例年より一月早く、鳥越一向一揆歴史館のバス旅行に行ってきました。
今年は長島一向一揆の地へ行ってきました。
最初は2度織田信長軍に勝利した願證寺へ。信長の弟信興を自刃に追い込んだ願證寺を中心とする一揆宗と地侍たちは、経済戦争として信長と争った歴史があり、そこは堺と同じですね。
250年経つという本堂の前には一向一揆殉教の碑が立っています。
現在の願證寺は長島町又木にありますが、信長と争った頃はもう少し北のほうの杉江にあり、河川工事により長良川の川底に沈んでしまったそうです。
長島は元は、木曽川、長良川、揖斐川の三つの川の河口にできた中州であり、中学校の社会で習った「輪中」と呼ばれる地域になります。
輪中は中州を土手で囲んだ海抜ゼロメートル地帯であり、満潮時には本当に川面よりも地表面が低くなります。長島町の北側ほど高くなるそうですが、それでもマイナス50センチしかなく、南端の長島スパーランドの辺りになると、マイナス3メートルにもなるそうです。
そういう長島の歴史を紹介するのは、「輪中の里」です。ここは長島町の歴史博物館であり、輪中の歴史や長島城の展示、伊勢湾台風の被害状況などを展示から見る事ができます。
最後に、大垣市内の大垣別院に行きました。
ここは願證寺とも関係の深いところですが、歴史が非常に複雑で理解できませんでした。
大垣市は男檀家と女檀家という同じ家でありながら男女で檀家となる寺院が異なる珍しい地域らしいですが、一つの寺院でも50人ほどの檀家しかおらず、経済的には苦しいそうです。岐阜県は、飛騨地区の高山別院、東濃地区の岐阜別院、そして西濃地区の大垣別院と地区ごとに別院があるそうですが、この大垣別院が歴史が最も浅いそうです。
年々遠い地への旅行となりますが、来年は石山本願寺か、さてまた根来か、楽しみです。