員とまではいかなかったですね。
この山城サミットのため!?に準備された旗が否応なく気分を高めます。
オープニングアトラクションは「鹿熊の刀踊り」です。刀を舞踊にしためずらしい民俗芸能でした。最近各地元に伝わる民俗芸能に興味がわいてきました。
記念講演は中井均氏。「戦国山城の魅力を語る」というテーマで、山城サミットの理念である山城をまちづくりに活かすために、山城の何が人を引きつけるのか、とても興味あるお話でした。
あっという間に一時間。そして、次回開催地の発表・・・・
・・・・
第20回の記念すべき開催地は、第1回の開催地、竹田城の朝来市に決まりました。開催は10月なので、運が良ければ雲海が見れるのかも?来年までじっくり考えます。
会場前のホールにはパンフレットや
当地の山城を紹介するパネルがずらり!
開催記念冊子は資料集(500円)と魚津戦国紀行(1000円)。どちらも内容に比してお買い得でした。
金沢城玉泉院丸 発掘調査は進む
北陸新幹線金沢開業へ向けて、整備のための発掘調査の進む金沢城の玉泉院丸跡。
今日は平日とあって作業の最中を見学できました。
昨年発掘された滝跡の西側が調査されているようです。
色紙短冊積み石垣の前も昨年の隣が掘り込まれていますが、ここからはよく見えません。
二の丸からぐるりとまわって反対側にきました。
こちらの石垣沿いには側溝が見つかっていました。
蓋が残っている部分もありますね。これが見れただけでも収穫でした。
作業員の方、暑い中ご苦労様です。
どんな整備がされるんでしょうか。
玉泉院丸を囲む石垣のまわりがすっかり除草され、木々も切られてすっきりしました。今立っている場所はいもり堀という水堀でしたから、実際はもっと高い位置に石垣が見えたでしょうね。
除草されたことによって、石垣下の土塁にも所々石が混ぜられていた様子が見えるようになりました。
金沢城橋爪門 見学台ができました
お盆前の金沢城、橋爪門二の門の復元現場
枡形土塁の修復の間の見学台ができていました。
しかし、まだ中には入れないようです。
いつから公開かな?
塩硝蔵跡 国史跡に申請
金沢市は4日までに、江戸時代に加賀藩が設置した火薬製造施設「土清水塩硝蔵跡」を国史跡に指定するよう、県教委を通じて文化庁に申し出た。国史跡「辰巳用水」への追加指定を目指す。
金沢市は国指定を機に塩硝蔵跡の保護と継承を図り、指定地の公有地化を積極的に進める方針である。(北國新聞2012年8月5日付け記事より)
高田城と高田城下町 新潟県の城館
ホテル前の道路は旧北陸街道、高田の町中を屈曲して通ります。
8時前には高田城に到着しましたが、三階櫓開館は9時なのでそれまでは高田のまちをめぐります。
外堀の南の端から西南に広がる旧城下町に向かいます。
昨日はよく見えなかった堀の蓮が、今日の晴天に誘われて
満開となっています。
まちめぐりはパンフレット「城下町高田さんぽ」を見ながら巡ります。
「馬塚稲荷」
上杉謙信公の馬がここで死んだという伝承の地らしいです。
西へ向かう途中、駐車場から旧百間堀が見えました。堀の両側を住宅に挟まれ、堀も短くなっているようです。
百間堀の碑のあるところから堀が全く見えないのはもったいない。
惣構を担ったと思われる青田川は、北国街道と交差するように直角に曲げられました。
川沿いをしばらく行くと、唯一土塁が残る場所があります。上に家が建てられて奇跡的に残ったようですが、木が繁茂していて形はよくわからないですね。
「町奉行所跡」
旧城下の風情ただよう松林
対面所のあった榊神社を通ってようやく大手橋まで戻ってきました。
二の丸土塁跡
内堀にかかる西側の土橋。昨晩のライトアップ写真はここから撮ったものですが、すでにたくさんの観光客が訪れているようです。
三階櫓に入ります。
もともとそんなに高い場所ではありませんが、自然に囲まれた櫓からの景色は壮大とは言えないですね。
上越市発足20周年記念事業として復元された三階櫓には、最上階の天井に棟札が掲げられていました。
2014年は高田開府400年の年にあたり、記念行事が行われるそうで楽しみです。
「本丸跡」
「三の丸跡」
堀の向こうに見える土橋には東不明門がありました。
高田を後にして春日山神社に寄った後、全国城郭研究者セミナー2日目に参加しました。テーマ報告1の途中からの参加でしたが、報告4に地元石川の七尾城の縄張報告があって、期待していましたが新たな見識はありませんでした。
全国城郭研究者セミナー1日目と高田蓮まつり
今年の全国城郭研究者セミナーは上越市の上越教育大学での開催です。
会場の講堂にはすでに多くの方が集まって研究報告を聴いていました。
朝早くに上越入りしたものの、居多神社と林泉寺と御朱印めぐりをしていたので到着は昼前になりました。
昨年の大震災を受けて、本日の報告には「史跡小峰城跡の被災状況と復旧」がスライド入りで紹介されました。地震では東北各地の城跡が多大が被害がでましたが、生活最優先のなか文化財の復旧はなかなか進んではいないようです。
また、本日最終報告は「2011年7月の記録的な集中豪雨による坂戸城跡・樺野沢城跡の被害状況について」は思っていたより衝撃的でした。2009年のNHK大河ドラマ「天地人」放映時に、私も両城へ訪れましたが、良好に遺構が残っていて魅力ある城跡でした。特に土盛りの城である樺野沢城跡は土砂崩れによる崩壊が激しく、復旧にはまだ数年かかりそうです。
宿泊のホテルは高田駅近くでしたが、高田城のライトアップをやっているか確認に行こうと思っていたところ、ちょうど蓮まつりの期間のようでした。
すでに薄暗くなっていて、高田城の堀一面を覆い尽くす蓮はよく見えない状況でした。
目的だった高田城の三階櫓はライトアップされており、暗い公園の中しばらくアングルを探りながら撮影してきました。やはり堀に映るこの位置がベストアングルのようです。
蓮は日が暮れて閉じてる状態だったので、夜に見に来るものではないですね。明日に期待しよう。
石川門一の門修理 いつ始まるのかな?
先月30日から始まった一の門の修復工事ですが、まだ足場も組まれていません。期待して見に来たけれど、いつ始まるのかな?
今日の午前は暑かったこともあり、人が本当にまばら
こんなに人の歩いていない石川橋を撮影できるのは珍しいことです。
先日工事をしていた水の手門前
崩れかかっていた石垣の修復は完了したようです。
金沢城 玉泉院丸の発掘調査の経過を確認
平日の玉泉院丸跡発掘調査現場へ行ってきました。全く報道されていなかったですが、かなり発掘は進んでいました。
休日にはブルーシートが掛けられていて、何かやっていることはわかってもどうなっているのかわかりませんでした。
発掘調査中なのを期待して玉泉院丸跡へ
パラソルがたくさん立っています。発掘作業しているようです。
斜面のみでなく、通路のあった石垣下の平面もやっています。
ぐるっとまわって上の平面に到着しました。途中木陰で作業員の方が休んでいました。暑い中大変です。炎天下の作業ということでパラソル下で作業しています。
平面は想像していたよりも深く掘られ、遺構が残存状況が良さそうです。
通路脇の蓋付き側溝がかなり残っているようです。
こちらはトレンチで地層を確認しているようです。
新幹線金沢開業に向けて作業は急ピッチで進められています。
側溝の蓋は何枚も残っていて、発掘の様子を見るだけでも楽しいです。
反対側の松坂門方向にまわってみましたが、こちらはブルーシートが掛けられた部分が多いです。
高岡城跡発掘調査現地説明会
平成20年度から高岡城跡である高岡城址公園で初の本格的な発掘調査が実施されています。昨年は本丸広場内で建物の敷石遺構が発見されましたが、現地説明会は都合がつかず行けませんでした。今日は「貫土橋地区」「児童公園地区」「本丸虎口地区」「射水神社地区」の本丸4カ所の現地説明会が行われました。
特に射水神社地区で発見された築城期の遺構は新聞報道されました。
朝陽橋口の受付で説明会資料を受け取り、貫土橋地区に向かいます。
開始から時間が少し経っていたので人も少なく最前列で説明を聞くことができました。
貫土橋は緊急時に移動できる車輪がついた橋が架けられていたと考えられていますが、両岸で栗石層の上に人為的な盛土が確認されました。
さらに、この斜面では上部に整地された通路が発見され、本丸であった射水神社裏から下りる通路があったとわかりました。現在はないものの、よく見ると通路だった部分がくぼんでいる様子が今も確認できます。
栗石層はかなり深いです。
先の斜面の反対側のトレンチです。
次に児童公園地区。天守台があったかもと考えられている場所です。
説明はありませんでしたが、現在は平坦な公園面ですが、トレンチで土塁の立ち上がりを確認しています。
次に本丸虎口地区です。現在の本丸広場へ通じる通路になっていますが、元は通路入口が土塁で塞がれていたことがわかっており、虎口がどのようにあったのは正確にはわかりません。
広場入口部分で人為的に版築された整地層が発見されました。
最後に射水神社地区です。神聖な社叢ですので立ち入り禁止地区ですが、本日限り公開されました。
射水神社は高岡城の本丸に建ち、本丸の半分を占めています。その社叢は本丸北限にあたり、貫土橋にまっすぐに続く場所になります。
裏込め石を伴う二段の石積み遺構が確認され、石の配置から方形の隅部分だと思われます。
注目は矢穴もあるこの石の「卍」の刻印です。
様々な産地の石が使われているのも特徴です。右側に裏込が見えます。
金沢城 石川門一の門修理が始まる
石川門の一の門、元は搦手門ですが、現在は兼六園側から金沢城内へ入る観光のメインルートになります。
30日からこの一の門の修復工事が入ります。柱の修理時に油圧ジャッキで門全体を浮かせ、傷んだ柱の根元部材を取り換える工法で行われ、県内では珍しい工事になる。
門全体が50センチ持ち上げられ、腐食の激しい柱の根元約30センチを新材に交換する。
今日は殿様井戸のある水の手門前も工事をしていた。
井戸の修復かと思いきや、どうも水の手門前の崩れた石垣を積み直していたようです。